百詩篇第6巻12番

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[[百詩篇第6巻]]>12番 *原文 Dresser&sup(){1} copies&sup(){2} pour monter&sup(){3} à l’Empire&sup(){4}, Du Vatican&sup(){5} le sang Royal&sup(){6} tiendra: Flamans, Anglois, Espaigne&sup(){7} auec Aspire&sup(){8}, Contre l’Italie&sup(){9} & France contendra&sup(){10}. **異文 (1) Dresser : Dreffer 1650Le (2) copies : copie 1605 1628 1649Xa, Copie 1672 (3) pour monter : monter 1557B, ponur monter 1611A (4) l'Empire : l'empire 1588Rf 1589Rg 1600 1610 1627 1630Ma 1772Ri (5) Vatican : Vitican 1605 1649Xa, Vatiquan 1611B 1981EB, Varicam 1627, Vaticam 1630Ma (6) Royal : royal 1589Rg 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1840 (7) Espaigne : Espagne 1588-89 1600 1605 1611A 1627 1628 1630Ma 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1668P 1672 1840 1867LP (8) auec Aspire : Aspire 1649Xa, aspire 1672 (9) l'Italie : l'iItatie [&italic(){sic.}] 1590Ro (10) contendra : contiendra 1867LP, contendera 1981EB *日本語訳 帝国で成り上がるために軍隊を打ち立て、 王家の血は[[バチカン]]によって(その正統性を)保つだろう。 [[フランドル]]人、イングランド人、スペインは[[シュパイアー]]とともに、 イタリアとフランスに対抗して争うだろう。 **訳について  単語で難しいのは3行目の Aspire である。この語はDALF, DMF, DFE には載っていない。素直に考えれば、フランス語の動詞 aspirer (熱望する、切望する、息を吸い込む)の活用形(三人称単数現在形などが aspire)ということになるだろうが、前置詞 avec の直後に活用形が来ることは通常考えられない。  そのためかどうか、19世紀の信奉者である[[アンリ・トルネ=シャヴィニー]]や[[アナトール・ル・ペルチエ]]は Spire の語頭音添加(prosthèse)として、ドイツの[[シュパイアー]](Speyer / Spire)と理解した((Torné-Chavigny [1860] p.96, Le Pelletier [1867b]))。[[マリニー・ローズ]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]もこれを支持した((Rose [2002c], Clébert [2003]))。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]と[[リチャード・シーバース]]も疑問符つきでこの可能性のみを示した((Petey-Girard [2003], Sieburth [2012]))。複数の可能性を示したのが[[エドガー・レオニ]]で、シュパイアーとする読み以外に、気音(aspirates)に満ちた言語であるドイツ語からの連想でドイツ全体のことかもしれないという可能性も示した((Leoni [1961]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は avec Aspire を with him strive と英訳しているが、語学的根拠を明記していない((Lemesurier [2010]))。  当「大事典」では、ほぼ通説と見なしてよいであろうシュパイアーとする読みを採用した。この読みに不安要素があるとすれば、ノストラダムス作品には語頭音消失(aphérèse)や語尾音消失(apocope)が頻出するが、語頭音添加は珍しいということ、そして百詩篇ではシュパイアーへの言及例が他にないことだろう。  2行目 Du vatican は前置詞 de (du は de le の縮約形)に多彩な意味があること、そして、この詩のモデルが特定されていないことから、ありうる複数の読みのどれが正しいのかは判断が難しい。当「大事典」の読みはクレベールの釈義を踏まえたものだが、他の訳の例としては以下のものがある。 -In the Vatican the Royal blood will hold fast((Leoni [1961] p.283))(レオニ) -against the Vatican the blood royal shall hold fast((Lemesurier [2010] p.190))(ラメジャラー) -The Vatican's royal blood shall hold firm((Sieburth [2012] p.157))(シーバース)  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「軍を起こし 帝国をあげて」((大乗 [1975] p.178。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。pour が明らかに訳に反映されていないし、「~をあげる」と訳すには L'Empire 直前の前置詞が余計だろう。  2行目「バチカンで王の血は努力し」は、導けないわけではないだろうが、tiendra (will keep) を「努力する」と訳すことが少々疑問である。  3行目「フレーミング 英国 スペインは熱望し」にも問題がある。フランドル人(フラマン)を「フレーミング」と表記するのは、原文ではなく英訳の Flemings に基づいたことをはっきり示している。また、原文ではフランドルとイングランドは国名の形容詞形(名詞としてはそこに住む人を指す)、スペインは名詞形(国の名前を指す)であり、すべて国名・地域名として訳すのは、(意訳として理解できるにせよ)やや正確性を欠く。「熱望し」はaspire を aspirer と理解したものだろう。上で述べたようにこれは不自然なのだが、大乗訳の底本では avec Aspire が aspire となっているので、その異文の訳としてならば成立する(ただし、その異文を支持すべき理由は全くない)。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「ヴァチカンより王の血は確固不動となる」((山根 [1988] p.214 。以下、この詩の引用は同じページから。))は微妙。「確固不動」に当たる語は原文にない(ただし、上のシーバース訳のように、英訳の際に firm を挿入した例があるので、実証主義的論者の間でも全否定されるということはないだろう)。  3行目「フランドル人 イギリス人 らせん状になったスペイン」は転訳による誤り。Spire をシュパイアーではなく、フランス語の一般名詞(「螺旋のひと巻き分」)と理解したのだろう。とはいえ、シュパイアーとする読みが正しいという保証はないのだから、Aspire が一般名詞としての spire の語頭音添加の可能性がないと断言できないのも事実である。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、1行目から2行目を繋げて読み「バチカン帝国で成り上がるために」というように理解し、教皇選挙でヨーロッパ諸国が大騒動を起こすことの予言と解釈した((Garencieres [1672]))。  [[アンリ・トルネ=シャヴィニー]](1860年)は、ナポレオン・ボナパルトと、彼に対する対仏大同盟と解釈した((Torné-Chavigny [1860] p.96))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は近未来のフランスに現れると想定していた偉大な君主についての予言の一つとしていた(( Fontbrune (1938)[1939] p.198, Fontbrune (1938)[1975] p.211))。なお、マックスは Aspire を PARISE と[[アナグラム]]していた。特に語注を加えていなかったが、この解釈をほぼ踏襲した[[アンドレ・ラモン]](1943年)は[[パリ]](Paris)と理解していた((Lamont [1943] pp.300-301))。  マックスの息子[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]](2006年)は父の解釈ではなくトルネ=シャヴィニーの解釈をほぼ踏襲し、ナポレオンと対仏大同盟とした((Fontbrune [2006] p.227))。  [[エリカ・チータム]](1973年)は詩に描かれたいくつかの要素はナポレオン1世の時期に成就したと述べていた((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。  対仏大同盟には触れなかったが、[[セルジュ・ユタン]](1978年)もナポレオン1世に関する詩ではないかとしていた((Hutin [1978], Hutin(2002)[2003]))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]はモデルを特定するには至っていないが、[[アンリ2世]]の時代の政治的・軍事的事件に基づいている可能性を示した((Lemesurier [2010]))。  実際のところ、1550年代の情勢がモデルの可能性は低くないだろう。  16世紀に「帝国」といえば、それは神聖ローマ帝国を指した。Aspireが本当に帝国議会の開催地だった[[シュパイアー]]を指すのだとすれば、ハプスブルク家(神聖ローマ皇帝を輩出しており、スペインとフランドルはいずれも支配地域に含まれた)とイギリスはいずれも1550年代のフランスが対立していた相手である。このことからすれば、細部に不明瞭な点はあれども、イタリア戦争末期のフランスと周辺諸国の対立がモデルなのではないかという推測が成り立つのである。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 #comment
