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龍興記ネタ解説3 - (2011/05/10 (火) 00:12:41) のソース

[[龍興記>龍興記解説]] > [[ネタ解説1>龍興記ネタ解説]] [[ネタ解説2>龍興記ネタ解説2]] &bold(){ネタ解説3}
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#center(){[[▲ネタ解説2>>龍興記ネタ解説2]]}
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*第弐回ノ肆
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:旧正月も過ぎちまったぞ|前回の解説文で、次回うpが正月過ぎと告知されていた件。本作は3月4日にうpされた。リアルおだいじに。
:今川バリアー/ほっぺがぷにぷに|天下創世の今川義元の顔グラは頬が柔らかそうで、アイマス動画、千早創世録で星井美希にほっぺたをぷにぷにされていた。
使用ツールはXXCAKEか?
:人の大切さを痛感し|ずいぶん追放されたぞ。
:百地正西|超級ニンジャマスター「百地三太夫(百地丹波)」のモデルとされる、百地屋敷(名張市竜口)の主・[[百地丹波守>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%9C%B0%E4%B8%B9%E6%B3%A2]]。NINJAの虚飾を剥げば、ぶっちゃけ伊賀の土豪・国人領主なのである。
:爆発しちゃったリア充|リア充爆発しろ([[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%85%85%E7%88%86%E7%99%BA%E3%81%97%E3%82%8D!]])。リアル(現実生活)が充実している連中へのルサンチマン。
また、百地丹波には妻を石川五右衛門に奪われ、妾を殺されたという伝承がある。
:リアルで住職|通称「リア住」。ニコ動一般では蝉丸P([[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%9D%89%E4%B8%B8p]])が有名。歴戦界隈では、[[蓮子の本願寺教室>>蓮子の本願寺教室解説]]の人が本願寺派僧侶。
:出がらし|このチャレンジモードにおいて、探索で出てくる武将はこれでおしまい。現実ならあり得ないセリフ。
:『下郎』/成り上がり|浅井家は先代の亮政の代に京極氏から独立して成り上がった。
:刀剣の間の封印を解く/御蒐集の『刀』|義輝は、足利家伝来の「鬼切国綱」「童子切安綱」「三日月宗近」「大典太光世」(以上4振は「天下五剣」に含まれる)「骨喰藤四郎」といった名刀の持ち主でもある。松永久秀らに襲撃された際には、これら秘蔵の名刀を床に突き立てて戦ったという。
:『高貴』なる『足利の血』を受け継いだために『興福寺』に囚われ|足利家に限らず、公家などの嫡男以外は、お家騒動とかを警戒してか養子に出されたり、幼い内から寺へ出家させられることが多かった。史実では義輝は義昭を寺から呼び出していない。↓にもつながるだろうか。
:れきしのほうそくがみだれる|元ネタはFF5の「うちゅうのほうそくがみだれる!」。乱れさせっぱなしの龍興、お前が言うな。
:CM|うp主作の支援CM動画([[単体>>http://www.nicovideo.jp/watch/sm9903188]])。「自分の歴戦動画制作の切掛と言える作品」という「[[足利義輝の野望>>足利義輝の野望解説]]」。だめ病気が悪化する。
:瀬田の唐橋/これを渡れば/匙は投げられた|ユリウス・カエサルの[[ルビコン川>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%B3%E3%83%B3%E5%B7%9D]]の故事より。外征に従事した将軍が、属州とローマ本国との境界をなすこの川を武装解除せずに渡ることは、ローマ共和国への反逆を意味した。ちなみにルビコン川は、その歴史的知名度ほど大きな川ではない。このときのカエサルの名言は、半兵衛の突っ込み通り「[[賽は投げられた>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%BD%E3%81%AF%E6%8A%95%E3%81%92%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F]]」である。&br()瀬田の唐橋は瀬田川に掛かる橋で、東国から京に入る際の要衝。兵を率いてこれを渡れば、いよいよ上様に仇なす逆賊として引き返せなくなるだろう。
:ムカデでも|[[俵藤太(藤原秀郷)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%A7%80%E9%83%B7]]が、三上山(近江南部)の大ムカデを射て退治した伝説から。物語は、瀬田の唐橋で、俵藤太が龍神の一族の娘と邂逅するところからはじまる。
:六角の名を/やめてくれ|やーい、「将軍に弓引く六角」。六角氏は史実では将軍家に忠節を尽くした。
:密命書|「お手紙将軍」義昭。諸大名に密書を送り「信長包囲網」を構築したという。
:日置弾正|日置弾正正次。「吉田先生」こと吉田重政の父・重賢が学んだ、弓術「日置流」の開祖とされる人物。伝説に彩られた人物であり、吉田重賢と同一人物との説や、架空説もある。動画中で重政が言っているように、1555年の時点ではすでに死亡しているため、義昭が身柄を預かれるわけがない。
:こんな怪物じゃ戦っても勝てねーわけだ|本圀寺の変で龍興は足利義昭を三好三人衆とともに攻めているが、明智光秀の奮闘もあってほぼ丸腰の将軍を討ち取ることができなかった。
:ひゃっほー|大河ドラマ秀吉の足利義昭(玉置浩二)の怪演からか?
