「竹中半兵衛の憂鬱ネタ解説2」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

竹中半兵衛の憂鬱ネタ解説2 - (2009/04/18 (土) 22:23:42) のソース

[[竹中半兵衛の憂鬱>竹中半兵衛の憂鬱解説]] > [[ネタ解説1>竹中半兵衛の憂鬱ネタ解説]] &bold(){ネタ解説2}
----
#contents(fromhere)
----
*最終回前編
#areaedit()
:ボンボンが没落|彼の運命を一行で表現するとこうなる。半兵衛の沈黙はおそらく『おまえが言うな』。
:授業中に息子が便所に逃げる/じらし/おもらし/小便小僧|半兵衛が息子(のちの竹中重門)に合戦の話をしていたところ、息子は中座してしまった。便所に行ったと聞いた半兵衛は「たとえ小便を垂れ流そうとも、軍談の席を立ってはならない」と叱りつけたという。「名将言行録」に記されたエピソードで、「信長の野望」でもイベントとして各地の大名家で起こることがある。余談だが、&B(){姫でも起きる}。
:御舅様/あっかんべー|安藤守就(伊賀守)は半兵衛の妻(得月院)の父。美濃三人衆の一人で、龍興に遠ざけられたことを恨み、1564年に半兵衛とともに稲葉山城を占拠した。美濃三人衆は龍興と折り合いが悪く、それが動画の態度にも出ている。
:卜全殿|氏家卜全。美濃三人衆の一人。のちに信長のもとに走ることになる。
:孫はまだ/祝言/干支が一回り|このチュートリアルは1562年で、この年に半兵衛は結婚。重門は1573年生まれと長く子に恵まれなかった。
:老い耄れる/それより血の気を減らせ|安藤守就は本能寺の変に際して、80を過ぎた高齢で独立を計ろうとし、攻め滅ぼされた。
:つまらん!/~はつまらん!|俳優・大滝秀治氏出演の某殺虫剤CMより。
#areaedit(end)