[[百詩篇第6巻]]>12番 *原文 Dresser&sup(){1} copies&sup(){2} pour monter&sup(){3} à l’Empire&sup(){4}, Du Vatican&sup(){5} le sang Royal&sup(){6} tiendra: Flamans, Anglois, Espaigne&sup(){7} auec Aspire&sup(){8}, Contre l’Italie&sup(){9} & France contendra&sup(){10}. **異文 (1) Dresser : Dreffer 1650Le (2) copies : copie 1605 1628 1649Xa, Copie 1672 (3) pour monter : monter 1557B, ponur monter 1611A (4) l'Empire : l'empire 1588Rf 1589Rg 1600 1610 1627 1630Ma 1772Ri (5) Vatican : Vitican 1605 1649Xa, Vatiquan 1611B 1981EB, Varicam 1627, Vaticam 1630Ma (6) Royal : royal 1589Rg 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1840 (7) Espaigne : Espagne 1588-89 1600 1605 1611A 1627 1628 1630Ma 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1668P 1672 1840 1867LP (8) auec Aspire : Aspire 1649Xa, aspire 1672 (9) l'Italie : l'iItatie [&italic(){sic.}] 1590Ro (10) contendra : contiendra 1867LP, contendera 1981EB *日本語訳 帝国で成り上がるために軍隊を打ち立て、 王家の血は[[バチカン]]によって(その正統性を)保つだろう。 [[フランドル]]人、イングランド人、スペインは[[シュパイアー]]とともに、 イタリアとフランスに対抗して争うだろう。 **訳について  単語で難しいのは3行目の Aspire である。この語はDALF, DMF, DFE には載っていない。素直に考えれば、フランス語の動詞 aspirer (熱望する、切望する、息を吸い込む)の活用形(三人称単数現在形などが aspire)ということになるだろうが、前置詞 avec の直後に活用形が来ることは通常考えられない。  そのためかどうか、19世紀の信奉者である[[アンリ・トルネ=シャヴィニー]]や[[アナトール・ル・ペルチエ]]は Spire の語頭音添加(prosthèse)として、ドイツの[[シュパイアー]](Speyer / Spire)と理解した((Torné-Chavigny [1860] p.96, Le Pelletier [1867b]))。[[マリニー・ローズ]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]もこれを支持した((Rose [2002c], Clébert [2003]))。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]と[[リチャード・シーバース]]も疑問符つきでこの可能性のみを示した((Petey-Girard [2003], Sieburth [2012]))。複数の可能性を示したのが[[エドガー・レオニ]]で、シュパイアーとする読み以外に、気音(aspirates)に満ちた言語であるドイツ語からの連想でドイツ全体のことかもしれないという可能性も示した((Leoni [1961]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は avec Aspire を with him strive と英訳しているが、語学的根拠を明記していない((Lemesurier [2010]))。  当「大事典」では、ほぼ通説と見なしてよいであろうシュパイアーとする読みを採用した。この読みに不安要素があるとすれば、ノストラダムス作品には語頭音消失(aphérèse)や語尾音消失(apocope)が頻出するが、語頭音添加は珍しいということ、そして百詩篇ではシュパイアーへの言及例が他にないことだろう。  2行目 Du vatican は前置詞 de (du は de le の縮約形)に多彩な意味があること、そして、この詩のモデルが特定されていないことから、ありうる複数の読みのどれが正しいのかは判断が難しい。当「大事典」の読みはクレベールの釈義を踏まえたものだが、他の訳の例としては以下のものがある。 -In the Vatican the Royal blood will hold fast((Leoni [1961] p.283))(レオニ) -against the Vatican the blood royal shall hold fast((Lemesurier [2010] p.190))(ラメジャラー) -The Vatican's royal blood shall hold firm((Sieburth [2012] p.157))(シーバース)  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「軍を起こし 帝国をあげて」((大乗 [1975] p.178。