諸世紀

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 『&bold(){諸世紀}』(しょせいき)は、[[ノストラダムス]]の主著『[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]』の日本における俗称。[[五島勉]]の『[[ノストラダムスの大予言]]』によって、広く人口に膾炙した。単語の意味からただちに誤訳といえるわけではないが、本来の文脈からすれば明らかに不適切な訳である。 *日本での受容の経緯 **前史  『予言集』の主要部分は各巻ごとに [[Centurie]] (サンチュリ)と名付けられた四行詩集であり、その複数形 Les Centuries(レ・サンチュリ)は、『予言集』そのものを表す通称としても用いられている。フランスの代表的な百科事典『ラルース百科事典』などでも、その意味での項目が立てられている。  Centurie の語源はラテン語のケントゥリアで、フランス語の「サンチュリ」(Centurie)はそこから派生したものである。サンチュリの本来の意味は「百の集まり」であり、各巻に詩が百篇あることにちなんでいる。  日本でノストラダムスがそれほど知られていなかったときには、フランス文学者の[[渡辺一夫]]や[[澁澤龍彦]]はこれを「詩百篇」「百詩篇」などと訳していた。しかし、英語圏の文献であった[[カート・セリグマン]]の『魔法』を1961年に訳した平田寛は、英語で「世紀」を意味する Century と混同したためか、これを「諸世紀」と訳出した((志水 [1998] pp.13-14))。  フランス語のサンチュリにも確かに「世紀」の意味はあるものの、本来は詩を百篇集めたことから付けられた名称であるため、これを「世紀」の意味にとるのは誤訳である((高田・伊藤 [1999] p.333))。 **ノストラダムスの大予言  [[五島勉]]は、発売3か月余りで100万部を突破した『[[ノストラダムスの大予言]]』(祥伝社、1973年)において、ノストラダムスの予言集を「諸世紀」と訳しただけでなく、その原題は Les Siècles (Siècleはフランス語で「世紀」を表す一般的な語)であるとした。  初の仏和対訳版となった『[[ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]』([[たま出版]]、1975年)でもこれが踏襲され、「諸世紀」という訳称のみでなく、Les Siècles という誤った原題までがカバーに書かれた(現在の新装版カバーには書かれていないが、本体の表紙には書かれている)。  Les Siècles という原題までも採用した論者は非常に限定的ではあったものの、「諸世紀」という名称自体は広く用いられ、広辞苑や世界大百科事典(平凡社)などでも採用されていた。また、筑波大学教授(当時)の仏文学者[[竹本忠雄]]のように、誤りと知りつつも、人口に膾炙しているからという理由で、あえて『諸世紀』を用いる者も現れた((竹本忠雄 監訳『ノストラダムス・メッセージ II 』(ヴライク・イオネスク 著、角川書店、1993年)p.244の訳注))。 **論争  1990年代に入ると[[志水一夫]]などが、「諸世紀」は誤訳であって「百詩篇集」とでもすべきだ、またそもそも Les Siècles は五島による創作された原題であるとする論陣を張った((志水 [1997] pp.151-155))。  五島はこれに対し、次のような反論を展開した((五島勉『ノストラダムスの大予言・最終解答編』祥伝社、1998年、pp.224-226))。 -『予言集』の原題は「&u(){ノストラダムス師の大予言}」であり、そのまま訳すと、自分の著書『ノストラダムスの大予言』と区別が付けにくくなると考えた。 -そこで[[百詩篇第2巻46番]]に Les Siècles という語が出てくることを元に、世界がいつまでも続くようにとの願いを込めて「諸世紀」という題名を、自分でつけた。 -「百詩篇集」自体が通称であって、そんな刊本はなかった。あるなら表紙の写真だけでも示してほしい。 -ノストラダムス自身は『予言集』全体をあらわす名称をつけていない。それはあくまでも当時の版元がつけたものに過ぎないので、本当の題を議論することにさしたる意味はないはずだ。  これに対しては、志水一夫や[[山本弘]]が次のような反論を寄せた((志水 [1998] pp.21-25, 山本 [2000] p.54))。 -原題は「&u(){ミシェル・ノストラダムス師の予言集}」であって、混同は生じない。「大予言」という原題の刊本があったのなら、それこそ表紙の写真を見せてほしい((フランス史の専門家の中には、宮下志朗のように Les Prophétiesを「大予言」と意訳する者もいないわけではない(cf. 