- スレッド_レス番号 02_225-227
- 作者
- 備考 長編,邪気眼設定の悲哀
月明かりが窓から差し込む、とある宿の一室。
右肘から先のない男は、金色の髪を靡かせる女性の訪問を受けていた。
「ご主人様……、どうか、私の、淫らな窪みをご賞味下さい」
膝下まで緩やかに広がるグレーのロングスカートを両手の指先にて掴むと、羞恥に指を、そして
スカートを奮わせながら上に引き上げていく、1人のメイド。
頬にさす紅をグッと歯を噛むことで耐えるその俯いた顔は、ちっぽけながらも誓った古い決意を
グラグラと揺るがせるかのように刺激し、俺の喉元に妙に大きな唾がしみ出す。
参ったな――舞い上がりそうな嗜好の片隅でそう嘆いてみせることで、なんとか自身の奥底に残る
ちっぽけな意地を奮い立たせようとする。
メイドはドアの前で窓からの月光を湯水のように浴びており、指先はすでに膝上を通過し、引き
上げられたスカートの中から、秘所を覆う白い布地が蛍光を放つように浮き上がる。綺麗だ。
たとえその白生地にじんわりと縦長の染みが彼女の皮膚に張り付いていようと、その輝きは失われ
るはずもない。むしろ、この露出行為へと臨ませた女の芳香が一層増すようで、目を細めてしまう。
この貞淑にして、淫らなメイドの誘惑をはね除けるのは、雄として種なしもいいところ。
俺は、先ほどなけなしにも奮い立たせた意地っ張りな思考回路で、脳内の嘲りに苦笑する。
――まったくだ。心底同意するよ
「まったく――お前は美しいな」
「あ、……ご、ご主人様……うれしい…………」
「きっと、誰の心をも容易く奪うだろう、人間の――俺からさえも」
嘘はない。俺の下半身にたぎる血流は、明らかに雄としての本能を促進している。
すでにメイドの指先は胸下の高さにまで引き上げられ、秘所から熱のこもった上気が1mmにも
満たない下着を湿らせて透けだしている。
心なき女がやれば、路上の売春婦のソレ。
だが今、月明かりの中にいるのは、俺を護り、傅き、労り、慈しみ、尊び、慕い、伴侶以上に
尽くしてくれる存在――たとえそれが「与えられた」忠誠からくるものであってもその価値は
不変にして普遍。
しかし、いや、だからこそ、俺はもう間違いを犯してはならない。
胸の痛み? そりゃあよくあることだ、凡庸な男には。誰とは言わんが。
「そう。だからこそ――見なかったことにする。寝ろ」
「!?」
女の紅をさした頬がグシャッと歪む。
「ではなぜ、私を一瞬でも誉めなさったのです。同情でも、哀れみの果てでさえも、この浅ましい
私にはお情けを戴けないのですか!?」
浅ましい、など。この言葉は実に皮肉。
なぜならそれが似つかわしいのは紛れもなく俺であり、彼女こそ、その対極に位置する種族なのに。
俺は、必死の形相にも関わらず未だ美しさを損なわないその顔に手を伸ばすと、抵抗する暇も
与えぬまま――いや、抵抗する筈もないだろうが――胸の内に抱き止めた。
「主として命ずる。眠りにつき、俺への憂鬱な感情など綺麗さっぱり流してくれ」
俺は卑怯だ、それはとうに自覚している。
ならば、卑怯なりの意地を曲がりくねって通すだけ。
メイドは俺の言葉に身体をビクッと震わせるものの、涙を頬に流しながらも小さな唇を「イヤ」と
微かに奮わせると、意識をフッと遠のかせた。
その瞬間、彼女の肉体から力が抜けてグッと重くのしかかるのを支えると、宿の別室へと運ぶ、
さながら姫のように抱き上げて。
いや、実際に姫なのかも知れない。彼女は高貴なピクシーの種族。そして罪なことに、美しい。
涙で腫れたその頬でさえ庇護欲をかき立てており、忠誠を誓わせる種と化してしまうだろう。
俺はそっと右手を――肘より先のない右手を差しだそうとして苦笑し、左手の頼りない人差し指で
彼女の涙を拭うと、掛け毛布を覆わせた。
この世界は、人間にとって生きづらい。
それもそのはず、種の多様性を司る神様が気まぐれに賽を振ったとしか思えないほど、多種多様な
