「俺とお前らと三国志11_ストーリーダイジェスト」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
これまでのお話
ネタバレ含みますが、新規武将を投稿するために参考にしていただければ幸いです。
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Part0~Part3 |
Part0~Part3
第一次武将の採用(3名)
後顧の憂いが無くなった涼真軍は、漢中への侵攻を開始・・・・・・する前に、漢中の張魯軍より攻撃を受ける。
各武将の活躍により、張魯からの攻撃を撃退。諸韓雷が一騎打ちにて賀斉(神)を破る活躍を見せる。
各武将の活躍により、張魯からの攻撃を辛くも撃退。
途中高泉が全琮に一騎打ちで敗れて囚われるが、荀静隊の活躍により救出。
曹操への土下座外交が始まる。
後顧の憂いが無くなった涼真軍は、今度こそ漢中への侵攻を開始。
鍾会軍、何進軍、張魯軍、涼真軍が入り乱れての四つ巴の乱戦。
何進軍の王双と高泉の一騎打ち。高泉が勝利し汚名返上。(ちなみに王双は斬られていない)
涼真軍が張魯を下し漢中を占領するが、何進軍の馬超からの猛攻に晒される。
張芳の策により一時漢中を放棄。 鍾会軍と何進軍を争わせる二虎競食の計により、鍾会軍は漢中より撤退。
残る馬超は寡兵ながらも涼真軍を苦しめるが、これを何とか退け漢中を制圧。
このとき手薄となっていた上庸を劉備軍に狙われる。
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第二次採用~Part4 |
第二次採用~Part4
ピンチであるにも関わらず文官ばかりの投稿。(赤猫殿、武官の少なさにキレる)
劉備軍の猛攻に会い、房陵港を明け渡す。
上庸にて必死の防衛が続くが、劣勢を覆すに至らず劉備軍の張飛が城下まで迫る。
同じ頃、漢中もまた鍾会軍と何進軍の侵攻に晒される。
計略を駆使して敵を各個撃破する中、猛将丁賓の一騎打ちでの活躍もあり、危なげなく漢中を防衛。
呂白と施蓉の手により徐々に漢中は復興し、物資が整ったところで諸韓雷が上庸への援軍として派遣される。
漢中および、宛からの援軍到着により上庸の士気向上。諸韓雷が張飛を撃退し戦局を塗り替える。
房陵港を曹操軍統治下とし、上庸は一時の平穏を得る。
漢中も断続的に何進軍の攻撃を受けるが、貢師・荀静らの防衛により、敵軍に陽平関を超えさせる事は無かった。
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Part5 |
Part5
涼真軍の軍師張芳は、董卓軍との同盟成立と同時に長安攻略を画策。
董卓軍との外交が頻繁に行われる中、丁賓を大将とする長安攻略軍が出陣。
涼真軍は長安への進軍に、箕谷を抜ける経路を選択する。
隘路である箕谷の通過は困難を極め、各部隊は兵の大半を失う事となる。
二勢力からの攻撃により長安の落城は時間の問題となる。
涼真軍も戦闘に加わるが、無謀な行軍により満足に戦える力は残っていなかった。
大将である丁賓は一騎打ちで敗北。行方不明となる。
高泉隊は突出し、後続の荀静隊と距離が開いてしまう。
涼真軍、長安攻略を断念し撤退。
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Part6 |
Part6
隊の壊滅した丁賓は諸韓雷により救助され、上庸へ帰還。
張芳は丁賓の長安攻略失敗を糾弾するが、涼真の言により丁賓の処罰は無しとなる。
張芳が丁賓に責を負うよう求めたのは、信賞必罰の考えからであった。
部下達は涼真の優しさと、張芳の厳しさを受け止め、再戦での勝利を誓う。
沈覇、江上にて大いにその武を奮う。
曹操軍の守備隊も抵抗を見せるが、房陵港は陥落する。
