• スレッド_レス番号 01_397-399
  • 作者
  • 備考 長編,元上司のOL


「ね、阿部ッち、しよっか」
 ナツキさんが、持っていたビール缶を置いて、ごろりとフローリングに寝ころんで言った。
「はぁ? 何をですか。……また、丑三つ時のマラソンなんて言われてもやりませんからね」
 ポテトチップをつまみながら、俺はオレンジジュースを啜った。
 アルコールじゃないのは、未成年だからという理由もあるが、単に酒が苦手なだけだ。
 後ろ向きに寝転がっていたナツキさんが、ころんとこちらに体を返した。
 目の周りがずいぶん赤い。酒のせいか、さっきまで泣き続けていたせいか。
「するって言ったら、セックスに決まってるじゃない」
 ゴフッ。
 漫画の描き文字のような音を立て、思わずジュースを噴き出す。
「な、ななな、何、訳のわからんコト言ってんスか!」
「本気だもん」
 起き上がったナツキさんが、床であぐらを組む。ショートパンツから伸びる白い太股が目に焼き付く。
「ナツキさんは、酔ってるんですよ」
 太股から目を逸らしながら言う。
「酔ってなんかない! シラフだもんね」
 拳を振り上げる姿は、どこからどう見ても酔っぱらいだ。
 しかも、とても自分より五つ上、二十四歳の言動とは思えない。

 ナツキさんは、俺の、元バイト先の上司だ。
 ナツキさんのことを「デキル美人営業」と言ってる奴らに、この酒乱ぶりを見せてやりたい。

 はーっ。と溜め息をつく俺の前で、ナツキさんはフラフラ立ち上がり、ゆっくりとこちらへ近づいて来た。
……かと思いきや、自分が置いたビール缶を踏んづけ、後ろ向きに派手に転んだ。
 まだ中に入っていたビールが、フローリングに撒き散らされる。その中に、転んだナツキさんが沈没している。
「ちょっ、大丈夫っスか!?」
 慌てて抱き起こすと、ナツキさんが泣きながら俺にしがみついてくる。
「痛いよー……痛いよう」
 酔いのせいで、幼児退行を起こしているナツキさんの後頭部を、よしよしと撫でる。
 薄いタンクトップを通して、豊かな胸の弾力を感じる。そろそろ理性がヤバイかもしれない。
 頭の中で、さっきナツキさんが口にした「セックス」という言葉が踊る。

「痛い……」ナツキさんが、ぎゅうっと俺の背中を抱いて言った。
「ナツキさん……」
「どこもかしこも痛い……でも、胸の中が、一番痛いよ……阿部ッち」
 その言葉で、冷静さが舞い戻ってきた。

【やっぱりフラれました。今日は朝まで飲むので、阿部ッちは強制参加ね】

 大学の授業中に、ナツキさんから、こんなメールが入ってきた。
 ナツキさんが勝ち目のない片思いをしているのは、ずっと見てきたし、どれだけ相手のことが好きだったか、俺はよく知っている。
 そして、ナツキさんがフラれて喜んでいる自分がいることも、俺はよく知っている。
 しゃっくり上げながら泣くナツキさんの背中を、何度も手の平で撫でる。手の大きさには自信があった。
 この手を、「男の手」と感じてくれたら良いのに。

「弱音を吐ける弟」みたいな位置をキープして、一年かけて、ナツキさんの隙間に入り込んだ。
 そして、じゅうぶん自分に依存させてから、ナツキさんのいる会社を辞めた。これで、上司と部下という関係ではなくなる。
(──俺、狡いよなぁ)
 自嘲気味に笑った。

 ナツキさんの嗚咽は、いつの間にか、規則正しい寝息に変わっている。
 寝顔を見ていると、とても自分より年上には見えない。
 涙の痕が残る頬に、軽く口づける。
 本当の甘い関係になるには、まだ、もう少し……。

 <了>




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最終更新:2008年02月14日 00:32