#include(用語解説冒頭部) #include(用語解説集ナビゲーションテンプレート) #contents(fromhere) ---- **Nice 暴徒.(ナイスボウト) #areaedit() 「信長の野望・革新」において、良い働きをした国人衆のこと。破壊の限りを尽くす様を「Nice boat.」にひっかけた言葉遊び。 ここから、国人衆自体を「[[暴徒>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/345.html#id_7f432bb1]]」と呼ぶようにもなった。 #areaedit(end) &link_up() ---- **[[Nice boat.>http://dic.nicovideo.jp/a/nice%20boat.]](ナイスボート) #areaedit() 良いボートを見た時に呟く感嘆の言葉。または、猟奇的なシーンを表すネットスラング。由来はリンク先参照。 ★&u(){「信長の野望・革新」において、よい働きをした水軍衆のこと} Nice 暴徒.からの再派生。 ★&u(){「信長の野望・革新」のイベント「野尻湖の悲劇」のこと} 宇佐美定満と長尾政景を消費して、車懸りつき上杉景勝を召喚。 事前に関東管領イベントが必要。 #areaedit(end) &link_up() ---- **内政(ナイセイ) #areaedit() ★&u(){農地を広げ、商業を振興して自国の国力を整えること} ゲーム作品によって大きくシステムが異なり、内政関連の作業量が多い作品から、極端に省略された作品まである。 マップ上に田や町などの生産施設を配置していく箱庭内政システムは「信長の野望・将星録」で初採用された。 「三國志11」や「信長の野望・革新」「信長の野望・天道」でも、このシステムを採用している。 ★&u(){他国の内政を妨害すること} 信長の野望・革新における敵国疲弊戦術のネタ的呼称。 「相対的内政」「[[兵1内政>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/344.html#id_4233abb1]]」とも。 [[ピンポンダッシュ>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/342.html#id_424a2536]]参照。 ★&u(){劉禅が101人居ても出来ないこと} あまり能力値が低いと、内政によってかかる支出が内政によって得られる収入より多くなる。 #areaedit(end) &link_up() ---- **直江津金魚(ナオエツキンギョ) #areaedit() 出典は「[[魔理沙遊興記>>魔理沙遊興記解説]]」。 [[美代子ママ>>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/1073.html#id_0ca0c8f2]]が切り盛りする、直江津のオカマバー。 たしかに女性説もあるけれど。インパクトの強さから、いくつかの動画でネタにされている。 元ネタは「六本木金魚」。 #areaedit(end) &link_up() ---- **長門系(ナガトケイ) #areaedit() 寡黙で理知的と、「涼宮ハルヒの憂鬱」に登場する長門有希を思わせるキャラ立て・台詞回しのキャラ。 ・「[[軍師黄皓の憂鬱>>軍師黄皓の憂鬱解説]]」の顧雍 (通称:長門系顧雍) ・「[[特産物の野望>>特産物の野望解説]]」の焼物器 (通称:長門焼) #areaedit(end) &link_up() ---- **長浜幼稚園 /長浜小学校 (ナガハマヨウチエン /ナガハマショウガッコウ) #areaedit() 「太閤立志伝V」において、石田三成・加藤清正・福島正則らが異様な低年齢の現役武将として登場している状態。 豊臣秀吉プレイ時には主人公の長浜城主着任で彼らの登場フラグが立つため、関連イベントの進行が早いとこうなる。 #areaedit(end) &link_up() ---- **ナベシマン #areaedit() [[鍋島直茂>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/255.html#id_306132ce]]の事。「律子の野望烈風伝」でこの名前が付いた。 #areaedit(end) &link_up() ---- **[[名前>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%90%8D]](ナマエ) #areaedit() 現代の感覚とは異なる、昔の人々の名前の仕組みを紹介。 ★&u(){中国・三国時代の武将の名前} 三国時代の人々は、姓・[[名(諱)>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/357.html#id_b9bc948f]]・[[字>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/124.html#id_cfe15d28]]を持っていた。 名は、史書に書き記される時や特別な公式の場面で稀に使われる程度で、普段は呼ぶ事が避けられていた為、 字のみで呼ぶ、もしくは「諸葛孔明」等、姓と字で呼ぶ事が多い。 更に言えば、目下の人物が上司に対する時は、字で呼びかけるのも失礼にあたり、 官職、或いは「諸葛丞相」等、姓と官職を用いねばならない。 但し、拘り過ぎると誰が誰だか判らなくなってしまう為、大抵の動画では目を瞑る事にしている。 それでも「諸葛亮孔明」等、姓名字と用いるのは、会話パートでは基本的に間違った用法なので、 紙芝居を作る時には気にしておいた方がいいだろう。正史三国志の様な文章の記述での用法はありうる。 時代こそ違うが、項羽(字が「羽」で名は「籍」)の様に、姓と字で覚えられている人物もいたりする。 正史は大抵本名で記載される為、字が現代に伝わっていない者も多い。 ★&u(){日本・戦国時代の武将の名前} 日本の人名に字は、漢学者など一部を除いてはまず無いが、似た機能を持つ物として[[通称>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/408.html#id_71ebbcda]]が存在する。 [[諱>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/357.html#id_b9bc948f]]をみだりに使わないという基本は、三国志と同様と思って間違いない。 明治期の戸籍改革によって通称と諱が統一され、名字+名前での呼称法が定着する迄 日本の人名は「家名(名字)+通称+本姓+姓+諱」という構成であった。 例えば織田信長であれば「織田+上総介+平+朝臣+信長」となる。 通常の会話では、普通「家名+通称」、ちょっと格式ばった呼び方で「家名+通称+諱」と呼び 「家名+諱」で呼ぶ事は、まず無かった。 逆に朝廷の公文書などでは、通例「本姓+姓+諱」で記述していた。 但し、三国志の動画と同様に、現代の視聴者にしてみれば誰が誰だか判らなくなってしまうので 便法と割り切って、家名+諱を使用する作品が多い。この記述方法は、歴史小説などでも普通に見られる事である。 ただ、そこをちゃんと気にした上で便法を使っているのが動画で伝えられると、カッコいいと思われる。 この他、戦国時代の武将の名前には、以下の様な物がある。 ・仏法に帰依した人物の法名 …武田「信玄」、上杉「謙信」 ・[[キリスト教>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/976.html#id_bbf7b39a]]の洗礼を受けた人物の洗礼名 …伊東「マンショ」、内藤「ジョアン」) ・学者や絵師など、芸術に関わる人物の号([[wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B7_(%E7%A7%B0%E5%8F%B7)]]) …林「羅山」 ★&u(){中国・三国時代の女性の名前} そもそも女性の活動が記録されていることが少ないのもあるが、 董卓の孫「董白」、献帝の皇后「伏寿」(伏皇后)、孫権の娘「孫魯班」等、諱が残されている人物はかなり珍しい。 これは、女性の実名を使う事は男性以上にはばかられた為であり、史書に記録される場合は 実家の姓(「甄氏」「糜夫人」「大橋・小橋(演義では大喬・小喬)」等)や諡号(劉禅の皇后「敬哀皇后」等)で呼ばれる。 諸葛亮の妻「黄月英」や劉備の妻「孫尚香」は、京劇など後世の伝統的な創作の中でつけられた名前。 呂布の娘「呂玲綺」は、コーエーの「三國志戦記2」において実在の娘をもととしたキャラに設定された架空の名称。 ★&u(){日本・戦国時代の女性の名前} 身分ある女性の実名を使う事は男性以上にはばかられたのは日本でも同様。文書等の記録では多くの場合 法号(「黄梅院」「寿桂尼」等)や称号(「築山殿」「北政所」等)、実家の苗字(「乃美氏」等)で記されている。 浅井三姉妹(「茶々」「初」「督(江)」)や立花道雪の娘「誾千代」の様に実名が記録に残されているのは珍しい方で 全くわからない事も少なくない。 コーエーの「史実姫」の内、実名不詳の姫は「蔵春院」→「春」の様に、法名が残っている場合はそれをもとに それさえわからない場合は適当に創作している様だ。 #areaedit(end) &link_up() ---- **ナル政(ナルマサ) #areaedit() [[浅井長政>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/246.html#id_790013a2]]の事。 「[[霧雨の野望>霧雨の野望解説]]」において、捕虜として登場するなりナルシシズム全開の態度で東方キャラにコナをかけた為、この呼び名が発生。 動画を見た後に「伊織立志伝」系の長政を見ると、そのギャップの激しさに笑う事間違いなし。 更にアイマス系MADの…ゲフンゲフン。 #図らずも、黒田長政や浅野長政、山田長政との識別に役立っている。 #areaedit(end) &link_up() ---- **[[男色>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E8%89%B2]](ナンショク/ダンショク) #areaedit() 男性の同性愛。「ダンショク」は本来誤読だが、流布している。 俗に「ホモ」とも言うが、当事者にはこの呼び方を嫌う人もいる。「薔薇」などとも言われる。 江戸時代までの古き良き日本では「衆道」と言われ、「みんなやっていた」といっていいくらい広く行われていた。 平安時代末期の貴族・藤原頼長はその日記『台記』に、絢爛華麗にして政治的思惑も見え隠れする男色関係を書き残している。 「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんも、実はそういう関係だったりする。 同性愛が個人の「特異な性的指向」と捉えられる事の多い現代日本社会において、 男色に関連する記述は人々を戸惑わせたり、見なかった事にされたり、 特異な文芸ジャンルを愛好する主に「腐女子」などの方々に歓迎されたりしている。 ネット上では、阿部高和やビリー・ヘリントンが大人気になっているように、 ある種の「ネタ」や「ファンタジー」として受容されているようではある。 ★&u(){日本の戦国時代} 武家社会では主従関係の強化といった意味合いもあった。武田信玄と高坂昌信、織田信長と森蘭丸の関係が有名。 当時の武家社会の慣習をよく再現した作品として「[[ダメ君主の野望>ダメ君主の野望解説]]」等がある。 #逆に、男色に興味を示さなかった代表格が豊臣秀吉。 ★&u(){三国志} 前漢の哀帝と董賢の故事から「断袖」等の言葉が出来ているから、 古代中国に男色がない訳ではないが、三国志に関しては正史でも演義でも記された物はない。 「寵愛」「寵臣」といった言葉の「寵」は「お気に入り」といった意味で、性的な意味「だけ」を指し示すものではないので、 「劉禅に寵愛された黄皓」とかの文章に妙な反応をした人は少し落ち着くように。 ただし、あれこれ妄想を深めるのは後世を生きるわれわれの自由である。 その筋では江森三国志(江森備「天の華 地の風」)等が著名。 #areaedit(end) &link_up() ---- **~なんとかさん(ナントカサン) #areaedit() 「途中まで出かかってるんだけれど、ほら、あいつの名前なんだっけ」という存在感の薄さやをからかうネタ。扱いのひどさも示す。 