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[[百詩篇第8巻]]>67番
*原文
PAR. CAR. NERSAF&sup(){1}, à&sup(){2} ruine grand&sup(){3} discorde,
Ne l'vn ne l'autre n'aura election,
Nersaf&sup(){4} du peuple aura&sup(){5} amour & concorde,
Ferrare, Collonne&sup(){6} grande protection.
**異文
(1) PAR. CAR. NERSAF : Par car. nersaf 1590Ro, PAR CAR. NERSAF 1605 1649Xa, PAR CAR, NERSAF 1668P, Par. Car. Nersaf 1672, PARCARNERSAF 1716
(2) à : a 1568A
(3) grand : grande 1605 1649Xa, grãnd[&italic(){sic.}] 1627
(4) Nersaf : Ner saf 1597 1600 1603Mo 1610 1627 1653 1665 1716, Ner. saf. 1644 1650Ri, Ner. Saf. 1650Le, Nersaf. 1668
(5) aura (vers3) : amra 1611A
(6) Collonne : Collogne 1611B 1981EB
*日本語訳
パル・カル・ネルサフ、大きな不和が破滅へ。
一方も他方も選ばれないだろう。
ネルサフは人々から愛と合意を得るだろう。
[[フェッラーラ]]、コロンナ、大きな保護。
**訳について
とりあえず、PAR. CAR. NERSAF はそのままカタカナ書きとした。4行目は、この詩の細部の読みが確定しておらず、補うべき前置詞の候補が多いため、特に何も補わず直訳した。
大乗訳も山根訳もそれぞれの底本に基づく訳としては問題ない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、Par. Car. Nersaf についても特に解釈せず、教皇選挙に関する詩ではないかとするにとどまり、4行目についても、2つの意味があるのでどちらを選ぶかは読者に委ねるとしていた((Garencieres [1672]))。
[[アナトール・ル・ペルチエ]]は詩の解釈は展開しなかったが、Par. Car.Nersaf は「パリ、カルカソンヌ、フランス」と解釈した((Le Pelletier [1867b]))。これは[[エドガー・レオニ]]らに踏襲された。
[[アンドレ・ラモン]]は、Par. Car. Nersaf を「パルマ」(Parma)、「カッラーラ」(Carrara)、「ファルネーゼ」(Farnese)と解釈した上で、フェラーラ出身の人物がローマ教皇に選ばれる予言と解釈した((Lamont [1943] p.278))。
[[エリカ・チータム]]は Par. Car. Nersaf を「パリ」「カルカソンヌ」「フランス」と解釈したが、関連する歴史的経緯の説明ともども[[エドガー・レオニ]]からの盗用である((Cheetham [1973], Leoni [1961]))。
*同時代的な視点
[[ルイ・シュロッセ]]はファルネーゼ家出身の教皇パウルス3世が、以前の教皇特使時代からイタリア戦争の調停に取り組んでいたことと解釈した((Schlosser [1986] p.108))。
[[ジャン=ポール・クレベール]]もファルネーゼ家と関連付け、Par. Car. Nersaf はファルネーゼ家が創設されたばかりのパルマ(PARme)の公爵領を受け継ぎ、枢機卿(CARdinal)も輩出したことと関連付けた。
パウルス3世(世俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ)と同じ名を持つ長男アレッサンドロは枢機卿となり、1553年から1555年の間、アヴィニョンに教皇副使として滞在していた。その弟はパルマ公である。
ファルネーゼ家は同族争いでも有名だったことから、クレベールは、同家出身のパルマ公と枢機卿が教皇の地位を狙うが、足を引っ張り合って共倒れに終わることの描写ではないかとした。また、4行目は地名ではなくコロンナ家とフェッラーラのエステ家という、これまたイタリアの名門貴族への言及と推測した((Clebert [2003]))。
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[[詩百篇第8巻]]>67番*
*原文
PAR. CAR. NERSAF&sup(){1}, à&sup(){2} ruine grand&sup(){3} discorde,
Ne l'vn ne l'autre n'aura election&sup(){4},
Nersaf&sup(){5} du peuple aura&sup(){6} amour & concorde,
Ferrare, Collonne&sup(){7} grande protection.
