- スレッド_レス番号 01_666-668
- 作者
- 備考 長編,01_659の続き
広場のすぐ近く安宿を見つけ、何とか身振り手振りでの交渉が実を結んで部屋の番号を
書いた木の札を渡された。
意外にもしっかりした階段を上り、番号の部屋に入った。
別に疲れているわけでもなかった。だが、全身の力が全て抜け落ちてしまったようだった。
室にはベッドと小さな机、椅子が設えられていた。飯を喰う気分になるはずもなく、灯
りもつけず窓から差し込むわずかに街頭の灯りを頼りに椅子にスーツをかけた。ベッドに
包みをおき広げた。そこにはスーツの下とネクタイ、何故かYシャツは無かった。
投げ出すようにベッドに横たわった。右のポケットに手を突っ込んで幾枚かの紙幣、コ
インと、姫さんが握らせたそれを取り出した。摘み上げて目の前にかざしそれを見つめた。
それは指輪だった台座に乗った見た目より軽い飾りの表面には月と馬と薔薇のが刻みつ
けてあった。指輪を握り締めた手は力なくベットにおかれた。
窓を通して差し込む光は頼りなく薄ら寒かった。
夢を見ていた。天使と獅子の夢だった。
砂漠の大地を踏みしめる足は強く逞しく、たてがみは黒く豊かに風に波打つ。
獅子の傍らには、同じように黒髪を風に靡かせる天使がいた。
柔らかな光をまとう天使は、優しくたてがみを梳いて頬をよせその珊瑚の唇で祝福の
口付けを与える。
天使はしなやかな裸身を獅子の背に添わせると、翼をひろげた。
天使と獅子はひとつになって駆けた。
そうして眼下には見渡す限り広がる砂漠の荒野が。
月と太陽が所有し支配する朱と藍の空、その境界を駆けた。
獅子は思った。どこまでも駆けてゆける。空すら飛べる。
誇りと歓びに吼えた。力の限り吼えた。
その時、その背に在った優しい温もりが遠くなった。
落ちる。荒野へ落ちる。
天使は遠ざかった。
伸ばされた白い手が容赦なく遠ざかる。
翠の瞳からは哀切の涙が、珊瑚の唇からは悲痛な叫びが。
落ちる。
突然の衝撃に目が覚めた。気が付くと床に横たわっていた。どうや眠りこんでしまい、
ベッドから落ちたらしかった。
夢の記憶が抜け落ちてゆき、虚ろな寒さが残った。
見上げた窓からは、中天に上った月の光が差し込んでいた。
目覚めきらない頭のままで半身を起こし、周囲を見渡した。
いなかった。
姫さんは何処にも、いなかった。
頭を振って後味の悪い夢の手触りを追い出し、全身の寒気を脱ぎ捨てた。
のっそりと立ち上がって、椅子にかけた。
窓から差し込む月の光に、姫さんのことを思い浮かべた。
「姫さん、俺は、俺も――――――――――――」
姫さんは息をとめて待っていた、次の言葉を。
「―――愛してる。」
その柔らかな唇から微かな吐息が甘く漏れ、触れ合った。
その口付けは、今までの触れるだけのものとは違い、深く長く、そして、甘かった。
お互い息を交わらせて、唇が離れると微かに濡れた音が響いた。
姫さんの、翠の瞳は陶酔の余韻を漂わせてより深く輝き、珊瑚の唇は歓びの深さに妖し
く濡れていた。
心臓の上をなぞっていた指が動きを止め、最後の問いが紡がれようとした。
「姫さん、俺は姫さんが好きだ。」
その問いを視線で押しとどめ、続けた。
「でも、今の俺じゃ姫さんを守れない―――」
この騒動の始まりから折りに触れて感じ、考えていたことを聞かせた。
頭のよい姫さんに判っていないはずはなかった、
「だから俺、行かなきゃ。このままお互い甘えていたら駄目になっちまう。」
姫さんは、俯いてその黒髪で瞳を隠したまま応えた。
「でももう――わたくしには何も残ってはないのです。」
涙を湛えた翠の瞳が見上げ、戦慄く唇が切なく告げる。
「だから――お願い――側にいて――」
気付いていた『もう、此処まで…ですね。』あの言葉を耳にしたときから。
これが姫さんに残された最後の勇気だった。それを振り絞ってここに立っていた。
でも今、姫さんを自分のものにしてしまったら、二度と離れられなくなる。
応えなければならなかった、でももう限界だった。
言葉は尽きてからっぽだった。
だから、力を込めて抱きしめた。
怖くないように、寂しくないように、勇気を取り戻せるように。
どのくらいの間、そうしていたのか。
姫さんの強張っていた裸身から力が抜けていった。首に廻っていた手が胸におかれると、
柔らかな力がこもり、眩い裸身が離れた。
そして、姫さんは微笑んでみせた。優しく、儚く。
「ごめんなさい。
わたくし、卑怯でした。
あなたに――嫌われてもしかた――ありませんね。」
黙って首を振ると、後ろ手で椅子から上着を取り上げ震える華奢な肩にかけた。
そうして黒髪から小さくのぞく愛らしい耳に顔をよせ、答えを繰り返した。
天使は、今度こそ子供のように泣き出した。
その姿が、愛しかった。
泣き止んだ姫さんをベットに寝かせ、椅子を寄せて話をした。
手を繋いでいて、と言うので仰せのとおり従った。
明日になったら街に行き迎えを呼ぼう、ということになったが、一緒に来いとか行かな
いとか押し問答になった。が、結局姫さんが折れた。
珍しいこともあるもんだと笑ったら、姫さんは拗ねた顔をした。
やがて静かな寝息を立てはじめた姫さんを確かめて、目を閉じた。
繋いだ掌はそのままで。
そんな昨夜から今日一日のことごとを思い浮かべている間に、再び眠りにおちていた。。
今度は、夢は見なかった。
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最終更新:2008年02月14日 00:41