詩百篇第8巻38番

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[[詩百篇第8巻]]>38番* *原文 Le Roy de Bloys dans Auignon regner Vne autre foys&sup(){1} le peuple [[emonopolle]]&sup(){2}, Dedans le Rosne par murs&sup(){3} fera baigne&sup(){4}r Iusques à cinq le dernier pres&sup(){5} de [[Nolle]]&sup(){6}. **異文 (1) Vne autre foys : vn autrefois 1572Cr, Vn autre fois 1590Ro 1650Mo 1716PRc, Vue auire fois 1611A, Vne auire fois 1611B, Vne autrefois 1627Ma 1627Di, Un autrefois 1672Ga (2) emonopolle : en monopole 1650Le 1667Wi 1668, émenopolle 1653AB 1665Ba 1720To (3) murs : meurs 1611B 1981EB (4) baigner : bagner 1627Ma 1627Di (5) pres : pers 1606PR 1607PR 1610Po 1650Ri 1716PR (6) Nolle : Nole 1644Hu 1650Ri 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga *日本語訳 [[ブロワ]]の王が[[アヴィニョン]]で君臨する。 今一度、人々は陰謀の中に。 [[ローヌ川]]で壁によって水浸しにするだろう、 五まで。最後のものはノルの近くで。 **訳について  既存の訳も踏まえてコメントしておく。  2行目について。山根訳「ふたたび民は血にまみれる」((山根 [1988]))は、emonopolle の解釈によってはありうる訳(ただし近年の通説とは異なる)。  大乗訳「ほかのときに人々はつぶやき」((大乗 [1975] p.239))は、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳(これ自体が[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の英訳の転用)を直訳したものだが、語源的根拠が不明。  3行目。動詞 fera が3人称単数のため、それを踏まえて主語を補う方が分かりやすいが、le Roy と le peuple のどちらを受けているのかを特定しかねるので、あえて原文通り主語を省略している。  4行目について。山根訳「五回まで ノーユに近い最後の者」は、誤訳と言い切れないが不適切ではないか。この場合の le dernier は直前の cinq(5つ)のうちの「最後」と見るべきだろうからだ。  その意味で大乗訳や山根訳のように cinq fois(5回)と見なすのは、的外れでないように思える。  なお、フランス語で Nolle という綴りを「ノーユ」と読むことはない(Noille という綴りなら「ノイユ」と読むことは可能)。 *信奉者側の見解  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、近未来の戦争においてフランス王アンリ5世が君臨し、アヴィニョンを首都とする予言とした((Fontbrune [1980/1982]))。  [[セルジュ・ユタン]]はヴァロワ家の血を引く未来の大君主の予言ではないかと解釈していたが((Hutin [1978]))、ユタンの本の補訂を行った[[ボードワン・ボンセルジャン]]はフランス革命の予言と解釈した。  彼は le peuple emonopolle を根拠を示さずに「共和政」と解釈し、フランス革命期にアヴィニョンがフランス領となることと共和政になることが見事に予言されているとした((Hutin [2002/2003]))。  [[パトリス・ギナール]]は1574年、即位間もない国王アンリ3世の事績に関する予言と解釈した((Guinard [2011]))。 *同時代的な視点  詩の概要はある程度理解しやすいものである。  フランスの王がアヴィニョン(当時教皇領)を併合しようとすることで、アヴィニョン住民の反発を招き、それが(鎮圧しようとした王によって、もしくは陰謀を企んだ民衆によって引き起こされた)「壁」の細工による人為的な水害に繋がる。その水害は5度にわたり、最後のものはノル(Nolle)という場所にまで被害が及ぶ(またはノルをノエルと解釈するなら、「最後のものは本来安寧に過ごすべきクリスマスの時期に起こる」)。  おおよそ以上の通りだろう。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、『[[ミラビリス・リベル]]』に収録された聖セゼールの予言との共通性を指摘している((Clébert [2003]))。  そこでは、ブロワの王が教皇の都市(アヴィニョン)に王座をおくという予言があるからだ。  [[ピーター・ラメジャラー]]も『ミラビリス・リベル』と関係がある可能性を示している((Lemesurier [2003]))。 *その他  詩の解釈それ自体よりも、1行目が[[詩百篇第8巻52番]]と全く同じことによって有名な詩である。 (当「大事典」では、1行目の訳は文脈を考慮してそれぞれ少し変えているが、原文は全く同じ)  偽作説を唱える[[ジャック・アルブロン]]は、1行目の使い回しに偽作者の杜撰さの表れを見出している((Halbronn [2001] p.108))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