生物が我が物顔で力を振るっている。超能力やドーピングと言った類の強靱な肉体に得意能力を兼ね
揃えた種族であふれかえるこの世界は、俺達人間にとってまさにデストピアとしか言いようがない。
その、種のヒエラルキーでいう最下層の人間達は、生まれてこの方、集団生活で身を集めて存在を
隠すことにより、多種族の機嫌を損なわずに生き残ってきた。
数百年前から、すでにそうだった。それが人類の歩んだ、迫害と差別の歴史。
そこに俺が生まれる。
凡庸な能力しか授けられない人間の赤ちゃんの1人であったはずの俺は、なぜか他種においても
稀な力を持っていた。
それは、どんな相手でも一定期間、己の従者と化す強制遵守の力。
気づいたのはほんの偶然からだったが、この奇跡は「世界を旅して人類がもっと自由に生きる術を
探したい」という俺の夢を実現へと移すものだった。人類の希望を託すかのような周囲の期待の
眼差しを身に受けた俺は、一念発起して旅に出た。
基本的に、人間は一人旅など不可能に近い。
脆弱な身体は、他種の賊徒に襲われることが多く、また人間と言うことで商売面でも足元を見られ
やすい。そして、人材面でも高等種族からは軽く見られるので、彼らを雇うことさえ叶わない。
さらに経済面で底をついたとき、周囲には同胞以外に頼れる状況にないので、いずれ自滅する。
それが哀れな人間の末路。
だが、そこで役立つのが珍妙なこの力。よりヒエラルキーの高い高等種族を従者として雇えた
ならば、苦難の旅も格段に楽になるはず――そう、考えた。
実際、その目論見は予想以上に機能した。
用心棒から家政婦まであらゆる人材を派遣してくれる登録所にて、人の身分を隠したまま高等
種族のボディーガードを捜索、めぼしい人材には面談を申し入れる。
テーブルを挟んだ面接にて、相手の能力・人格を気に入った時点で力を行使。
もちろん相手は腕利きのボディーガードでもあるので、この段階には細心の注意を払ったが、今の
ところ失敗はナシ。
そうして手に入れた初めての従者は、耳の長く、銀色の美しい髪をしたエルフの末裔だった。
自らの血を誇り、肉体的にも人の数倍の筋力を有し、1キロ先の林檎の落ちる音さえ逃さない
聴力を始めとする優れた能力を有した女エルフを、俺は従者とした。
従者にした当初、命令には従うもののどこか尊大だった彼女の態度は、時を経るごとにより親愛の
情を前面に押し出したものへと移ろいで、やがて俺も、彼女を一人の女として愛するようになった。
そんな二人が、旅をしている過程で、より深い関係をもつのも自然の成り行き。
こんな時がずっと続く、二人の恋慕は従属の効果などとは関係もない、素晴らしい感情だ!
そう信じていた。
だが。
旅をしてから丁度一年のある朝、鳥のさえずる音で目覚めると、美しいエルフが隣のベッドに
いないことに気づいた。いつもならば肩を揺すって、耳を甘噛む行為でからかいながら起こしてくる
のに、と不思議に思った俺が宿の窓から見たのは、外で仁王立ちしたままじっとこちらを睨む――
――女エルフの赤い瞳。
その姿は完全武装で、表情から読み取れる感情は複雑で一言に言い表せない。
だが、俺はその瞳に憤怒の炎を見た。そして悟った――今朝、彼女は力の暗示から冷めたのだと。
宿の外に待ちかまえているのは、礼節を弁える高貴な種族の誇りが寝首を狙うなどと思われるのを
拒んだからだろう。俺は覚悟を決めて――いや、その時はまだ甘い幻想があったのは認める――荷物
を纏めて彼女の前に出た。
本当は恥も外聞もなく、顔を出さずにとっとと逃げるべきだったのだろう。だが俺にとって未だ
彼女は一人の愛する女であり、そして、彼女にとってすでに俺は――下劣な技で自らの高貴な身体
さえも陥れた卑劣漢だった。
それから、どうやって生き延びたかは覚えていない。
気がついたときには、俺は右手の肘から先を失い、背中には幾本もの矢が突き刺さるも、町外れの
森の繁みに息を潜めてエルフの叫びが遠のくのを待ち続けた。
