&br() 感覚の中、曖昧に浮かぶ「裏切者」のイメージ。 久住小春はそのぼんやりとした輪郭を鮮明に浮かび上がらせようと、無意識に目を閉じた。 だが、その努力にも関わらず、むしろそのイメージはどんどん薄れてゆく。 焦れば焦るほどに輪郭はぼやけ、意識の世界で拡散していった。 「ダメかぁ・・・」 小春は軽くため息をつくと目を開けた。 ――ソートグラフィー 一般には「念写」と呼ばれる能力が小春にはある。 心の中に浮かんだイメージを物質に焼き付ける能力。 自らの五感で知覚したものだけではなく、普通ならば知りえないイメージが浮かび、それを念写したこともしばしばあった。 しかし、それは同時に知らない方がよかった事実であることも多く、それ故に壊れた人間関係も数え切れない。 両親との関係もその一つだった。 あれ以来、小春は自分以外の人間を信じるのをやめていた。 今だって、共に過ごす“仲間”に完全に気を許したりはしていない。 誰かを信用することは、同時に深く傷つくことでもあると知っているから。 「私にはあなたの気持ちが分かる。痛いほどに」 その“リーダー”の言葉と、心まで見透かすようなそれでいて温かい視線が、堅く閉ざされていた心の扉を開いたのは事実だ。 初めて本当に分かり合えそうな“仲間”たちに出逢ったのも事実。 だが、傷つくことを恐れる無意識下の感情がそれ以上の踏み込みを拒否する。 大切に思うからこそ壁を作らざるを得ないジレンマはどうしようもなかった。 「それはあなた自身が向き合わなければいけない問題だから」 “リーダー”の言葉が耳によみがえる。 「分かってるよ!そんなこと!」 不機嫌に独り呟くと、小春はベッドに倒れこんだ。 同時に、先ほど浮かんだイメージを思い出す。 「裏切り・・・」 苦い記憶がいくつもよみがえる。 結局は人生なんて裏切りの繰り返し。 無防備に人を信じる者がバカを見るようにできているのだ。 芸能界に身を置く間にも、そういった場面は飽きるほどに見てきた。 もしかしたら本当の居場所になるかもしれない。 そんな風に少しずつ思い始めていた矢先のさっきのネガティブなイメージ。 9人・・・自分を除いてあの8人の中に裏切り者がいるのかもしれない。 結局はあの“仲間”もやはり仮初めのものでしかないのだ。 懲りずに「今度こそは」などという期待を僅かでも持った自分が愚かだった。 それだけだ。 腹が立って仕方がなかった。 浅はかな期待を抱いた自分に。 そしてまた自分を裏切る誰かに。 「そうだ・・・!」 ふと思いついて飛び起きる。 イメージが鮮明にはならないため、裏切者が誰なのかを特定することは出来なかった。 だが、うまくやればその“誰か”を名指しできるかもしれない。 それも他の者の目の前で。 それは自分を裏切ってゆく者へのまたとない復讐になるだろう。 そう考え、小春は口元に薄く笑いを浮かべた。 * * * 「今の話は確かなの?この中に内通者がいるというのは」 翌日、集まった“仲間”たちの前で“リーダー”の愛が小春に訊ねる。 内容が内容だけに、唐突に始まった重大な話に息を飲んでいる者がほとんどだった。 「知らない。だから小春はそういうイメージが浮かんだ・・・って言ってるだけ」 小春はおもしろくもなさそうな顔でぶっきらぼうにそう返す。 「あんた何でいっつもそうやってかき回すようなことばっか言いようと?」 「視えたものは仕方ないじゃん。それともなにかやましいことでもあるわけ?」 いつものようにつっかかるれいなを睨み、挑発的に言い返す小春。 「なん言うと!?」 憤然とするれいなをおしとどめ、“リーダー”はその隣に目をやった。 「愛佳、あなたは何も“視て”ないの?」 