(16)048 『スパイの憂鬱7(前編)』

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&br() 里沙にとっては悪夢のような一日であった。 いつものように頭が痛いながらもまぁ平和な一日になるはずだったのに、気がつけばリゾナンターのサブリーダーである。 サブリーダーになったことで、得られる情報も増えるはずだと自分を慰めながら帰宅の途についた里沙。 曲がり角を曲がった里沙の視界に飛び込んできた、一軒の…古めかしい(悪く言えばボロ)アパート。 スパイとしてリゾナンターに潜入する里沙のためにと、極貧に苦しむダークネスのリーダーが泣く泣く自費で借りてくれたアパート。 ダークネスに治癒能力者がいれば、少なくとももっと綺麗なアパート(多分マンションは借りれない、審査的な意味で)に 住んでいたのかもしれないが、治療費がかさみまくっている現状では屋根がある建物に住めるだけでもマシと言えた。 四畳半とは言え申し訳程度の風呂は付いていたし、狭いが自分の洗濯物を干せるだけのベランダも一応存在する。 とはいえ、築三十年(大家はそう言っていた、絶対嘘だ)のアパートに多感な年頃の少女が住むということはとても大変なことである。 物音が筒抜けであるため、知りたくもない他人の事情が丸わかりとなる。 しかも、それは自分にも当てはまるために―――里沙はダークネスの人間とのやり取りはもっぱらメールが中心だった。 お風呂に入る時間は夜の十時くらいまでで、それよりも帰宅が遅くなった際は泣く泣く翌日に持ち越す。 物音の響き具合が半端じゃないので、遅くに風呂に入ると苦情の張り紙が部屋のドアに貼られるためであった。 里沙の部屋の上も下も両隣も…お年寄りが入っているため、遅い時間に物音を立てられない。 テレビが見たければヘッドフォン装備、音楽が聴きたければヘッドフォン装備、無論笑い転げたり曲に合わせて歌うなんて以ての外。 リゾナンターと離れても気を遣う環境に身を置かねばならない状況に、里沙はバイトしてお金貯めようかなと密かに思っている。 時間は夜の九時半、早く部屋に戻ってお風呂を済ませてのんびりしよう、そう思う里沙の想いは打ち砕かれた。 ジリリリリーンというけたたましい音と共に、携帯電話のランプがめまぐるしく点滅を繰り返す。 舌打ちしたい衝動を堪えて、里沙は通話ボタンを押して耳に携帯を当てた。 『もしもーし、ガキさーん』 「…藤本さん、どうしたんですか?」 『ガキさん冷たいー、あたしそんな風にガキさんのこと育てた覚えないんだけどー』 「育てられた覚えはありません、で、何の用ですか、あたし早く部屋帰ってお風呂入ってくつろぎたいんですけど」 言い終わると同時に、里沙は一時的に耳から携帯を離した。 コンマ数秒の遅れと共に、新垣生意気なこと言ってんじゃねぇぞ!!!という怒号が耳を離していても聞こえてくる。 それなりの付き合いがあるからこそ、相手がどういう行動を取ったら切れるかは承知していた。 承知していながらもあえて相手を怒らせる言動を取ったのは、お互いのためとも言える。 ストレスを貯め込むのはよくない、怒ってストレスを発散できるならば安いものだ。 直接会ってやり取りしていたらきっとこんな暢気なことを思う前に凍傷の一つや二つ出来ているだろうが。 こうして離れた距離でやり取りするようになって、少しはお互い楽にコミュニケーションが取れるようになった(と里沙は想っている)。 静かになったのを確認して、里沙は再び携帯電話を耳に付ける。 『ガキさん、早く報告書まとめてこっち帰ってこいよ』 「…藤本、さん…」 『お前がいないと皆張り合いねーんだよ、あたし一人じゃツッコミ足りねぇし…』 「じゃ、少しでも早く報告書がまとまるように藤本さんに頑張ってもらわないと」 少し泣きそうなのを堪えながら言った言葉に、藤本美貴はあたしだけかよ、ふざけんなよとやっぱり切れた。 切れていたけど、何だか美貴が楽しそうで里沙は早くダークネスに帰りたいなと思う。 口は悪いし、凶暴な人が多いダークネスだけれど、実際の彼女達は案外寂しがり屋で人に優しい。 仕方ないから明日そっち襲撃してやるよ、なるべく全員揃って迎撃しろよという言葉で通話は切られた。 里沙は携帯電話を折り畳むと、アパートへと駆け出す。 美貴と電話をしていたおかげで、時刻は夜の九時四十分、早く帰宅してお風呂を済ませないと。 ちなみに十時までに体を洗って湯船にさえ浸かっていれば、殆ど音はしないため苦情がくることはないのだが。 それでもここに住むようになって一ヶ月、染みついてしまった生活リズムを乱すのは気持ち悪いのだ。 「でも、藤本さん頑張るなぁ…この間肋骨折られてなかったっけ?」 ふとそんなことを思い出したものの、まぁ藤本さんだもんねと一言で片付ける里沙。 