「蓬莱の野望第二部解説」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

蓬莱の野望第二部解説 - (2011/04/01 (金) 10:31:42) のソース

*蓬莱の野望第二部解説
[[蓬莱の野望解説]]
----
#contents(fromhere)
----
*第17話

#areaedit()
:家康が最も恐れた男(上白沢慧音)|“最も”であるはずなのに、この異名を持つ者は何人もいる。例を挙げると、今川義元・武田信玄・島津義弘・直江兼続・福島正則など。1998年にはテレ東にて『家康が最も恐れた男 真田幸村』が放映された。
:女性同士の恋愛(上白沢慧音)|女性の同性愛のことを「サフィズム」と呼ぶことがあるが、これは記録上最古の女性同性愛者サッポー(B.C.7世紀頃)から生まれた言葉。古代においては女性同士の恋愛は認知されていたようである。しかし、男性社会が形成される中で、女性の同性愛は公では禁止されてゆく。近代に入り、女性の権利を主張するフェミニズム運動を後押しに、19世紀後半から、レズビアンによる権利獲得運動が活発化し始めた。しかし、これが欧米(の一部)で受け入れられていくにはさらに1世紀の時を必要とする。
:大丈夫よ、問題ないわ(藤原妹紅)|エルシャダイPVパロ。
:戦え、現実と(太田道灌)|第一製薬のアポジカのCMにおける役所広司の台詞「戦わなきゃ、現実と」のパロ。
:ぬわーーっ!!|ドラクエ5におけるパパス死亡時の叫びのパロ。
#areaedit(end)

*第18話
#areaedit()
:新OP|旧OPにおいて、真田家はまだしも、浅井家・長野家・大友家が目立たなかったので、急遽作成。サビがエロいのは、OP曲の元である『鬼畜眼鏡』の演出を真似よう➝サビの部分エロいシーン使ってるなぁ~➝なら、新OPもエロくするかぁ~の三段論法の結果。反省はしていない。
:皮肉というスパイスが~(西行寺幽々子)|『旧約聖書』から。リンゴは禁断の果実であり、これを食すことは大罪とされている。一方、戦争で人を殺すことも大罪であり、リンゴを食すことが罪とならない戦国時代でさえ、罪を犯さねばリンゴを食せない皮肉な状況のことを言っている。ちなみに、禁断の果実がリンゴだとかイチジクだとかトマト(スラヴ地方)更にはコムギ(ユダヤ)だとかその他諸々(ザクロ・梨・マルメロと呼ばれる花櫚の一種)だとかいろいろ言われているが、原典に立ち返ると「邪悪な」と言う意味の「malus」が名詞にすると「林檎」になるという読み違い、或いはダブルミーニング(二重意味)のようである。つまり、何物であるかを限定せず「邪悪な果実」とするのが正式名称のようだ。



#areaedit(end)
*第19話
#areaedit()
:あんたバカァ(霧雨魔理沙)|エヴァンゲリオンのアスカのパロ。
:人類の歴史は争いの歴史(上白沢慧音)|有史以来、世界のどこにも戦争がなかった年はわずか十数年だという学者もいる(「平和」の歴史―人類はそどう築き、どう壊してきたか 吹浦忠正著 光文社出版)。し、人類は戦争によって進化してきたという人もいる。これだけで、一義的に闘争のみが人間の姿、という気はないが、そういった一面があることは明確な事実であり、目をそらすことはできない。
因みに「戦争だけが争いではない」と考えると、また違った意味になりそう。
:水滸伝の武松(上白沢慧音)|水滸伝に出てくる梁山泊に集まった漢達の一人。素手で虎を倒したという逸話がある。