突然名指しされて全員の視線が集まった愛佳は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに答えた。 「いえ・・・私は何も・・・ごめんなさい」 「愛佳が謝ることなんて何にもないけん!悪いのは小春っちゃけ!」 「小春の何が悪いの?視えたから視えたって言ってるだけじゃん。ふざけないでよ」 「あーもう分かったから。言い争いはやめてもらえる?・・・さてどうしたものかしら。みんなの意見はどう?」 「そうは言ってもあまりに曖昧な話だからね。これ以上どうしようもないような」 「小春が嘘を言ってるとは思わないけど・・・」 「うん、勘違いってこともあるしね」 「愛佳にも見えとらんのやけん勘違いに決まっとーと」 「でも私の能力は自分の見たい未来が見られるわけじゃないですし・・・」 「ジュンジュンハ裏切モノイナイ思ウヨ」 「リンリンもソウ思う」 こういう流れになるであろうことは予想していた。 「小春にいい案があるんだけど」 口元に微かな笑みを浮かべながらそう言うと、小春は数枚の紙片を取り出した。 「タネも仕掛けもない一枚の紙。ここに皆さんの名前を書いてこの箱に入れてもらいます。そして小春が念じるとあら不思議。嘘をついている人の名前だけが残って後の名前は消えてしまうのです」 マジシャンのような口調でおどけて話す小春だったが、もちろん笑顔を浮かべる者はいない。 「・・・そんな能力もあったの?」 「言ってなかったっけ?まあそういうこと。『逆念写』とでも言うのかな」 「なるほど。それなら分かるかもしれないわね。その“誰か”」 “リーダー”の呟きに皆の顔がこわばる。 「そんなことやる必要なかね!裏切者なんておるわけないけん」 「潔白なら堂々としてればいいじゃん。どうしてそんなに動揺するわけ?」 「いい加減にせんね!」 「ストップ!そこまで!・・・分かったわ。やってみる?ガキさんはどう思う?」 「・・・そうね。このままじゃみんな気分が悪いだろうし。はっきりさせた方がいいかもしれない」 「決まりね。皆も異存はないわね?・・・じゃあよろしく小春」 “リーダー”が小春に視線を送るのと同時に沈黙が下りる。 静寂の中、小春が無言で皆に紙片を配る。 「他の人には見えないように書いて」 そう短く一言だけ付け加えると、小春はいつになく神妙な顔で席に着いた。 「集まったわ」 “リーダー”がそう言いながら8人分の名前が書かれた紙片の入った箱を手渡す。 小春はそれを受け取り、手をかざすと目を閉じて静かに念じ始めた。 だがそれはほんの一瞬で終わり、小春はすぐに目を開けた。 「終わったよ。じゃあ高橋さん、箱を開けて見てくれる?小春が触ると何言われるかわかんないし」 「・・・分かった。じゃあ開けるよ?」 張り詰めた空気の中、躊躇なく“リーダー”は箱を空けて紙片を全て取り出した。 「これは・・・?」 首を傾げる“リーダー”に口々に声がかかる。 「どうだったんですか!?」 「全部真っ白ですよね?裏切ってる人なんていないですよね?」 「まさか誰かの名前が?」 “リーダー”は黙って紙片を皆の目の前に広げる。 高橋愛、新垣里沙、亀井絵里、道重さゆみ、光井愛佳、李純、銭琳・・・とそれぞれ名前が書かれた紙片が都合7枚。 そして白紙が1枚。 「・・・・・・?どういうこと?」 「れいなの名前だけが消えてる?」 「え?何で?名前が残ってる人が嘘をついてるんでしょ?」 場に疑問符が蔓延する中、小春はゆっくりと言った。 「まさか本当に田中さんが裏切り者だったなんてね」 「なん言うと!?」 「さっき小春が言った『逆念写』の話は嘘です。そんな能力小春にはありません」 「それはつまり・・・」 「そうです、名前が残るのを恐れて初めから書かなかった人こそが裏切り者」 小春は憎悪を込めてれいなを睨みつける。 