:天海は呼ばんぞ|100歳を越える長寿として有名。
:太陽を蝕む羅睺星の化身|[[羅睺星>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95]](らごうせい)は、インド占星術に起源を持つ「九曜」の一つ。悪星とされ、日食や月食を起こすという。たしかに蒼天録に「日を召す」なんて改名イベントがあったけど。
:御主の父の恩|[[六角定頼>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E8%A7%92%E5%AE%9A%E9%A0%BC]]は、細川氏によって京を追われた足利義晴(義輝の父)を保護し、忠節を尽くした。義輝の烏帽子親でもある。
:意図は判りまするが/何たる御決断!!/功績を譲ったわけか|重政があからさまな偽報にあえて引っかかることで、義賢は重政に先立って上様に矢を射ることができた。六角の名を世に轟かせることを第一に考えた、まさに忠臣の鑑というべき行動である。吉田先生は強引に吉田流を継ごうとした六角家の為を思っているのだろう。
:[[童子切安綱>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A5%E5%AD%90%E5%88%87]]|天下五剣の一つ。源頼光が酒呑童子の首をはねた刀と伝えられる。当時は足利将軍家の所有。現存し(東京国立博物館蔵)、国宝指定されている。
妖刀ではなく邪な物を斬る刀。龍興が操る浅井家(システム)は邪の極みと言えなくもない。
:大樹|「たいじゅ」。将軍のことを指す。
:馴染むぞ、実に馴染むぞ|元ネタは「ジョジョの奇妙な冒険」。
:余を殪せる者は居るか/ここにはいねーぞ|ご存知、魏延「わしを殺せる者はおるか」×3→馬岱「ここにいるぞ」のパロディ。
:厨二位|足利左近衛中将参議従四位下征夷大将軍源義藤朝臣もしくは足利左近衛中将参議従三位征夷大将軍源朝臣義輝という20文字以上もの『名』を持つ剣聖将軍に視聴者から『贈られた位』。1554年2月に従三位に昇叙した際に義輝と改めているので多分後者。従三位昇叙については1554年当時義輝が参議と左近衛中将を兼任している事から中納言昇進への布石と思われる。


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*第弐回ノ伍
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//なにはともあれ一周年おめでとうございます。
//慣れぬ身の乱筆にて非表示にしております、表示の際は推敲加筆などされます様お願いいたします。
////同好の方、ありがとうございます。多少加筆させていただきました。
:漲(みなぎ)る---|一度使ったネタは使わない主義なのか、今回は特に笛の音は聞こえない模様。
:突撃なら問題ない/孤立させるとやばくね?|磯野員昌は、姉川の合戦での「十一段崩し」と呼ばれる突撃により、鉄壁を誇る信長の十一段の守りを崩し、名を馳せた(異説はある)。その後、磯野が守る佐和山城が信長に包囲された際、主君浅井長政に内応を疑われて孤立し、信長に降った事を指している。
:南禅寺や祇園社、清水寺に至る迄~|京都・東山にある寺社。応仁の乱後の京都の町は、「上京」「下京」の二つの市街に分かれており、戦場は「下京」の川向こう一帯ということになる(参考:[[京都市サイトの「都市史」より>>http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi16.html]])。南禅寺の座標は丸太町・二条相当、祇園社は四条、清水寺は五条・六条相当にあたる。京都盆地と山科盆地の間には山(東山)があるが、山科からは「日ノ岡越え」で南禅寺付近(蹴上・粟田口)、「渋谷越え」(現在の国道一号線相当)で清水寺付近(今熊野)に出られる。後述の通り、東山一帯は史実でも六角氏・三好氏などの合戦の舞台となっている。
:改元|ゲーム内の年月は1555年11月。史実の天文24年10月(グレゴリオ暦1555年11月)には、戦乱などの災異を理由に「弘治」への改元が行われている。
:(長慶と弾正のBGM)|よく似ているとネタにされる二曲。将軍について報告する時は菅野よう子作曲「春濤」(「信長の野望・天翔記」BGM)。浅井家について報告する報告時はプロコフィエフ作曲「モンタギュー家とキャピュレット家」。後者は、ソフトバンクCMのほか、ニコニコ動画では「呪いの館」のBGMや「迷列車で行こうシリーズ」における「魔改造のテーマ」として知られる([[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%BC%E5%AE%B6%E3%81%A8%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E5%AE%B6]]参照)。只今歴史を魔改造中。
:あの六角めの行動とも~|史実では、三好氏によって京を追われた足利義輝の後ろ盾となっていた六角義賢は1558年義輝と共に山科に布陣、当時京を制圧していた三好長慶と東山で激突。その後義輝を京に戻す条件で長慶と和睦している。
また義賢は義輝を京に送りだした後に当時争っていた浅井氏を従属させたりもしたのだが、動画内においては浅井氏に滅ぼされた上、京の義輝を攻める為に浅井氏の将として山科に布陣し東山で激突、義輝に旧六角家中一番槍をつける始末。
弓術印可継承問題で義賢とひと悶着あった吉田先生の思惑など知らぬ長慶が訝しがるのも無理はない。
:まさか京を焼くとは〜|キーワード:東大寺・お前が言うな
:弾正はやっぱり弾正|本國寺の変において将軍義昭を襲撃、京を戦場にした龍興も人の事を言えた義理ではない。
:三好も変だよな。この頃の公方様には妙に甘いし|足利義輝と三好長慶は度々争いと和睦を繰り返し、義輝はしばしば長慶や三好関係者を殺害せんと刺客を送っていた記録がある。
後に三人衆や松永に暗殺されてしまう義輝だが、長慶存命中は彼を殺害・追放といった報復行為は殆ど行われなかった。
//:似た境遇の方が~|足利兄弟に振り回されている様にみえる藤考には足利兄弟の庶兄説があり、今後動画内において『高貴』なる『足利の血』の覚醒を見ないともしれず半兵衛の共感もあっさり裏切られる可能性がある。
//一説には藤考は大変な膂力の持ち主で武芸にも通じ吉田流弓術雪荷派印可、武田流弓馬故実相伝等を受ける腕前、そしてその息子忠興は義昭ばりのお手紙大好きっ子・・・編者の勝手な妄想ではあるが血縁があってもおかしくはない。
//個人的な妄想であり解説ではない為、非表示にしておきます。
:(CM)|[[義輝戦国記>>義輝戦国記解説]]CM。前回に引き続き、義輝主役作品をうp主が「勝手に支援」した作品([[単体>>http://www.nicovideo.jp/watch/sm11048014]])
:[[ブラック企業>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD]]|従業員の労働条件が劣悪だったり、パワーハラスメント(権力をかさに着ての強要・いやがらせ)が常態化していたり、遵法精神など社会的な責務を守る意識の低い企業。零細企業が自転車操業を迫られるゲームソフト業界では、こうした状態の会社が多い……と言われている。某α社は製品の出来ばかりかユーザーに対する姿勢も問題だらけとされ「クソゲーオブザイヤー」を総なめにした。また、業界老舗最大手の某K社は下請けにずいぶん辛く当たったと噂されているらしい。うん、どことは言ってないですし、噂ですよ、噂。

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*第弐回ノ陸
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:歴史の派生ゲーム|戦国ものなら、戦国無双とか戦国BASARAとか戦国ランスとか戦極姫とか。
:女体化|一騎当千、恋姫無双、戦国ランス、戦極姫などなど、「歴史人物の女体化」が大流行り。
:女呼ばわりは嫌だった|「その容貌、婦人の如し」といわれる半兵衛は、龍興や他の斎藤家家臣から侮られ、中には櫓の上から小便をかける者までいたという。これが、後の稲葉山城乗っ取りの動機のひとつに挙げられるが、その折に半兵衛は、自分に小便をかけた男を惨殺している。
:最上えーりん|「栄林」と号した最上義守。戦極姫では息子を差し置いて登場。しかも狐っ娘として女体化。あれ、「出羽の狐」って呼ばれたのは……
:一振|たった一振でこれだけの能力を発揮できるなら、二振だったらもっとすげえことになるだろ、刀剣コレクター的に。という挑発であろう。
:周りの人に言いたき誘惑|天海は「川中島の戦いを見物していた」などと言いふらしていたことがある。ほらふき天海め。
:[[大典太光世>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%85%B8%E5%A4%AA]]|天下五剣の一つ。足利家の家宝。肝試しの際に魔除けとして持たれた、病人の枕元に置いておくと病気が完治した等、「魔を祓う刀」としての逸話がある。魔刀と言われたらへそも曲げる。
:[[ストームブリンガー>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC]]|ファンタジー小説『エルリック・サーガ』に登場する魔剣。自我を持ち、殺した相手の魂を食らう。作品の主人公エルリックはアルビノ(白子)の生まれで病弱。ストームブリンガーを手にすることで魔法薬に頼らず生きる力を手に入れる。病弱で博識なところが半兵衛似?
