「(16)424 『BLUE PROMISES 番外編 -an amulet message-』」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
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「愛ちゃん」
「ん?」
「あの、さ」
閉店後のカウンターに腰掛けてぼんやりとそれを眺めていたあーしに、
遊びに来ていたガキさんが遠慮がちに声をかけてきた。
あーしは首だけ振り返ってその姿を瞳に映す。
なのにガキさんは、困ったように微笑んでそこに立っているだけだった。
「…どした?」
あーしは椅子を回転させて、身体ごと彼女の方を向く。
ガキさんは小さくあーしの手元を指さして、それ、と続けた。
「もし良かったら、だけど」
手の中と、ガキさんと、交互に視線を移しながら、彼女の言葉を待った。
「新しいの、作ろうか?」
『BLUE PROMISES 番外編 -an amulet message-』
あぁ、と、あーしは手の中に視線を戻しながらマグカップに口をつける。
モカの香りがいっぱいに広がる。喫茶店のマスターとして、安らぐ瞬間。
心も身体もダークネスとはまた別の闇に飲まれ、暗黒を彷徨っていたあの時。
実はあれからしばらく経った今も、その時のことを鮮明に思い出すことができない。
青空の下でお守りが見せてくれたあの断片的な映像だけが、あーしの「記憶」の代わり。
あとで聞いてみると、あーしが失踪していたのは丸1ヶ月間だったらしい。
1ヶ月もの間、あんな真っ暗で汚いところで、本能と欲望のままに生きていたことになる。
そりゃあ、こんな記憶のないあーしよりも事実を見てきたこのお守りがボロボロになるわけだ。
ガキさんが作ってくれた、手作りのそれ。
どんな時も肌身離さず身につけていた。
無意識とは、時に思いがけない奇跡を起こすのだと思っている。
毎朝着替える時、アクセサリーを着けるよりもまず、お守りを手に持つことが1日のサイクル。
あの日も、自分の部屋を出るときにいつも通りにこのお守りを身につけていたから、
闇に堕ちてもなお、あーしとガキさんを繋ぎ止める大切なピースとして輝いていたから。
今、あーしはここにいる。
大切な大切な人と一緒に、ここに帰ってこれた。
「…ほやなぁ、ボロボロになってもーたけど…」
あーしは、破れた黄緑色のRの字をそっと指でなぞった。
『私があなたを守る』という意味を込めてお互いのイニシャルのものを持っていることを考えると、
果たしてこんなにまでボロボロにしていることは、彼女を守れていることになるのだろうかと一瞬悩んでしまう。
それに比べてガキさんの持つお守りは、本当にきれいなままだ。
同じように毎日身につけているのに、何でこうも違ってくるんだろう。
あーしはちょっと、いやかなり、この扱いについては申し訳ないと思っている。
ガキさんもきっと、こんなボロボロなのを見かねてあんなことを言ってくれたんだと思う。
今、この手の中にあるお守りも、これから作ってくれようとしているお守りも、
どちらもガキさんが作ってくれたものには変わりのないもので、
あーしにとってはきっと、かけがえのない大切な宝物になるんだとは思う。
あの時も今も、ガキさんがあーしを思って想いを込めて作ってくれるもの。
だけど、だけどだけど。
まだそこに突っ立ったままの彼女を手招きして、隣の席に座らせた。
お守りを包んだ両手をテーブルに置くと、ガキさんがその上にそっと手を重ねてきた。
その手には、Aの文字の縫い付けられたお守り。
伝わるぬくもりが心地よい。
お守りに重ねられた「記憶」が蘇るようで、少し切ない気分にもなる。でも。
「…こんなん恥ずかしいから、一回しか言わんよ?」
重ねられた手の上に自分の手を重ね返して、彼女の澄んだ瞳を覗き込んだ。
「新しいもんを作ってくれるっていうガキさんの想いは嬉しい、けど」
ボロッボロのこのお守りに、あーしの思い出がたくさん詰まっとる。
ダークネスに負けそうって時に強く握りしめて勇気をもらったり、
わけもわからんくらいに悩んだ時は情けないくらいに泣きながらすがってみたり、
あん時みたいに闇に墜ちるなんて愚かなことを繰り返さないための戒めになるし、
そして、あーしとガキさんを救ってくれたのもこのお守りがあったのが大きいし、
「…何よりも、これ作ってくれたガキさんの想いを毎日感じてっから…」
このままがいいな。
その言葉はもごもごと自分の口の中で消えた。
ガキさんの目を見ていたはずの自分の視線はいつの間にか下がっていた。
言葉にはウソなんてない。けど、口にするとやっぱり照れくさい。
彼女は何も言ってくれないし、どんな顔をしているのかもわからない。
沈黙がちょっと気まずくなって手を離そうとしたら、
「…もー、愛ちゃん、耳まで真っ赤だよ?」
手に重ねていた手にさらに手を重ねられて強く引っ張られ、
つられてあーしはガキさんの顔を見上げた。
そこには、きっと人のことなんて言えないくらいに真っ赤になった顔があって。
アッヒャーと指さして笑ったらデコピンされて涙目になったあーしは、
手の中にあるお守りをガキさんの目の前に差し出して、問いかけた。
「なぁ、ガキさん」
あーしは、ガキさんを守れてる?
