• スレッド_レス番号 01_646-650
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  • 備考 長編,01_631の続き


薄暗い路地の先に光が差し込んだ。その時、姫さんが腕を強く引き叫んだ。

 「とめて!車をとめてください!!」

 タイヤの軋む音ともにピックアップは、つんのめるように停まった。

 徐々にアドレナリンハイから醒めて、恐怖が腹の奥から全身に広がり始めた。
 指が強張ってハンドルから離れない、呼吸が轟音となって耳に届く、脚が震える。
 奥歯を食いしばって耐えていると、姫さんは肩口に顔を伏せて震えだした。

 光に目を細めて先を見晴るかした。おそらくは大きな幹線道路に繋がっているのだろう。
 姫さんはゆっくりと左腕から腕をほどいた。

 「姫さん」

 向き直ると、姫さんは、目元を掌で拭いながら同じように路地の先に目を凝らしていた。
そして、

 「この先を右に行けば、」
 「国境の橋かい?」
 「そうです。」
 「いるかな?」

 姫さんは顔をあげ「見てきます」言った。破れたフロントから乗り出しボンネットを滑
りおり、こんな時でも優雅な足取りで路地を歩いていった。

 ピックアップのエンジン音と、どこかで砲弾が炸裂する重い音だけが響く。
 道の終りから差し込む光が、イスラム風タイルに反射し色とりどりの影を映し、

 そして、薄絹を透かして、女の柔らかな形を淡く浮かび上がらせた。

 成熟しつつあるものの、どこか固さを残す柔らかな女の影は歩いていく。
 路地から右を伺い、そうして影はこちらへ向き直った。

 風にもつれた髪は逆光に虹を飾り、
 整った鼻梁、秀でた額、柔らかな頬を淡い彩りの影に輝かせ、
 珊瑚の唇を柔らかく結び、
 翠の瞳をただ真っ直ぐに向けながら、



 天使――――――



 そして魔法の一瞬は終った。

 姫さんはドアの横に立ち、告げた。

 「います。20人ほどでしょうか、あと」
 「装甲車?」
 「ええ、2台でした。」

 姫さんは、一瞬のためらいの後、言葉を継いだ。

 「もう、ここまでで結構です。」
 「………………」
 「もう、十分です。
  こんなに ―こめかみに柔らかな手の感触― 傷だらけになってしまって…」

647 名前:631、632の続き [sage] 投稿日:2007/01/29(月) 01:00:25 ID:7EU2pqrN
 目を閉じてその声を聞いた。声が潤んでる。顔を見たら、今、見てしまったら。

 「きゃ!何を!!」

 ドアを開き、強引に姫さんを抱き上げて助手席に積み込み、姫さんと目を合わせないよ
うに前だけむいて言った。

 「行くぞ、姫さん」

 思っていたより落ち着いた声が出せて安心した。

 「何故ですか?」

 姫さんの視線を感じる、沈黙の後、姫さんが言葉を重ねた。

 「何故ですか?このようになっ
 「俺は、姫さんが言ったようにオズの話に出てくる臆病なライオンみたいな奴だ。でも
このままじゃいられない。ずっと臆病なままじゃいられない。」

 姫さんの手が左腕に触れ、言葉を捜しているのだろう息遣いが感じ取れた。

 「それに―――」
 「それに?」
 「俺は――日本のサラリーマンだからな。」

 向き直ると姫さんの潤んだ瞳があった。姫さんは俯いてクリーム色の顔をもつれた髪が
その表情を隠した。

 そのまま姫さんは、小さく頭を振り髪を指でかき上げると、ゆっくりと身をよせ

 ――――唇が触れ合った。

 「日本人は、馬鹿なんですね。」

 涙で濡れた瞳で姫さんは微笑んだ。その瞳に笑って応える。

 「馬鹿なのは、日本のサラリーマンさ。」
 「判りました、日本のサラリーマンさん?では――」

 微笑みと涙を含んだ声が応え、柔らかな腕が左腕に絡んだ。

 アクセルを踏み込む。ボロボロのピックアップの応えが路地に響いた。
 ハンドルを撫ぜる。
 お互い苦労するよな。でも、もう少しだけ頑張ってくれ。

 姫さんに向き直って頷いた。姫さんも微笑を浮かべて頷いた。

 クラッチを繋いだ。
 粉塵に汚れ、破片を浴びて凹み、あちこち地金が露出し、銃弾に貫かれた日本製ピック
アップは駆け出す。
 熱い風を切り裂いて薄暗い路地を駆けて駆けて








