百詩篇第2巻14番

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[[百詩篇第2巻]]>14番 *原文 A.&sup(){1} Tours, Iean,&sup(){2} garde&sup(){3} seront&sup(){4} yeux&sup(){5} penetrants Descouuriront de loing&sup(){6} la&sup(){7} grand&sup(){8} sereyne&sup(){9}, Elle & sa suitte&sup(){10} au port&sup(){11} seront entrants Combat&sup(){12}, poulssés&sup(){13}, puissance souueraine&sup(){14}. **異文 (1) A. 1555 1840 : A &italic(){T.A.Eds.} (2) &u(){Iean,} 1555 1589PV 1590SJ 1840 : &u(){Gien.} 1557U, Giẽ 1557B, &u(){Guien,} 1611B 1981EB, &u(){Gien,} &italic(){T.A.Eds.} (3) garde 1555 1589PV 1590SJ 1840 : gardé &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : gardes 1653 1665, Gargeau 1672) (4) seront : serant 1627 1630Ma (5) yeux : ieulx 1557B (6) de loing : le loing 1605 1628 1649Xa, le long 1672 (7) la : de la 1605 1628 1649Xa 1672, le 1627 1630Ma (8) grand : grande 1557B 1588-89 1672 1981EB, grand' 1649Ca 1650Le 1668 (9) sereyne : Sereine 1588-89 1644 1650Le 1650Ri 1665 1668 1672, Sereines 1653 (10) sa suitte : suyte 1588-89, sa Suite 1672 (11) port : Port 1672 (12) Combat : Combats 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 (13) poulssés 1555 1840 : poulsés 1557U 1557B 1568A 1568B, pouses 1590Ro, Poussez 1653 1665, poussez &italic(){T.A.Eds.} (14) puissance souueraine : Puissance Souveraine 1672 **校訂  [[ピエール・ブランダムール]]は1行目を A Tour Jean gardes seront... とし、4行目前半を Combats poulsez : と校訂している((Brind'Amour [1996]))。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]はそれを踏襲し、[[リチャード・シーバース]]もその読みを取り入れて英訳している。[[ピーター・ラメジャラー]]は A Tour Jean は受け入れているようだが、残りの点については英訳からは判断しがたい。 少なくとも、1行目の動詞 seront が三人称複数を示しているので、gardes と複数にするのは適切である。  Tour Jean については、ブランダムールの校訂は妥当だろう。[[エヴリット・ブライラー]]は英訳からすれば A Tour, Giens としていたが、これは特に追随する論者はいない。 *日本語訳 ジャンの塔に炯眼の歩哨たちがいて、 遠くにやんごとなき貴人を見つけるだろう。 その御方と侍従たちが港に入るだろう。 「悶着を押し退けよ、至上の権力 (の御成り)である」。 **訳について  1、4行目は[[ピエール・ブランダムール]]の校訂と釈義を踏まえた。1行目は1555の原文のまま意味が通るように訳すのは困難である。  2行目「やんごとなき貴人」 la grand(e) sereine は女性形だが、敬意表現だとすればこの対象が女性とは限らない。ブランダムールの釈義では sa Majesté sérénissime (陛下) となっており、高田・伊藤訳のように「殿下」とまとめてしまう方が妥当かもしれないが、後述するようにモデルが「陛下」「殿下」でない可能性も指摘されているので、あえて表現を変えた。ただ、当「大事典」のように grande を名詞として sereine を形容詞と捉える場合、それは女性に限定されることになる。なお、sereine (静謐な、晴朗な) を「やんごとなき」と訳すのはやや強引だが、その派生語が身分の高い人物への敬意表現として使われることを踏まえた。  4行目はブランダムールの校訂を受け入れた場合でも poulsez は古い綴り方なので、現代式に直したときに poussés (受動態)とするのか、poussez (二人称複数に対する命令法)とするのかで意味が変わる。[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳の「押し退けられし戦闘」((高田・伊藤 [1999] p.126))、[[ピーター・ラメジャラー]]の War banished((Lemesurier [2010] p.113))は前者で理解したものだろう。当「大事典」はブランダムールの釈義、[[リチャード・シーバース]]の英訳を踏まえて後者で訳した。  