*最終回後編
#areaedit()
:面妖な頭巾|日本で現在一般に理解される「クリスマス」の行事や「サンタクロース」の姿は、米国発祥である。米国のクリスマス行事自体はイギリス・オランダなどで祝われるプロテスタント系のクリスマスの形がベースになっている。キリスト教圏のほかの国や地域の伝統では、プレゼントを持ってくるおじいさんの名前や格好が違ったり、プレゼントを持ってくる人が違っていたり、場合によってはプレゼントをもらう習慣がなかったりする。
:その面子は嫌な予感がするぞ|稲葉山城乗っ取りフラグ。この一件は、半兵衛と弟の久作(竹中重矩)、舅の安藤守就らの謀議によって決行された。
:元は冬至の意|イエス・キリストの誕生日は、実は聖書に記されていない。聖誕祭(クリスマス)が12月25日ということになったのは、キリスト教普及以前からあったギリシャ・ローマやゲルマンの冬至の祭りと習合されたためらしい。ちなみに、教会行事にユリウス暦を使う東方正教会系(ロシアなど)では、クリスマス(降誕祭)は1月7日に行われる。半月や1ヶ月は誤差の範囲だろう。(参考:[[wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9]])
:コーラ色|現在知られているサンタクロースのイメージはコカコーラ社の広告で創られたのだ、という説がある。この説によると、サンタの服が赤と白なのはコカコーラのコーポレートカラーだからという。もっとも、コカコーラ社が広告にサンタを使う以前から赤と白のサンタのイメージは存在するので、(サンタといえば赤と白、というイメージの定着に影響はあったかもしれないが)少なくとも「サンタ服の赤と白はコカコーラが発祥」とまで言うのは俗説ではある。[[wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9#.E3.82.B3.E3.82.AB.E3.83.BB.E3.82.B3.E3.83.BC.E3.83.A9.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82]]参照。
:十兵衛殿には内蔵助(斎藤利三)も/稲葉様ではないのか|斎藤利三ははじめ斎藤義龍に仕えたが、美濃三人衆が織田氏に寝返った際に稲葉一鉄の家臣となった。後妻に一鉄の姪を迎えるほど関係は深かったが、1580年に一鉄と喧嘩別れしたらしい。その後明智光秀(縁戚ともいう)に仕え、本能寺の変に加わる。「光秀の重臣」というイメージが強いが、光秀に仕えたのはわずか2年であり、稲葉家臣の時代のほうが長い。
:わしと伊賀殿とで何か御座ったか/伊予殿が御舅様にいろいろと|1582年、安藤守就は旧領回復を目指して挙兵したが、稲葉良通(一鉄)に討たれた。
:御舅様と縁のある、氏家左京(直昌)殿の父/わざとだな。絶対わざとだな|安藤・稲葉と同じ美濃三人衆の氏家卜全(直元)。こんなまわりくどい言い方をしてまで卜全の長男・氏家直昌(?~1583)を持ち出したのは、1573年の刀禰坂の戦いで斎藤龍興を討ったのが直昌だからにほかならない。
:不本意では御座りましょうが|敵(信長)は清須城にあり。
:解説ホイホイ|これはホイホイされざるを得ない。
:半兵衛の罠|なんという今孔明の罠。
:頭数が足りねば魔王とて外には出られませぬ/絶対おかしい|織田信長は第六天魔王を自称した。人数不足で出撃してこないのはゲームの仕様。
:織田弾正家との同盟交渉|桶狭間の合戦後に松平家が独立すると、刈谷の有力国人で織田方についていた家康の叔父(生母・お大の方の兄)・水野信元などを仲介として松平・織田の交渉が開始される。1562年の正月に家康が清洲城に信長を訪問していており、この際に「清洲同盟」が発足したとされることがある。『三河後風土記』によると誓紙を取り交わしたのは9月という。両家は何度も交戦した仲であり、俗に言われるような家康と信長との友情だけですんなり決まったわけではない。
:織田家は先に騒動/美濃に通じる者|信長の弟・織田信勝は信長への再度の反抗を試みるが、1557年11月に粛清されている(これはゲームのイベントにもなっている)。「騒動」はこれを指すか? このとき信勝が通じた岩倉の織田信安(上四郡守護代)など、尾張北部の反信長勢力は、対抗上美濃の斎藤義龍と関係を結んでいた。経緯をはしょると、1559年3月の岩倉城陥落によって信長の尾張統一が果たされる。
:不自由を常と思い長き道を歩き続ければ|「人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し、急ぐべからず」「不自由を常と思えば不足なし、心に望み起こらば困窮したるときを思い出すべし」は、家康のものして知られる名文句。教訓としてよいものであるが、実は後世に家康の遺言(東照宮御遺訓)として仮託されたもの。
:その悠長さ、気に入りませぬぞ|半兵衛の場合、歩むための道が短すぎた。龍興も早死になので同感らしい。この動画では半兵衛に頭痛を起こして寿命を縮めているのは龍興っぽいのだが……
:十兵衛の罵声は通じませぬか/よもやと一笑に|光秀=天海説。実は正体を隠して家康のために働いているのかもしれない。
:本人は微妙/伊予殿は特に勝ち組|斎藤利三は本能寺の変の際に討たれたので「微妙」ではあるが、娘の春日局が徳川家光の乳母から江戸城大奥の最高実力者に上り詰めた。美濃三人衆のうち、安藤家は本能寺の変後に没落、氏家家は関ヶ原で改易されたが、稲葉一族だけは江戸時代に大名として生き残り、しかも春日局の力もあって結構いい位置についた。なお、稲葉一鉄には「一徹者」(一鉄者)の語源になったとの説もあり、日本語に名を残したとも言える。
:失敗は許されぬ|明智光秀が家康の饗応に失敗し、信長にひどく罵倒されたのが本能寺の変の原因という。
:殿の叔父上/親族とは掛替の無き物|信長は龍興の叔母(濃姫=帰蝶)の夫。史実では血を分けた親子兄弟が争うのはありふれたことだが、革新のゲームシステム上では一門武将は裏切らない。
:お召し物に合わせて/CM|[[西園寺世界の逆襲>西園寺世界の逆襲解説]]。nice boat.で有名なシーンの舞台はクリスマス。こわいよ半兵衛。
:半兵衛……教えてくれ|『新機動戦記ガンダムW』より、ヒイロが五飛(ウーフェイ)に向けて言ったセリフ。「五飛……教えてくれ。俺たちはあと何人殺せばいい? 俺はあと何回、あの子とあの子犬を殺せばいいんだ」。ネット上では「教えてくれ○○、俺(たち)はあと何回○○を○○すればいい?」のような形でコピペテンプレ化している。
:大宇宙の意志(家康の宇宙人ネタ)|江戸時代後期、尾張藩に仕えた画家・牧墨僊がまとめた聞き書き『一宵話』によると、家康が晩年の慶長14年(1609年)、駿府にいたころ、城の庭先に子供のような背丈の「肉人」が現れ、指のない手で天を指していたという。家康はこれを山に捨てさせたというのだが、これは「グレイ」と似ているということをもって「家康が宇宙人と会っていた!」という話がある。ちなみに『徳川実紀』などと照合すると、ぼろを纏った浮浪者だったらしい。
:「十余り四つ、北落師門の傍らより、忍従の地へ神舟を遣わさん」|「&bold(){北落師門}」は、みなみのうお座にある一等星・フォーマルハウト(みなみのうお座α星)の中国での呼び名。地球からの距離は約25.1光年で、(天文学レベルでは)近距離にある。この恒星には惑星があることが推測されていたが、2008年に太陽系外惑星として可視光ではじめて観測された。[[wikipedia>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%83%88]]にハッブル宇宙望遠鏡が観測した画像(チリを強調する加工あり)があるが、たしかに何かの意思を感じそうなインパクトがある。難解なネタの一つではあるが、後日記されたup主の[[マイリスト解説>http://www.nicovideo.jp/mylist/8527786]]によると、上記の宇宙人ネタをベースにしており、「十余り四つ」(慶長14年)、家康が人質時代を送った「忍従の地」(駿府)に「神舟」(UFO)が現れることを示している。側近役が本多正信なのもこのため。なお、このシーンに使われているBGMは映画『ブレードランナー』のBGM。
:「大吉、長じて汝に立ちはだかる」/苦難を友にせよ|東照宮御遺訓(上掲)にある「忍耐は無事長久の基、怒りは敵と思え」は、家康の名言とされている。大宇宙の意志は、紋が「大一大万大吉」の石田三成が将来家康と争うことを伝えているようだが、家康には伝わっていない様子。
:深き溝/弥八郎、何処へ行った?|史実ではこの前後の時期に「信仰上の確執」(三河一向一揆)があり、正信は家康の下を去っている。

