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211年公孫恭プレイ解説 - (2009/05/30 (土) 06:59:30) のソース

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|>|>|CENTER:BGCOLOR(gold):&sizex(6){211年公孫恭プレイ}|
|&nicovideo(sm7081221){512}&br()&nicovideo2(sm7081221,512,384)|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):使用ゲーム|三国志Ⅸ|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):シナリオ・担当勢力|211年シナリオ公孫恭|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):シナリオの設定|難易度上級、史実、討死なし|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):動画形態|純プレイ動画|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):登録武将|なし(?) 但し顔グラ変更者複数|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):史実武将の扱い|主力|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):縛り|なし|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):投稿時期|2009年5月18日~|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):マイリスト|[[211年公孫恭プレイ>>http://www.nicovideo.jp/mylist/12607588]]|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):関連タグ|[[時を駆ける公孫恭>>http://www.nicovideo.jp/tag/%E6%99%82%E3%82%92%E9%A7%86%E3%81%91%E3%82%8B%E5%85%AC%E5%AD%AB%E6%81%AD]]|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):ニコニコ大百科|[[時を駆ける公孫恭>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%99%82%E3%82%92%E9%A7%86%E3%81%91%E3%82%8B%E5%85%AC%E5%AD%AB%E6%81%AD]]|
|~|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):関連サイト|-|
|>|>|CENTER:BGCOLOR(#F0F8FF):備考|
|>|>|ドM、関連動画:[[皇族劉虞の軌跡SC>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/624.html]]|


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*解説
三国志Ⅸ最難関シナリオの一つ211年[[公孫恭プレイ>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/320.html#id_e1181e15]]をした動画。
このシナリオをクリアした人物はドMの称号を与えられる。
うp主が予め&bold(){探索・外交タイミングを調査}しているため、ロードは人材登用がほとんどとなっている。
このプレイをそっくり真似をすれば&bold(){誰でもこのシナリオをクリアできるようになる}・・・はず。
初期勝利条件は初期位置の襄平からかなり離れた成都の攻略だったのだが、あまりにもあっけなく成都が落ちたため、
うp主が延長を決定した。
延長を決めた後の勝利条件は劉璋軍討伐と州制圧だった。
州制圧は益州制圧と考えた視聴者が多かったが、うp主は連合を利用するつもりだったので、
&bold(){建寧が盟友の孫権軍に制圧されている}時点で州制圧が無理であったため益州以外の州の制圧する必要があった。
それ以降は作業ゲーになるのでうp主自身が&bold(){プレイも続行しない}と宣言している。

動画投稿間隔にしてわずか17時間の間で第一幕を完結させてしまった。
第二幕は途中に5月中に終わらせると宣言して、それを実行した。
11日で完結、同時にまったく関係のない単発検証4本を含めた25本をうpしているなどまさに時を駆けるうp主である。
「時を駆ける公孫恭」のタグは視聴者から付けられ、現在はうp主がタグロックしている。

うp主は更新中の[[『皇族劉虞の軌跡SC』>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/624.html]]のうp主でもある。
自称&bold(){「慎重派で包囲戦が大好きなドS」}。
単発検証に定評のあるうp主。
兵1の実力を試した動画を上げており、多部隊戦法がいかに強いかを見せ付けてもいる。
流石に兵1は極端ではあるが。

