- スレッド_レス番号 01_190-194
- 作者
- 備考 長編,01_183のリメイクその1
『じゃ、行ってきます。』
日に焼けた顔、白い歯を覗かせてあの人は笑う。
私だけのものになると誓ったのに、
兵士としての運命を受け入れた、吹っ切れたような笑顔。
『まって!!』
手を伸ばしても、もう彼には届かない。
『ん?』
一度歩き始めた彼が、立ち止まる。
行かないで。行かないで。
『帰って……くるよね?』
私の問いかけに
『あぁ、必ず。帰ってきたら───』
あの人は、そう答えて、消えてしまった。
枕が冷たいのに気が付く。目の辺りが生暖かく濡れていて、自分が眠ったまま
泣いていたのを理解した。
──最近はこんな事はほとんど無くなっていたのに。
久しぶりにこんな夢を見てしまったのはきっとこのせいだ、と少し恨みがましく
枕の横においたままになっている一通の手紙を眺めた。
差出人の無い手紙。
手短に、会いたい、とだけ書かれ、その後に待ち合わせ場所と時間が書かれていた。
だが、それは間違いなく『あの人』からの手紙であることを、その手紙の内容と
少し癖のある文字が示していた。
ため息をついた。
手紙に触れた左手に視線を移す。薬指にある婚約指輪。
3日後に出張から帰ってきたら式を挙げることになっている。
愛がある結婚なのか、と問われれば自信が無い。親が家柄だけで選んだ相手。
でも『私には先の戦争で別れたままになっている恋人がいて、その人の事が
忘れられない、それでも良いのか』と打ち明けると、彼は少し黙った後、
それでも貴方のそばにいたいのです。と告げた。
拒絶できない自分がいた。
少しづつ、婚約者と自分の間で何かが育ってきていた。
3年と言う時間の流れは大きい。もう、後戻りは出来ないのだ。
「……行って伝えよう、全部」
たとえそれが『あの人』を裏切ることを認める行為だとしても。
約束の場所、約束の時間。
まだ、彼は来ていない。
広場の中央にある噴水の側に座った。
(もう、手遅れなの)
言わなければならない言葉を心の中で繰り返す。
「お~い!」
突然、頭上から声が降ってきた。張りのある、懐かしい声。
声のしたほうを振り向くと、噴水の背後の階段を男が駆け下りて来る所だった。
ぶんぶんと手を振り、周りの目を気にせず、豪快に階段を一段抜かしで下りてくる。
あの人らしい、少し乱暴なしぐさ。
(もう、手遅れなの)
「ひっさしぶり!!!元気にしてたか?」
屈託の無い笑顔。
どんどん近づいてくる。夢じゃない。
(言わなきゃ。言わなきゃ)
上がった息、汗の混じった、彼の匂い。
目が熱くなる。
「おわぁ!?」
もう、だめだった。
私は、昔そうしたように彼の胸に飛び込んだ。
「お……ばか、人が見てるぞ」
慌てたように彼が言う。そういう照れ屋な所も、昔のままだ。
「馬鹿なのはどっち」
しゃくりあげながら、3年前の自分の戻った私は彼の背中に回した腕に力を込めた。
「生きていたなら……もっと早く連絡してよ」
私が泣いているのに気が付いたのか、彼は急に勢いをなくして、
そろそろと私の髪を撫で、ごめん、と呟いた。
広場から森を抜け、少し離れた所に神殿の廃墟がある。
夕暮れも迫り、寂れたこんな場所には人影も無く、そのせいか広場では気にならなかった
遠くで打ち寄せる波の音が静かに、はっきりと聞こえる。
海を眺めながら彼は饒舌に帰ってくるのに遅れた理由を話している。
今まで何をしていたのかも。
でも、まるで遠い国の言葉のように私の心にはよく届かなかった。
「───やっと帰ってこれたよ。お前のところに」
私は彼の顔を見つめた。そのときの私は、どんな顔をしていたのだろう。
ん?と窺うような表情をして、彼は私の頭をくしゃっと撫でた。
「お帰り、は?」
「お帰りなさい…」
それを言うだけで、また熱いものが込みあげてきた。
言えない。
───言えないわ。
私から、どうやって拒めばいいの。私を信じて笑う、この人に。
まだ、愛しているのに。
こんなにも、愛しているのに。
彼の手が私の頬に触れた。暖かい。大きな手。
私の顔を覗き込むようにしながら彼が近づいてくる。
唇が触れる。
懐かしい、この感触。私の腕を掴むこの力強い腕も、この広い胸板も、全て──
「ごめん。俺、一番大事なこと言うの、まだだった」
キスの後、少し照れた顔で彼は上着のポケットに手をつっこんで何かを探った。
「あの時の約束の──」
「約束?」
「サイズ、合ってたらいいんだけどな」
彼はポケットから指輪を取り出して、私の左手を取った。
思いがけない出来事だった。
「えっ?」
「あっ」
彼が驚きと困惑の入り混じった声を上げた。
私はすぐさま手を振り解いた。
小さな乾いた音を立て、指輪が落ちた。
「──どういう事…だ?」
「こ、これは、ただの──」
慌てて左手を右手で覆う。指が震えていた。
「違うだろ」
ゆっくりと、かみ締めるように彼は言う。顔が見れなかった。
「────違うの」
違うの、こんな人生は違うの。
それを隠したくて、ぎゅっと右手に力をこめる。
でも、左手の指にあるその指輪は、ひやりと冷たく、残酷にその存在を主張する。
「そうか……」
彼は空を見上げた。そして、ふう、と息を吐いた。
「一足遅かったんだな」
彼は立ち上がった。穏やかな表情で。口には微かに微笑を浮かべて。
「幸せにな」
「だから、違うの!」
私も立ち上がって、彼にしがみつく。
でないと行ってしまう。あの時のように。
お願い。
「行かないで……」
彼は黙って私を見つめるだけだった。
「私、あなたの事が──」
「言うな」
初めて聞く、険しい声だった。
「…いや」
もう手放したくない。
「好きなの」
彼は寂しそうに頭を横に振った。
「俺、帰るわ」
「帰るって、何処に?」
「さあ……何処かな」
困ったように小さく笑いながら、彼は私の体を離そうとした。
嫌だ。
彼の背中に回した腕に力を込めた。
「お願い……」
声が震える。
「抱いて」
ごくり、と彼の咽のなる音がした。
彼の手が私の両頬を掴んで乱暴に顔を上げる。
でも、私の目に写ったその顔は何かに耐えるように、苦渋に満ちていた。
一番辛い思いをしているのは、私ではなく、彼───
「俺も好きだったよ。だから……」
彼は、優しい笑みを私に向けると、私の額に口付けた。
「……結婚、おめでとう」
彼の立ち去った廃墟で、私は動くことが出来なかった。
ただ、ぼんやりとその場に立ち竦んでいた。いつまでも。
寄せては返す波の音が、空っぽになった心を撫でるようにいつまでも響いていた。
(END)
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最終更新:2008年02月14日 00:22