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。pour が明らかに訳に反映されていないし、「~をあげる」と訳すには L'Empire 直前の前置詞が余計だろう。  2行目「バチカンで王の血は努力し」は、導けないわけではないだろうが、tiendra (will keep) を「努力する」と訳すことが少々疑問である。  3行目「フレーミング 英国 スペインは熱望し」にも問題がある。フランドル人(フラマン)を「フレーミング」と表記するのは、原文ではなく英訳の Flemings に基づいたことをはっきり示している。また、原文ではフランドルとイングランドは国名の形容詞形(名詞としてはそこに住む人を指す)、スペインは名詞形(国の名前を指す)であり、すべて国名・地域名として訳すのは、(意訳として理解できるにせよ)やや正確性を欠く。「熱望し」はaspire を aspirer と理解したものだろう。上で述べたようにこれは不自然なのだが、大乗訳の底本では avec Aspire が aspire となっているので、その異文の訳としてならば成立する(ただし、その異文を支持すべき理由は全くない)。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「ヴァチカンより王の血は確固不動となる」((山根 [1988] p.214 。以下、この詩の引用は同じページから。))は微妙。「確固不動」に当たる語は原文にない(ただし、上のシーバース訳のように、英訳の際に firm を挿入した例があるので、実証主義的論者の間でも全否定されるということはないだろう)。  3行目「フランドル人 イギリス人 らせん状になったスペイン」は転訳による誤り。Spire をシュパイアーではなく、フランス語の一般名詞(「螺旋のひと巻き分」)と理解したのだろう。とはいえ、シュパイアーとする読みが正しいという保証はないのだから、Aspire が一般名詞としての spire の語頭音添加の可能性がないと断言できないのも事実である。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、1行目から2行目を繋げて読み「バチカン帝国で成り上がるために」というように理解し、教皇選挙でヨーロッパ諸国が大騒動を起こすことの予言と解釈した((Garencieres [1672]))。  [[アンリ・トルネ=シャヴィニー]](1860年)は、ナポレオン・ボナパルトと、彼に対する対仏大同盟と解釈した((Torné-Chavigny [1860] p.96))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は近未来のフランスに現れると想定していた偉大な君主についての予言の一つとしていた(( Fontbrune (1938)[1939] p.198, Fontbrune (1938)[1975] p.211))。なお、マックスは Aspire を PARISE と[[アナグラム]]していた。特に語注を加えていなかったが、この解釈をほぼ踏襲した[[アンドレ・ラモン]](1943年)は[[パリ]](Paris)と理解していた((Lamont [1943] pp.300-301))。  マックスの息子[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]](2006年)は父の解釈ではなくトルネ=シャヴィニーの解釈をほぼ踏襲し、ナポレオンと対仏大同盟とした((Fontbrune [2006] p.227))。  [[エリカ・チータム]](1973年)は詩に描かれたいくつかの要素はナポレオン1世の時期に成就したと述べていた((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。  対仏大同盟には触れなかったが、[[セルジュ・ユタン]](1978年)もナポレオン1世に関する詩ではないかとしていた((Hutin [1978], Hutin(2002)[2003]))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]はモデルを特定するには至っていないが、[[アンリ2世]]の時代の政治的・軍事的事件に基づいている可能性を示した((Lemesurier [2010]))。  実際のところ、1550年代の情勢がモデルの可能性は低くないだろう。  16世紀に「帝国」といえば、それは神聖ローマ帝国を指した。Aspireが本当に帝国議会の開催地だった[[シュパイアー]]を指すのだとすれば、ハプスブルク家(神聖ローマ皇帝を輩出しており、スペインとフランドルはいずれも支配地域に含まれた)とイギリスはいずれも1550年代のフランスが対立していた相手である。このことからすれば、細部に不明瞭な点はあれども、イタリア戦争末期のフランスと周辺諸国の対立がモデルなのではないかという推測が成り立つのである。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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