宮下『本の都市リヨン』)。))。 -過去の[[高橋克彦]]との対談では、五島は「レ・サンチュリ」をもとに「諸世紀」という訳を[[黒沼健]]や自分が使ってきたと主張しており、原題自体を自分でつけたとは一言も言っていない。そもそも対談時の発言自体に嘘がある(黒沼は「諸世紀」とは呼ばなかった)。 -自著の題と混同するのを恐れたのなら自著の題を変えるべきで、断りもなしに原書の題を変えるのは、非常識である。 -五島は『ノストラダムスの大予言』初巻では、第2巻46番の Les Siècles を「時代」と訳しており、「諸世紀」とは訳していないため、釈明の説得力に疑問がある。  五島はノストラダムス自身はつけていないと主張しているが、実際には『予言集』の第一序文で自著を「我が予言集」(mes Prophéties)と呼んでいる。また、秘書だった[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]も、ノストラダムス自身が『予言集』(Les Prophéties)とつけたと証言している((Chavigny[1594] p.6. ただし、シャヴィニーの証言には様々な誤りが指摘されているので、これも真実かどうかは分からない。この点について実証的な検証は行われていない。))。海外の書誌研究などでは、Les Prophéties を版元がつけたと注記しているものはない。  なお、日本以外での校定版の成果などを取り入れた[[高田勇]]と[[伊藤進]]による抄訳ながら優れた訳書『[[ノストラダムス予言集>ノストラダムス予言集 (岩波書店)]]』(岩波書店、1999年)では、全体を表す名称として『予言集』が採用されている。 *海外の用例  2010年に出版された『[[諸世紀 ― 《諸世紀》中的大預言]]』のように、中国でも同様の訳が当てはめられている。  また、[[羽仁礼]]によれば、英語からの転訳によるものか、アラビア語でも同様の誤訳をするものがいるという((メールマガジン「新★0界通信」バックナンバー「[[アラブの川尻徹>http://www.melma.com/backnumber_151206_3079483/]]))。 ---- #comment
 『&bold(){諸世紀}』(しょせいき)は、[[ノストラダムス]]の主著『[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集]]』の日本における俗称。[[五島勉]]の『[[ノストラダムスの大予言]]』によって、広く人口に膾炙した。単語の意味からただちに誤訳といえるわけではないが、本来の文脈からすれば明らかに不適切な訳である。 *日本での受容の経緯 **前史  『予言集』の主要部分は各巻ごとに [[Centurie]] (サンチュリ)と名付けられた四行詩集であり、その複数形 Les Centuries(レ・サンチュリ)は、『予言集』そのものを表す通称としても用いられている。フランスの代表的な百科事典『ラルース百科事典』などでも、その意味での項目が立てられている。  Centurie の語源はラテン語のケントゥリアで、フランス語の「サンチュリ」(Centurie)はそこから派生したものである。サンチュリの本来の意味は「百の集まり」であり、各巻に詩が百篇あることにちなんでいる。  日本でノストラダムスがそれほど知られていなかったときには、フランス文学者の[[渡辺一夫]]や[[澁澤龍彦]]はこれを「詩百篇」「百詩篇」などと訳していた。しかし、英語圏の文献であった[[カート・セリグマン]]の『魔法』を1961年に訳した平田寛は、英語で「世紀」を意味する Century と混同したためか、これを「諸世紀」と訳出した((志水 [1998] pp.13-14))。  フランス語のサンチュリにも確かに「世紀」の意味はあるものの、本来は詩を百篇集めたことから付けられた名称であるため、これを「世紀」の意味にとるのは誤訳である((高田・伊藤 [1999] p.333))。 **ノストラダムスの大予言  [[五島勉]]は、発売3か月余りで100万部を突破した『[[ノストラダムスの大予言]]』(祥伝社、1973年)において、ノストラダムスの予言集を「諸世紀」と訳しただけでなく、その原題は Les Siècles (Siècleはフランス語で「世紀」を表す一般的な語)であるとした。  初の仏和対訳版となった『[[ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]』([[たま出版]]、1975年)でもこれが踏襲され、「諸世紀」という訳称のみでなく、Les Siècles という誤った原題までがカバーに書かれた(現在の新装版カバーには書かれていないが、本体の表紙には書かれている)。  