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    <title>資料/人口の推移</title>
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      *資料/人口の推移

出典は明らかではないが、石川英輔著の『江戸人と歩く東海道五十三次』では下記の通り。
&gt;江戸期直前の一六〇〇年頃は、推定一二〇〇万乃至一三〇〇万人程度だったのが、はじめて公式に人口統計をとった一七二〇年代には、三一〇〇万人ぐらいになっていた。一二〇年間に二・五倍近く増えたのだ。


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    <title>年中行事/正月</title>
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      *正月

守貞漫稿より。
一條禅閣の世諺問答に、松は千歳を契り、竹は万代を契る物なれば、年の首、祝ひ事に建侍るべし云々。夫木集、光明峯寺入道の歌に、初春の花の都に松うゑて民の戸とめる千世ぞしらるゝ。故実拾要抄に、禁中並堂上諸家中も、正月門に松不飾なり。於諸家中、注連を引なり。於禁中、猶不引之也。注連とは、縄に紙をきり垂るもの也云々。



一條禅閣…一条兼良 応永九年～文明十三年（1402～1481）公卿・摂政関白で古典学者。
世諺問答…
光明峯寺入道…光明峰寺入道摂政太政大臣道家（＝九条道家）
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    <dc:date>2011-01-04T23:39:48+09:00</dc:date>
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    <title>年中行事</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/oedo/pages/44.html</link>
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      *年中行事
#lsd(年中行事)

#ls(年中行事)


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    <title>川柳/川傍柳 四篇/戸かくしもかくらの間髭をぬき</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/oedo/pages/21.html</link>
    <description>
      *戸かくしもかくらの間髭をぬき

川傍柳四篇・2
「戸隠し」とは、天の岩戸で天照大神（アマテラス）を引きずり出した力持ちの神、天手力男神（アメノタヂカラオ）の事。信濃の戸隠明神が主祭神としたことから付けられた渾名だそうです。
「かくら」とは神楽。天照大神を岩戸からおびき出すために神楽が演ぜられている間、天手力男神は退屈しのぎに髭を抜いていただろう、という句。

山路閑古によれば、湯屋の番台に座る番頭や遊郭の妓夫台に座る妓夫に擬されているのだとのこと。
番頭は脱衣場の板の間稼ぎを警戒しているのですが、女湯の脱衣場をただ眺めているのも照れくさいので毛抜きで髭を抜いている。また妓夫も妓夫台に座り、客が遊女を見立てるのを油断なく見ている。
この句では、天手力男神の行動をこれら番頭や妓夫と重ねて穿っている面白さがあります。


参考
-[[川柳/誹風柳多留 十六篇/御見たてとよばつて毛ぬき袖へ入]]


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    <title>川柳/誹風柳多留 十六篇/御見たてとよばつて毛ぬき袖へ入</title>
    <link>https://w.atwiki.jp/oedo/pages/22.html</link>
    <description>
      *御見たてとよばつて毛ぬき袖へ入

誹風柳多留十六篇・34
ここで｢お見立てーっ！｣と呼ばわるのは、吉原の妓夫。ぶらぶらと歩く素見の客が自分のところの遊女に目を留めたと見るや否や、こう呼ばって客を捕まえて中へ連れて行くのですね。今でいう、繁華街で聞こえてくる｢一名様ごあんなーい！｣って感じでしょうか。
妓夫台の上で妓夫はちょっと退屈そうにしているらしく、毛抜きで髭を抜いているというのが川柳の世界のお約束のようです。

参考
-[[川柳/川傍柳 四篇/戸かくしもかくらの間髭をぬき]]
　天の岩戸の伝説の天手力男神を、妓夫の仕草と掛けた句。


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    <title>川柳/誹風柳多留 六篇</title>
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      *誹風柳多留 六篇

#lsd(川柳/誹風柳多留 六篇)    </description>
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    <title>川柳/誹風柳多留拾遺 五編/松浦姫涙はみんなしやりになり</title>
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      *松浦姫涙はみんなしやりになり