ネタとしては「とある魔術の禁書目録」に登場するヒロイン「インなんとかさん」([[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%8B]])の影響が強いと思われる。 歴戦界隈では「漢字が難しい」「名前がよみにくい」のもポイントの一つ。 ★&bold(){関連項目}―――― ・[[士なんとかさん>>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/352.html#id_76820d47]] ・[[歩なんとかさん>>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/345.html#id_107e1fba]] #areaedit(end) &link_up() ---- **[[南蛮>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E8%9B%AE]](ナンバン) #areaedit() 元々は中国南方の異民族をひっくるめて呼ぶ語。 ★&u(){[[孟獲>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/432.html#id_cde393ce]]と愉快な仲間たちのこと} 三国志演義において、諸葛亮が軍を起こし、建寧郡の豪族・孟獲を降して心服させた件を「南蛮平定」と呼ぶ。 地理的には、中国雲南省からミャンマー北部にかけて。民族的には、辺境在住の漢族やタイ族、両者の混血などであったらしい。 エンターテイメント性を高めた三国志演義では「わくわく動物ランド」状態になっている。 ★&u(){日本ではスペイン・ポルトガルのこと} 中国の明代(日本の戦国時代)には、東南アジアあたりを「南蛮」と認識していたらしく 倭寇の五峰(王直)は、日本の種子島に初めてやってきたポルトガル人を「西南蛮の商人」と紹介した。 日本では何時の間にか「西」が落ち、イベリア半島諸国を「南蛮」と呼ぶ様になった。 [[南蛮技術>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/128.html#id_f3cdce75]]といっても、藤甲や猛獣や毒の泉が貰える訳ではない。 #areaedit(end) &link_up() ---- **南蛮王(ナンバンオウ) #areaedit() [[演義>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/126.html#id_49c63cd4]]で孔明に7回捕まった[[孟獲>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/432.html#id_cde393ce]]の事。 たまに「もし、呂布が生き残り部下とともに南蛮で再起したら…」というifストーリーのリプレイ「[[南蛮王呂布の痛快活劇>>http://gukko.net/modules/nanban/]]」から、呂布が南蛮地方にいると呼ばれたりもする。 ……2010年12月21日、まさかの南蛮王呂布外伝がぐっこ氏本人の手で動画にて投稿された。 #areaedit(end) &link_up() ---- **南蛮技術(ナンバンギジュツ) #areaedit() 「信長の野望・革新PK」において、貿易相手との友好度を高めると伝授される[[技術>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/317.html#id_c49de228]]。 色々とオーバーテクノロジー気味な物や、戦国武将との取り合わせを考えると不思議な物も含まれている。 |~友好度|40|70|140|250| |~ポルトガル|[[カノン砲>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/125.html#id_21a0f270]]|製図法|[[板金鎧>>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/129.html#id_95eb6c60]]|拡散砲弾| |~イスパニア|[[鋼輪式銃>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/320.html#id_5d104ba3]]|鉄柵|[[火打式銃>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/342.html#id_f390860a]]|[[西国方陣>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/354.html#id_aabe5005]]| |~オランダ|[[携行食>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/319.html#id_8398c739]]|蘭方医|馬車|[[西洋建築>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/354.html#id_1e7c7802]]| |~イギリス|[[大弩弓>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/127.html#id_a3d8c6b6]]|[[シールド>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/771.html#id_c28fc3f8]]|[[長弓>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/407.html#id_7c49eeb1]]|活版印刷| |~明|[[苗刀>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/1073.html#id_ea22469b]]|環鎖鎧|鎖子甲|[[汗血馬>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/125.html#id_aba78c41]]| #areaedit(end) &link_up() ---- 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