• スレッド_レス番号 01_458-460
  • 作者 ◆pVdGUF5Fso
  • 備考 長編,儚いひととき


男は、古いレジスターを載せた机の横で、椅子に座って珈琲を飲みながらのんびりと時間
を潰していた。店内には他に誰もいない。静かなティータイムである。

朝夕には初秋の涼しい風が吹き始めたとはいえ、日中の暑さはまだなかなかのものだ。
時折往来を通りすぎる車の窓が一瞬、鋭く陽光を反射する。
店前の舗道を覆う煤けた石畳も、てらてらと光っている。
平日の午後。人通りは稀だ。時折、ビジネスマンが足早に通り過ぎる程度。
店内にエアコンはかけているものの、ショウウィンドウの大きな窓ガラスからむわり、と
熱気が伝わってくる。

見るともなしにぼんやりと店内を見渡す。
黒ずんだ大きな柱時計。凝った浮き彫りの刻まれた古いテーブルと揃いの椅子。和箪笥。
ボーンチャイナのティーセット、カットガラスの大きな器。油絵、水墨画。
他にも様々な、いわゆる『骨董品』が並んでいる。
一見雑然としているが、店主である男はどこに何が配置してあるか全て把握していた。
男自身、記憶力がいいと密かに自負している。

視界の端に異物感。
顔を上げて、目を細める。

硬質な光を帯びた、見慣れぬモノがそこにある。
飲みかけの珈琲を脇に置き立ち上がった。




ソレを掴んで元の場所へ戻り、机の上に置いてしげしげと眺めた。
いわゆる陶枕、である。
磁器で出来た枕で、形は蒲鉾型。頭を乗せやすいように中央が凹んでいる。
夏物らしく白磁に藍色の涼しげな草木の図柄が踊っている。
いくら記憶を辿ってみても、これまでに見た記憶がない。
疑問を感じながらそっと撫でる。なめらかでひんやりとした上質な磁器の感触が心地よい。

内部は中空。覗き込んでみると、小さな紙片が目立たぬ位置に貼り付けてあった。
茶色く変色し、朽ちた紙片に掠れた墨痕――『邯鄲(かんたん)』と読める。銘、だろうか。
一通り確認した後、試しに額を当ててみた。あつらえたように身体に馴染む。
心地よい冷気に、思わず溜息が漏れる。
眼を閉じて、どれくらい動かずにいたのか。


「あなた、お店で居眠りなんかしちゃいけませんよ。」
くすくす、と耳に馴染んだ笑い声。

「お前…。」
「今日はもう店仕舞いします?」
頭を上げると、横に妻が立っていた。
半袖の白のブラウスに藍の花柄のフレアスカートがよく似合う。

妻は猫のようにするりと身体を寄せてきた。
優しく、肩を抱かれる。
頭を傾けて、大きな乳房に顔を埋める。どっしりした重みと柔らかさと、ぬくもり。
彼女の母性の象徴のような。
その頂にそっと口づけると、彼女は必ず私の額に口づけを返してくれる。
愛情を確認し合う儀式。

何度も繰り返された、濃密で愛しい時間――だった。





「貴女は、私の妻ではないね。」
頭を起こし、男は女に淡々と語りかける。
女は男の肩を抱いたまま、ふわりと微笑んだ。
「どうして分かったのかしら?」
不思議そうに首をかしげる仕草まで、生前の妻と寸分も違わない。
「偽物は、時に本物以上に完璧になる。」
これは、現実ではない。
「あなたがわたしを受け入れるなら、永遠にこの幸せを得られるわ。だから…」
こちらにおいでなさい。
甘い誘惑に男は一瞬逡巡した表情を浮かべたが、やはり淡々と答えた。
「駄目だ、かみさんにどやされてしまうよ。」

「…そう、残念ね。」
声と容貌は妻のまま。だが、気配は既に妻のものではない。
人にあらざるモノ――神か魔か、精霊か。
女の腕が滑らかに動いた。指先が男の眉間に触れる。
そのまま眉間をとん、と押された。

一瞬の衝撃。


古時計が時を刻む音の響く店内。
老眼鏡をかけたまま居眠りしていたらしい。
(なんだか、長い夢を見ていたような……)
顔を起こして、まだ幾ばくかの眠気がこびりついた眼をこする。

眼鏡をかけ直す手が止まった。
陶枕がない。
店内を一通り見渡した店主は、おもむろに机の引き出しに手を伸ばし、ノートとスクラ
ップブックを取りだした。アレが実在するなら――仕入れた記録が残っているはずだ。
ところが、仕入れ伝票やメモをいくら調べてもどこにも陶枕を仕入れた形跡がない。
念のため古い記録も全て当たってみたが、結果は同じだった。

(どこまでが夢だったんだ…)
既に冷え切った珈琲を啜りつつ呆然としている男の丸まった背を、差し込んできた夕日が
照らす。白髪が、鮮やかな茜色に染まった。




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最終更新:2008年02月14日 00:34