百詩篇第2巻6番

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*原文 Aupres&sup(){1} des portes&sup(){2} & dedans deux cités&sup(){3} Seront deux fleaux&sup(){4} onques&sup(){5} n'aperceu&sup(){6} vn tel&sup(){7}, Faim dedans peste&sup(){8}, de fer&sup(){9} hors gens boutés, Crier secours&sup(){10} au grand Dieu immortel. **異文 (1) Aupres : Au pres 1557U 1557B 1568A 1590Ro (2) portes : Portes 1672 (3) cités : Citez 1672 (4) fleaux : Fleaux 1672, flaux 1772Ri (5) onques 1555 1589PV 1840 : & onques 1557U 1557B 1568 1588-89 1590Ro 1772Ri, & onc 1597 1600 1605 1610 1611B 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1672 1716, & onq; 1627, onc 1649Ca 1650Le 1668 (6) n'aperceu : n'apperceur 1597 1627, n'apperçeut 1600 1610 1644 1650Ri 1653 1665 1716 (7) vn tel : tel 1611B 1660 (8) peste : Peste 1672 (9) de fer : de 1589PV, de Fer 1672 (10) secours : secour 1653 1665 (注記)1611Aは比較していない。 *日本語訳 二つの都市の門の近くと市内とで、 決して見られたことがないような二つの災禍があるだろう。 内部で飢餓と[[悪疫]]があり、剣によって外に出された人々は、 不死にして偉大なる神に救いを求めて叫ぶだろう。 **訳について  大乗訳は細部はともかく基本的には問題ない。山根訳もおおむね問題はないが、最大の論点はその1行目「港の近く 二つの市のなかで」((山根 [1988] p.78))だろう。  この訳は、[[エリカ・チータム]]の英訳 Near the harbour and in two cities...((Cheetham [1973] p.74)) のほぼ直訳だが、porte(門)と port(港)は別の語であり、明らかに誤訳である。もっとも、チータムはレオニの英訳なども認識しているので、解釈(後述)に合わせるために確信犯的にそう訳したのだろう。  しかし、[[ピエール・ブランダムール]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[エドガー・レオニ]]、[[エヴリット・ブライラー]]たちは、そのような読み方を支持していない。また、DAF, DMF, LAF などを参照する限りでは、古フランス語や中期フランス語で、porte に「港」という意味があったということもないようである。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は「解釈の必要なし」とだけ注記している((Garencieres [1672] p.60))。  [[ロルフ・ボズウェル]]は、ノストラダムスが porte(門)と port(港)で言葉遊びをしているとして、2つの港町ナントとボルドーがナチスに占領されたことの予言とした((Boawell [1943] p.211))。[[アンドレ・ラモン]]も都市を特定していないものの、同じ時期のフランスの2都市の予言とした((Lamont [1943] p.209))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]や[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、未来の戦いの情景と捉えている。マックスはかなり漠然としか解釈していなかったが、息子の方は近未来のパリとジュネーヴと解釈した((Fontbrune [1938] p.125, Fontbrune [1980/1982]))。  [[エリカ・チータム]]は上の節で見たように「港の近く」と訳し、広島と長崎という二つの海港都市に原子爆弾という未曾有の災害が襲い掛かったことと解釈した。「ペスト」はかつて黒死病とも呼ばれたことに基づき、原爆で黒焦げになった死体を喩えたものとした。  [[ジョン・ホーグ]]は、さらに詩番号の6が、広島での原爆投下の日(8月6日)を示しているとともに、ひっくり返せば9になることから、長崎での投下の日(8月9日)も満たすとしている((Hogue [1997/1999]. なお、ホーグは、この詩が2006年もしくは2026年の核を使ったテロ事件が起こるかもしれないという可能性も示していた。))。  日本でも、[[藤島啓章]]、[[飛鳥昭雄]]、[[アポカリプス21研究会]]などはその解釈を踏襲した。それらにおいては、3行目の dedans peste を「内からの疫病」と理解して、原爆症と結びつけることも行われた((藤島啓章『ノストラダムスの大警告』学研ムーブックス、1989年、p.90 ; アポカリプス21研究会『ノストラダムス大予言の謎』天山出版、1991年、p.41 ; あすかあきお『1999ノストラダムスの大真実・完全版』講談社、pp.28-29)) **懐疑的な視点  「港の近く」はすでに見たように誤訳に立脚している。上の異文の欄からも明らかなように、この部分が「港」(port)になっている古い版は確認できない。もちろん、諸版が一致して誤っている可能性もゼロではないだろうが、都市の内と外を繰り返して対比している文脈には「門」の方がより当てはまる。 *同時代的な視点  文脈からすれば、二つの都市を飢餓とペストが襲うということだろう。