:(CM)|こなたがカオスな信長の野望をプレイする「[[こなやぼ]]」の、勝手に支援CM([[単体>>http://www.nicovideo.jp/watch/sm11992528]])。ここの足利将軍家は剣豪勢ぞろい。
:新右衛門|足利の血筋はこの名前に恨みでもあるのか、アニメ一休さんにおいて足利義満家臣として受難の日々をおくり、本動画でも受難の日々をおくる。余談ではあるが蜷川親長という人、こう見えて連歌の達人なのだが・・・さすがの達人も勝手が違いすぎるのか二の句も継げない様子。
:最初から陪臣みたいなもん~|吉田先生と六角義賢が家伝をめぐって争った際、家伝断絶を危惧した吉田先生は四男重勝(雪荷)に奥義を授けた上で京に送り出していたのだが、この雪荷という人、仕官こそしなかったものの細川幽斎やその家臣小笠原少斎(細川ガラシャを介錯した人。家宝の人とは別人)と大変近しかった為、龍興に陪臣と言われている。
:新田(大館)殿|大館(おおだち)氏は、鎌倉時代に新田氏から分かれた家。南北朝の動乱期には両陣営に分かれて争っている。室町幕府に仕えた一族は、足利氏の同族ということで重用され、将軍側近で活躍した。
:幸い我が鎧の御陰か~|大館義実は甲冑研究家として著名。信長の野望onlineに至って甲冑マニアが高じたのか義実の陣羽織なるアイテムまで存在するのだが、今回の義賢の攻撃でdropする事にはならなかった様子。
:人一人で戦が簡単に覆る/根拠のある中二病|足利義輝がその最期に際し、一人で暴れまくったのは周知のこと。結局、衆寡敵せず討たれてしまうわけだが、それゆえこの発言には根拠がある。もっとも、ここの上様は一人でも覆す自信があるようだが。
信長の野望・天下創世において足利義輝は特技破壊を持ち、更に固有能力として足軽部隊時に城門を一閃で破壊できたという過去がある。この異作品の特技(ちから)よもや思い出されはしまいが・・・。
:デスルーラ|RTA、TAS界隈などで多用される戦術。意図的に全滅して移動にかかるゲーム内時間やRTを節約する手法だが革新においては捕縛、負傷などのリスクもある・・・が吉田先生は櫓の攻撃で壊滅する事によって捕縛を免れている。
櫓や諸勢力の攻撃で壊滅しても捕縛されない事を逆手に取った行動は、上様のご病気を逆手に混乱を決めた天海に引けをとらないアピールと言えよう
[[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A9]]参照。
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*第弐回ノ柒
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:泣く子はいねえがあ|秋田県男鹿半島で大晦日に行われる民俗行事、[[なまはげ>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%81%AF%E3%81%92]]。鬼の面(赤が多い)をし、包丁を持って家々を訪れる。
:殴るサンタ|ドイツの伝承「[[クネヒトループレヒト>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%92%E3%83%88]]」。クリスマスの際に聖ニクラウス(いわゆるサンタクロース)とともに現れる。クネヒトループレヒトは悪い子供のもとに訪れ、じゃがいもや石炭を置いていったり、棒で殴ったり、袋につめてどこかへ連れて行ったりするという。通称「黒サンタ」。
:[[伊吹颪(おろし)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%90%B9%E3%81%8A%E3%82%8D%E3%81%97]]|濃尾平野において、冬季に伊吹山から吹き降ろす北西の季節風のこと。
:このペースじゃ春には全球凍結|「7月でこんなに暑かったら12月はどれだけ熱いんだ」式の、四季の変化を無視する定番ジョークの変種。全球凍結は「[[スノーボール仮説>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B9]]」において、地球の表面がすべて氷床に覆われた状態をさし、地球の歴史で数度起こったと言われ、大量の生命が絶滅の憂き目にあったが、「海底温度」は0℃にはならず、生き残った生命が居る。
:四季|梅雨は一般に初夏に分類される。余談だが「正月」「桃の節句」「端午の節句」「七夕」「重陽の節句」の五つはそれぞれ季節の区切りであり、お節料理を食べる風習があった。天下創世では8つの「季節」(ターン)……新春・春・梅雨・夏・秋・晩秋・冬・厳冬があった。
:どっかの四天王|五人そろって竜造寺四天王!関係ないけど六人揃って最上四天王!