4行目全体を(おそらく侍従たちの)発言として理解するのもブランダムールの釈義(«Repoussez les disputes ! Place à la puissance souveraine ! »((Brind'Amour [1996] p.213)))に従ったものであり、シーバースの英訳でも (発言を意味する引用符などはないが) その読みが取り入れられている (Halt quarrels : make way for sovereign power.((Sieburth [2012] p.43)))。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1・2行目 「トールやジィエンで刺すような目で/見張人はずっとまえに王女をさがし」((大乗 [1975] p.74。以下、この詩の引用は同じページから。))は部分的に不適切。「トールやジィエン」は元の A. Tours, Jean (Gien) を尊重したものとして理解でき、また、「刺すような目で」も直訳として正しい。garde (s) は1行目にあるが、「見張人」を2行目に回したのは行ごとのバランスに配慮したものと考えれば理解できる。  ただし、 de loing を「ずっとまえに」と訳すのは不適切。それが「港に入るずっと前のかなり遠くにいる時点で」の意味なら間違っていないが、de loin の一般的な意味である「遠くから」を避けて曖昧にする必然性がない(de loin は時間的には「昔から」の意味)。また、la grand(e) sereine を「王女」とするのは限定的にすぎる。なお、元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳に引き摺られたのかもしれないが、ロバーツは the great queen と訳していた。これはこれで不適切だが、女王(王妃)を大乗訳が王女にした理由がよく分からない。さらに、「さがし」では、découvrir の本来の意味である「見つける」のニュアンスからやや離れる。  4行目「そして力を得て統治力で突進するだろう」は意味不明。ロバーツの英訳は By the fight shall be thrust out the reigning power.((Roberts (1947)[1949] p.47))(君臨する権力は戦闘によって追い出されるだろう)で、ロバーツが採用している poussez の訳としてはありえない(単複が一致しないので poussez の主語に puissance をとることはできない)のだが、大乗訳よりは意味が通じている。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「トゥールとジャンで鋭く見張る眼が警戒されよう」((山根 [1988] p.82。以下、この詩の引用は同じページから。))は garde を gardés と校訂すれば成立する訳。  2行目「それらが遠く離れて殿下の動静を窺う」は不適切だろう。上述の通り、de loin の直訳は「遠くから」、découvrir の直訳は「発見する」なので、ニュアンスがかなり違っている。  4行目「戦闘に参加し 最高の権力」は poussez を「参加し」にする理由が不明。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、1行目の garde をジェルジョー (Gergeau) に書き換える大胆な修正をした上で、トゥール、ジアン、ジェルジョーはいずれもロワール川沿いの都市で、2行目の「やんごとなき貴人」はロワール川の美称のようなものとした。その上で、それらの都市が国王と戦うことを描写しており、過去にあったことならばフランス宗教戦争の予言だったが、未来に起こる可能性もあると解釈した((Garencieres [1672]))。なお、ジェルジョーという町はフランスにない。ロワール川沿いということなら、おそらくそれはジャルジョー (Jargeau) の綴りの揺れだろう。  [[アンリ・トルネ=シャヴィニー]](1860年)はフロンドの乱についてと解釈した((Torné-Chavigny [1860] p.31))。  彼ら以外では20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[シャルル・ニクロー]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)は「超自然的な宗教に取って代わるべく据えつけられた理性の女神が、文化の中心地に近づく」(The Goddess of Reason, installed to replace supernatural religion, approaches the centers of Culture)((Roberts (1947)[1949] p.47))とだけコメントした。簡潔だが、普通大文字の「理性の女神」といえば、フランス革命期の理性の祭典で設定された女神を指すので、その祭典の情景と解釈したのだろう。なお、[[日本語版>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]で「理性の女神は超自然的宗教にもどすべく立ちあがり、大都市に近づいていく」とあるのは史実と正反対になっており、誤訳である。  ロバーツ自身の解釈は、のちに[[娘>リー・ロバーツ・アムスターダム]]夫婦の改訂(1982年)では、フォークランド紛争(1982年)に関する予言とする解釈に差し替えられた((Roberts (1947)[1982], Roberts (1947)[1994]))。  [[エリカ・チータム]](1973年)はカトリーヌ・ド・メディシスが王太后として権勢を振るった時期と重なるユグノー戦争と解釈した((Cheetham [1973]))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)は後半2行だけ採り上げ、ノルマンディ上陸作戦と解釈した((Hutin [1978]))。