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[[百詩篇第3巻]]>22番
*原文
Six iours l’assaut&sup(){1} deuant cité&sup(){2} donné&sup(){3} :
Liurée sera forte & aspre bataille&sup(){4} :
Trois la rendront&sup(){5} & à eux&sup(){6} pardonné&sup(){7} :
Le reste a feu&sup(){8} & sang&sup(){9} tranche&sup(){10} traille&sup(){11}.
**異文
(1) l’assaut : l’aussaut 1605, lassaut 1672
(2) cité : Cité 1672 1712Guy
(3) donné : donnè 1589Me
(4) bataille : Bataille 1672
(5) rendront : rendrons 1588Rf
(6) à eux : à 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro, a 1588-89
(7) pardonné : pardonnés 1589PV
(8) a feu 1555 1840 : à feu &italic(){T.A.Eds.}
(9) sang : à sang 1600 1610 1627 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668 1712Guy 1716 1981EB
(10) tranche : trauche 1672, tranché 1981EB
(11) traille 1555A 1555V 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1840 : taille &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : toille 1627, & taille 1712Guy)
**校訂
[[ピエール・ブランダムール]]は4行目 a feu & sang を à feu & à sang と校訂した。
なお、ブランダムールは1555Vの4行目を a feu ではなく à feu と読んだ上で校訂しているが、オンライン上で公表されているフォトコピーではアクサンが付いているようには全く見えない。1840の綴りから言っても、1555 の時点で à feu となっていたとするのはブランダムールの誤認ではないかと思われる。もちろん、校訂した結果の à feu & à sang が妥当なものであることは確かなので、以上の指摘は瑣末な話にすぎない。
同様にブランダムールは4行目 traille を taille と校訂した。
*日本語訳
六日間、都市の前で攻め立てられる。
激しく厳しい一戦が交えられるだろう。
三人が都市を明け渡し、彼らには赦しが与えられる。
残りの者は火に、そして血に、切断と裁断。
**訳について
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
1行目 「六日間、都市で 人まえにだされて暴行を受け」((大乗 [1975] p.102。以下、この詩の引用は同じページから。))は微妙。devant cité を区切った上で、「都市」 に別の前置詞を補うのは不自然ではないだろうか。
4行目 「残りの者は火の中にさまよい 剣で血は流れる」 は意訳として一応は許容範囲内ではないかと思える。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。
2行目 「それは熾烈な戦闘で解放されよう」((山根 [1988] p.123。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。livrer bataille は「戦いを始める、一戦を交える」の意味で、「解放する」(délivrer) とは意味が異なる。
4行目 「残りの者には血の虐殺と斬殺が」 は 「火」(feu) が訳に反映されていない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、「歴史の知識があるほとんどの者」が、この詩をマグデブルクと解釈すると述べ、三十年戦争中のマグデブルクの荒廃と結びつけた((Garencieres [1672]))。
[[バルタザール・ギノー]]は、ある都市が陥落するときの様子として、情景を色々敷衍してはいるが、具体的な事件と結びつけることなどはしなかった((Guynaud [1712] pp.246-247))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。[[エリカ・チータム]]も実質的に何もいっていないに等しい。
[[セルジュ・ユタン]]は1945年のソ連軍によるベルリンの攻略と解釈した((Hutin [1978]))。
[[ジョン・ホーグ]]は第三次中東戦争(六日戦争)と解釈した((Hogue (1997)[1999]))。
*同時代的な視点
[[ピーター・ラメジャラー]]は、おそらく1101年ごろの年代記 Gesta francorum et aliorum Hierosolymytanorum をもとにして、第一次十字軍遠征時のエルサレム攻囲戦を描写したものではないかと推測した((Lemesurier [2010]))。
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#comment
[[百詩篇第3巻]]>22番
*原文
Six iours l’assaut&sup(){1} deuant cité&sup(){2} donné&sup(){3} :
Liurée sera forte & aspre bataille&sup(){4} :
Trois la rendront&sup(){5} & à eux&sup(){6} pardonné&sup(){7} :
Le reste a feu&sup(){8} & sang&sup(){9} tranche&sup(){10} traille&sup(){11}.
**異文
(1) l’assaut : l’aussaut 1605, lassaut 1672
(2) cité : Cité 1672 1712Guy
(3) donné : donnè 1589Me
(4) bataille : Bataille 1672
(5) rendront : rendrons 1588Rf
(6) à eux : à 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro, a 1588-89
(7) pardonné : pardonnés 1589PV
(8) a feu 1555 1840 : à feu &italic(){T.A.Eds.}
(9) sang : à sang 1600 1610 1627 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668 1712Guy 1716 1981EB
(10) tranche : trauche 1672, tranché 1981EB
(11) traille 1555A 1555V 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1840 : taille &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : toille 1627, & taille 1712Guy)
**校訂
[[ピエール・ブランダムール]]は4行目 a feu & sang を à feu & à sang と校訂した。
なお、ブランダムールは1555Vの4行目を a feu ではなく à feu と読んだ上で校訂しているが、オンライン上で公表されているフォトコピーではアクサンが付いているようには全く見えない。1840の綴りから言っても、1555 の時点で à feu となっていたとするのはブランダムールの誤認ではないかと思われる。もちろん、校訂した結果の à feu & à sang が妥当なものであることは確かなので、以上の指摘は瑣末な話にすぎない。
同様にブランダムールは4行目 traille を taille と校訂した。
*日本語訳
六日間、都市の前で攻め立てられる。
激しく厳しい一戦が交えられるだろう。
三人が都市を明け渡し、彼らには赦しが与えられる。
残りの者は火に、そして血に、切断と裁断。
**訳について
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
1行目 「六日間、都市で 人まえにだされて暴行を受け」((大乗 [1975] p.102。以下、この詩の引用は同じページから。))は微妙。devant cité を区切った上で、「都市」 に別の前置詞を補うのは不自然ではないだろうか。
4行目 「残りの者は火の中にさまよい 剣で血は流れる」 は意訳として一応は許容範囲内ではないかと思える。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。
2行目 「それは熾烈な戦闘で解放されよう」((山根 [1988] p.123。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。livrer bataille は「戦いを始める、一戦を交える」の意味で、「解放する」(délivrer) とは意味が異なる。
4行目 「残りの者には血の虐殺と斬殺が」 は 「火」(feu) が訳に反映されていない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、「歴史の知識があるほとんどの者」が、この詩をマグデブルクと解釈すると述べ、三十年戦争中のマグデブルクの荒廃と結びつけた((Garencieres [1672]))。
[[バルタザール・ギノー]]は、ある都市が陥落するときの様子として、情景を色々敷衍してはいるが、具体的な事件と結びつけることなどはしなかった((Guynaud [1712] pp.246-247))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。[[エリカ・チータム]]も実質的に何もいっていないに等しい。
[[セルジュ・ユタン]]は1945年のソ連軍によるベルリンの攻略と解釈した((Hutin [1978]))。
[[ジョン・ホーグ]]は第三次中東戦争(六日戦争)と解釈した((Hogue (1997)[1999]))。
*同時代的な視点
[[ピーター・ラメジャラー]]は、おそらく1101年ごろの年代記 Gesta francorum et aliorum Hierosolymytanorum をもとにして、第一次十字軍遠征時のエルサレム攻囲戦を描写したものではないかと推測した((Lemesurier [2010]))。
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