:大丈夫だ、問題ない|エルシャダイ。前回との間にニコニコ動画で流行した。
:六角家に当主を僭称する偽者が/わし以外に佐々木六角の当主がどこにおる|江戸時代に書かれた『江源武鑑』によると、六角家には正統の当主がいるにもかかわらず、分家の箕作家が実権を握り、勝手に当主のような振舞いをしていたのだという(庶流が本家をしのぐ事態自体は戦国時代には珍しくない)。この主張によれば、当時の正統な当主は[[六角義秀>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E8%A7%92%E7%BE%A9%E7%A7%80]]なる人物であり、六角義賢は「偽当主」ということになる。ただしこの『江源武鑑』は、一般的には偽書と評価されている。六角義秀の実在は同時代資料でも確認できない。
:逆転のチャンス|久政は、嫡男に義賢の偏諱を受けさせて「賢政」と名乗らせたり、六角家臣の娘を娶らせたりと、六角家に対して従属的な立場をとっていた。この従属関係は、賢政改め長政が野良田の戦いで大勝を収めるまで続くこととなる。
:父上でさえ|浅井亮政。一介の国人領主から、江北の実質的な統治者に躍り出た大名。
:こほっ|朝倉宗滴は1555年没。武将風雲録では開幕後即病死という風景もよく見られた。
:立場上当家が|浅井・朝倉両家の関係は決して対等のものではなく、朝倉が主・浅井が従の従属同盟であったとされる。
:朝倉が蔭で動いて~|下記のように、室町後期の戦乱で朝倉氏は「黒幕」的な動きを見せた。
:先の大乱|宗滴の父・[[朝倉孝景(英林)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%80%89%E5%AD%9D%E6%99%AF_(7%E4%BB%A3%E5%BD%93%E4%B8%BB)]]は、山名宗全とともに斯波家の家督継承に介入しており、それが応仁の乱の原因のひとつに挙げられる。当初は西軍に属した孝景だが、越前における守護権限行使を見返りに東軍に鞍替えし、実力で越前をほぼ平定、斯波氏に替わって越前守護に任ぜられた。
:道永|細川晴元らによって京を追われ、十二代将軍足利義晴とともに近江坂本まで逃れた高国は、[[朝倉孝景(宗淳)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%80%89%E5%AD%9D%E6%99%AF_(10%E4%BB%A3%E5%BD%93%E4%B8%BB)]]に出兵を要請している。これに応じた孝景は、宗滴に軍勢を率いさせて上洛を支援し、高国と対立するまでの間京を実効支配した。
:一向めが/千でも万でも|宗滴は、生涯に渡って加賀一向一揆と戦い続けた。九頭竜川の戦いでは、奇襲で兵力差を覆して勝利を収めている。
:逆蛍|尻が光る蛍の逆さ。頭の光るハゲのこと。「なんで蛍すぐ死んでしまうん?」は「火垂るの墓」より。
:落ちた鳥を拾い食い|うp当時、流行が伝えられて、警戒が呼びかけられている鳥インフルエンザ。

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*第弐回ノ捌
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:HAHAHA ハッピーニューイヤー|新年あけましておめでとう御座います。この動画のうpは1月4日投稿。
:遮光機ってずっと前から無くね?|サングラスの起源はローマの暴君と言われた五代皇帝ネロが、円形闘技場の催しを観戦する際にエメラルドのレンズを入れた眼鏡を使っていたとされる。大量生産は昭和4年(1929)アメリカ。
:富士も噴火前|永正8年(1511)富士山は噴火している。でもこれでは「そろそろ噴火」というにはいささか時代が早すぎて合わず、宝永4年(1707)とするには時代は後過ぎる。
:天道PK採用おめ/おまけですが~/特別扱い|PKの群雄覇権モードの追加シナリオ「嵐の前夜」特典武将。
:前にうp主が~/さてはパクったか|天道でのステータスは、統率43、武勇80、知略74、政治82、義理50で、弓適性がA。前にうp主が作った牛一に関しては、[[弐回ノ弐>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/751.html#id_0ccb4ad7]]を参照。
:評価の由来/太閤Ⅴと史実|評価の由来は太田牛一著作の「信長公記」であり、現在に残る当時第一級の史料。
統率のみ低いというのは太閤Ⅴの設定、1564年の堂洞城戦で龍興の実家と争った際は弓にて武功があり、(この武功により織田家直臣となった)1593年には弓大将として肥前名護屋に在陣していた事を考えての武勇と弓適性。知略と義理に関しては戦国後期を満喫した世代特有の処世術(本能寺の変を近江代官として乗り切り、その後も主を変えつつ死後も孫が加賀藩士として家名を残している)や信長公記群に時期の権力者が嫌がる事を書かなかった点からか?(又助さんの名誉の為に・・・余人が削除した可能性もあります)政治はずばり「信長公記」点加算か?(ごめんなさい、1594年に明使節の接待等、ちゃんとお仕事されてます)たまたまソースが同じなだけであって、断じてパクったわけではない。
:啓迪庵殿|曲阿瀬(まなせ)道三。相国寺に入った後、関東へ下って足利学校で医学を学ぶ。その後は京へ戻り、医業に専念するかたわら医学校も創建した。三好長慶、松永久秀、毛利元就、織田信長など錚々たる面々を診察している。足利義輝も実際に診察してもらったことがあるようだが、なんの『御病気』だったかは定かではない。
:若年の志気を失わず~/なれば病ではない上|中二病は精神の病気なので、如何に名医と言えどもどうしようもない。
:併し万にも近し兵が~|システムでは、兵力一万近くの兵が消えていく。もちろん実際にある訳がない。
:余の弟、周嵩|室町幕府の第12代将軍・足利義晴の末子として生まれ、幼い頃から仏門に入った義輝の実弟。鹿苑寺(金閣寺)の院主になった。永禄7年(1565年)5月19日、松永久秀・松永久通父子と三好三人衆によって兄で第13代将軍だった義輝が殺害された後、松永らの命令を受けた平田和泉守に誘い出されて、小姓とともに京都へ行く途中で殺害される。
:長慶|三好長慶。日本で一番有職(両方音読み)される事の多い戦国大名。永禄元年(1558年)に京都霊山の戦いで足利・細川軍を破ったことを機会に義輝と和睦し、自らは幕府の主導者として、幕政の実権を掌握したとされる。
:恐らく、十年より数十年の時を待てば・・・~|十年、数十年後には中二病は「黒歴史」として自分の心に深く閉じこめられるのがオチである。
:それに安全に痺れさせたり眠らせる薬は、未だ御座らねば・・・|恐らく麻酔薬の事。本格的な麻酔薬による手術は華岡青洲が初とされる。
しかし麻酔薬のみで見れば華陀の「麻沸散」を用いた手術が有るとおり、先史時代から使用されていた。但しこれらは「麻薬」なので、身体に負担を掛ける可能性は高い。(モルヒネとかマリファナの事は言わないであげて!)