しかし諸葛亮隊は早々に上庸より撤退する。
その後は間をおかず、劉備軍より停戦の使者が上庸に訪れた事から、上庸への偵察部隊であったと予想される。
劉備軍との停戦条約が締結される。
軍をささえる呂白、施蓉ら内政官たちの働きにより、漢中は見事に復興。
さらに荀静の手により、漢中は要塞化してゆく。
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Part7 |
Part7
涼真軍は貢師の策により、董卓軍の同盟軍を装い長安への進撃を計る。
漢中より出撃した丁賓、高泉の二隊は箕谷からの進軍を避け、五丈原からの進軍経路を選択。
上庸からは諸韓雷と荀静の二隊が、子午谷を抜ける進軍経路を選択。
剣閣への遠征を終え、宛に帰還していた夏侯惇が援軍として派遣される。
董卓軍先陣は数日で壊滅するが、司馬懿軍はこの戦闘により疲弊。
残存部隊は丁賓、高泉の二将が難なく撃破。
夏侯惇率いる騎馬隊が長安守備隊と接触。獅子奮迅の働きにより、長安の司馬懿軍ほぼ壊滅。
子午谷を抜けた諸韓雷、荀静の隊も長安へ到達。
さしたる抵抗もなく長安攻略。
高泉、帝を笑わせるでござるの巻。
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第三次採用~Part8 |
第三次採用~Part8
内二名は女性武将。(赤猫総統閣下、大勝利!)
上級→超級へ。そんな難易度で大丈夫か?
呂白、施蓉の二名が長安へ異動。都市の復興に尽力する。
剣門関を曹操軍に抑えられているため、鄧艾軍は間道からの進撃。
漢中の涼真軍、これを計略により防ぐ。
劉備軍、大軍で房陵港に押し寄せる。沈覇、諸韓雷の二将が水上で迎え撃つ。
房陵港が劉備軍の手に落ちた後に、鄧芝が停戦の使者として上庸に訪れるが
涼真は停戦を拒否し、徹底抗戦の構えを見せる。
施蓉初陣。兵士は奮戦。
貢師出陣。兵士は厭戦。
涼真軍、辛くも三都市を守りきる。人材不足が課題として浮き彫りとなる。
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Part9 |
Part9
人材不足は何とか解消。滅亡エンド回避。
涼真は長安援軍の恩に報いるため、宛へ援軍を派遣。
涼真軍は劉備、司馬懿、鄧艾、董卓ら四勢力より侵攻される。
長安防衛のため、荀静の手で郿周辺におびただしい数の櫓が建設される。
これにより天水からの董卓軍は進軍速度低下。安定からの攻撃は激化。
上庸の攻城兵器の充実により、漢水からの進軍に対する迎撃は比較的容易になる。
上庸からは何名かの武将が長安へ異動となる。
涼真軍の丁賓、兄と再会するも敵として相対する。
丁賓は一騎打ちにより丁奉を拿捕。
司馬懿軍の猛攻をうけるが、涼真軍の擁政、これをよく守る。
しかし、長期にわたる攻撃を受け潼関陥落。
高泉、参軍の貢師と共に董卓軍の渡河を食い止める。
弓兵を率いる史峻隊の援護もあり、戦線は涼真軍有利の状態で硬直。
長安防衛は泥沼の様相を呈していたが、援軍到来により兵装の充実を図る機会を得る。
華雄隊は複数の市場を破壊し、長安へ甚大な被害が及ぶ。
これに対し張芳隊は、計略を用いて撹乱させ、その足を止めることに成功。
涼真軍の孟威隊は華雄に一騎打ちを仕掛け、華雄を負傷させる。
張芳隊は華雄隊に追い討ちの火計を行い、窮地に立たされた華雄は自刎し果てる。
張芳の指示により、華雄の亡骸は野に晒される。
擁政の発案により、潼関の西方にもうひとつの関が建設される。
(後日、彼の名をとり「擁政関」と命名される。)
さらに潼関前に曹操軍の夏侯惇隊が現れ、後続の司馬懿軍は長安を攻めあぐねる。
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