• スレッド_レス番号 01_659-663
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  • 備考 長編,01_656の続き


 「ひ、姫さん――――」

 俺もだ。姫さん、俺も――――

 目を閉ざした。フラッシュバックのように今まで過ごした記憶が吹き抜けた。

 目を開く。

 沈黙に怯えてか、むずかる子供のようにきゅっと優しい力がまわされた腕にこもった。

 「姫さん。」
 「――――」
 「姫さんは、いつも俺に魔法をかけてくれた。」
 「それなら
 「でも――――」

 姫さんは、弾かれるように顔あげて視線をぶつけてきた。
 首にまわされた嫋やかな腕に、柔らかな乳房の感触に、蕩けてしまいそうだった。
 その真っ直ぐで強い視線に、微かにひらいた珊瑚の唇に、甘い息に、根こそぎ持ってい
かれそうだった。

 滑らかな肩に手を置いた。こんなに華奢なんだな、と改めて思った。

 「でも?」

 応えに怯えるように姫さんは俯き肩口に顔を埋めて、震える声で問うた。

 絡んでいた右腕が下り、心臓の辺りを掌がまさぐる。
 指先がボタンに絡んでやがて胸元に肌のぬくもりが伝わった。

 「姫さんの魔法が、姫さんが、俺を強くした。でも、姫さんが――側にいなければ。」

 姫さんが顔を上げた。そうして翠の瞳が涙の湖になった。

 白い指先がまばらな無精髭のあご先を、そして唇をなぞった。涙の湖が溢れて零れ落ち、
言葉も零れる。

 「だから――だからこそ――側に、側に。」

 怯えながらもなお振り絞って真っ直ぐに求める震える声に、折れそうになった。
 珊瑚の唇を白い指でなぞり、その指が再び顎にふれ、唇にふれる。
 その無邪気で妖しい愛撫に痺れてその心地よさに、溺れそうになった。

 「俺は――あなたを守れるようになりたい。その上であなたの前に立ちたい。」
 「いや!いやっ!!今のあなたがいい!!」

 今まで聞いたことのない強い語気ともに、激しく首を振って拒んだ。
 流れる髪が、零れた涙が、月光の雫となって飛び散り、熱い息が咽喉元をくすぐった。

 頬をボロボロのYシャツにすりつけようにして、熱く甘い涙が吐息がシャツに滲み肌を
濡らした。細い指が心臓の上をなぞり、その指が乳首を捉え小さな震えをもたらした。

 「側に…側にいてください…。愛して、愛しています。」

 だからこそ。そう、だからこそ。


 「姫さん、俺は、俺も――――――――――――」


 街のざわめきに流されるようにして、二人で乾いた道を踏みしめてゆっくりと歩いた。
 太陽は中天を過ぎて、なおも空気を熱していた。


 朝、目を覚ますとベッドは空だった。寝覚めてぼーっとしたまま身じろぎすると、無理
な姿勢で眠ったせいか、躯のあちこちが軋んで痛んだ。

 掌には昨夜の幻のような温もりが残っているような気がした。そんなことを考えている
と、ドアが開き、姫さんが普通の顔に普通の声で現れた。

 「目は覚めましたか?朝食の用意も出来ているそうですよ?」

 なぜか奇妙な感じがしたが、今までが普通じゃなかったことに今更、気が付いた。
 何か狐につままれた感じだった。この中東の地にも狐がいるならどんな狐なんだろうか、
などと埒もないことを考えつつ階下へ向った。

 朝食を前にして、妙な空腹を覚えていたせいもありガツガツと喰らった。
 対して、姫さんは王女殿下に相応しい振る舞いで淑やかに朝食をしたためていた。

 姫さんが交渉したとおりに昨日のトラック爺さんが、婆さんの家の目の前で調子っぱず
れのクラクションを鳴らし催促していた。

 ガタガタゴトゴトと、まだ夜気の抜けきらない空気を抜けて行く間、荷台で姫さんと寄
り添って互いの温もりを感じていた。前夜の寝不足も手伝ってか温もりに思わずうとうと
している間、傍らに温かな体温と柔らかな感触を感じていた。