 光の中へ――――――――――――――――

 揺れる荷台、荷台を覆う幌の破れ目から、陽射しが差し込む。差し込む陽射しは流れて
ゆく埃を暗がりの中に切り出して触れそうな光柱を象つくっていた。

 ぼんやりと目を隣に向けると、姫さんが肩に頭を乗せて眠りこけていた。綺麗な髪が入
り込んできた埃で白っぽくなっていた。

 髪を撫でてみた。埃が舞い上がり、むせた。

 ふと、前に目を向けると、薄汚れたリアウインドウから髭面の爺さんがニヤニヤ笑いに
顔を歪ませてこちらを見ていた。

 苦笑を浮かべて、手を振ると爺さんは窓から姿を消した。その後トラックの速度が落ち
たように感じたのは気のせいだろう。

 ぼんやりと、橋での出来事を思い起こそうとしてみた。だが、どうしてだか記憶には音
がなかった。
 憶えているのは、男達の光る汗。銃口の炎。装甲車の鈍い輝き。車体に踊る火花。
 姫さんに覆いかぶさったときの、姫さんの不思議な香り。

 他には、他には焼けるような陽射しだけが――――

 ピックアップは、橋を突破後1時間ほど走って力尽きた。ただただ真っ直ぐな道が前後
に続く道に降り立って見てみると、どうして走れたのか不思議なほどだった。無数の凹み、
傷、銃痕、ボンネットの隙間からは白い煙が僅かに漏れ、焦げた臭いが漂っていた。

 姫さんはしばらく、愛しおしそうに眺めていたが突然裂けてしまったスカートの一部を
引き裂いて細い指先に巻きつけると、焼けたボンネットに奇妙な図柄を描きはじめた。

 馬と剣となんだろう何かの花の絵柄を描き終えると、姫さんは悪戯の共犯者に見せる茶
目っ気たっぷりな笑顔で宣言してのけた。

 「これで、この車はわたくしの所有となりました。」

 火事場泥棒でくすねてきた車を所有物宣言とは…少々呆れるやらくすぐったいやら。

 「殿下の所有となりましたことを、この車を作った我が国日本のメーカー技術者達も誇
りと思うことでしょう。」

 こちらも少々の皮肉と笑顔で応じた。そうして二人して涙が出るほど笑った。

 川沿いを走って来たのだろう爺さんのトラックに拾われるまで、二人で顔を見合わせて
はくすくす笑いあっていた。

 そうして二人は生き延びた。

 窓から月が見える。

 結局トラック爺さんの知り合いの婆さんの家になんとか交渉の末、交渉したのは姫さん
だが、泊めてもらえることになった。
 娘しかいなかった婆さんは、姫さんに娘の着ていたという古いワンピースをを貸し与え
たものの、こちらには梨のつぶてだった。

 水浴びと洗濯を済ませ、埃やらなにやらを流してなんとかさっぱり。与えられた部屋で
ぼーっとしていた。スーツ下の生乾きのトランクスがどうにも気持ち悪い。

 中庭に面した窓から見上げて、どこでも月は変わらんな、とつまらないことを考えていた。

 と、ドアの外にかすかな気配を感じた。この騒動の間に妙なことが身に付いたもんだ。
 ドアの横に静かに移動。ドアが静かに開き、月明かりだけの室内に影が滲むように入って
きた。
 これは…

