• スレッド_レス番号 02_354-356
  • 作者 319 ◆lHiWUhvoBo
  • 備考 長編,小隊長シリーズその8 男装編2


轟く雷鳴と降りしきる雨の中、部屋で荷造りをする青年が耳にしたのは、遠慮がちにドアを叩く音だった。

 「はいはいはい……? どうした、矢坂? ……ズブ濡れのまんまじゃ、風邪引くぞ」

 大学三回生の夏。帰郷の準備をしている久慈慎之介の下宿に、矢坂平四郎がズブ濡れになって尋ねて来た。
ゼミでは口角泡を飛ばして法解釈で議論し合う良き好敵手であり、古武道同好会に措いては良き相棒だった。
少年の体の様にしなやかで、少女の美貌を持つ矢坂と、鋼の鞭を思わせる鍛え上げられた体躯を持つ久慈の
取り合わせは、妖しい妄想を見る者に抱かせるには充分であり、文化系サークルから「久慈×矢坂」本なる
シロモノが出回るぐらいに、関西地方にある大学のキャンパス内では二人一組で有名だった。

 「バカ……そんなに……優しく…するな……! ……しんのすけぇっ! 」

 いつも矢坂が突っかかり、久慈がいなす。矢坂が突っかかるのは久慈が嫌いだからでは無いことは当の久慈
以外、誰にでも理解出来るほどだった。二人で居ない場合はいつも矢坂がキョロキョロと久慈を捜し、久慈を
見つけると顔を喜びの微笑みに綻ばせるも、すぐに無理矢理にしかめっ面をしてみせるのがカワイイ、と傍から
二人を見ている者達(主に男性)の弁であり、他愛の無い矢坂のワガママに「仕様が無い奴だな」と微苦笑して
従う久慈の笑顔が爽やかだと言う者達(主に女性)もいる。要は「美少年の若君と執事」な関係と捉えられえていた。
 そして現在…矢坂は久慈に抱き付き、久慈の腕の中で震えている。久慈は首に掛けていたタオルを手に取った。

 「……男が簡単に泣いてどうするって、俺は何時も言ってるだろうが。なっ? 」
 「だって…だって…だって……! 」
 「わかったわかった、まず頭を拭け。頭から冷えてくるんだ。…今、着替え用意するから待ってろよ」

 久慈はハンドタオルを矢坂の頭にすっぽり被せてゴシゴシ擦ると、バッグの中からキチンと畳んだ着替えのうち、
真っ白な厚手の生地のTシャツと、灰色のニット地のトランクスを取り出した。それから俯いたままでいる矢坂を
置いて、電気ポットと緑茶のティーバッグと湯呑みを手早く探し、茶を入れ、差し出す。その後は手近にあった
洗濯済みの畳んだバスタオルを投げ与える。両手で湯呑みをそっと抱えて緑茶を啜っていた矢坂が、即座に片手で
バスタオルをキャッチした。緑茶が無くなるのを確認した久慈がハンドタオルを奪おうとすると、矢坂は抵抗する。

 「汗臭いだろう、それ? 」
 「慎之介の匂いだから、平気だよ…」
 「い、い、か、ら、か、え、せ! 」

 内心の動悸と動揺を押し隠し、久慈はハンドタオルを取り返す事に成功する。髪に掛けたタオルの右端を鼻と口に
当てて匂いを嗅ぐ仕草が妙に少女っぽく見えてしまい、戸惑ってしまった久慈は、まるで己が『男色』のケにでも
目覚めてしまった背徳感のようなものに襲われていた。時折、矢坂のなにげない仕草のひとつひとつにそう言う名状
し難い違和感を感じる久慈であったが、矢坂本人に直接に問い質そうと言う気が起こらない。何故なら、漂う体臭が
完全に『男性』のものであるからだ。田舎育ちの人間は、臭気に実に敏感だ。そして久慈もその例外には漏れない。
形容はしないが、漂う体臭で性差などは簡単に区別がつく。完全に『男性の体臭』だ。しかし感じる気配が違う。
気配は女性のものなのだ。これも余人は説明し難いが、人間は各個人固有の『気配』を持っている。男性と女性の
『気配』はまたそれぞれ異なるのだが、矢坂の持つ気配は『女性』のものだ、と久慈は当初、首を捻って何日も何日も
いぶかしんだものだ。

 「…凪の湯があと10分で開くから、一緒に行くぞ」
 「内湯は……? 」
 「明日、田舎に帰るから掃除したばっかなんだがな? ……そんな顔するなよ。一体何があったんだ? 」

 久慈の目の前で濡れた上衣を脱ぎ、上半身裸になって体を拭いたあと、Tシャツを被り、それから腰にバスタオルを
巻いてカーゴパンツと下着を一緒に脱いで、渡したトランクスを穿き、最後にバスタオルを取る。見慣れた着替え風景だ。
トランクスのウエストが緩いのか、縛って調節する矢坂の姿と腰つきに何故か『女性』を感じ久慈はドギマギしてしまう。
一度『本当はお前、女だろ?』と真顔で訊き、思いきり額や鼻を白魚のような細い指で弾かれて散々に痛い思いをした
覚えがあるので久慈はそれ以来、茶化さず黙っている。

 「ちょっと理由があって、家に居られなくなってさ…」
 「どんな理由だ? 泣きながら『3年来の仇敵』に頼る程の理由なのか? 」
 「…ひどいよ慎之介ぇ、友達なら理由も聞かずにこう言うときは…」
 「『久慈は友達なんかじゃない!』と休みに入る前にその口で面と向かって啖呵を切られたんだが。で、理由は? 」