[[詩百篇第8巻]]>38番* *原文 Le Roy de Bloys dans Auignon regner Vne autre foys&sup(){1} le peuple [[emonopolle]]&sup(){2}, Dedans le Rosne par murs&sup(){3} fera baigner&sup(){4} Iusques à cinq le dernier pres&sup(){5} de [[Nolle]]&sup(){6}. **異文 (1) Vne autre foys : vn autrefois 1572Cr, Vn autre fois 1590Ro 1650Mo 1716PRc, Vue auire fois 1611A, Vne auire fois 1611B, Vne autrefois 1627Ma 1627Di, Un autrefois 1672Ga (2) emonopolle : en monopole 1650Le 1667Wi 1668, émenopolle 1653AB 1665Ba 1720To (3) murs : meurs 1611B 1981EB (4) baigner : bagner 1627Ma 1627Di (5) pres : pers 1606PR 1607PR 1610Po 1650Ri 1716PR (6) Nolle : Nole 1644Hu 1650Ri 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga *日本語訳 [[ブロワ]]の王が[[アヴィニョン]]で君臨する。 今一度、人々は陰謀の中に。 [[ローヌ川]]で壁によって水浸しにするだろう、 五まで。最後のものはノルの近くで。 **訳について  既存の訳も踏まえてコメントしておく。  2行目について。山根訳「ふたたび民は血にまみれる」((山根 [1988]))は、emonopolle の解釈によってはありうる訳(ただし近年の通説とは異なる)。  大乗訳「ほかのときに人々はつぶやき」((大乗 [1975] p.239))は、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳(これ自体が[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の英訳の転用)を直訳したものだが、語源的根拠が不明。  3行目。動詞 fera が3人称単数のため、それを踏まえて主語を補う方が分かりやすいが、le Roy と le peuple のどちらを受けているのかを特定しかねるので、あえて原文通り主語を省略している。  4行目について。山根訳「五回まで ノーユに近い最後の者」は、誤訳と言い切れないが不適切ではないか。この場合の le dernier は直前の cinq(5つ)のうちの「最後」と見るべきだろうからだ。  その意味で大乗訳や山根訳のように cinq fois(5回)と見なすのは、的外れでないように思える。  なお、フランス語で Nolle という綴りを「ノーユ」と読むことはない(Noille という綴りなら「ノイユ」と読むことは可能)。 *信奉者側の見解  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、近未来の戦争においてフランス王アンリ5世が君臨し、アヴィニョンを首都とする予言とした((Fontbrune [1980/1982]))。  [[セルジュ・ユタン]]はヴァロワ家の血を引く未来の大君主の予言ではないかと解釈していたが((Hutin [1978]))、ユタンの本の補訂を行った[[ボードワン・ボンセルジャン]]はフランス革命の予言と解釈した。  彼は le peuple emonopolle を根拠を示さずに「共和政」と解釈し、フランス革命期にアヴィニョンがフランス領となることと共和政になることが見事に予言されているとした((Hutin [2002/2003]))。  [[パトリス・ギナール]]は1574年、即位間もない国王アンリ3世の事績に関する予言と解釈した((Guinard [2011]))。 *同時代的な視点  詩の概要はある程度理解しやすいものである。  フランスの王がアヴィニョン(当時教皇領)を併合しようとすることで、アヴィニョン住民の反発を招き、それが(鎮圧しようとした王によって、もしくは陰謀を企んだ民衆によって引き起こされた)「壁」の細工による人為的な水害に繋がる。その水害は5度にわたり、最後のものはノル(Nolle)という場所にまで被害が及ぶ(またはノルをノエルと解釈するなら、「最後のものは本来安寧に過ごすべきクリスマスの時期に起こる」)。  おおよそ以上の通りだろう。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、『[[ミラビリス・リベル]]』に収録された聖セゼールの予言との共通性を指摘している((Clébert [2003]))。  そこでは、ブロワの王が教皇の都市(アヴィニョン)に王座をおくという予言があるからだ。  [[ピーター・ラメジャラー]]も『ミラビリス・リベル』と関係がある可能性を示している((Lemesurier [2003]))。 *その他  詩の解釈それ自体よりも、1行目が[[詩百篇第8巻52番]]と全く同じことによって有名な詩である。 (当「大事典」では、1行目の訳は文脈を考慮してそれぞれ少し変えているが、原文は全く同じ)  偽作説を唱える[[ジャック・アルブロン]]は、1行目の使い回しに偽作者の杜撰さの表れを見出している((Halbronn [2001] p.108))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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