:おつむは剣で出来ている・・・・・・以下略|Fate/stay nightにおける主人公、衛宮士郎の固有結界「Unlimited blade works」発動時の「身体は剣で出来ている」が元。この言葉はほぼラストの言葉であり、この後「Unlimited blade works」と言う。因みに龍興は「脳筋」の意味も指して言っていると思われる。
:おっと、下野殿は~|「同盟関係にある国を攻める事は出来ない」というゲームシステム。実際にはそんな事有る訳無い。
:郡司殿とはこじつけ程度に親戚|朝倉家10代当主・宗淳孝景(景紀の実兄。宗滴の父・7代当主英林孝景とは別人)の母親は、美濃守護代を務めた斎藤氏の分家・持是院家の2代当主の娘。美濃斎藤氏の惣領家の名跡は斎藤道三が継いだため、斎藤氏惣領家の当主たる龍興からみると一応「分家筋の娘が嫁いだ先の分家筋」ということになる。遠縁過ぎる。
:西にある謎な邪魔物|丹後水軍。一色氏のお抱え衆で、若狭武田氏を攻撃した記録が残る。信長の越前一向一揆鎮圧の際も水軍として活躍した矢野氏、桜井氏がいる。或いは、隠岐水軍、尼子水軍。戦国時代に活躍したという記録がある。尼子氏の代、奈佐日本之介という棟梁が活躍したとされるが、但馬城崎の出身。でも鳥取で自刃。
:子供の頃やった事無いか?|「子供の頃やった事あるよ」といえば「思い出は億千万」の歌詞だが、関係はない。
:大河ドラマが始まらない|NHK大河ドラマの2011年の主役は浅井三姉妹の江姫。確かに今浅井久政が死んだら始まらない。
:何か素性の解らぬ砦|丹後水軍衆の砦。
:ヒット&アウェイ|打っては離れ離れては打つの、一撃離脱の戦い方を呼ぶ。確かに「叩いて、逃げる」という龍興の言葉、間違っているような居ないような・・・
:陸の河童/一向でも朝倉でも無き水軍|丹後水軍は若狭武田氏を海から襲い、海で大打撃を与えた。それが陸に上がるなんて、ぶっちゃけ有り得ない。しかし、美濃水軍の頭領が言うか。
:羅城門/物の怪|羅城門は、平安京を南北に貫く朱雀大路の南端に建てられた門。門の倒壊とともにその周辺の治安は悪化していったという。これにより様々な怪談話が生まれた。有名なものに羅城門に棲みついたという茨木童子がいるが、浅井家率いるこのチートな面々が相手なら、いくら茨木童子とはいえ腕一本ではすまないかもしれない。
:叡山の領|平安京の北東は鬼門にあたり、そこに位置する比叡山には国家鎮護を目的として比叡山寺(後の延暦寺)が建てられた。歴代の京の支配者も、いろいろあって次第に武装化していった延暦寺に手を焼いていた。
:内裏の方向から洛内へ|「天子南面す」との言葉の通り、天皇は南向きに座し、臣下は北向きで対するとされてきた。貧乏籤なんてレベルじゃない。
:城に城/井ノ口の件|第弐回ノ弐にあるように、朝倉宗滴は軍勢を率いて小谷城に駐留していたことがある。本丸に程近く金吾嶽と呼ばれたその場所に、後に金吾丸が築かれた。また、朝倉孝景(宗淳)は、越前に亡命していた土岐頼純の美濃守護復帰を支援するため美濃に侵入し、井ノ口(稲葉山)城下を焼き払っている。
:関係なかろう|城に城~の件は、土岐氏の内紛(この時は頼純の父・頼武とその弟の頼芸の争い)に首を突っ込んだ亮政が引き起こしたものだが、朝倉の井ノ口焼き払いには久政は関与していない。
:こっちとしては|美濃は俺のものだ!
:与一郎殿/最後の切札|口ぶりから、義輝は藤孝を兄だと察している模様([[弐回ノ参>http://www7.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/751.html#id_6102d225]]参照)。最悪の場合、将軍職を継いでくれと言っているようにも聞こえる。
:上の句が思い付かぬ|史実での上の句は「五月雨は 露か涙か 不如帰」。この句を思いつくには、ゲーム内の月では少々早い。
もし厨二位の上様が勝ってたら「血煙は 唄か囃子か 不如帰」季語は血煙、等となっていた・・・かも。
:畳|史実では畳を盾として将軍の剣術を防ぎ、討ち取ったと言われている。
:万人恐怖とやらの血|ある皇族が日記に当時の治世を「万人恐怖」と書き記したことから、おおむね六代将軍足利義教を指す。幕府権力を高めようとした為に起こった守護大名との軋轢、鎌倉公方との対立によって起こった永享の乱、さらには苛烈な性格をよく表している。義輝は、その義教の玄孫(孫の孫)にあたる。
:藻塩|恐らく、藤原定家の和歌「来ぬ人を 松保の浦の 夕凪に 焼くや藻塩の 身も焦がれつつ」であると思われる。
天海は「来ないで待つなら焼いてしまえ」と暗に意識させていると、twitter上で語っている。
:勝ったッ!!第弐回、完!!|元ネタはジョジョ第三部の「勝ったッ!!第三部、完!!」


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*第弐回ノ玖
|&nicovideo(sm13446411)|&nicovideo(sm13447094)|

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:二月は豆まきで|コミックバンド「バラクーダ」による宴会ソングの定番「日本全国酒飲み音頭」([[動画>>http://www.nicovideo.jp/watch/sm791912]])の一節。いつでもどこでも酒が飲める。11月自重。
:芸者遊びの延長で寿司|節分に太巻きを食べる「恵方巻き」の起源に関する一説。芸者さんが苦悶の表情をするのを見てニヤニヤする紳士の遊びから来ているらしい。エロおすなあ。
:涼しい恰好をして因州弁っぽく|「うる星やつら」のラム。緑の髪に二本の角を持ちトラ柄のビキニ姿で電撃を使うという、鬼と雷神を足したようなキャラクター。現在の萌え女体化の元祖に近い。特徴的な語尾である「だっちゃ」は、一説に因州弁由来とされている。「公式」で言明されたのは、「作者高橋留美子の出身地である新潟の方言に由来するわけではない」ということのみ。「だっちゃ」が語尾につくのは佐渡弁と因州弁と仙台弁だそうで、「公式」によって佐渡を消すと候補が絞られるという次第([[wikipedia>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0_%28%E3%81%86%E3%82%8B%E6%98%9F%E3%82%84%E3%81%A4%E3%82%89%29]])。龍興のコスプレ姿をそっと思い浮かべてほしい。