*各勢力の評
第二幕第六回に視聴者が付けたタグが元。最初は勢力だけだったが、対象がうp主や呂蒙にも向いた。
#region(close,評価)
:人材提供:孫権軍|第二幕第六回についたタグ。呂蒙、徐盛、朱桓を公孫恭軍に攻めさせて全員登用されてしまった惨状を評した。
ついた第六回は朱然が単騎特攻して捕虜になった。けど自力で脱出した。
:領土提供:劉璋軍|第二幕第七回についたタグ。成都を奇襲で落とされ、江州、梓潼を落とされた劉璋軍の惨状を評した。
ついには全部提供することに。劉璋乙。
:負傷兵提供:劉璋軍|第二幕第七回についたタグ。輸送で兵士をつぎ込んで落とされた梓潼を評した。
城の守将が劉璋な地点で敗北は確定です。
:兵士提供:曹操軍|第二幕第八回前編についたタグ。うp主が途中に第六回のタグのことについて言った時にうp主が評した。
確かに兵役人口3万をあっさりと攻め取った都市から手に入るとそう言いたくなるだろう。
:金銭提供:張魯軍|第二幕第八回前編についたタグ。張魯軍を攻め滅ぼした際に金が倍に増えた為、金には困らないとうp主が言ったことから。
16kも金が増えればそう評したくなるだろう。
:ドMの被害者:呂蒙|第二幕第八回後編についたタグ。厳顔と一騎討ちをして、フルボッコにされた様を評した。
うp主がミスで武力の高い徐盛でなくそのままにしたため起こった悲劇。
悲劇はこれで終わらなかったところがドMの被害者たる所以だろう。
:ドM提供:うp主|第二幕第八回後編についたタグ。公孫恭プレイと呂蒙の敗北を評したもの。
:人材提供:曹操軍、孫権軍|第二幕第九回前編についたタグ。曹操軍領内で戦っているのに呉の武将ばかりだったことと、
カク昭が兵士200でギョウに援軍に来たことを評した。
カク昭はその後公孫恭軍に登用された。
:空気担当:劉備軍|第二幕第十回についたタグ。まったく縁のない劉備軍を評した。
一応連合と孫権との和睦、外交関係好意からの曹操軍宣戦布告を提供してくれている。
:※馬超は完全に背景です|最終回についたタグ。各陣営の評が上がる中、コメントで誰も取り上げてもらえなかった馬超軍を評した。
うp主が馬超を配慮して最終回に話題に上げたためについた。
#endregion


*登場人物解説
#region(close,公孫恭軍)
:公孫恭|一人から始まった君主。人材登用、外交、建設、輸送と大忙し。外交成功率は100%。
:申儀|公孫恭が粘って最初に登用した武将。三回も贈呈を成功させている迷外交官。申耽の弟。
:申耽|公孫恭の三顧の礼で登用された猛将。英霊に虎退治を頼まれて見事に退治した。君は英霊を超えた。
:王祥|公孫恭によって登用された文官。書経を見つけ、三将軍を登用した。
:馬忠|王祥に登用された文武両道な三将軍。初代軍師。一人連弩を覚えたため、弟子の焦淮と出陣することが多かった。
:鄧芝|王祥に登用された文武両道な三将軍。ド派手に兵法を決めて存在感をアピールした。
第二幕では呂蒙隊の連射要員として活躍した。
:張嶷|鄧芝に登用された文武両道な三将軍。第二幕では呂蒙隊の連射要員として活躍した。
:張松|アイテムなどの補正で知力が93になるが、外交助言の失敗連続でうp主の怒りを買い、
軍師の座を田疇に奪われてしまった。最後には授与されたアイテムを没収された。
:陳式|鄧芝によって登用された武官。
:張翼|王祥によって登用された文武両道な将軍。
:田疇|うp主が時々入れる解説時の顔グラ。一度在野として現れるも逃げられてしまった。
後に襄平に戻った張松と王祥に登用された。現在知力80の軍師。
:劉巴|江州を制圧したときに捕虜となり、登用された。
:高沛|江州を制圧したときに捕虜となり、登用された。南皮に負け戦を挑みに行かされたがかなり奮闘していた。
晋陽攻略戦では兵法をガードし、トドメを指した。
:呂蒙|建寧に攻めてきた孫権軍の将軍。捕虜になり登用された。蜀下の呂蒙。まだ全盛期じゃない。
うp主のミスで最前列⇒一騎討ち敗北、出陣⇒交戦直後狙撃で重傷と最後の方は悲惨。ドMの被害者。
:徐盛|建寧に攻めてきた孫権軍の将軍。捕虜になり登用された。呂蒙隊として活躍した。
:朱桓|建寧に攻めてきた孫権軍の将軍。捕虜になり登用された。息子も公孫恭軍に仕官した。
河北で大暴れをした公孫恭軍の将軍。ギョウ、晋陽制圧に貢献した。
:費イ|成都に攻めてきた劉璋軍の文官。捕虜になり登用された。黄権、カク昭などを登用した。
:冷苞|成都に攻めてきた劉璋軍の将軍。捕虜になり登用された。
:雷銅|成都に攻めてきた劉璋軍の将軍。捕虜になり登用された。
:朱異|215年に仕官してきた朱桓の息子。
:黄権|梓潼を制圧したときに捕虜となり、一発で登用された。劉璋、どれだけ人望ないんだ。
:許靖|梓潼を制圧したときに捕虜となり、登用された。
:張魯|公孫恭軍に閉店させられました。残っていた部下と降伏した。
:馬遵|偶然安陽港にいた生姜の上司。鄧芝に登用された。
:カク昭|わざわざ兵士200で援軍に来た曹操軍の武将。捕虜になるため来ました。上党制圧戦で活躍。
:法正|劉璋軍滅亡後降伏。チョロ松より没収した書経で知力100になり、軍師就任。
:厳顔|劉璋軍滅亡後降伏。呂蒙を一騎討ちでフルボッコ。
:張任|劉璋軍滅亡後降伏。公孫恭軍を一番苦しめた武将。呂蒙を狙撃し、兵法を防御する実力は間違いなく劉璋軍一の猛将。
:劉璋|劉璋軍滅亡後降伏。能力の低い君主。梓潼攻略戦で援軍として入り、公孫恭軍の勝利を決定付けた。
厳顔の援軍1.4万も無意味。最後は妖術を使うも全員に看破された。
:焦淮(ショウワイ)|馬忠によって見出された抜擢。武力91、連弩持ち。ただし義理1。
:杜度(ドド)|馬忠によって見出された抜擢。師匠は張翼。武力94、奮迅持ち。ただし慎重。
:賀備(ガビ)|高沛によって見出された抜擢。呂蒙の指導を拒否した。その後杜度(ドド)が育成した。河北で活躍した。
:楊章(ヨウショウ)|呂蒙によって見出された抜擢。全部月並と評された非常に珍しい抜擢。闘艦持ち。
#endregion

