- スレッド_レス番号 02_005-008
- 作者
- 備考 長編,電気料金未払い
「お腹ふくれた?」
女と飯を食う時は必ず男が全額出すべきとは思わないが、
俺は今、女に全額出してもらっている。
助手席の女はうっすら赤い顔をして上機嫌だ。
「じゃあ、借金のカタに例のブツは貰っていくぜ。
まずはアンタの家まで安全運転するんだな」
ドラマに出てくる借金取りを真似て、更に上機嫌だ。
俺は酒を頼む金もない上に、運転手を仰せつかっているので飲んでいない。
会社勤めの固定給じゃない俺にとって、給料日前は惨めなものだ。
俺のアパートに入ると、女は玄関脇の流しに目を向けた。
「いくらお金がないって言っても、これはひどすぎ」
グチグチ説教を始めた隙に、ポストの中をチェックする。
黄色い目立つ紙は、電力会社からのお知らせだ。いつものことなので読まなくても判ってる、
「お支払なき場合は、不本意ながら送電をお断りいたします」だ。
見つからないようにそっと半分折にして、その辺に積んである本や雑誌の間に挟む。
「ま、今日は私のお蔭で栄養補給出来てよかったよね」
情けない話だが、本当のことなので素直に頭を下げる。
女はこちらの懐が寂しくなると飯を奢ってくれて、
「借金のカタ」と言って俺の持ち物を持って行ったり、俺に力仕事をさせたりする。
俺はこの女が好きだが、自分一人養うのもやっとな男に惚れる女なんかいないことは判っている。
「さあて、例のブツを出しやがれ」
女はコンビニの袋から、缶ビールを一本取り出して開けた。まだ飲む気か。袋に入ったままのビールをこちらに寄越した。
「後で飲みなよ」
有難いやら情けないやらで曖昧に返事をした。女を家まで送ったら、味わって飲ませてもらう。
女はその辺に散らかしてある本をめくり出した。俺の仕事絡みの本なので内容が判るとは思えない。案の定、すぐに飽きたようだ。床に寝そべってゴロゴロし始めた。畜生、可愛い。
「もうすぐ誕生日だよね」
覚えててくれて嬉しい。顔がにやける。だが、俺は女に祝ってもらう価値のある男じゃない、忘れててほしい。
「なんで覚えてたら駄目なの?ムカつく」
みっともなくて言えないから、察してくれないかな。
「ねえ、腹筋触らせてよ」
仕事柄、筋肉だけは無駄につくが、自称・筋肉フェチの女はやたらに触りたがる。
「腹筋だけならこんなにカッコイイのに」
本当だな。いつになったら一人前になれるんだろうな。
この女は俺なんかに構ってないで、さっさと稼ぎのいい男と結婚すりゃいいんだ。この女を熱い目で見ている男が、俺の知ってる限りでも一人二人はいる。俺の知らないところにはもっといるだろう。
「お前、さっさといい男捕まえて結婚しろよ」
俺の腹を触っていた手が止まった。
女の手がすっと肩まで上がってきて、女の顔が俺の顔の真正面に来た。
こんな近い位置で顔を見たのは初めてだし、女が見たこともない表情をしているし、固まって動けない。
「そうしていいんなら、そうするよ。いいの?」
いい訳ないんだが、顔は近いし、改めてそんなこと聞かれるし、返事が出来ない。
顔が更に近づいてきて、俺の唇に女の唇が重なった。
俺は目を閉じるどころか、瞬きも出来ず、女のまつげが結構長いのを見ているしかなかった。
女は唇を離すと、俺の胸に顔をうずめた。
俺は抱き寄せるどころか、食事を取り上げられた赤ん坊のように口をパクパクされていることしか出来ず、
女の身体は柔らかくていい匂いで案外胸が大きいと見当外れのことを考えるしかなかった。
「結婚してくれる人がいない訳じゃないんだよ」
女の腕が、俺の背中に回った。
俺はこの女を、好きな女を抱いていいのか?
「他の男にはやらない。でも俺はお前に手を出さない。すぐに一人前になるから、それまで待っててくれ」
俺は女の背中を抱きしめた。女の肩が震えていたが、泣いているのか笑っているのか判らない。
飯もまともに食えない奴が大口叩いてと笑われても構わない。俺はこの女に釣り合う男になる。
「苦しいよ、息出来ない」
言われて初めて、俺は凄い力で締め付けていたことに気づいた。
力を抜いた俺の腕の中で、女は俺の胸に顔をうずめたままだった。
俺は女の髪の毛を撫で続けた。ずっとそうしていた。
女がそろそろ帰るから送って行けと言った時、
女はいつもの借金取りの真似をしているような表情をしていた。
「すぐに一人前になるって言ったけど、こんなもん貰ってるようじゃ、先は長そうだね。
“送電のお断りについて。3月分料金のお支払が遅れております。至急…”」
女の手の中には、電力会社の黄色い紙があった。さっき隠した筈なのに。
やっぱり今の俺には、この女を抱く資格がない。
バグ・不具合を見つけたら? 要望がある場合は?
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最終更新:2008年02月14日 00:45