しかし、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では当てはめる時期の分からない詩とするコメントに差し替えられた((Hutin (2002)[2003]))。 *同時代的な視点  [[エヴリット・ブライラー]]は1行目前半を「ジアン (Giens) の塔にて」と読み替えた。Gien と違い、Giens は[[トゥーロン]]近郊の地中海に突き出た半島の名前である。そして、la grand sereine は La Serenissima の異名をとった[[ヴェネツィア]]と解釈した。つまり、この詩はヴェネツィア海軍が南仏侵攻を企てるが撃退される、という情景を描いていることになる。  ブライラーはもう一つ、カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアからフランス王家に嫁いだ際に、マルセイユから上陸したことと結びつく可能性も挙げていた((LeVert [1979]))。  そして現在では、むしろブライラーが付随的に挙げていた可能性のほうが定説化している。  [[ピエール・ブランダムール]]の校訂に登場するジャンの塔(Tour Jean)とは、マルセイユの旧港の入り口に今も残り、12世紀にまで遡るサン=ジャン要塞(Fort Saint-Jean) の見張り塔を指すと考えられている。実際、当時の記録でもその塔をサン=ジャン塔 (Tour Saint-Jean) と表記している例があることを、ブランダムールは指摘している。  となれば、詩の情景は読んだままとなるだろう。1533年、マルセイユの見張り塔の歩哨は、船がまだ遠いうちからその姿を目敏く見つける。そしてその船で入港したカトリーヌ・ド・メディシス、その親族で同行した教皇クレメンス7世のために、道をあけよと布告される。そういう情景だろう((cf. Brind'Amour [1996]))。  この解釈は[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[ブリューノ・プテ=ジラール]]、[[リチャード・シーバース]]が多少の差はあれども踏襲している((高田・伊藤 [1999]、Lemesurier [2010], Clébert [2003], Petey-Girard [2003], Sieburth [2012]))。  なお、2行目で単数で語られる貴人が誰かについては、これらの解釈では明言されていないことが多い。クレベールはカトリーヌとクレメンス7世それぞれの可能性を挙げている。確かに「至上の権力」という言葉は、当時のカトリーヌにはいささか過大に思えなくもない。カトリーヌの結婚相手は確かにフランス国王[[アンリ2世]]となったが、結婚当時はアンリの兄フランソワが存命であったため、カトリーヌの地位は第二王子の妃にすぎなかったからである。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
[[百詩篇第2巻]]>14番 *原文 A.&sup(){1} Tours, Iean,&sup(){2} garde&sup(){3} seront&sup(){4} yeux&sup(){5} penetrants Descouuriront de loing&sup(){6} la&sup(){7} grand&sup(){8} sereyne&sup(){9}, Elle & sa suitte&sup(){10} au port&sup(){11} seront entrants Combat&sup(){12}, poulssés&sup(){13}, puissance souueraine&sup(){14}. **異文 (1) A. 1555 1840 : A &italic(){T.A.Eds.} (2) &u(){Iean,} 1555 1589PV 1590SJ 1840 : &u(){Gien.} 1557U, Giẽ 1557B, &u(){Guien,} 1611B 1981EB, &u(){Gien,} &italic(){T.A.Eds.} (3) garde 1555 1589PV 1590SJ 1840 : gardé &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : gardes 1653 1665, Gargeau 1672) (4) seront : serant 1627 1630Ma (5) yeux : ieulx 1557B (6) de loing : le loing 1605 1628 1649Xa, le long 1672 (7) la : de la 1605 1628 1649Xa 1672, le 1627 1630Ma (8) grand : grande 1557B 1588-89 1672 1981EB, grand' 1649Ca 1650Le 1668 (9) sereyne : Sereine 1588-89 1644 1650Le 1650Ri 1665 1668 1672, Sereines 1653 (10) sa suitte : suyte 1588-89, sa Suite 1672 (11) port : Port 1672 (12) Combat : Combats 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 (13) poulssés 1555 1840 : poulsés 1557U 1557B 1568A 1568B, pouses 1590Ro, Poussez 1653 1665, poussez &italic(){T.A.Eds.} (14) puissance souueraine : Puissance Souveraine 1672 **校訂  [[ピエール・ブランダムール]]は1行目を A Tour Jean gardes seront... とし、4行目前半を Combats poulsez : と校訂している((Brind'Amour [1996]))。