:本編に出番がござると|エンディングは又助さんのコーナーだし。
:将軍家を滅ぼして臣従させる|ゲームではシステム故できるのではあるが、武家の頂点である将軍家を他の武家が武力でねじ伏せた上に、恭順した将軍を実際に家臣として従わせるというのはかなり無謀。
:写真好き|徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜。新政府(朝廷)への臣従・恭順の姿勢を早々に示した。維新後は写真など多才な趣味を楽しみながら余生を送った。
:そぉい!|「そぉい!」の元ネタは「ピューと吹く!ジャガー」([[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%9D%E3%81%89%E3%81%84!!]])で、勢いよく物を投げつけたり投げ捨てたりするときに使われる。家臣の追放を行っているのは、人数が10人を超えるとチャレンジモードがクリアになってしまうため。もうゴールさせてもいいのよ……
:返事がない。只の生ける屍のようだ|ゲーム「ドラゴンクエスト」で死体に話しかける表示される「へんじがない ただのしかばねのようだ」より。
:逃げの天才/一騎当千|足利義昭、細川藤孝、蜷川親長ほか、絶体絶命の危機に何度も助かった人物が多い。また足利義輝は剣豪、細川藤孝は怪力の逸話あり。
:嘘みたいだろ|漫画「タッチ」のクライマックスより。ネタばれなので「タッチ ウソみたいだろ」などで検索推奨。
:見目麗しい|河田長親は幼少の頃に、後の上杉謙信に見初められて&s(){アッー!!}家臣になったとか。
:小谷の赤尾屋敷は不吉|小谷城落城時、浅井長政は赤尾屋敷で自刃した。
:先生の息子|先生の四男・吉田重勝。吉田家が継いでいた日置流を六角義賢が奪った際、日置流が絶えることを案じた重政は、重勝に家伝を授けて京都に移らせた。重勝は、日置流というくくりの中の別グループ「雪荷派」の祖となる。
:山城のみなさーん|「うたわれラジオ」由来か?詳細不明。
:宸襟をも安んずる|打ち続く戦乱で改元されたばかり。
:技術を伸ばせば山も越える|大砲。「革新」ではゲーム画面上の表示を現実に引き写すとかなりおかしな、オーパーツになる。
:孫の代で堀を埋められずに|久政の孫娘にあたる淀殿の話。大坂冬の陣の際、大砲に音をあげて和議を結んだところ、堀を埋められてしまった話をさす。
:木沢長政/握手|握手の相手はおそらく同じ信貴山城城主の松永久秀。嫌すぎる。
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*第弐回ノ拾
|&nicovideo(sm13915797)|&nicovideo(sm13915998)|

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:今回の変/天文弘治の変|事態の進行中に(史実の年代で)改元がされたため「応仁文明の乱」的な名称になってしまった。&br()日本史における「変」と「乱」の使い分けがどうなっているかについては諸説あるが、統治体制の転覆を名分にした軍事行動を「乱」(反乱・戦乱・兵乱)、統治体制内部における権力の争奪に伴う事態を「変」(政変・兵変)と使い分けることが多いようだ。「天皇(あるいは天皇から委任された正統武家政権たる幕府)に弓を引いたものが『乱』、それ以外は『変』なのだ」という解釈もある。もちろん、じゃあ「洞の乱」「花倉の乱」「天文法華の乱」は? 足利義教が赤松満祐に殺された事件を指すのに「嘉吉の変」と「嘉吉の乱」のどちらが“正しい”の? といった、わけのわからない事例はいくらでもある。ぶっちゃけ、こういった呼称には慣習的なものが多いのだ。&br()この作品の世界では上様は相変わらず征夷大将軍のままであるようなので、幕府の破壊を掲げた「乱」ではなく「変」なのだろうか。1493年に管領細川政元がクーデタを起こして京都を占領、河内に出陣中の将軍足利義材(義稙)を廃して義澄を将軍に擁立した事件が「明応の変(明応の政変)」と呼ばれ、1565年に三好三人衆と松永久秀が将軍足利義輝を討ち、誰だったかすごく影の薄い14代目を擁立した事件は「永禄の変」と呼ばれる。ではもし、戦闘に敗れた足利義輝が松永弾正に臣従してなおかつそのまま将軍位にあるような事件が起こったら、それは「乱」と呼ばれるだろうか「変」と呼ばれるだろうか? 幕府の在り方そのものが相当変わるはずだが……などと真面目に考えるれば考えるほどナンセンスであり、実に頭が痛い。システムの前にリアリズムなどはクソの役にも立たないので、どうにもいたしかたない。
:頂法寺|通称「六角堂」。寺伝によれば平安遷都以前に聖徳太子が建立したとされ、史料においても平安時代中期には名が見える古い寺(天台宗)。「下京」の真ん中あたりにあることから、町衆の自治において集会場となったり、軍勢の集結場所になったりした。&br()六角形のお堂(六角堂)→お堂のある通りの名前(六角小路)→通りに屋敷を構える一族の家名(六角氏)という関係で、六角氏にも関係の深い場所。
:落首|平安時代以降江戸時代までしばしば行われた、社会風刺の発信方法。狂歌(5・7・5・7・7の和歌のスタイルでフリーなメッセージをのせたもの)で、匿名の作者によって人の集まる場所に掲げられた。史実の頂法寺もそういう性格の場であったろう。落首の出来の良いものは今日まで語り継がれている。ノリは2chやニコニコ動画の替え歌MADに近いかもしれないが、権力者にとって不都合な相手は「首をはねよ!」という時代には命がけである。