「ちょ、待って!待って!」 狼狽しきったれいなが慌てて立ち上がり必死の表情で叫ぶ。 「確かにれいなは名前を書かんかったと!やけどそれは・・・」 「何かの間違いで自分の名前が残ってしまうのが怖かった、ね?」 「そうそ・・・って愛ちゃんれいなの心読んだと?」 「うん、読んだ。ごめん」 真顔でうなずく“リーダー”の姿に何かを言う気力をなくしてれいなはストンと腰を下ろした。 「あはは~超れいなっぽいんだけど~ウケル~」 「心配性すぎなんだよれいなは」 「気持ちは分かりますけど・・・」 先ほどまでの張り詰めた空気から一転、和やかな空気が場を包む。 「小春」 何か言おうとした小春の機先を制し、“リーダー”は続けた。 「今のところは私を信じて。この中に裏切り者なんていない」 「・・・小春の勘違いだって言うの?それとも嘘をついてるって?」 「ううん、そうじゃない。小春のいうことを信じてないわけじゃないし、ましてや嘘をついてるなんて思ってない。私の能力だって完璧じゃないしね。でも・・・今は信じて、私を。お願い」 「・・・分かったわよ。勝手にすればいいじゃん。でもどうなっても知らないから」 言い捨てて、小春は部屋を出た。 やっぱり結局小春は独り。 夜道を歩きながら、微かに目に浮かぶ涙を殊更に無視して自嘲的な笑いを浮かべる。 今日のことできっと自分は“仲間”の中で孤立するだろう。 だけど別に構わない。 そんなことにはとっくに慣れている。 ずっとそうやって生きてきたのだから。 「小春」 突然の背後からの声に、反射的に振り返った視線の先には里沙の姿があった。 「新垣さん・・・。何?なんか文句でも言い足りなかったの?」 そう言ってから、小春は自分の目が少し潤んでいることを思い出して慌てて拭った。 「みんな小春のこと心配してたよ」 「心配?どんな?ああ、自分たちの情報敵に流されないかとか?」 「ねえ、小春。独りってさ・・・辛いよね」 「・・・え?」 突然何の脈絡もない話をし始めた里沙に小春は戸惑う。 「あそこにいる娘たちはさ、みんなそれぞれ誰にも理解されない孤独をずっと抱えてきたんだよ。もちろんあなたも含めて」 「・・・・・・・・・」 「私もそうだった。このまま孤独に押しつぶされてしまうんじゃないかって思ったこともある」 「孤独に押しつぶされる・・・か。うまいこと言うね。ちょっと分かるよそれ」 「そんな娘たちばかりなんだよあそこにいるのは。無意識に心の中で助けを叫んでいたような」 「心の中で助けを・・・か」 自分もそうかもしれない。 強がりながらも心では助けを叫んでいたのだろう。 “リーダー”はその声なき叫びを感じ取ったからこそ自分に声をかけたのだ。 「力を貸してほしい。私たちには仲間が必要なの」 “リーダー”は小春にそう声をかけた。 だが、実のところ“仲間”を必要としていたのは小春の方だったのかもしれない。 “リーダー”はあのとき小春を救うために声をかけてくれたのか。 小春の目には、再び押さえつけていた涙が浮かんでいた。 「新垣さん。新垣さんは今・・・孤独じゃない?」 「うん。今は“仲間”がいるから。愛ちゃんや他のみんなや・・・小春がいるから」 「小春も・・・ほんとは・・・独りはもう嫌なんだ。淋しいんだよ・・・すごく・・・独りは淋しいよ・・・」 「ね?帰ろ?みんなのとこに。みんな心配して待ってる」 「・・・・・・うん」 だが、小春の肩を抱いて“仲間”のところへと戻るときも、里沙の心は本当は助けを叫んでいた。 メンバーの誰よりも強く、切なく。 “仲間”の中にいるからこその孤独。 それは誰にも助けを求めることすらできない、あまりにも悲しい叫びだった。 ---- ---- ----