#region(close,その他)
:曹操|公孫恭プレイにおいて絶対に二回は贈呈する必要のある勢力の君主。
顔グラが蒼天なので何をやらかすか視聴者は心配したが、単に顔グラを変更しただけだそうだ。兵士・人材提供。
最後の最後でちゃっかり登場。
:李恢|公孫恭プレイの救世主。だけど公孫恭の登用には滅多に応じない。劉璋軍にいた。
雲南制圧後捕虜になるが脱走した。
:雍闓|王祥によって発見されるが仕官を拒否。公孫恭軍の登用に一切応じず孫権軍に仕官した。
:朱然|建寧に攻めてきた孫権軍の将軍。捕虜になるが自力で脱走した。
:孫権|人材提供。雲南攻略戦の最大の敵。盟友なのに・・・。
:劉備|空気担当。連合盟主。
:馬超|背景。長安を曹操に奪われた。
:烏丸大王|公孫恭プレイにおいて絶対に三回は贈呈する必要のある勢力の君主。
しかし、何故か顔グラが衛宮士郎。烏丸大王士郎。
同様にセーブ画面より南蛮大王が東方地霊殿の古明寺こいし、南蛮武将が火焔猫燐、烏丸武将がアサシンになっている。
:アーチャー|うp主がNPCの男を彼に書き換えているため、幾度となく登場する。
よく申兄弟に虎や賊の退治を依頼する。だから自分でや(ry
たまに義勇兵にもなる。全員本当にアーチャーだったら助かるんだけどね。
同様に子供がセイバー、老人がライダーであることが判明。
#endregion

*コメント欄
- 皆さんのご意見を求めるために作りました。  -- うp主 皇族劉虞  (2009-05-20 11:43:18)
- S4河野や燕王道とかも考えると弱小勢力は大移動するのがセオリーなんでしょうかね  -- 名無しさん  (2009-05-23 22:59:10)
- 211年公孫恭と210年公孫恭はどちらが難しいですか?  -- 名無しさん  (2009-05-24 22:39:48)
- 210年の方が難しいと判断します。詳細な理由は第六回にて説明する予定です。  -- うp主 皇族劉虞  (2009-05-25 01:32:10)
- wiki編集者の方へ 大百科のそのまま引用は出来るだけ避けてください。適当に改変してください。  -- 大百科記地主  (2009-05-27 23:05:56)
- 改変しました。申し訳ありませんでした、記事主様!  -- 名無しさん  (2009-05-27 23:17:36)
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