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]はそれを踏襲し、[[リチャード・シーバース]]もその読みを取り入れて英訳している。[[ピーター・ラメジャラー]]は A Tour Jean は受け入れているようだが、残りの点については英訳からは判断しがたい。 少なくとも、1行目の動詞 seront が三人称複数を示しているので、gardes と複数にするのは適切である。  Tour Jean については、ブランダムールの校訂は妥当だろう。[[エヴリット・ブライラー]]は英訳からすれば A Tour, Giens としていたが、これは特に追随する論者はいない。 *日本語訳 ジャンの塔に炯眼の歩哨たちがいて、 遠くにやんごとなき貴人を見つけるだろう。 その御方と侍従たちが港に入るだろう、 「悶着を退けよ、至上の権力 (の御成り)である」と。 **訳について  1、4行目は[[ピエール・ブランダムール]]の校訂と釈義を踏まえた。1行目は1555の原文のまま意味が通るように訳すのは困難である。  2行目「やんごとなき貴人」 la grand(e) sereine は女性形だが、敬意表現だとすればこの対象が女性とは限らない。ブランダムールの釈義では sa Majesté sérénissime (陛下) となっており、高田・伊藤訳のように「殿下」とまとめてしまう方が妥当かもしれないが、後述するようにモデルが「陛下」「殿下」でない可能性も指摘されているので、あえて表現を変えた。ただ、当「大事典」のように grande を名詞として sereine を形容詞と捉える場合、それは女性に限定されることになる。なお、sereine (静謐な、晴朗な) を「やんごとなき」と訳すのはやや強引だが、その派生語が身分の高い人物への敬意表現として使われることを踏まえた。  4行目はブランダムールの校訂を受け入れた場合でも poulsez は古い綴り方なので、現代式に直したときに poussés (受動態)とするのか、poussez (二人称複数に対する命令法)とするのかで意味が変わる。[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳の「押し退けられし戦闘」((高田・伊藤 [1999] p.126))、[[ピーター・ラメジャラー]]の War banished((Lemesurier [2010] p.113))は前者で理解したものだろう。当「大事典」はブランダムールの釈義、[[リチャード・シーバース]]の英訳を踏まえて後者で訳した。  4行目全体を(おそらく侍従たちの)発言として理解するのもブランダムールの釈義(«Repoussez les disputes ! Place à la puissance souveraine ! »((Brind'Amour [1996] p.213)))に従ったものであり、シーバースの英訳でも (発言を意味する引用符などはないが) その読みが取り入れられている (Halt quarrels : make way for sovereign power.((Sieburth [2012] p.43)))。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1・2行目 「トールやジィエンで刺すような目で/見張人はずっとまえに王女をさがし」((大乗 [1975] p.74。以下、この詩の引用は同じページから。))は部分的に不適切。「トールやジィエン」は元の A. Tours, Jean (Gien) を尊重したものとして理解でき、また、「刺すような目で」も直訳として正しい。garde (s) は1行目にあるが、「見張人」を2行目に回したのは行ごとのバランスに配慮したものと考えれば理解できる。  ただし、 de loing を「ずっとまえに」と訳すのは不適切。それが「港に入るずっと前のかなり遠くにいる時点で」の意味なら間違っていないが、de loin の一般的な意味である「遠くから」を避けて曖昧にする必然性がない(de loin は時間的には「昔から」の意味)。また、la grand(e) sereine を「王女」とするのは限定的にすぎる。なお、元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳に引き摺られたのかもしれないが、ロバーツは the great queen と訳していた。これはこれで不適切だが、女王(王妃)を大乗訳が王女にした理由がよく分からない。さらに、「さがし」では、découvrir の本来の意味である「見つける」のニュアンスからやや離れる。  4行目「そして力を得て統治力で突進するだろう」は意味不明。ロバーツの英訳は By the fight shall be thrust out the reigning power.((Roberts (1947)[1949] p.47))(君臨する権力は戦闘によって追い出されるだろう)で、ロバーツが採用している poussez の訳としてはありえない(単複が一致しないので poussez の主語に puissance をとることはできない)のだが、大乗訳よりは意味が通じている。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「トゥールとジャンで鋭く見張る眼が警戒されよう」((山根 [1988] p.82。以下、この詩の引用は同じページから。))は garde を gardés と校訂すれば成立する訳。  2行目「それらが遠く離れて殿下の動静を窺う」は不適切だろう。上述の通り、de loin の直訳は「遠くから」、découvrir の直訳は「発見する」なので、ニュアンスがかなり違っている。  