Les Siècles という原題までも採用した論者は非常に限定的ではあったものの、「諸世紀」という名称自体は広く用いられ、広辞苑や世界大百科事典(平凡社)などでも採用されていた。また、筑波大学教授(当時)の仏文学者[[竹本忠雄]]のように、誤りと知りつつも、人口に膾炙しているからという理由で、あえて『諸世紀』を用いる者も現れた((竹本忠雄 監訳『ノストラダムス・メッセージ II 』(ヴライク・イオネスク 著、角川書店、1993年)p.244の訳注))。 **論争  1990年代に入ると[[志水一夫]]などが、「諸世紀」は誤訳であって「百詩篇集」とでもすべきだ、またそもそも Les Siècles は五島による創作された原題であるとする論陣を張った((志水 [1997] pp.151-155))。  五島はこれに対し、次のような反論を展開した((五島勉『ノストラダムスの大予言・最終解答編』祥伝社、1998年、pp.224-226))。 -『予言集』の原題は「&u(){ノストラダムス師の大予言}」であり、そのまま訳すと、自分の著書『ノストラダムスの大予言』と区別が付けにくくなると考えた。 -そこで[[百詩篇第2巻46番]]に Les Siècles という語が出てくることを元に、世界がいつまでも続くようにとの願いを込めて「諸世紀」という題名を、自分でつけた。 -「百詩篇集」自体が通称であって、そんな刊本はなかった。あるなら表紙の写真だけでも示してほしい。 -ノストラダムス自身は『予言集』全体をあらわす名称をつけていない。それはあくまでも当時の版元がつけたものに過ぎないので、本当の題を議論することにさしたる意味はないはずだ。  これに対しては、志水一夫や[[山本弘]]が次のような反論を寄せた((志水 [1998] pp.21-25, 山本 [2000] p.54))。 -原題は「&u(){ミシェル・ノストラダムス師の予言集}」であって、混同は生じない。「大予言」という原題の刊本があったのなら、それこそ表紙の写真を見せてほしい((フランス史の専門家の中には、宮下志朗のように Les Prophétiesを「大予言」と意訳する者もいないわけではない(cf. 宮下『本の都市リヨン』)。))。 -過去の[[高橋克彦]]との対談では、五島は「レ・サンチュリ」をもとに「諸世紀」という訳を[[黒沼健]]や自分が使ってきたと主張しており、原題自体を自分でつけたとは一言も言っていない。そもそも対談時の発言自体に嘘がある(黒沼は「諸世紀」とは呼ばなかった)。 -自著の題と混同するのを恐れたのなら自著の題を変えるべきで、断りもなしに原書の題を変えるのは、非常識である。 -五島は『ノストラダムスの大予言』初巻では、第2巻46番の Les Siècles を「時代」と訳しており、「諸世紀」とは訳していないため、釈明の説得力に疑問がある。  五島はノストラダムス自身はつけていないと主張しているが、実際には『予言集』の第一序文で自著を「我が予言集」(mes Prophéties)と呼んでいる。また、秘書だった[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]も、ノストラダムス自身が『予言集』(Les Prophéties)とつけたと証言している((Chavigny[1594] p.6. ただし、シャヴィニーの証言には様々な誤りが指摘されているので、これも真実かどうかは分からない。この点について実証的な検証は行われていない。))。海外の書誌研究などでは、Les Prophéties を版元がつけたと注記しているものはない。  なお、日本以外での校定版の成果などを取り入れた[[高田勇]]と[[伊藤進]]による抄訳ながら優れた訳書『[[ノストラダムス予言集>ノストラダムス予言集 (岩波書店)]]』(岩波書店、1999年)では、全体を表す名称として『予言集』が採用されている。 *海外の用例  2010年に出版された『[[諸世紀 ― 《諸世紀》中的大預言]]』のように、中国でも同様の訳が当てはめられている。  また、[[羽仁礼]]によれば、英語からの転訳によるものか、アラビア語でも同様の誤訳をするものがいるという((メールマガジン「新★0界通信」バックナンバー「[[アラブの川尻徹>http://www.melma.com/backnumber_151206_3079483/]]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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