六行詩27番

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[[六行詩集]]>27番* *原文 Celeste feu du costé d'Occident&sup(){1}, Et du Midy&sup(){2}, courir iusques au&sup(){3} Leuant&sup(){4}, Vers demy morts&sup(){5} sans point trouuer&sup(){6} racine&sup(){7}, Troisiesme aage&sup(){8}, à Mars le Belliqueux&sup(){9}, Des Escarboucles&sup(){10} on&sup(){11} verra briller feux, Aage&sup(){12} Escarboucle&sup(){13}, & à la fin famine. **異文 (1) Occident : occident 1627Di (2) Midy : midy 1600Mo (3) iusques au : jusqu'au 1672Ga (4) Leuant : leuant 1600Mo 1611B 1627Ma 1627Di (5) morts : Maures 1600Mo (6) trouuer : treuuer 1627Ma 1627Di (7) racine : racines 1600Mo 1627Di (8) aage : Aage 1672Ga (9) Belliqueux : belliqueux 1600Mo 1627Ma 1627Di 1644Hu (10) Escarboucles : escarboucles 1600Mo 1644Hu (11) on : l'on 1600Mo (12) Aage : Age 1627Ma 1627Di 1672Ga (13) Escarboucle : escarboucle 1600Mo 1644Hu *日本語訳 天の火が西側から そして南方から日の出の方角へとめぐる。 虫たちは木の根も見つけられずに半死の状態。 第三の時代、好戦的な[[マルス]]へと、 火が柘榴石のように輝くのが目撃されるだろう。 柘榴石の時代、そして最後に飢餓。 **訳について  escarboucle は「柘榴石」を意味する古語だが、中期フランス語では「紅玉」の意味もあった((DMF))。どちらにせよ、赤い宝石の意味で用いられているのだろう。  [[五島勉]]の訳では「赤い花束」と訳されている。[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]が「ひなげしの赤」もしくは「血の赤」として注記していたものを膨らませたのだろうが、中期フランス語としての妥当性は疑問である。  五島訳3行目「飢えてとぼしい半死半生の人たちのほうへ」((五島『ノストラダムスの大予言IV』p.55, 同『大予言V』p.94))は、vers を「~の方へ」を意味する前置詞と理解すれば可能な訳。ただし、五島が vers を「虫、うじ虫」と訳すのを「おかしい」とし、「~の方へ」とするのが「自然な訳し方」だと主張したのは行き過ぎだろう。五島が批判したフォンブリュヌだけでなく、[[テオフィル・ド・ガランシエール]]や[[エドガー・レオニ]]の英訳でも worms になっている。当「大事典」が「虫」を採用したのは、そうした先行する翻訳の傾向を踏まえたことによる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、1620年から、ラ・ロシェルが陥落した1628年までのフランスの状況と解釈した。最後の行の飢饉は1626年の大飢饉を指すという。  [[アンドレ・ラモン]]は第二次世界大戦の一環で、空爆によって多くの犠牲者が出ることを描写したものとした((Lamont [1943] p.184))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、近未来に起こると想定していた第三次世界大戦において、西洋や日本に向けて放たれるミサイルの描写としていた((Fontbrune [1980/1982]))。  [[五島勉]]は、緊迫する中東情勢とも関連付け、「天の火」は核兵器もしくは他の新兵器で、[[恐怖の大王]]の真の正体の可能性もあるとしていた((五島『ノストラダムスの大予言V』pp.94-98))。  [[マリニー・ローズ]]は、1606年9月のルイ13世の洗礼に先立ち、西から現われた天の光が目撃されたことと関連付けた。ローズが引用したメズレーの『フランス史』(1685年)によれば、その光は長い火矢のようで、ものすごい速さで東へ南へと駆け巡ったという。この光が15分ほど目撃されたあと、今度は空に火を吹く戦車が現れて争いあったが、真夜中に空全体をまばゆく照らす光が出現したことで終わったという。そうした驚異はその夜にとどまらず、後日にも目撃されたらしい((Rose [2002a] pp.230-231))。 *同時代的な視点  この詩は 1600Au に含まれていない4つの詩([[11番>六行詩11番]]、[[12番>六行詩12番]]、[[14番>六行詩14番]]、27番)の1つであり、1605年版で追加された六行詩の中で唯一年代らしき数字が記載されていない詩篇でもある。  他の年号が記載されている詩が、事後予言の追加による権威付けを狙ったものだとするならば、流星の出現と飢餓・戦争が結び付けられているらしい詩の情景は、やはり1605年頃に噂に上っていた話なのかもしれない。あるいは逆に、この詩は他の追加詩篇とは全く異質の(政治的な?)意図によって偽造された詩篇の可能性もある。  ローズが掘り出した証言は、詩の情景をある程度説明する。しかし、1605年までに偽造されていたとすれば、それをモデルにしたと考えることはできないだろう([[1605年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)]]を偽年代版として、[[1611年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)]]を六行詩の初出と見なす論者にとっては、むしろ都合がよいのかもしれない)。  ローズの解釈では、驚異はルイ13世の洗礼を祝うかのようなもののはずだが、詩の情景は戦争や飢餓など、むしろ何か悲惨な出来事を描写しているようにも見え、この点も疑問である。 ---- #comment
