• スレッド_レス番号 02_193,02_198-199
  • 作者 319 ◆lHiWUhvoBo
  • 備考 長編,小隊長シリーズその8 男装編1


 午前07時30分。黙々と3人分の食事の用意を終え、朝食を前に合掌をした男の左右から具現化されそうな程に鋭利な
視線を浴びせる2対の目があった。右に陣取る音無郁子3等陸曹と左に陣取る少女のものだ。意に介せず早速7分搗きの
米飯を自分の大きめの椀から箸で上げた男に、音無3曹は静かにかつ恨みがましく言葉を浴びせた。

 「……しょ~たいちょお~? 」
 「ん? 何だね音無クン? 眉間に皺を寄せると皺の癖が付くぞ? 」

 米飯を口に入れ、咀嚼(そしゃく)してから飲み込んで男は爽(さわ)やかに答えた。自らに恥じるところなど微塵も無い!
と言わんばかりの眩(まぶ)しく、漢(おとこ)らしい笑顔に思わず頬を弛めかけた音無3曹だが、かろうじて魅惑の無効化に
成功する。朝食の匂いに紛れて、男の身体からオードトワレと女臭がミックスされた残り香が漂ってくるのは許せなかった。

 「もう……笑って誤魔化さないで下さいっ! あの女(オンナ)は小隊長の何なんですかぁっ! 」 
 「わたしも聞きたいですっ! 朝トイレを借りて出て行ったあの女(ヒト)……誰なんです? 」
 「面識は無いよ。ただ出勤中に突然その…なんだ、我慢出来なくなったってな? 」
 「ふうん……。ほぉ~? それで自分に納得しろ、と? しょ~たいちょう? いやさ、く…ああああああああ! 」

 ネタは上がってるんだぞ、と言わんばかりの音無3曹は、ぱっちりとした大きな目を細めて似合わぬいやらしい目付きを
してみせたが、男の箸が音無3曹の分として取り分けてあった茹でたウィンナーに延びた時、目をまんまるに直して叫ぶ。

 「大事なメシん時にな、くだらん事言う奴は没収! 要らないんだろ? ん? 」
 「だからって小隊長の分がまだあるのに、自分の分を取らないで下さいっ! 」
 「毎回頼んでるんだがな、土曜の朝ぐらい静かにメシを食わせてくれ。とイウワケデ、没収! 」
 「あ~! ひっどーい! (…グスン) 」

 サニーサイドアップで焼き上げた目玉焼きに付け合せてあった、3本のウィンナーの内の2本が光の速さで男の口の中へ
消えていった。涙目の音無3曹は黙って食事に戻る。少女はそれを横目で見ながら、黙って箸でホウレン草のお浸(ひた)し
の小鉢に箸を向けるが、音無3曹のような目に遭うのを恐れ、ウィンナーの上に箸を彷徨(さまよ)わせた。男が、動く。

 「痛っ! 」
 「行儀が悪いな? 」

 男の持ち替えた箸の尻でピシリ! 箸を持った右手の甲を打ち据えられる。痣は残らない強さだが、打撃は的確に急所に
ヒットしていた。右手の甲を左手でさする様が痛々しいが、向けられる男の微笑みに魅惑されてつい見惚れてしまう。

 「俺に取られるかも、と思ったのだろうが、迷い箸はいかんぞ? 女性がやると殊更(ことさら)、下品に見える」
 「はい…」
 「そこ! 復讐は10年早いぞ郁子クゥん! ……油断はしない主義なんだ」
 「チッ…流石にやるな千石(センゴク)? この燕陣内(ツバクロ・ジンナイ)の早業を見切るとはな」

 僅かな隙をついて男の目玉焼きをさらおうとした音無3曹の箸を皿ごと持って男は回避した。完全に視界の外にあったはず
なのに気が付いていたのか、と少女が目を丸くする。ふと少女は今の今まで男の名を聞いていなかった事にふと思い至った。

 「センゴクさん、ですか? 」
 「ん? 」
 「その……貴方の……名前」
 「…そういやぁ、まだ君には俺の名前を言ってなかったな? 俺は…」

 男が照れくさげに微笑み、口を開こうとした時、インターフォンが突然アラーム音を上げ、直後に大音量の男とも女とも判別し
難いハスキーヴォイスを食卓に届けていた。その声は男の、名を名乗った口の動きとシンクロニズムの極致にあった。