 「あの……」
 「姫さん?」
 「っ!」

 息を呑む音が聞こえた。

 「お、驚かさないで下さい。」

 何故か声を潜めながら怒ってみせた。それはこっちの台詞だ、とか思いながら招き入れ
る。
 なんだか、雰囲気が昼間と違った。

 どうしていいのか判らずおろおろと、きょろきょろしてる間に姫さんはふわりとベット
に座ってじっとこちらを見つめた。

 しかたないので、部屋に一つだけの木の椅子に座って、窓の外に目をやった。

 月明かりが照らし出す中、ワンピースを身にまとった姫さんはじっとこちらの顔を見つ
めていた。

 「わたくしは、貴方に謝らなければなりません。」

 何を言い出すんだ、大体謝るっていっても―――多すぎてどれだかわからん。

 「あああれか?俺の飯を勝手に喰ったことか?俺の
 「違います。」

 姫さんは微妙に怒ったようなすねたような表情で遮った。一度うなだれるように俯くと
自分を励ますように敢然と顔をあげ、言った。

 「あなたを、臆病なライオンと言ってしまいました。」

 唖然としていると、姫さんは続けた。

 「あなたは、あなたは、勇敢な人です。
  わたくしが間違っていました。お許し下さい。」

 姫さんが、深々と頭を下げた。原油産出国の、世界でも有数の資産を持つ王家の一族で、
頭も良くて、機転が利いて、美人で、笑った顔が可愛くて、泣いた顔も可愛くて、その姫
さんが。

 「やややややめ――おおお願いです、そそんな
 「教えてください。」

 姫さんは頭をあげると、微笑を浮かべていった。

 「へ?」

 間抜け面だっただろう、きっと。

 「ななな?
 「あの時のことです。何故ですか?」

 耳に声がよみがえった『もう、ここまでで結構です。』それからあの唇に触れた感触。

 「わたくしは、あなたを臆病者と謗り、あなたを傷付けてしまいました。何故ですか?
  貴方の命すらかかっていたのですよ?」

 真っ直ぐな視線を向けてくる姫さんに、真っ白になった頭のままで応えた。

 「一緒に居る間に、姫さんが大事な人になったから。
 「そうじゃなきゃ臆病者のままだったろう。姫さんが俺を臆病者じゃなくした。」

 姫さんの頬を涙がつたいおちた。月明かりの中、姫さんは立ち上がり柔らかな唇を開き、
言葉を発しようとした、が、その珊瑚の唇はついに言葉を紡ぐことなく、

 窓から染み込む夜気が揺れると、姫さんは俺の胸の中にいた。
 そのまま、月の青に光る涙を湛えた瞳を閉ざすと、微かな吐息ととも

 唇が――――触れた。

 姫さんが胸の中に姫さんの胸が胸に姫さんの唇姫さん姫さん――夢?
 何もかもが信じられない中で、壊れないように姫さんの華奢な体を抱きしめた。

 そうしてどのくらいだったのか、判らない時間が過ぎた。

 目を開けても、胸の中によれよれ穴あき肩袖無し血染みまみれのYシャツを握り締めた
姫さんがいた。

 「あなたを、あなたを本物の獅子にかえたのは、わたくしですか?」

 夢じゃない。はらはらと涙を零す翠の瞳もさらさらの黒髪も珊瑚の唇も姫さんだった。

 「姫さんの魔法にかかっちまったんだな、きっと。」

 ぼんやりとそう応えると、姫さんは潤んだ瞳のまま微笑んだ。そして、

 「では、わたくしのライオンさん
  臆病の魔法を解いた差し上げたお礼を、この魔女めに。」

 姫さんはふわりと離れ、窓から零れる月明かりの中に立った。
 白い両腕が、青い光の中で踊るように動いた。

 微かな衣擦れとともに、眩い天使の裸身が顕れた。

 「わたくしを、貴方のものにして下さい。
  わたくしが、貴方を獅子に変えたように、
  わたくしを貴方の女に変えて下さい。」

 天使は珊瑚の唇で甘く告げた




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最終更新:2008年02月14日 00:40