思い出の名無し選手

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思い出の名無し選手 - (2017/02/02 (木) 06:36:54) のソース

ゲームの主役はもちろん有人選手。
そんな中でチームの勝利を手助けし時には有人を差し置いてタイトルまで獲得するなど強烈な印象を残した名無し選手を紹介するページです。
※五十音順


:秋田匡平|やら内科ペナに移管して初の大型名無し。疲労回復F(と弾道1)を除き全ての野手能力がC以上というオールラウンダーで、特にエラー回避はBと使い勝手は抜群であった。ロッテが初期3年でリーグ優勝2度のロケットスタートを切れたのは彼の存在によるところが大きい。実働6年で通算打率は.342、名無しとしては珍しい絶世の安打製造機であった。

:ディフェンスに定評のある池上|当時を知る人も少なくなった今、詳細は謎。スラムダンクのモブキャラか何か?

:エリス|ヤンキースの背番号55といえばゴ●ラ●井ではなくこの人。セールスポイントであったパワーはもちろんS。活躍が期待されたものの、突如発狂し帰国。

:岡野一秀|創成期にロッテに出現した投手。伏兵とあなどっていたが、ストレートと3つの変化球を武器に徐々に能力を伸ばし、5年度は12球団唯一の1点台を記録するなど勝率を除く投手三冠王を獲得。

:カッツェイ|ミートB18にパワーS182のパラとPH+初級○の特殊能力を引っさげて入団した史上最強の助っ人。4番打者として開幕戦で2HRの活躍を見せると、名無し最多のシーズン38本塁打・125打点と打ちまくった。同じ年に入団した5番ケイライン(28本86打点)とのコンビで弱小楽天の得点力を一気に押し上げ、前年Bクラスのチームを2位まで導いたが、家庭の事情により1年で退団した。

:加護敏之|ソフトバンクに颯爽と現れた「あいぼん」。[B]B5のシュートが決め球で、これが通称あいぼんシュートである。直球が良くなく安定感があるとは言えなかったものの、いざ絶好調となると涼しい顔で完封勝利を連発。その落差に魅せられたファンは数知れないという。「あいぼんシュートだけ投げ続けていれば完全試合も可能だった」とも言われる。

:永池禎章|主力選手が相次いで流出、引退し廃墟と化した日ハムが急遽獲得した社会人卒の投手。マサカリ投法からノビのない速球と3つの大きく変化する球、申し訳程度のスライダーを投げる変則技巧派左腕。入団当初はかなりの制球難であったため、奪三振36に対し四死球136という酷い成績を叩き出してしまうなど全く期待されていなかったが、年を経るごとに課題であった制球も含め大きく成長していき最終的にはあいぼんシュートを軸に若干荒れ球気味の150k台の速球と3つの変化球で打たせて取るエースへと成長した。

:ニークロ|ヤクルト在籍3年で退団したと思いきやオリックスに復活し、一躍有名になった。

:藤野繁|大エース永池がチームを去った後日ハムに現れた最高の能力を持つ野手。入団時は30歳でDCBCBAとそこまでパッとしない能力であったものの年が経つにつれ徐々に成長していき、最終年には38歳でありながらBAASSSの能力を持つに至った。エラー持ちであったが圧倒的な守備力によりほぼ無力化し、9年間ショートを務めたにもかかわらず失策は通算でわずか2に抑えてGGを9年連続で獲得した。打撃は能力の割にパッとしなかったものの20本塁打を2度マークするなど非凡な面も見せ、中軸を打ち続けた。その後年齢を理由に引退。知り合いと共に会社を立ち上げ社長に就任したという。

:ペリー|鎖国政策を行うhighpenaに開国を迫るため黒船に乗ってアメリカから神宮にやってきた弱冠24歳の海軍代将。ミートBパワーAPH威圧感初球○の主砲を他球団のスタンドへ打ち込み幕末さながらの混乱へと陥れた。慣れない異国の地ではメンテナンスが十分にできなかったのか徐々に能力は下がっていったものの7年間で178本548打点を挙げる活躍を収め、任務を終えて帰国の途についた。開国できたかどうか定かではないが彼がいた7年の間ヤクルトがBクラスだったことからおそらくは失敗したものと思われる。

:前川俊介|highpena始まって以来の伝説の神名無し。楽天で人知れず力を蓄え、気づいた頃にはスタミナSに先発調整Sと絶倫・無尽蔵としか言いようがない体力、自慢のストレートは最速165km/h、さらに緩急を生かせるHシンカー&スローカーブを操るバケモノと化しており話題になった。2日連続で先発したことも。highpenaの沢村栄治。神様、仏様、スンスケ様。

:ヤストレムスキー|2つのチームに同時に所属して話題に。兄弟だったのだろうか?

:ワン・ヨン|台湾・兄弟エレファンツより巨人に入団。背番号は偉大な打者・王貞治の年間HR数を抜けるようにという期待を込めた56。守備は意外に上手く、月間HR数16本という凄まじい記録を打ち立てるほどの長打力を持ち、三冠王が有望視されていたカスラック(笑)選手と同僚であると同時に壁として立ち塞がる存在だった。ちなみに来日時弱冠22歳。

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