[[六行詩集]]>27番* *原文 Celeste feu du costé d'Occident&sup(){1}, Et du Midy&sup(){2}, courir iusques au&sup(){3} Leuant&sup(){4}, Vers demy morts&sup(){5} sans point trouuer&sup(){6} racine&sup(){7}, Troisiesme aage&sup(){8}, à Mars le Belliqueux&sup(){9}, Des Escarboucles&sup(){10} on&sup(){11} verra briller feux, Aage&sup(){12} Escarboucle&sup(){13}, & à la fin famine. **異文 (1) Occident : occident 1627Di (2) Midy : midy 1600Mo (3) iusques au : jusqu'au 1672Ga (4) Leuant : leuant 1600Mo 1611B 1627Ma 1627Di (5) morts : Maures 1600Mo (6) trouuer : treuuer 1627Ma 1627Di (7) racine : racines 1600Mo 1627Di (8) aage : Aage 1672Ga (9) Belliqueux : belliqueux 1600Mo 1627Ma 1627Di 1644Hu (10) Escarboucles : escarboucles 1600Mo 1644Hu (11) on : l'on 1600Mo (12) Aage : Age 1627Ma 1627Di 1672Ga (13) Escarboucle : escarboucle 1600Mo 1644Hu *日本語訳 天の火が西側から そして南方から日の出の方角へとめぐる。 虫たちは木の根も見つけられずに半死の状態。 第三の時代、好戦的な[[マルス]]へと、 火が柘榴石のように輝くのが目撃されるだろう。 柘榴石の時代、そして最後に飢餓。 **訳について  escarboucle は「柘榴石」を意味する古語だが、中期フランス語では「紅玉」の意味もあった((DMF))。どちらにせよ、赤い宝石の意味で用いられているのだろう。  [[五島勉]]の訳では「赤い花束」と訳されている。  五島の訳は、[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]が「ひなげしの赤」もしくは「血の赤」として注記していたものを膨らませたのだろうが、中期フランス語としての妥当性は疑問である。  五島訳3行目「飢えてとぼしい半死半生の人たちのほうへ」((五島『ノストラダムスの大予言IV』p.55, 同『大予言V』p.94))は、vers を「~の方へ」を意味する前置詞と理解すれば可能な訳。  ただし、五島が vers を「虫、うじ虫」と訳すのを「おかしい」とし、「~の方へ」とするのが「自然な訳し方」だと主張したのは行き過ぎだろう。  五島が批判したフォンブリュヌだけでなく、[[テオフィル・ド・ガランシエール]]や[[エドガー・レオニ]]の英訳でも worms になっている。  当「大事典」が「虫」を採用したのは、そうした先行する翻訳の傾向を踏まえたことによる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、1620年から、ラ・ロシェルが陥落した1628年までのフランスの状況と解釈した。最後の行の飢饉は1626年の大飢饉を指すという。  [[アンドレ・ラモン]]は第二次世界大戦の一環で、空爆によって多くの犠牲者が出ることを描写したものとした((Lamont [1943] p.184))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、近未来に起こると想定していた第三次世界大戦において、西洋や日本に向けて放たれるミサイルの描写としていた((Fontbrune [1980/1982]))。  [[五島勉]]は、緊迫する中東情勢とも関連付け、「天の火」は核兵器もしくは他の新兵器で、[[恐怖の大王]]の真の正体の可能性もあるとしていた((五島『ノストラダムスの大予言V』pp.94-98))。  [[マリニー・ローズ]]は、1606年9月のルイ13世の洗礼に先立ち、西から現われた天の光が目撃されたことと関連付けた。  ローズが引用したメズレーの『フランス史』(1685年)によれば、その光は長い火矢のようで、ものすごい速さで東へ南へと駆け巡ったという。  この光が15分ほど目撃されたあと、今度は空に火を吹く戦車が現れて争いあったが、真夜中に空全体をまばゆく照らす光が出現したことで終わったという。  そうした驚異はその夜にとどまらず、後日にも目撃されたらしい((Rose [2002a] pp.230-231))。 *同時代的な視点  この詩は 1600Au に含まれていない4つの詩([[11番>六行詩11番]]、[[12番>六行詩12番]]、[[14番>六行詩14番]]、27番)の1つであり、1605年版で追加された六行詩の中で唯一年代らしき数字が記載されていない詩篇でもある。  他の年号が記載されている詩が、事後予言の追加による権威付けを狙ったものだとするならば、流星の出現と飢餓・戦争が結び付けられているらしい詩の情景は、やはり1605年頃に噂に上っていた話なのかもしれない。  あるいは逆に、この詩は他の追加詩篇とは全く異質の(政治的な?)意図によって偽造された詩篇の可能性もある。  ローズが掘り出した証言は、詩の情景をある程度説明する。  しかし、1605年までに偽造されていたとすれば、それをモデルにしたと考えることはできないだろう([[1605年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)]]を偽年代版として、[[1611年版>ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)]]を六行詩の初出と見なす論者にとっては、むしろ都合がよいのかもしれない)。  ローズの解釈では、驚異はルイ13世の洗礼を祝うかのようなもののはずだが、詩の情景は戦争や飢餓など、むしろ何か悲惨な出来事を描写しているようにも見え、この点も疑問である。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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