#areaedit(end)
*第20話
#areaedit()
:おお、倒れてしまうとは、情けない…(高橋紹運)|ドラクエにおいて、勇者一行が全滅し、教会で復活した際に神父が言う「おお、死んでしまうとは、情けない」のパロ。
:まだあわてるような時間じゃありません(紅美鈴)|スラムダンクより、天才・仙道の「まだあわてるような時間じゃない」のパロ。
:間の抜けた兎(レミリア・スカーレット)|昔話『うさぎとかめ』より。大友家滅亡一歩手前で手を休め、後からくる島津に先を越されることを例えた。
:統治者の基本は食と安全(レミリア・スカーレット)|「パンとサーカス」という言葉があるが、娯楽が楽しめるのも、平和な環境にあればこそ。人々が為政者に期待するのは、食いはぐれることがないことと、外敵からの防衛が第一であり、まずはこれを満たすべきである。ただし、これが長期間保障されると、+αが求められる。ここでは、さらに、外敵から身を守れない(S・家から領地を防衛できない)当主は滅んでかまわないという、レミリア自身の行動を正当化する意味も込められている。

#areaedit(end)

*第21話
#areaedit()
:大友瓢箪(上杉瓢箪)|漢作唐物(中国から請来されたといわれる茶入)。天下の六大瓢箪(大友・稲葉・真珠庵・佐久間・茶屋・玉津島)随一の瓢箪。大友瓢箪は大友宗麟が所持していたころ、上杉瓢箪は上杉景勝が所持していたころの名前。信長の野望のシステム的に所持家宝は置き忘れることはないため、大友瓢箪を置いて行ったというのは紙芝居の独自設定。
:あんなガラクタが一国と同価値なんてね(フランドール・スカーレット)|戦国時代において、茶器や瓢箪は現在では考えられないほど貴重であった。松永久秀が反乱しようが九十九茄子一つで許され、秋月種実は「天下三肩付」の新田肩付を献上した事によって許された。例としてあげるならば、滝川一益は信長から「珠光小茄子」という茶器をもらいたく、上野一国を恩賞としてもらった(つまりこれは織田家中における関東地方一帯の軍事指揮を取る事を許された、という大変名誉な物だった。)とき、大変失望したとされる。そして本能寺の変の時には「進むも一益、引くも一益」と言われた勢いを失い、下州神流川で北条氏政に敗北して清洲会議に乗り遅れ、そしてそのまま転落していった事を鑑みると、彼にとっては一地方どころかそれ以上の価値を持っていた、と言えるかもしれない。
:天界組登場|アニメ・ポケットモンスターのロケット団名乗り上げパロ。
:正義の使者|天子がノリでいっているだけだが、チルノが影響を受ける。今後の紙芝居の展開上、結構重要になる予定。
:モーセの如く(レミリア・スカーレット)|『旧約聖書』の出エジプトの行から。エジプトからイスラエル人とともに脱出したモーセは、心変わりしたファラオの軍勢と紅海に挟まれてしまった。しかし、その際に、モーセは海を割いて渡った。S・家の包囲網を割いて突き進む天子達をこのモーセの偉業に例えた。
:咲夜の能力|時間を自由に止められる。停止中動けるのは咲夜のみ。ただし、時間を止めている間は攻撃対象の半径二間以内には入れない。また、戦闘中の使用は体力・精神力を極度に消耗する、という独自設定。そうなると緋想天EDはどうなるんだとか、矛盾・設定の穴が多々あるが、そこはスルーしてください。
:坤(高橋紹運)・午(立花道雪)|方角を十二支と八卦の混合でいった場合の南西と南。八卦は陰陽道や風水で用いられた。()内は八卦で表した場合。(「子・(坎)」=北・水「艮」=北東・山「卯(震)」=東・雷「巽」=南東・風「午(離)」=南・火「坤」=南西・地「酉(兌)」=西・沢「乾」=北西・天)とされる。中国では方角を八卦で表す。
東方の一次設定にもよく使われており、「幻楽団の歴史シリーズ・卯酉東海道」や、「乾を操る程度の能力」など。
戦闘中、咲夜の出現場所を方角で教えあっているが、方角を言う際は東西南北が基本だった模様。ただ、この場合はよく戦争映画で使われる二時の方角、と同様の使い方をしており、どちらが正しいかわからない。



#areaedit(end)

*コメント欄
- 随時、追記・改訂よろしくお願いします。  -- 三味線  (2011-04-01 04:39:26)
#comment