 そうしている間にも陽は高く昇り、街についた。このあたりじゃ一番大きな町だ。
街のはずれにある市場で爺さんを手伝って荷台に積んだ荷物を下ろした。

 その間、姫さんは荷台の端に掛け足をぶらぶらさせてこちらを見ていた。何故かその笑
顔が意地悪く見えたような気がした。


 それから人々が忙しく行きかう街を、二人であてどなく歩いた。

 昼食は、店先で大きな肉を炙ったものを切り出してくれるところで、二人で熱々の肉を、
あふあふはふはふ言いながら喰った。

 店先の電話に並ぶ、人の列を横目に見ながら、二人で目を見合わせては肉をほおばった
顔が面白くて互いに笑った。

 姫さんはあちらこちらに開いた露天商を覗き込んで、恐らくは安物なんだろう装飾品な
んぞを身に飾ってははしゃいでいた。

 「ほら、見てください!なんて……綺麗………」

 何か見つけるたびに、安物の金ぴかをペンダントやら、髪飾りやらを身に着けてはくる
くる廻って花のような笑顔を浮かべて見せた。

 膝の辺りはすっかり擦り切れてたスーツ下のポケットからやはりよれよれのしわくちゃ
の紙幣を溜息とともに掴みだし店の親父に渡すと、姫さんの笑顔が輝いてそっとその安物
を握り締めた。

 通りの看板に目をとめたのか、姫さんが茶を出す店があるといい腕をぐいぐい引っ張っ
て連れて行こうとした。諦め顔でついていった先は思いも寄らず、落ち着いた店だった。

 相も変わらずチンプンカンプンなアラブ語で姫さんが注文した茶を飲んでみたのだが、
一口含んであまりの甘さに噴出しそうになった。
 目を白黒させていると、姫さんが無遠慮にふき出した挙句に、声をあげて笑ってくれや
がって周囲の目を引いてくれたのには閉口した。

 陽が傾き始めた。街の中央、そこは結構な広さの広場だった。

 いつもは市場が立つのだが ―姫さんが聞いた露店の親父の話では― 今日は家畜の無
事と穀物の収穫を感謝するための祭りが催されるとのことで、露店が集まり何処から集ま
ってきたものか多くの人が行き交っていた。

 その中を姫さんと手を繋いで歩いた。肩を触れ合わせるように互いの体温を感じながら。

 どこからかイスラム圏ならではといった感じのエキゾチックでいながら素朴で、どこか
懐かしい音が聞こえてきた。姫さんに聞くと

 「あれはウード、日本の琴に似ています。
  それから一つはタブラと言っていわゆる、太鼓、ですね。」

 その楽曲とざわめきを聴きながら、とりとめない言葉を交わす。

 「貴方の国にも、このような祭りはあるのですか?」
 「ああ、あるよ。」

 幾分、ぶっきらぼうに聞こえてしまったのかも知れない。
 ぷぅうっと頬をふくらせ――――睨まれた。

 ぷいっと横を向くと、小さな声が聞こえた。

 「わたくし、貴方のこと何も知りません。だから―――」

 そこまで聞いて、ちょいちょいと髪をつつくと姫さんは拗ねた顔で向き直った。
 握った手が拙い想いを伝えてくる。握り返して、小さかった頃のこと初めての出来た友達
のことを語った。

 姫さんは、そんな遠い日本での小さな何処にでもある話を真剣にときは笑いを浮かべて、
時に目を潤ませて聞いてくれていた。そうして初めて好きになった女の子のことを話すと、
収まったと思った拗ねた表情が、また現れた。

 ぷーっと膨れた頬をつついて笑うと、翠の瞳を潤ませ、くっきりした細い眉を逆立てて怒
った。怒った顔も可愛らしかった。

 それから広場の中央のかつて交易地として栄えたのだろう遠い昔に設えられた、風化して
摩滅した噴水のある水盤の縁に腰を下ろして話をした。

 「わたくしの――――

 可憐な珊瑚の唇から、訥々と零れ落ちる姫さん自身の、家族、友人、趣味、今まで訪れた
国々での出来事が語られた。
 その時々を思い出してかくるくる変わる姫さんの表情を見ていると、幸せだった。

 最後に一つ、姫さんに意地悪な質問をしてみた。
 姫さんは暮れ行く夕日に染まった顔を伏せて応えたが、聞き取ることは出来なかった。
 答えはもう聞いていたから、聞き返しはしなかった。

 ウードとタブラの楽の音が高まった。

 背を伸ばし立ち上がって、姫さんに向き直り深々と一礼する。
 手を差し伸べて、咳払い。

 「姫さん?」

 姫さんは微笑みを浮かべ、その手に白い手を重ねて応えた。

 「ええ、喜んで。わたくしのライオンさん。」

 ふたりは身を寄せ、手を繋ぐ。

 周囲は擦り切れ汚れたスーツの傷だらけの男と、時代遅れのワンピースの美貌の少女に視線を送った。
 やがて髭面の男達もベールで顔を隠した女達も、笑顔ではやし立てはじめた。