#areaedit(end)

*最終回続編
#areaedit()
:将来美濃が滅ぶとすれば|史実では、斎藤家は1567年に滅亡(美濃の支配を喪失)する。
:先代・先々代様/家臣が割れておる|美濃はかつて守護土岐家、守護代斎藤家などが激しい内紛を繰り返してきた土地であった。また(戦国時代はどこも同じようなものだが)臣従している国人たちも独立性が強く、互いに争ったり、主家を乗り換えたりすることも珍しくなかった。新興勢力である道三(先々代)は、こうした状況に乗じて美濃の支配権を奪取したが、同時にこれらの旧勢力を体制内に組み込むのに苦労することになる。義龍(先代)はすぐれた内政手腕で所領紛争を安定化させるとともに、宿老による合議制を確立、家臣たちの不満や対立を押さえ込むのに成功していた。しかし、1561年に惜しくも早世した。
:いささか|龍興はいささか素行が悪く、酒と女(と男)に溺れて政務を顧みなかった、とかなんとかと言われる。ともかく、複雑な利害を持つ家臣たちを統率するだけの求心力を持つことができなかった。
:先代様より近江の浅井家を|義龍は六角氏と結び、浅井氏と戦っていた。なお、義龍の正室で龍興の母とされる「近江の方」は浅井家出身(久政の娘とも妹とも)。龍興も一時期織田家への対抗から浅井と結ぼうとしたことがあるなど、この三家の関係は複雑である。
:西の浅井と南の織田/既に組んでいてもおかしくはない|斎藤氏との対抗の面から、1560年代には織田側から浅井側に働きかけが行われていたようだ。1567年に織田信長の妹・市が浅井長政の妻となる。
:織田は南の松平とも|「清洲同盟」のこと。最終回後編ネタ解説参照。
:こちらに頼みの六角家/先の敗戦|1560年、六角義賢は叛旗を翻した浅井長政を討とうとしたが、野良田の戦いで大敗を喫した。
:このチュートリアルの時代設定|永禄5年(1562年)。史実では西から浅井、南から織田の侵攻を受けている。
:この夢には、現の夢を掴んだ方も御座りませぬ|龍興は反信長の戦いを続けて討死し、半兵衛は病のために陣中に斃れ、光秀は短い天下を掴んで消えた。
:お主がいなければ/伊予殿が悪く見える|安藤守就は1580年、武田に通謀した容疑で信長に追放された。本能寺の変後に再起を図るが、元同僚の稲葉一鉄によって一族が滅ぼされた。
:「藤の下に福、御主の道を正さん」|家康は「斎藤」の下につけば福と解釈しているが、大宇宙は別の史実を伝えているような。春日局(斎藤福)が徳川家の後継者を定めるのに果たす役割とか。
:また斎藤家/久しいな、備中|第五回参照。
:時茂|正木大膳亮時茂、里見家臣。武勇に優れ、「槍大膳」と謳われた。
:東海席巻/ライバル意識してね?|「信長の野望・革新」には、半兵衛とともに両兵衛と並び称された黒田官兵衛を主人公にした「九州席巻」というチャレンジモードシナリオがある。この動画では東海国人衆勢力範囲を席巻している。
#areaedit(end)