**異文
(1) PAR. CAR. NERSAF : Par car. nersaf 1590Ro, PAR CAR. NERSAF 1605sn 1627Ma 1627Di 1649Xa, PARCARNERSAF 1650Mo 1716PR(a c), PAR CAR, NERSAF 1667Wi 1668P, Par. Car. Nersaf 1672Ga, PARCARNERSAT 1716PRb
(2) à : a 1568X
(3) grand : grande 1605sn 1649Xa, grãnd[&italic(){sic.}] 1627Di
(4) election : eslection 1603Mo, essection 1650Mo
(5) Nersaf : Ner saf 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1627Di 1650Mo 1653AB 1665Ba 1716PR 1720To, Ner. saf. 1627Ma 1644Hu 1650Ri, Ner. Saf. 1650Le, Nersaf. 1668
(6) aura (vers3) : amra 1611A
(7) Collonne : Collogne 1611B 1981EB
*日本語訳
パル・カル・ネルサフ、大きな不和が破滅へ。
一方も他方も選ばれないだろう。
ネルサフは人々から愛と合意を得るだろう。
[[フェッラーラ]]、コロンナ、大きな保護。
**訳について
とりあえず、PAR. CAR. NERSAF はそのままカタカナ書きとした。4行目は、この詩の細部の読みが確定しておらず、補うべき前置詞の候補が多いため、特に何も補わず直訳した。
大乗訳も山根訳もそれぞれの底本に基づく訳としては問題ない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、Par. Car. Nersaf についても特に解釈せず、教皇選挙に関する詩ではないかとするにとどまり、4行目についても、2つの意味があるのでどちらを選ぶかは読者に委ねるとしていた((Garencieres [1672]))。
[[アナトール・ル・ペルチエ]]は詩の解釈は展開しなかったが、Par. Car.Nersaf は「パリ、カルカソンヌ、フランス」と解釈した((Le Pelletier [1867b]))。これは[[エドガー・レオニ]]らに踏襲された。
[[アンドレ・ラモン]]は、Par. Car. Nersaf を「パルマ」(Parma)、「カッラーラ」(Carrara)、「ファルネーゼ」(Farnese)と解釈した上で、フェラーラ出身の人物がローマ教皇に選ばれる予言と解釈した((Lamont [1943] p.278))。
[[エリカ・チータム]]は Par. Car. Nersaf を「パリ」「カルカソンヌ」「フランス」と解釈したが、関連する歴史的経緯の説明ともども[[エドガー・レオニ]]からの盗用である((Cheetham [1973], Leoni [1961]))。
*同時代的な視点
[[ルイ・シュロッセ]]はファルネーゼ家出身の教皇パウルス3世が、以前の教皇特使時代からイタリア戦争の調停に取り組んでいたことと解釈した((Schlosser [1986] p.108))。
[[ジャン=ポール・クレベール]]もファルネーゼ家と関連付け、Par. Car. Nersaf はファルネーゼ家が創設されたばかりのパルマ(PARme)の公爵領を受け継ぎ、枢機卿(CARdinal)も輩出したことと関連付けた。
パウルス3世(世俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ)と同じ名を持つ長男アレッサンドロは枢機卿となり、1553年から1555年の間、アヴィニョンに教皇副使として滞在していた。その弟はパルマ公である。
ファルネーゼ家は同族争いでも有名だったことから、クレベールは、同家出身のパルマ公と枢機卿が教皇の地位を狙うが、足を引っ張り合って共倒れに終わることの描写ではないかとした。また、4行目は地名ではなくコロンナ家とフェッラーラのエステ家という、これまたイタリアの名門貴族への言及と推測した((Clebert [2003]))。
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