あーしにとっては、普段から感じていた疑問。
だけどきっとガキさんにとって、その言葉は唐突すぎるもの。
一瞬表情が曇ったのがわかって不安になる。
ガキさんを不安にさせることは、自分にとっても不安なこと。
「あいてっ」
「なーに暗い顔してんのよ」
考え事を見逃さないガキさんの指は、的確にあーしのおでこを弾く。
二度目のデコピンに額をおさえると、やれやれと小さく首を振る彼女が目に映った。
「…愛ちゃんが守ってくれるから、あたしが今ここにいるんでしょーが」
そう言うとガキさんは、あーしの手の中のお守りを奪い取って、
明るさを落とした店内の照明にかざしながら、裏、表、裏、と眺めている。
「どんなにボロボロになっても愛ちゃんが大事にしてくれるのわかったし」
だから、せめておまじない。
ガキさんはそう言って、むむむむむ、とお守りを手にして大げさに念じ始めた。
「なんやのーそのおまじないは」
「えー? 見ての通り『愛ちゃんがもっとしっかりしますようにー』って」
「ひっでー! あーしもガキさんのお守りにおまじないするわ!
『ガキさんがもっと優しくなりますよーに』って」
「あ! ちょっとー!」
あーしはガキさんの手から同じようにお守りを奪い取ると、
真似して目を閉じて、むむむむむ、と念じるフリをしてみた。
してやったり。
そう思った。
きっと困った顔でもしてるんだろうと思って薄目を開けて覗き見たガキさんは、
破れかけのお守りを両手で大切そうに包み込んで、目を閉じ無言で何かを念じていた。
ビックリするほどに真剣な表情で、そこには茶化すような空気などなくて―――
あかん、あーし、やっぱしっかりせんと。
何を考えていたんだろう。
自分にとってこのお守りが何物にも代え難い存在なのだから、
ガキさんにとってのそれも、きっと同じであることなんて簡単に想像が付くのに。
なっさけないわぁ…。
あーしは小さく息を吐き出すと、ガキさんのその表情を見つめて目に焼き付けた。
こんなにも真っ直ぐに、あーしのことを考えてくれる。
その想いに、絶対に応えてみせたい。だから。
同じように両手の中に黄色の刺繍をおさめ、そっと目を閉じる。
頭の中に鮮明に浮かび上がる、Aの文字。
iではなく、Aiのイニシャル、あーしの分身に。
こんなあーしは、きっとこれからもたくさんガキさんに頼ることになるだろう。
でもこの人は、しっかりしてよって言いながらそっと背中を支えてくれるはず。
命の恩人を。心の恩人を。
想いの限りに、一生。
だから、その誓いを込めて―――
「「―――あ」」
二人の声が重なって目を開けると、ガキさんも驚いたような顔をしてこちらを見ている。
「ガキさん、嘘つきや」
「愛ちゃんもね」
あーしは笑った。ガキさんも笑った。
共鳴って、ホンマ恐ろしい。
照れ隠しの言葉なんてただの音でしかなくて、黙って念じた本当の想いは音以上の重みを乗せる。
だけどそれこそが、あーしたちにとっては本当に大切なメッセージ。
あの日のようにお互いに差し出したお守りを受け取ると、
ガキさんはいつものようにポケットに忍ばせ、軽く手のひらでその上を撫でた。
「ありがと。愛ちゃんの気持ち、ちゃんと伝わってくる」
「ガキさんの想いも、ちゃーんとここまで届いとる」
あーしは自分の胸を軽くトン、と叩いた。
いつもと同じように腰に提げてそっと手で触れてみれば、
胸の奥まで伝わってくるのは、予想通りのあたたかい想い。
それは、さっきの共鳴よりも一段と強く湧き上がってくるもの。
―――あなたを、守るから。
二人がそれぞれに込めた言葉がまったく同じであることに心が震えた。
言葉がただの音だなんて、そんな考えはなかったことにしよう。
すっかり冷めてしまったマグカップの中身を捨て、
自分とガキさんのために、新しいコーヒーを淹れ直した。
肩を寄せ合って楽しむモカの香りに、幸せを感じる。
この幸せ守るためにも、あーし、がんばるよ。
その想いは、照れくさいけれどちゃんと言葉で伝えよう。
あーしはガキさんに自分の肩を軽くぶつけて語りかけた。
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