最早里沙の思考は風呂一直線で、さっきまでのしんみりとした空気は何処かに飛んでいた。 ―――良くも悪くもこの切り替えの早さが、里沙が今でもスパイ生活を何とかやれている要因なのだ。 翌日、頭が痛いながらもいつものように仕事帰りにリゾナントに来たのよという雰囲気を醸し出しながら、 里沙はリゾナントのドアを開いて…何事もなかったかのように再び閉めた。 (…見間違い、そうよあれは見間違い) 自己暗示をかけながら、もう一度ドアを開けた。 現実は何処までも残酷なんだ、神様なんていないんだ、里沙はそう痛感した。 ドアを開けた里沙が見たものは、ウェルカムサブリーダーと書かれたタスキを肩にかけた八人。 店の中も何故か、所謂お誕生日会のように飾り付けられ、まさにこれからどんちゃん騒ぎしますよといった感じである。 サブリーダーに就任してしまったショックで、里沙はその後のことをよく記憶していなかったのだが。 呆然とする里沙を放置して、サブリーダー就任祝いをすることになっていたらしい。 藤本さんに電話して、今日の襲撃はなかったことにしてもらおう、そしてあたしは今から帰ってテレビでも見よう、 里沙はそう決意して三度ドアを閉めようとしたのだが、それは阻まれる。 いつの間にか瞬間移動で里沙の背後に現れた愛が、素早く里沙を店の中に押し入れたのだ。 押された勢いでそのまま店の中央へと立った里沙に向かって、各々クラッカーを鳴らす。 口々にガキさんおめでとーと言ってくる彼女達を見てると、何だ、こういうのは普通に祝ってくれるんだと思わざるを得ない。 普段の行動がアレな分、何をされるのかと冷や冷やしたのだが…杞憂に終わったようだ。 神様はいたんだななんて思いながら、里沙は出されたケーキに口を付けて…その場にうずくまって口を押さえた。 見た目は完璧な苺をあしらったショートケーキ、だがその味は里沙の想像を遙かに超えていた。 甘いはずなのに口の中に広がる香りは磯臭く、何故か奇妙な苦みさえ感じられる。 「ねぇ…これ、何入れたの?」 「あー、それさゆが作ったんですー、隠し味にいいかなーと思ってイカ墨とサンマの腸を生地の中に練り込んでみたんです」 「…こ、今度から普通に作ってね、何の隠し味もいらないから」 咀嚼して味わうことを躊躇われる味に、里沙は飲み物で流し込もうと慌てて既に中身の注がれたコップに口を付けて苦悶の表情を浮かべた。 見た目や香りはほうじ茶そのもの、だが口の中に広がる奇妙な甘みと炭酸のシュワシュワ感であった。 鼻を摘んで無理矢理飲み込んで、里沙は努めて冷静な声を出す。 「えーと、この飲み物は一体?」 「あ、それ小春が作ったんですー! ほうじ茶をサイダーで割ってみたら美味しいかな、って」 「あ、そう…ほうじ茶はほうじ茶、サイダーはサイダーでいいから、ね、本当お願い」 一瞬でも感動した自分がバカだった、やっぱりこいつら普通じゃない。 嬉々とした表情でキワモノ料理や飲み物をどんどん勧めてくる八人の姿は、姿こそ美少女だが中身は悪魔としか思えない。 誰だよバナナシェイクに赤マムシドリンク混ぜたのは…ジュンジュンしかいないか。 この見た目おはぎ、あんこにくるまれた中身はチーズという食べ物を作ったのは…ちらっと視線を向けるとニコニコと笑う愛佳。 どう考えても人には見えないんだけど、ガキさんと横に書かれた文字から察するに似顔絵のつもりなんだよね…カメ。 大量の“月島きらり”のCDは…田中っちしかいないよね、てか握手券欲しいならそこにいる本人に言えばいいのにね。 これは…リーダーとの永久ラブラブ券って書いてあるけど、他の人間にあげれば喜ばれそうだね(棒読み)。 誰か一人くらいまともなお祝いをと心の中で涙を流す里沙の肩を叩いたのは―――リンリンであった。 リンリンなら、きっとリンリンなら何とかしてくれるに違いない。 期待を込めてリンリンを見つめたその時だった。 何処からともなく、人々の叫び声が聞こえてくる。 間違いない、美貴が昨日宣言した通り襲撃しにこの街に現れたのだ。 お祝いムードは一転して緊迫した空気へと変わる。 「折角皆で祝ってるのに…皆、行くよ」 緊迫した空気になったため、結局里沙はこれお祝いだったんだと呟くタイミングさえ奪われた。 バタバタと皆リゾナントを飛び出していく。 走りながら、そう言えばリゾナンカーには誰も乗らないのねと思いつつ。 美貴が希望していた、なるべく全員揃ってという願いは叶えられた。 ならば、自分がやることはたった一つ―――この戦いでデータを取り終わって速やかにダークネスへ戻れるようにすることだ。 そう決意し、気合いを入れて走る里沙は気付かない。 ―――そう簡単に里沙の思うように事が運んだためしなんて、ただの一度もなかったということを。 ---- ---- ----

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