:ささなみや近江の雲も消え果えて 荒れし都に六つ角ぞたつ|解釈すれば「近江から来た戦雲が去った後には荒廃した都が広がり、六角堂ばかりが残っている。都をこんなことにした六角めばかりがのさばっていることよ」といったあたりになろうか。「さざなみ」は「近江」「志賀」などにかかる枕詞。「『ささ』なみ」に六角家の出自である「『ささ』き」(佐々木氏)をかけているのかもしれない。浅井に乗せられて幕府を滅ぼした六角さん良い迷惑。&br()なお、柿本人麻呂の長歌「近江荒都歌」以来、「近江にある荒れた都」(大津京)というのは歌枕として、うたびとの詩情を誘ったらしい。平安時代末期の平忠度(平清盛の弟)が大津京跡について詠んだ和歌に「さざなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」というのがある(平家物語)。さざなみ→近江→荒れた都という情景が展開するのだが、今回は京のほうが荒れてしまったというオチ。
:京から見れば下野殿は影も形もない|下野殿は越前に嫌がらせを行っている。
:嫌な・・・事件だったね|「ひぐらしの鳴く頃に」のネタ。
:同族嫌悪じゃねーぞ|誰かさん同様、六角氏も「両藤」をはじめとする重臣たちの諫めを軽んじたのが没落の遠因。ちなみに、六角義賢と斉藤龍興は没落してからしぶとく信長にいやがらせをし続けるというところも一緒である。
:駄目なら駄目でデスルーラ|諸勢力は櫓と同じく武将を捕縛できない。櫓でピチュられたら「デスルーラすげぇ!」と言ってあげよう。それは高等テクニックだ。
:システム故死する事無し|戦死無し。
:あっという間に小谷に到着|普通なら落ち武者狩りなんかにあっても可笑しくはない。
:悪の根源か何か/何処に善が|どうみても(ryと、「荒廃した京を見せる」ことと「強制的に京に行かせる」こと。両方とも絶対に善ではない。
:上洛が出来る|浅井家は上洛への夢を持ちながら達成し得なかった。
:戦とは何も生まぬ|元から何もなかった。システム故(ry
:皆は何処ぞ|もともとの浅井家家臣で残っているのは磯野くらい。
:お偉方に見える|どこからどう見ても(ry
:天下を手玉に取れる|足利義昭は信長包囲網を築いたとされる(もちろん異論はある)。天下を手玉にとることはできたが、手中に収めることはできなかった。
:きょうび契約って言われたら|僕と契約してこのwikiを編集して・・・違った、「僕と契約して魔法少女になろうよ!」
:俺と相性悪いし|史実では、畿内へと漂白した龍興は三好三人衆とともに本圀寺に義秋を襲った。その後、織田包囲網の一角、朝倉氏に流れることを考えれば皮肉である。
:強運なのに不運|義輝殺害の際、三好三人衆・松永久秀らに捕えられ幽閉されながらも脱出に成功していること(弟の周嵩は殺されている)、織田信長という支援者を得てみごと将軍になったことなどをみると、じゅうぶん強運であると言えるだろう。
:「物狂」さえ飼いならす|源平合戦の頃に生きた足利氏二代目当主・足利義兼は、頼朝や周囲の目をくらますため、空物狂を装い出家したと、「難太平記」にある。&br()なお、「やる夫スレ」には足利義兼・義氏(もちろん村雨じゃない)親子にスポットを当て、武家政権の成立期を描いた大長編作品・通称「やる夫鎌倉幕府」(「やる夫は鎌倉幕府の成立を見るようです」「やる夫は鎌倉幕府を成立させるようです」の二部構成)があり、この「空物狂」の顛末も物語化されている(第一部「愛別離苦」の章のあたり)。通読にはかなり時間を要するが、歴史学の成果をきっちり盛り込みつつエンターテイメントとして昇華させた作品である。最後までまとめられたサイトとしては[[泳ぐやる夫シアター やる夫鎌倉幕府のまとめ>>http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-entry-1701.html]]が挙げられるのだが、このまとめサイトのコメント欄には「旧緑C」の名が……。
:CM|これはまた[[物狂いな作品>>変態記解説]]を……。
:シリアル|もちろん、ただしくはシリアス(serious)。「シリアル」では「朝食シリアル」(breakfast cereal、穀物を加工した食品)だの「シリアルキラー」(serial killer、連続殺人犯)だのというように別物になる。
:雪荷|吉田重政の四男・六左衛門重勝の号。細川藤孝とは史実で親しく、藤孝に弓術を教えたり、細川家臣小笠原少斎から小笠原流礼法を教わったりする仲。1590年に重勝が死んだのも藤孝の所領・丹後田辺だった。
:足りない/空気読まずに言った!|動画ストーリーとBGMの展開(いわゆる空気)的とには「将軍すら下した殿は、昔の殿ではござらぬ。日置流の継承者として認めましょう」という流れが期待されるところであるが。六角左京は「日置流」を学んだと言われても、その腕を見せることは一度とて無かったのだから(史実で優れた技能が語り継がれているわけでもなく、この動画的にも振り回されていただけだから)、まあしょうがないよね。
:天道では扇抜~|「扇抜」は天道の弓系最上級戦法の一つ。「扇抜」を持つ武将は4人いる(吉田重政と六角定頼・義賢・義治の親子三代)。ほかの弓系最上級技能のうち「天弓」が3人(毛利三兄弟)、「射切」が2人(今川義元・花房正幸)であることを考えると、「量産」と言える。さらに天道PKでは、教練により戦法を他人に教えることができる。教官の指南法が「相伝」であることと、教練参加者の能力が条件を満たすこと等が前提。吉田先生の指南法は「相伝」なので、上記4名以外にも「扇抜」持ち武将を量産することが可能。
:朝倉左衛門督|もちろん朝倉義景。文弱ヘタレのイメージで語られることが多いが、小笠原流の弓術を習っており、たびたび犬追物を開催している。
:大義名分|朝倉が頭を押さえつけたものだから、追い詰められた浅井家は南をめざし、京を占領しなければならくなったのです! 「釣鐘の銘文がどうのこうの」でも「大量破壊兵器をひそかに開発している」でも、わずかな素材を探して立てればよろしい。
:俺ガンダム|俺がガンダムだ!