 『久慈慎之介(クジ・シンノスケ)! 居るか、私だ! キミの一番の親友である、私だ! ……開けてくれ! 話があるっ! 』

 久慈慎之介と名乗った男は自分の名乗りを奪われたのが不服なのか、インターフォンの室内端末のモニタースイッチを
やや乱暴に操作した。仕立ての良いコートとスーツを着た、顎の細い、一見少年にも見える中性的な『男性』の姿だった。
スイッチを押して男はやや意地悪そうにして通話を開始した。音無3曹が背後からモニターを覗き込み、溜息を吐く。

 「【わたし】さんなんざ俺の友人には一人も存在しないんだがなぁ? オタクは、どーなーたーさまぁ?」
 「小隊長ぉ、あんまり意地悪すると平四郎さん、また眉吊り上げて3時間クドクド責めの刑ですよ? いいんですか? 」
 『ああ、郁子ちゃんも居たのか。ならばわ…いや、僕は2番目の来訪者だな? 慎之介、怒ってないから僕を中に入れろ』
 「済まんが矢坂、今、俺はメシの最中だから部屋で待ってもらうがいいか? 」
 『――ああ。それでいい。待ってる』

 スイッチを切り通話を打ち切ると、男は頭をガリガリ頭を掻いてから天を仰ぐと、陸自仕込みの気合の入った『回れ右』を
する。男の予想通りに、少女が箸を下ろしてしょんぼり俯(うつむ)いていた。時折、上目遣(づか)いにチラチラと見ている
のが痛ましい。男は見た者の心に沁み入り融かしてしまうような、爽やかな微笑みを少女に向けた。少女が顔を上げると、
泣いていた。

 「済みません……電話が鳴ってたのでつい…取ってしまって…」
 「心配ないさ。つい、出てしまったんだな? 気にするな。誰だってミスはする」

 コクン、と少女は小さく頷いた。男は少女に歩み寄り、頭にポンと軽く手を置くと、やや乱暴に大きな右手てわしゃわしゃ
撫でた。それから、少女の乱れた髪を優しく梳く。音無3曹はインターホン端末を操作し、カメラを動かして遊んでいた。

 「へ~、平四郎さんには教えてたんだ、ここの電話番号。さすが親友って……? 」
 「わたし……久慈さんに助けてもらって良かった……」

 少女の感極まった泣き声混じりの鼻声に音無3曹が首だけ振り向き、目にした二人の姿に柳眉を逆立て頬を膨らませた。

 「あぁ~!! 小隊長ぉっ! それ、私だけのご褒美だったのにぃ~っ! 」
 「…音無クン、キミもメシの最中だろう? 食事に戻れ。俺は鍵を開けて矢坂を迎えに行く」
 「自分が後で皿洗いしますから、終わったら3分間のナデナデを要求します! 」
 「報酬を要求するのはスマートなやり方じゃないな、郁子クン。当分そいつはお預けだ。以上」
 「え~、そんなぁ! お預け・反対! お預け・反対! 」

 音無3曹の不満げな声を背に男はキッチン兼ダイニングルームを出ると、廊下を歩き玄関へと向かう。鍵は『例の一件』から
オートロックを信用せず『大家さん』に頼んで特別な手動鍵も導入している。だから直接出向かないと開錠が出来ないのだ。
 音無3曹の侵入は…音無3曹がやろうと思えば屋上からでも下からでもベランダの窓から侵入出来る技量を兼ね揃えているの
だが、今回は9割の確率で『大家さん』に預けた鍵を黙って失敬して来たのだろうと男は考えていた。以前それをして無断侵入を
果たしベッドに裸でもぐり込んでいた音無3曹を男が『完全無視の刑』に処したのが、まだかなり良く効いている。

 (響子さん、怒ってるだろうなぁ……)

 男の脳裏には預けられた鍵を胸の前で握り締めて『こうしてわたくしを信用してくださる貴方の思いを…お預かり致します』
と涙を溢れんばかりに溜めて喜んでいた、着物姿の楚々とした純粋培養の、自らこそが日ノ本の誇る大和撫子でございますと
旧家の御当主様然とした姿があった。尋ねて来られて一緒に夕食を作り、御馳走になった後に突然、今日は泊まると言い出して
『今宵こそは夜伽を務めさせて頂きます』との申し出を大変恐縮してお断りしたのを思い出す。そこらへんは―――やはり姉妹だ。