彼女の怒りは相当なモノだったのだろう、終始「出てこい! この卑怯者っ!!」「お前が、お前
のような下劣な種族ごときが、私を……許さんっ!!」という怨念に満ちた叫びを放ち続けていた。
俺はようやく思い知った、己の業の深さを。涙を流し、愛と錯覚した自分勝手な愚かさを悔いた。
人を従わせる力とは、こういう事なのだ。
腕の半分では払いきれない教訓を見に刻んだ俺は、その後、命からがらに逃亡。
だが、悲しいかな、能力がないと俺のような人間は生きていけないのも事実。
それにもう旅は半ば、今更引き返せる距離でも、立場でも、なかった。
それからは、能力の効果が切れる期間より短い契約にて、幾人もの従者を力で得ては別れた。
あいにく異種民族の多くは、女性がより卓越した能力を有しているため、やむを得ず異性の従者
であることもしばしば。中にはかつてのエルフのように、俺に想いを寄せる女もいた。おそらく、
能力によって植え付けられた従属の感情は、親愛から恋慕へと転じやすいのだろう。
そしてそれは俺も同じ事。外道の力で得た親愛と分かっているのに、その身を投じて献身的に尽く
してくれる女性に、どうしても心動かされてしまう。自分の犯した邪行を忘れてしまいそうになる事
も少なくなく、愛という名の劣情を押さえ込んだのも数え切れない。
愚かしい、本当に愚かしい。救いようがないほどに愚かしい。
俺は自分の部屋のドアを開けると、差し込む月光に目を細める。
今のメイドと出逢ったのは、三ヶ月前。ピクシーの高貴な一族らしき彼女は素晴らしい相棒だった。
ボディーガードとしての優秀さもさることながら、常にメイド然としながらも貞淑な佇まいを
崩さぬ横顔に、旅で行き詰まる俺の心は幾度となく癒された。
そうだ、正直に言おう。従者の存在はまたしても、俺の中で大きく、重くなってしまっていた。
いつもなら力の効果が切れる一年より少し短い期間まで、契約を延長するのが常だったが。俺は
荷物を纏めると、メイド宛の残りの手当金と書き置きを残す。そして、再びメイドの寝室へと向かう
と、左手で彼女の泣きはらした頬をそっと撫でながら、何事か呟く。
その瞬間、ぼんやりとした光が俺の手を経てその頬に灯り――表情が幾分、穏やかになる。
「ん……、ご――しゅじ――ま――……」
「……元気に、な」
これは力の解除の儀式。これにて雇用契約は破棄された。
明日には、おそらく彼女は目覚めるとすぐ、これまで操られていた自分の従者たる所作に愕然とし、
図らずも持ってしまった親愛がまやかしであった事実に怒り狂うだろう。
今、逃げる俺は、実に愚かだ。まるで敗走兵のように。
だが、偽善じみた贖罪に身を投じられるほど純真でもなく、こんな俺にも捨てきれない切実な夢が
肩に乗っかかっている、託されている。ああ、分かっている。俺は死ねない、簡単には死にやしない、
感傷に浸るがまま、自暴自棄を体現するほど自己陶酔的でもない。
宿のフロントに金を払って外に出ると月光が青白く輝く夜の道を、音を立てずに歩き出した。
数日後、人材派遣登録所の待合いがてらに、隣人のワニ型巨人から噂話を聞いた。
なんでもメイド服を着たピクシーが血眼になって元雇用主を捜しているという。
「だがよ、可笑しいのはどうも人間に雇われていたらしいって話だ。穏やかな種族にあわねえ怖い顔
して探してるから、よっぽど酷え事されたんに違いねえってもっぱらの噂だ」
ワニ肌とでも言うべき凸凹した肌を愛おしそうに撫でながら、さも面白そうに男は笑う。
フードで覆われた俺の姿では、人間であることを気づいていないに違いない。
俺の右肘の付け根が、ジジッと疼いた。
「しかし、だいたいなんで下等種族に雇われる気になったのかも疑問だなぁ」
「さあな。……きっと」
「あっ?」
「夢でも見ていたんだろう」
「はっ、違えねえ!」
俺は、左手で付け根をさすった。
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最終更新:2008年02月14日 00:51