誹風柳多留拾遺五編・11
松浦姫とは、松浦佐用姫、または単に佐用姫と呼ばれる、現在の佐賀県唐木市の豪族の娘。
二十八代宣化天皇の時代、かねてより恋仲だった（夫婦だった？）大伴狭手彦が新羅に出征する際、鏡山へ登って領巾を振りながら船を見送り、船が遠ざかると呼子・加部島まで行き、そこで七日七晩泣きはらし遂には石となってしまった、という伝説がある。

この句では、身体が石となってしまったのなら、涙はみな砂利にでもなってしまったのだろう、という。

佐用姫が領巾を振ったとされる鏡山は、この伝説から別名領巾振山（ひれふりやま）と呼ばれているのだそうだ。



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    <title>メモ/旅</title>
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      *メモ：旅

-天正三年（1575年）の島津家久の上洛時の日記『家久君上京日記』によると、近世では武家が払うことのなかった渡船賃や関銭を各渡し場や関で支払っている。ある土地の領主から手形を与えられて渡船を無料で利用したことも書かれている。（江戸の旅人たち）
-永正十五年（1518年）伊達植宗の外交僧頤神軒存奭が上洛した折の記録『頤神軒存奭算用状』によると、越後・越中の国境の関で越中守護代椎名氏の案内人の出迎えがあった時でも関所役人に酒代を与えているし、越中の水橋・岩瀬で利用した渡船には渡船賃を支払っている。また、近江の山中関所では礼儀・祝言と称して関銭を支払っている。（江戸の旅人たち）Wikipediaによると、越後・越中の関については、『頤神軒存奭算用状に｢二百文 さかい川のせき｣と書かれているらしい。
-中世末期における旅について、[[中世後期の旅と消費―「永禄六年北国下り遣足帳」の支出と場―&gt;http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/kojima/kensokuchou.html]]がとても興味深いので要チェック。




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    <title>参考文献一覧</title>
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      *参考文献一覧

【川柳】
-川柳集成 校訂：山澤英雄・千葉治（岩波文庫） 初代川柳選の誹風柳多留を初篇～二十四編、索引、初代川柳選句集、誹風柳多留拾遺のセット。古川柳好きには必携の書ですが句解が無いのでとてもとっつきにくいです。
-誹風柳多留 現代教養文庫 句解つきで、私のような初心者にも安心。
-古川柳 著：山路閑古（岩波新書） 古川柳入門に是非。1965年初版の古い本ですが、古びません。
-古川柳おちぼひろい 著：田辺聖子（講談社文庫） 古川柳入門に。私が最初に手に取った本です。

【文化】
-風呂と日本人 著：筒井功（文藝春秋）
-江戸の旅人たち 著：深井甚三（吉川弘文館）
-江戸人と歩く東海道五十三次 著：石川英輔（新潮文庫）

【絵・写真】
-ビゴー日本素描集 編：清水勲（岩波文庫）
-ワーグマン日本素描集 編：清水勲（岩波文庫）
-東京今昔散歩 著：原島広至（中経の文庫）


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    <item rdf:about="https://w.atwiki.jp/oedo/pages/40.html">
    <title>川柳/誹風柳多留 十篇/くらやみへそとおり姫は穴をあけ</title>
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      *くらやみへそとおり姫は穴をあけ

誹風柳多留 十篇・11

そとおり姫とは衣通姫の事。大変美しく、その肌が衣を通して光り輝くほどであったことから衣通姫と呼ばれたという。
記紀に登場するのだが、古事記と日本書紀とで設定が異なる。古事記では允恭天皇の皇女軽大郎女とし、兄の軽太子との禁断の恋に落ちる、いわゆる衣通姫伝説が書かれているのに対し、日本書紀では允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹弟姫（つまり古事記での衣通姫の叔母にあたる）であるとし、允恭天皇に寵愛されたとある。

ここで歌われている衣通姫がどちらであるかは分からないが、その肌が衣を通すように光るのなら、暗闇でも外光が差し込むように光り輝いていただろう、という句。

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