 むぅ~、と不貞腐れて見せる矢坂の顔や仕草がますます少女染みて可愛く見えてしまう久慈は、強く頭を左右に振る。

 「どうしても言わなきゃ……駄目か? 」

 おずおずと、上目遣いをして訊いて来る矢坂に、久慈は頷いて見せるほど意地悪でも無かった。心底矢坂が困っていると
その表情で読み取れたからだ。だが、ここでまた甘い顔は見せたく無かったので、無愛想な顔をして見詰めてやる事にした。

 「僕が友達なんかじゃない、と言ったの怒ってるのなら、謝る。馴れ合ってるなんて他の人間に見られたく無かったし、
  それに……僕の中では久慈は……その…友達以上の大切な存在で……。なんて言うかその…言い難いんだけど…」
 「わかった。もう理由は言わなくていい。俺のデニムパンツを貸してやるから、風呂行くぞ風呂」

 ドギマギと何故か頬を赤らめて言う矢坂に、またぞろ久慈は妖しい感覚に囚われてしまう。…本当に少女っぽい仕草だ。

 「なんだよ! 言えって言ったり言わなくていいって言ったり! 僕がどんな思いでここに来たと……! 」
 「…追われてるんだろう? なんとパンツのポケッツに、財布や学生証、定期すら入ってないんだからな」

 矢坂は久慈の手からカーゴパンツを引っ手繰り、顔を何故か赤らめて睨む。その矢坂の勢いと表情に気圧された久慈は、
思わず峻厳な表情を崩し、破顔した。パンパンと矢坂の線の細い背中を叩き、自分に悪意や悪気が無いことをアピールした。
カーゴパンツを取り返した矢坂は口元にそれをあてて久慈を睨んでいたが、久慈の笑顔につられて徐々に微笑みを受かべる。
そしてひとしきり笑いあったあと、久慈は矢坂にデニムパンツと風呂セット一式を用意して、傘を持って一緒に外に出た。

 「慎之介の…故郷に? 」
 「……ああ。あそこなら安全だ。余所者はまず入り込めないしな」

 銭湯、凪の湯に行く間の道程で、何者かの襲撃を2回も受けた二人は、部屋に戻っていた。1回目はワンボックスカーに
矢坂が引きずり込まれそうになり、2回目は矢坂を庇う久慈が狙われた。矢坂がしつこく尾行されていた事に久慈は困惑を
隠せなかった。襲撃を退けたあと、一旦部屋に戻ると、涙ぐむ矢坂が謝罪しながらポツリ、ポツリと事情を話し始めたのだ。

 『僕の家は、香道の宗家で、つい最近、当主のお爺様が倒れた。病床で十四代目の後継者に指名されたのが、僕だ。
  当主になったら、宗家・分家も含めて当主の管理する総資産は全て僕のものになる。…早い話が、お家騒動さ。 
  父や母は海外支部に出かけていて不在。お爺様は入院中。今、孤立無援で一人ぼっちの僕の頼れる者はもうキミ…
 『3年来の仇敵』の慎之介しかいないんだ……』

 フッ、と寂しげな笑みをこぼした矢坂の肩を久慈は抱き、無言で二の腕を叩く。矢坂は限界だったのか、堰を切ったように
すすり泣きを漏らし、それから久慈に縋(すが)り付き、久慈の胸に顔を伏せてさめざめと泣き始めた。『僕は…僕は…!』
と声にならない声を上げて無く矢坂の背を、久慈はさすり続けた。矢坂が乱暴に目を擦って泣き止んだあと、久慈は意を決して
「俺の田舎に来ないか」と提案したのだった。

 「迷惑……だろう?」
 「本当にそう思ってたら最初から俺の所に来ないだろうが。違うか、矢坂ぁ? 」
 「~~~~~~~~~~~~~~~~~いじわる……」

 内湯のボイラーのスイッチを入れて、「折角掃除したのにな」と口の中で呟いた久慈は、矢坂にニヤニヤ笑いで振り返った。 

 「仇敵に貸しを作るんだ。面白くないだろうが、嫌味くらい我慢しろ」
 「絶対すぐに返してやるからな! もちろん倍返しだ! 」
 「へ~へ~、それじゃあ期待しないで待ってますよ、お嬢様」

 「お嬢様」と呼ばれた矢坂はすぐにむくれて立ち上がると、久慈の形の良い高い鼻梁を素早く抓(つま)んでヒネリ上げた。
矢坂の動きは久慈が身構える隙も無い程に俊敏だった。…何故あの時ワンボックスカーに引きずり込まれそうになったのか
不思議なくらいだ。確か、あの時矢坂は胸と尻を掴まれて…? 久慈がそこまで思い至ったとき、鼻がやっと自由になる。

 「僕は男だ! 僕を女扱いする奴は、いくら慎之介でも許さないんだからな! ……二度と言うなよ? 」
 「わかったよお嬢様、まずはシャワーでも浴びろ」
 「この~~~~~~~~っ! まだ言うか! 」

 今度は両頬を抓まれ、上下に揺さぶられた。多分本気で矢坂は怒っているのだろうが、怒った顔が微笑ましいほど可愛いので
ついつい怒らせてしまう。久慈の微笑みに気付いたのか、矢坂は頬を抓む手に力を込めてさらに引っ張り、勢い良く手を離す。
ふくれっつらで睨む矢坂の表情がさらに久慈の笑いどころの琴線に触れ、久慈は大爆笑してしまう。…からかい甲斐のある奴。
久慈は矢坂を「やんちゃな弟」のように思っていた。…あの決定的事件が起こるまでは。




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最終更新:2008年05月16日 00:48