当時の人々にとっての[[災厄の三要素]]は「飢餓」「戦争」「ペスト」だった((ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] p.38))。  特定のモデルは指摘されていない。[[高田勇]]・[[伊藤進]]らが指摘するように、当時のフランスではどこでも起こりうる情景であって((高田・伊藤 [1999] pp.118-121))、それだけに特定性が低いということになるのだろう。  「決して見られたことがないような」は災禍の内容ではなく、その規模が非常に大きいことを示したものだろう。  「剣で外に出される」は市内での蔓延を防ぐために追い出される人々のことか。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は籠城戦を想定して、食糧を長持ちさせるための口減らしと病人の排除が行われることと見ている。彼は、災禍の意味を持つ fleaux が、中世のフロワサールの年代記では市門の閂の意味に用いられている例を引用している((Clébert [2003]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は、これを未知の災禍とする見解に近いが、彼の場合、旧約聖書のソドムとゴモラの話を下敷きにしたのだろうと推測している((Lemesurier [2003b]))。実際のところ、この詩の情景描写は、原爆投下を正確に見通していなければ書けないという性質のものではないだろう。  聖書からの転用とみるならば、エゼキエル書からの借用が含まれると見るべきではないだろうか。この詩の3行目の -内部で飢餓とペストがあり、剣によって外に出された人々は、 は、エゼキエル書7章15節の -外には剣、内には疫病、そして飢饉。野にいる者は剣に倒れ、市中の者は飢饉、疫病に呑み尽くされる。(フランシスコ会訳) とモチーフの面で一致する。 *関連項目 -[[災厄の三要素]] ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。 - アウシュビッツとトレブリンカ強制収容所、ワルシャワ・ゲットーを予言している。“剣で追い出された人々”とは、ラインハルト作戦で、ワルシャワ・ゲットーの住人がトレブリンカ強制収容所に送られて処刑された事や、1943年4月のワルシャワ・ゲットー蜂起を意味している。ゲットーの環境は劣悪であり、その作戦までに約8万3000人のユダヤ人が伝染病や飢餓によってゲットー内で命を落とした。 -- とある信奉者 (2013-02-04 19:10:39) - この詩篇のモデルになった事件は1097年10月~1098年6月の十字軍のアンティオキア攻囲戦とこの翌年のエルサレム攻囲戦では? 十字軍側は疫病に罹り多くの兵や馬が死に、1098年末には食糧不足で人肉食事件まで起こった。エルサレム攻囲戦ではイスラム教徒、ユダヤ教徒のみならず東方正教会や東方諸教会のキリスト教徒まで殺害した。正教会、非カルケドン派など各教派のエルサレム総主教たちは追放され、カトリックの総大司教が立てられた。 -- とある信奉者 (2013-02-05 19:01:06) #comment
*原文 Aupres&sup(){1} des portes&sup(){2} & dedans deux cités&sup(){3} Seront deux fleaux&sup(){4} onques&sup(){5} n'aperceu&sup(){6} vn tel&sup(){7}, Faim dedans peste&sup(){8}, de fer&sup(){9} hors gens boutés, Crier secours&sup(){10} au grand Dieu immortel. **異文 (1) Aupres : Au pres 1557U 1557B 1568A 1590Ro (2) portes : Portes 1672 (3) cités : Citez 1672 (4) fleaux : Fleaux 1672, flaux 1772Ri (5) onques 1555 1589PV 1840 : & onques 1557U 1557B 1568 1588-89 1590Ro 1772Ri, & onc 1597 1600 1605 1610 1611B 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1672 1716, & onq; 1627, onc 1649Ca 1650Le 1668 (6) n'aperceu : n'apperceur 1597 1627, n'apperçeut 1600 1610 1644 1650Ri 1653 1665 1716 (7) vn tel : tel 1611B 1660 (8) peste : Peste 1672 (9) de fer : de 1589PV, de Fer 1672 (10) secours : secour 1653 1665 (注記)1611Aは比較していない。 *日本語訳 二つの都市の門の近くと市内とで、 決して見られたことがないような二つの災禍があるだろう。 内部で飢餓と[[悪疫]]があり、剣によって外に出された人々は、 不死にして偉大なる神に救いを求めて叫ぶだろう。 **訳について  大乗訳は細部はともかく基本的には問題ない。山根訳もおおむね問題はないが、最大の論点はその1行目「港の近く 二つの市のなかで」((山根 [1988] p.78))だろう。  この訳は、[[エリカ・チータム]]の英訳 Near the harbour and in two cities...((Cheetham [1973] p.74)) のほぼ直訳だが、porte(門)と port(港)は別の語であり、明らかに誤訳である。もっとも、チータムはレオニの英訳なども認識しているので、解釈(後述)に合わせるために確信犯的にそう訳したのだろう。  しかし、[[ピエール・ブランダムール]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[エドガー・レオニ]]、[[エヴリット・ブライラー]]たちは、そのような読み方を支持していない。