 少女は軽やかに笑顔を振り撒きながら、男は不器用に照れながら。

 兄妹なのか幼い恋人同士なのか、ふたりにならって子供たちが踊りだした。

 ふたりは笑顔を向けた。スーツの男は男の子に、ワンピースの少女は女の子に。

 子供達はくすくす笑いあい、笑顔を返した。女の子はワンピースの少女に、男の子はスーツの男に。

 興を覚えたのか、粋な楽士がその甘い音をいっそう高める。

 風が吹く。
 風が吹く。
 ふたりに風が吹く。

 陽が落ちる。
 落ちる。
 落ちる。

 世界の半分を支配した陽光は、空を有り得ざる朱に染めながら去り。
 世界の半分を所有しに月光は、空を有り得ざる藍に染めながら来る。

 世界の境界にふたりは立ち、踊る。

 道を選び男へと踏み出した青年は、不器用に。
 時を得て女へと踏み出した少女は、軽やかに。

 時代遅れのワンピースを纏った少女は、世界に憂うことなどありはしないかのような微笑んで。
 擦り切れ汚れたスーツを纏った青年は、世界に信じる得るものを見出し旅立つ緊張を浮かべて。

 奏でる楽の音は響きわたる。

 ウードはさらに甘く。
 タブラはさらに激しく。

 踊る――――踊る――――

 繋いだ掌が世界の中心

 踊る――――踊る――――

 笑顔でお互いを照らしながら

 踊る――――踊る――――

 世界を支配し所有するふたりは

 踊る――――踊る――――

 そうして時は尽き、甘く激しい鳴く楽の音が、尽きゆく。

 そうして

 ――――陽は、落ちた――――



 残照が薄闇にかわった。

 広間の周囲にまばらに立つ街路灯の灯りからも外れた水盤の縁、その薄闇の中に、二人
は並んでたたずんでいた。

 人影もまばらになった広間に、風が吹き過ぎた。
 陽が落ちると広場に集っていた人々は、ある者は家へ、ある者は露店をたたみ宿へと、
消えていった。

 広場の向こうに人工の光が瞬いた。

 ヘッドライトは視界の中で大きく眩くなり、目の前にTVでしかお目にかかったことの
ないリムジンが驚くほど静かなエンジン音とともに現れ、停まった。

 朝、町外れの市場の電話で姫さんはもよりの領事館へ連絡していた。

 領事館に元々あったのか、なんとか都合をつけてきたものか。とにかく、姫さん、彼ら
の王女殿下の迎えはやって来た。

 前部ドアが開き、やはり髭面で、どっちが前だか横だかわからない体の厚みの男が3人
降り立った。
 二人が周囲に視線を巡らせながら二人の斜め前方広間を向いて立った。残りの一人が手
に何かを捧げもち、こちらにやって来た。

 姫さんは進み出て、男 ―おそらくは王家の護衛なのだろう― の正面に立つとアラブ
語で、話しかけた。男から何かを受け取ると、姫さんはこちらを振り返ると、唐突に言った。

 「上着を」

 手を差し伸べる姫さんを前に、ぎこちなくスーツの上着を脱いだ。
 ぼろぼろで片袖がちぎれた ―ちぎったのは姫さんだが― Yシャツにやはりぼろぼろ
のスーツの下といった、今まで気にしていなかった有様が急に気になりだした。

 姫さんの手に上着を渡すと、姫さんはそれを背後の男にわたし、男の捧げもっている包
みから、何かを取り出すと踏み出した。

 目の前に立った姫さんが、ふわりと腕を動かすと肩になにかが着せかけられた。

 スーツだった。

 再び背後を振り向くと、男から妙に手触りのいい布地の包みを受け取るとこちらに手渡
し言った。

 「これは今までのお礼です。無論、正式なお礼はいずれ致します。」

 目の前に立つ人は、一国の王女の顔でそう告げた。

 そうして、かわらぬ珊瑚の唇が翠の瞳が、ゆらいでゆらいで。
 震える右手がワンピースのポケットから何かを取り出し、包みを持つ掌に絡み、それを
握らせた。
 あの時と同じように、真正面から見つめる翠の瞳は潤み、珊瑚の唇から漏れる吐息は甘
かった、何かを紡ごうとした唇は微かに震えていた。

 そして姫さんは微笑んで

 「ありがとう、わたくしのライオンさん。そして――――――――――――――――」

 珊瑚の唇から言葉が零れ落ちた、後半は小声のアラブ語だった。

 姫さんは、姫さんと王女殿下を行き来する表情のまま背を向けると車中に、消えた。





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最終更新:2008年02月14日 00:40