:俺を殺した責任|TYPE-MOONの名作、「月姫」における真祖アルクェイドの言葉。龍興が戦死したとされる刀禰坂合戦は朝倉と織田との合戦。
:軍師『斉 藤 喜 太 郎』|漫画「センゴク」における反信長を掲げる軍師、斉藤龍興。凡愚に過ぎなかった幼少時代を省み、信長打倒を目指す。その聡明な頭脳は時の宣教師を驚かせ、蝮の孫に相応しい計略によって信長包囲網を創り上げた。

*第弐回拾壱
|&nicovideo(sm14392134)|
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:何年経ったが忘れそうだが|半年ほどで終わる筈なので、まだ私達にとって半年は過ぎていない。
:仮修繕中|何時終わるんだろう。
:否定しないのか|牛一が否定して半兵衛も否定すると「龍興だ」と名指しすることになってしまう。&br()もっとも、この動画では一方的な被害者に見える半兵衛だが、史実では不満を爆発させて城を乗っ取ったり、したわけで、自らの欲するところに従って生きたとも言える。毒にも薬にもならないというのは、武将にとって決して褒め言葉ではないだろう。
:胸が熱くなるな、半兵衛|元ネタはネットスラング「胸熱」と思われる(→[[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%83%B8%E3%81%8C%E7%86%B1%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%AA]])。わりと揶揄的なニュアンス。
:余こそがシステム也|「俺がガンダムだ」(→[[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BF%BA%E3%81%8C%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0%E3%81%A0]])的な。
:そのふざけたシステムを打ち壊すべし|元ネタは「とある魔術の禁書目録」の主人公・上条当麻の決め台詞「そのふざけた幻想をぶち殺す」、略称「そげぶ」(→[[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%B9%BB%E6%83%B3%E3%82%92%E3%81%B6%E3%81%A1%E6%AE%BA%E3%81%99!!]])。さっそくタグに「そしぶ」が付いた。
:御意なんだよ、朝倉サイドを~|「魔術サイド」と「科学サイド」を舞台とする「禁書」ネタ。「~なんだよ」も、インデックスことインなんとかさんの特徴的な語尾。
:侵略するでゲソ|「侵略!イカ娘!」ネタ。公式でも「イカ娘」と「禁書」でネタの乗り入れをやったらしい(→[[ニコ百「イカなんとかさん」>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%81%95%E3%82%93]])。ところで、加藤嘉明の富士山形銀箔押の兜はイカの頭によく似ている。
:(BGM)|三好家のテーマ→プロコフィエフ「モンタギュー家とキュビュレット家」。しかしまぁ、弾正によく似合うBGMだこと。
:解せぬ・・・|解せぬ。
:元々なれど主従の順が全く混乱|足利将軍家が浅井の兵を率いて居る事、主である朝倉を従である浅井が討つ気配を見せている事だろうが、視聴者から見れば主君である浅井久政を無視した独断専行で足利義輝が北へ向かっている。これも正に「主従の順が逆転」していると言っていい。下克上の代名詞のような弾正が言うのもなんであるが。
:最近、殿らしからぬ言葉を・・・|晩年の三好長慶は相次ぐ弟や子の死去に心身に異常を来たし、弟・安宅冬康を誅殺した直後に亡くなった(彼らの死去の中には弾正が関与しているものがあるとかないとか)。長慶はもともと鬱病の気があったとも言われる。ただ、ゲーム中のこの年代には弟達もピンピンしている筈。何やら覇気がないのは、ひょっとすると(笑えない)「ご病気」の初期症状かもしれない。
:恐ろしい恐ろしい|喜太郎の言う事ではないが、家中の権力を恣にしているお前が言うな!
:織田も焼くの好きじゃね?|信長は1571年に比叡山延暦寺焼き討ちを行っている。そして本能寺の変では自ら火を放ち、燃え盛る炎の中で自害した。
:(CM)|復活おめでとうです。ちょうど向こうでも「システム」がネタにされていた。
:何かと便利な中継カメラ|『信長公記』は当時のことを記した貴重な史料。ただし斎藤龍興の悪評もいろいろ書いている。
:なかなか素質が|太田牛一は、弓の名手として信長直臣に抜擢された経歴を持つ。
:ハハッ(甲高い声)|浦安のネズ……zapzap
:余は……朝倉を断つ剣也|元ネタはスーパーロボット大戦シリーズのゼンガー=ゾンボルト([[ニコ百>>http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%88]])。「我はゼンガー=ゾンボルト! 悪を断つ剣なり」
:システムを信じるのだ|元ネタはスターウォーズ。「フォースをの力を信じるのだ」「フォースの共にあらんことを」。
:反対を声高に言っている家臣|その家臣とは赤尾清綱。初代亮政から代々仕えてきた彼は朝倉家との関係が深かったと思われる。第弐回ノ玖で龍興がクリア条件を満たすのを阻止する為に追放処分にしたが、本当の狙いは元々朝倉を攻めるのに一番邪魔な彼を排除したかったのでは?
:高師直|室町幕府を開いた初代将軍・足利尊氏の側近。将軍家の執事として軍事面で活躍したが、尊氏の弟で政務を取り仕切っていた直義と対立し権力闘争へ発展。尊氏を動かして直義を引退へ追い込んだ。しかし、直義が南朝方に付き師直討伐軍を起こすと尊氏と共に応戦するが敗れる。自身の出家を条件に和睦するが、護送中にかつて暗殺した直義の側近・上杉重能の養子・能憲に殺害された。&br()高師直は既存の権威を嘲笑した「バサラ大名」として有名で、その「悪名」から後世『仮名手本忠臣蔵』で悪役とされるほど。同時代で「バサラ」として知られた人物には近江守護・佐々木道誉(高氏)がおり、六角家の「ご同族」(※京極家の方の先祖である)。道誉は尊氏・師直サイドについた。「将軍を牛耳り佐々木を従え」はこれを踏まえている。ちなみに、斎藤家がアレしちゃった美濃守護・土岐家の「ご同族」土岐頼遠も、上皇の牛車に狼藉を働くなど「バサラ」として名を知られたお方である。&br()いやま、このお話では義憤をあらわにしている朝倉家も、将軍家の末裔を名目上の守護に立てたりと大概のことはやってるのだけれど。
:あの息子はくみしやすしと見えて|偉大な父と優秀な息子に挟まれてとやかく言われる浅井久政だが、再評価論はある。
:うん、それ無理|おそらく「ハルヒ」ネタ。このセリフを言ったのは「朝倉さん」。
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*コメント欄
#include(龍興記解説コメント)