4行目「戦闘に参加し 最高の権力」は poussez を「参加し」にする理由が不明。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、1行目の garde をジェルジョー (Gergeau) に書き換える大胆な修正をした上で、トゥール、ジアン、ジェルジョーはいずれもロワール川沿いの都市で、2行目の「やんごとなき貴人」はロワール川の美称のようなものとした。その上で、それらの都市が国王と戦うことを描写しており、過去にあったことならばフランス宗教戦争の予言だったが、未来に起こる可能性もあると解釈した((Garencieres [1672]))。なお、ジェルジョーという町はフランスにない。ロワール川沿いということなら、おそらくそれはジャルジョー (Jargeau) の綴りの揺れだろう。  [[アンリ・トルネ=シャヴィニー]](1860年)はフロンドの乱についてと解釈した((Torné-Chavigny [1860] p.31))。  彼ら以外では20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[シャルル・ニクロー]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)は「超自然的な宗教に取って代わるべく据えつけられた理性の女神が、文化の中心地に近づく」(The Goddess of Reason, installed to replace supernatural religion, approaches the centers of Culture)((Roberts (1947)[1949] p.47))とだけコメントした。簡潔だが、普通大文字の「理性の女神」といえば、フランス革命期の理性の祭典で設定された女神を指すので、その祭典の情景と解釈したのだろう。なお、[[日本語版>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]で「理性の女神は超自然的宗教にもどすべく立ちあがり、大都市に近づいていく」とあるのは史実と正反対になっており、誤訳である。  ロバーツ自身の解釈は、のちに[[娘>リー・ロバーツ・アムスターダム]]夫婦の改訂(1982年)では、フォークランド紛争(1982年)に関する予言とする解釈に差し替えられた((Roberts (1947)[1982], Roberts (1947)[1994]))。  [[エリカ・チータム]](1973年)はカトリーヌ・ド・メディシスが王太后として権勢を振るった時期と重なるユグノー戦争と解釈した((Cheetham [1973]))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)は後半2行だけ採り上げ、ノルマンディ上陸作戦と解釈した((Hutin [1978]))。しかし、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では当てはめる時期の分からない詩とするコメントに差し替えられた((Hutin (2002)[2003]))。 *同時代的な視点  [[エヴリット・ブライラー]]は1行目前半を「ジアン (Giens) の塔にて」と読み替えた。Gien と違い、Giens は[[トゥーロン]]近郊の地中海に突き出た半島の名前である。そして、la grand sereine は La Serenissima の異名をとった[[ヴェネツィア]]と解釈した。つまり、この詩はヴェネツィア海軍が南仏侵攻を企てるが撃退される、という情景を描いていることになる。  ブライラーはもう一つ、カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアからフランス王家に嫁いだ際に、マルセイユから上陸したことと結びつく可能性も挙げていた((LeVert [1979]))。  そして現在では、むしろブライラーが付随的に挙げていた可能性のほうが定説化している。  [[ピエール・ブランダムール]]の校訂に登場するジャンの塔(Tour Jean)とは、マルセイユの旧港の入り口に今も残り、12世紀にまで遡るサン=ジャン要塞(Fort Saint-Jean) の見張り塔を指すと考えられている。実際、当時の記録でもその塔をサン=ジャン塔 (Tour Saint-Jean) と表記している例があることを、ブランダムールは指摘している。  となれば、詩の情景は読んだままとなるだろう。1533年、マルセイユの見張り塔の歩哨は、船がまだ遠いうちからその姿を目敏く見つける。そしてその船で入港したカトリーヌ・ド・メディシス、その親族で同行した教皇クレメンス7世のために、道をあけよと布告される。そういう情景だろう((cf. Brind'Amour [1996]))。  この解釈は[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[ブリューノ・プテ=ジラール]]、[[リチャード・シーバース]]が多少の差はあれども踏襲している((高田・伊藤 [1999]、Lemesurier [2010], Clébert [2003], Petey-Girard [2003], Sieburth [2012]))。  なお、2行目で単数で語られる貴人が誰かについては、これらの解釈では明言されていないことが多い。クレベールはカトリーヌとクレメンス7世それぞれの可能性を挙げている。確かに「至上の権力」という言葉は、当時のカトリーヌにはいささか過大に思えなくもない。カトリーヌの結婚相手は確かにフランス国王[[アンリ2世]]となったが、結婚当時はアンリの兄フランソワが存命であったため、カトリーヌの地位は第二王子の妃にすぎなかったからである。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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