 「慎之介慎之介慎之介慎之介慎之介ぇっ! 僕に無断で少女を部屋に連れ込むなんて、どう弁解するんだ! 」

 鍵を開けると、すぐに勢い良くドアが開かれて暖かいものが胸に飛び込んできた。柑橘系のオーデコロンが香った。男性の大半
が好む香りだ。、真実を知る男には痛々しく、そして可愛く見えてしまう。中性的に見える少年が、背伸びしてマニッシュな雰囲気を
目指してみました、と言われてしまうと納得してしまう外見だった。シャツから少し透けて見える下着も男物でU首だ。

 「……電話では伊織って名乗ってないだろうな? 『殿様』? 」

 暖かいものは男の胸に頬を擦り付けたあと、不安そうに見上げていた。男のように太めに眉を整えてはあるが、見ようによれば
少年に間違えられそうなほどに微妙なものだ。聞けば幼少の頃から男装には年期が入っているんだとは言っていたが、ふとした仕草で
解るようになったのは自覚は無いがどうやら矢坂本人曰(いわ)く『慎之介のせいだぞ! 』との事だが、男には全く身に覚えが無かった。

 「自分の事務所で仕事をしている時、僕は十四代目平四郎だ。…抜かりは無いよ。それよりあれは誰なんだ! 」
 「やっぱマズイか? 俗に言う淫行条例的に……」
 「ああ、自治体独自の青少年健全育成条例に反する。それに刑法よりも何よりも、僕の法に反する! 慣習法じゃないからな! 」
 「何だぁそりゃあ? まあ、入って待っててくれ。……俺はまだあの娘の行くところが無い理由も聞いてない状態なんだ」
 「……本当にキミらしいな、慎之介。僕が大切に思う、キミの大事な所が変わってなくて安心したよ」

 男から矢坂は離れると、ゴシゴシと拳を作り、勢い良く目を擦って涙をぬぐった。大学時代、模擬裁判やディベートで負かすと
いつも悔し涙を流し『次は負けないからな』と睨まれたのを思い出す。大学のゼミの合宿で旅館に行った時も風呂も海水浴も一緒に
なって平気で上半身裸になっていて、共に男性更衣室や男子トイレに入っていた相手が、まさか『女だったんだ』なんて聞かされて、
『見せられて』もまだ信じられなかったほどだ。

 「…尻には気をつけろよ。それに後ろ姿のクビレのラインが出たらわかる奴にはわかる」
 「誰にモノを言っている? 僕は矢坂 平四郎だぞ? 祖父と両親とキミ以外には男で通ってる。安心し給(たま)え」
 「給え言葉は止(よ)しとけ。むしろ似合いすぎてバレるぞ? 」
 「でも、慎之介は好きなんだろう? 」
 「ああ、好きだ。じゃあ、もう僕で通せよ。……不用意に私なんて言うんじゃない。いつか他人にバレるぞ」

 部隊時代、海外に行って帰って来た時に、我慢出来なくなった矢坂に面会に来られて、駐屯地の警戒をつかさどるその日の警衛隊が
運悪く自分の所属する部隊で、勤務中に呼び出されて迎えに行った時、もろに抱き付かれて矢坂に泣かれた所を見られてしまったのが、
部隊での『男色家』扱いの発端であった。噂を広めたのが防大卒の同僚で、一般大出身の男とは反りが合わない仲だったのも影響した。
退職届を提出した後、音無3曹に聞いたら『ああそいつですか? 駐屯地内のWAC(女性陸上自衛隊員)全員一致でシメときました。
小隊長の退職を認めた中隊長もその上も、官品娘のコネ使ってトバしましたから。……小隊長ってかなり、人気あったんですよぉ? 』
ブサイクなら駄目ですがいいオトコ同士なら許せます! と彼女達が力説するのは絶対に間違っている行為だといつも男は思う。

 「…だからあんな意地悪を言ったんだな? 慎之介? ……有難う」
 「んじゃ、そろそろ、ドア閉めようか伊織? ――済まない、平四郎」
 「戸籍上は伊織だから問題無いが、郁子クンの手前、今日は残念だが通しで平四郎だな……」

 悔しそうに唇を噛み目を伏せる矢坂に、男は大学時代のある月夜の晩を思い出す。あの日伊織は同情ならば抱かないでくれ、と言った――。




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最終更新:2008年05月16日 00:58