また、DAF, DMF, LAF などを参照する限りでは、古フランス語や中期フランス語で、porte に「港」という意味があったということもないようである。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は「解釈の必要なし」とだけ注記している((Garencieres [1672] p.60))。  [[ロルフ・ボズウェル]]は、ノストラダムスが porte(門)と port(港)で言葉遊びをしているとして、2つの港町ナントとボルドーがナチスに占領されたことの予言とした((Boawell [1943] p.211))。[[アンドレ・ラモン]]も都市を特定していないものの、同じ時期のフランスの2都市の予言とした((Lamont [1943] p.209))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]や[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、未来の戦いの情景と捉えている。マックスはかなり漠然としか解釈していなかったが、息子の方は近未来のパリとジュネーヴと解釈した((Fontbrune [1938] p.125, Fontbrune [1980/1982]))。  [[エリカ・チータム]]は上の節で見たように「港の近く」と訳し、広島と長崎という二つの海港都市に原子爆弾という未曾有の災害が襲い掛かったことと解釈した。「ペスト」はかつて黒死病とも呼ばれたことに基づき、原爆で黒焦げになった死体を喩えたものとした。  [[ジョン・ホーグ]]は、さらに詩番号の6が、広島での原爆投下の日(8月6日)を示しているとともに、ひっくり返せば9になることから、長崎での投下の日(8月9日)も満たすとしている((Hogue [1997/1999]. なお、ホーグは、この詩が2006年もしくは2026年の核を使ったテロ事件が起こるかもしれないという可能性も示していた。))。  日本でも、[[藤島啓章]]、[[飛鳥昭雄]]、[[アポカリプス21研究会]]などはその解釈を踏襲した。それらにおいては、3行目の dedans peste を「内からの疫病」と理解して、原爆症と結びつけることも行われた((藤島啓章『ノストラダムスの大警告』学研ムーブックス、1989年、p.90 ; アポカリプス21研究会『ノストラダムス大予言の謎』天山出版、1991年、p.41 ; あすかあきお『1999ノストラダムスの大真実・完全版』講談社、pp.28-29)) **懐疑的な視点  「港の近く」はすでに見たように誤訳に立脚している。上の異文の欄からも明らかなように、この部分が「港」(port)になっている古い版は確認できない。もちろん、諸版が一致して誤っている可能性もゼロではないだろうが、都市の内と外を繰り返して対比している文脈には「門」の方がより当てはまる。 *同時代的な視点  文脈からすれば、二つの都市を飢餓とペストが襲うということだろう。当時の人々にとっての[[災厄の三要素]]は「飢餓」「戦争」「ペスト」だった((ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] p.38))。  特定のモデルは指摘されていない。[[高田勇]]・[[伊藤進]]らが指摘するように、当時のフランスではどこでも起こりうる情景であって((高田・伊藤 [1999] pp.118-121))、それだけに特定性が低いということになるのだろう。  「決して見られたことがないような」は災禍の内容ではなく、その規模が非常に大きいことを示したものだろう。  「剣で外に出される」は市内での蔓延を防ぐために追い出される人々のことか。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は籠城戦を想定して、食糧を長持ちさせるための口減らしと病人の排除が行われることと見ている。彼は、災禍の意味を持つ fleaux が、中世のフロワサールの年代記では市門の閂の意味に用いられている例を引用している((Clébert [2003]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は、これを未知の災禍とする見解に近いが、彼の場合、旧約聖書のソドムとゴモラの話を下敷きにしたのだろうと推測している((Lemesurier [2003b]))。実際のところ、この詩の情景描写は、原爆投下を正確に見通していなければ書けないという性質のものではないだろう。  聖書からの転用とみるならば、エゼキエル書からの借用が含まれると見るべきではないだろうか。この詩の3行目の -内部で飢餓とペストがあり、剣によって外に出された人々は、 は、エゼキエル書7章15節の -外には剣、内には疫病、そして飢饉。野にいる者は剣に倒れ、市中の者は飢饉、疫病に呑み尽くされる。(フランシスコ会訳) とモチーフの面で一致する。 *関連項目 -[[災厄の三要素]] ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - アウシュビッツとトレブリンカ強制収容所、ワルシャワ・ゲットーを予言している。“剣で追い出された人々”とは、ラインハルト作戦で、ワルシャワ・ゲットーの住人がトレブリンカ強制収容所に送られて処刑された事や、1943年4月のワルシャワ・ゲットー蜂起を意味している。ゲットーの環境は劣悪であり、その作戦までに約8万3000人のユダヤ人が伝染病や飢餓によってゲットー内で命を落とした。 -- とある信奉者 (2013-02-04 19:10:39) - この詩篇のモデルになった事件は1097年10月~1098年6月の十字軍のアンティオキア攻囲戦とこの翌年のエルサレム攻囲戦では? 十字軍側は疫病に罹り多くの兵や馬が死に、1098年末には食糧不足で人肉食事件まで起こった。エルサレム攻囲戦ではイスラム教徒、ユダヤ教徒のみならず東方正教会や東方諸教会のキリスト教徒まで殺害した。正教会、非カルケドン派など各教派のエルサレム総主教たちは追放され、カトリックの総大司教が立てられた。 -- とある信奉者 (2013-02-05 19:01:06)

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