*[[完結編>http://www.nicovideo.jp/watch/sm5937300]]
#areaedit()
:今北産業|掲示板などで「今来たそれがしに、これまでの流れを三行で説明してくだされ」という意味のネットスラング。有志が三行で説明して理解した場合「把握」と返されるのが定番。
:暴れ国司|伊勢北畠家は、建武の親政時に「国司」に任命された起源を持ち、戦国時代まで権力を保持した「三国司家」の一つ(残りは飛騨姉小路家、土佐一条家)。北畠晴具([[wikipedia>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E6%99%B4%E5%85%B7]])は弓馬の名手で文化人としても高名な文武両道の名将。しきりに軍事行動を行って伊勢南部の小豪族を傘下に収め、志摩をも制圧、さらに吉野や熊野にも勢力を拡大したり、中央政界の政争に介入して細川高国を支援した。
:漫画家の方|よく似た名前の漫画家は氏家ト全(うじいえ・とぜん。[[wikipedia>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%8F%E5%AE%B6%E3%83%88%E5%85%A8]])。
:特に長生きすると/したって楽しいとは限らん|安藤守就は享年80。斎藤龍興は享年26。どちらも幸福な最期とはいえない。
:多気の御所/顕能様|名門である北畠氏は、居館(あるいはその館主たる当主)を「御所」と称した。多気御所(北畠氏館、現:津市美杉町下多気)は1342年に北畠顕能([[wikipedia>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%95%A0%E9%A1%95%E8%83%BD]])が築城して以来の居館で、「霧山城」はその裏手にある非常時の山城。
:北畠も孫が|北畠晴具の孫・北畠具房は肥満体の暗愚な人物であった、とされる。斎藤家とは「暗君」つながり。
:織田絡み|北畠家は一族殲滅。安藤家は改易。織田家の被害者つながり。
:前回は某が|浅井家関連は第六回、今川家関連は第五回参照。
:正奇に長ける|遠藤直経は忍者を配下に置いていたとも言われる。
:竹中|1570年の姉川の合戦の際、遠藤直経は織田軍の兵に化けて信長本陣に侵入しようとしたが、竹中重治の弟・重矩にばれて斬られた。
:忘恩の徒|今川家視点では、将来の西三河支配の要として一門に連ねたにもかかわらず離反した忘恩の徒となる。同様に一門衆に組み込まれた東三河の鵜殿氏(の本家)は今川家に忠節を尽くしている。
:関口刑部|関口氏広(親永)は義元の妹婿で、家康の正室・築山殿の父。家康が独立すると氏真に去就を疑われ、1563年自害に追い込まれた。
:「境に大変を聞く。雪と別れ故郷を目指すべし」|家康は、「境(三尾国境)に一大異変(桶狭間)を聞くので雪(雪斎の恩)と決別して故郷を目指せ(岡崎城入城と独立)」と解釈しているが、意志は「堺に一大異変(本能寺の変)を聞くので雪(穴山梅雪)を置き去りにして故郷を目指せ(神君伊賀越え)」と伝えたがっているような気も。
:「龍、転じて北に眠らん」/ネタばれ自重|家康関係のメッセージを伝えてきた今までの宇宙の意志からすると、江戸幕府を開いた巨龍・家康が江戸の北・日光に眠ったと捉えることができる。本動画的には龍の字を含む龍興と捉えることもでき、「ネタばれ」が隠されていることになる。これについては大尾参照。
:房総仕込の水軍|第五回参照。
:今回のチュートリアル|本作は一貫して「ネタ」を追求してきた。無謀な遠征もその一環。今回もそうした「ネタ動画」のようでありながら、「史実」で果たせなかった夢を実現させるシリアスなものであった、と半兵衛は伝えようとしたのだろう。
:[[コーン職人>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/320.html#id_2fe99ba7]]|本来は[[特産物の野望>特産物の野望解説]]などでBGMにあわせて見事な「[[コーン>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/320.html#id_704fe804]]」を打っていくコメント職人のことだが、作中のシリアスなシーンで一部の視聴者が「コーン」を乱打して他の視聴者から「空気読め」と憤懣を買った件などを踏まえている。龍興が求めているのはシリアスブレイクとしての「コーン」コメント。
:(エンディングの画像)|第六回後編でも用いられた画像だが、改めて場所に注目。大尾参照。
#areaedit(end)

*[[大尾>http://www.nicovideo.jp/watch/sm5940859]]
#areaedit()
#region(close,動画閲覧後にどうぞ)
:(斎藤龍興生存説)|越中の古刹・興国寺(富山市布市)周辺には以下のような話が伝わる。美濃を追われた龍興は永禄12年(1569年)、興国寺に身を寄せ、名を「九右エ門」と改めた。経力村の長となった彼は原野を開拓したり鉱泉を開いたりし、晩年は出家して興国寺の中興の祖となった。九右エ門は1632年に87歳で没し、経力村(富山市経力)の本誓寺に墓がある。おおまかには[[wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%BE%8D%E8%88%88]]にも触れられている(2009年1月現在)。ただし、「一般に伝わる史実と、かの伝説とを比較すると、途中でかなり大きい矛盾が生じる」(うpぬし)とのこと。うpぬしが[[大百科>>http://dic.nicovideo.jp/v/sm5940859]]に史料調査の結果を記しているので、詳しくはそちらを参照のこと。
#endregion
//数日間御協力感謝(up主)。
#areaedit(end)

*竹中二兵衛の憂鬱
#areaedit()
:(閣下の統一日記)|アイマス架空戦記の一つ。天海春香閣下が斎藤道三家を乗っ取り、アイマス勢の集合と現世への帰還を目的に天下統一を目指す。
:天に海、一に色|元康は天海閣下と一色義糺(龍興の別名)のことと解釈している。大宇宙の意思は家康の両腕となる天海僧正と金地院崇伝(一色氏の出自)のことを伝えたいのだろうが、また伝わっていない。
:旗本止まり|竹中重門の子孫のこと。
:娘夫婦が歪む|細川忠興と明智玉のこと。ヤンデレ夫婦。
:リアルBASARA半兵衛|蜂須賀至鎮のこと。常人ではない逸話が多く、早死に。
:首里の南|おそらく、沖縄出身のアイドル響のこと。
:無害P|有罪な絵を描いているのに無罪Pと自称する変態紳士からと思われる。
:謎の生物|ののワさんという全裸のキャラのことか。
:木の下の下より城の城の主。奇しき運命の幸なき子|元康は(ry) 意思は羽柴家から結城家に養子に行った結城秀康の(ry
:高みに~|不明
:束の間~|不明
:幻の獅子~|不明
#areaedit(end)

*コメント欄
#include(竹中半兵衛の憂鬱解説コメント)