(24)897 『復讐と帰還(3) 記憶』

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&br() 新垣里沙が目覚めたのは、粛清人との対決から三日が経過した頃だった。 高橋愛の目覚めからは四日前という事になる。 里沙はベッドから上半身を起こして、寝ぼけまなこで辺りを見渡してみた。 開け放たれたカーテンの向こうから日が差し込んでいる。 どうやら自分は病室、それも一人用の個室にいるようだ。周りには誰もいない。 「何で私病院なんかにいるんだろう…」 別にどこも悪くないし、怪我もしていない。 ただ、かなり長い間眠っていたという感覚はあった。 ひどく頭がぼうっとしている。 しばらく呆けたまま窓の外を眺めていると、病院内にあるまじき大声が里沙の耳を襲った。 「あー!起きたー!!」 振り向こうとした瞬間、声の主に突然両肩を掴まれた。 「もうすっごい心配したんですよー!ずっと起きないから新垣さん!」 肩を掴まれたまま前後にぶんぶん揺さぶられる。 やっと目覚めた意識が、またどこかに飛んで行ってしまいそうな気がした。 「ちょっと、もう!何よいきなり」 「だって新垣さん凄い大怪我してたし、小春本気で心配したんですから」 「心配したとか急に言われても困るから、大体私怪我なんて…」 そこまで言って、里沙は自分の肩を掴んでいる少女と目が合った。 見覚えのある顔が、そこにいた。 確か、この子は… 「あ…きらりちゃんだ」 あどけなさの残る唇から発せられた声が、久住小春のもう一つの名前を呼んだ。 小春は自分の体内から何か熱が奪われていくような感覚を覚えて、里沙の肩から手を離し、 一歩下がって彼女の目を見つめた。 冗談を言っている風には見えない。それが、小春に嫌な予感を呼び起こす。 ゆっくりと、喉から言葉を絞り出した。 「ちょっと、何寝ぼけてるんですか」 「え?何できらりちゃんがこんな所にいるの?」 「何でって当たり前じゃないですか、仲間なんだから」 「仲間?何の?」 二人の間に沈黙が流れた。 数秒か、それとも数分か―― 呼吸を一つする度に、小春の心臓が鼓動を速めていく。 額に手を当て、ちょっと困ったように俯いている里沙が、小春の目に映る。 いつもの里沙とは何かが違うように、小春の目に映る。 新垣里沙を新垣里沙たらしめる何か重要なものが欠落しているようだった。 小春の目に映るのは、小柄で華奢な、一人の女の人の姿だった。 小春の胸に湧いた“嫌な予感”が、くっきりと輪郭を浮かび上がらせていく。 「私のこと、分かりますか…」 ことり、と小春の口から言葉がこぼれた。 パジャマ姿でベッドから身を起こしているその人は、少しだけ眉をひそめて、言った。 「月島、きらりちゃんでしょ?」 「そういう事を聞いてるんじゃないんです!」 開け放たれたカーテンがゆらり、と動いた。 様々な思いが浮かんでは、言葉にならずに溶けていく。 口にすべき言葉が見つからないまま、小春は凝っと新垣里沙の目を見つめた。 明らかに、その人は自分の急な来訪に戸惑っていた。 自分の言動に、混乱している。 そして、その瞳の奥には怯えの色さえ窺える事が、何より小春には辛かった。 背後から、小春を呼ぶ声があった。 振り向くと、病室の入り口に絵里が立っている。 「亀井さん…」 「小春、ちょっと」 促されて廊下に出ると、絵里が声をひそめて顔を近づけてきた。 「大丈夫?」 「亀井さん、いつから」 「さっきからいたんだけど、様子が変だったからしばらく後ろから見てたのよ」 「新垣さん、私の事が分からないんです」 「そうみたいね」 「どうすればいいんですか、私」 「多分、ガキさんね、一時的に記憶が混乱してるんじゃないかな」 小春の嫌な予感とは、その事だった。 里沙は記憶を喪失しているのではないか。 それを改めて絵里の口から聞かされた事で、予感が具体的なものになった気がした。 「でもどうして?」 「多分、多分なんだけど、ガキさんの記憶が混乱してるのは、能力を使いすぎたからだと思うの」 「あの日、高橋さんを助けに行った時にですか?」 重傷を負い死に瀕した愛の命を救うため、里沙は愛の精神に潜った。 サイコ・ダイブは精神をすり減らす。 その時里沙自身重傷を負って相当に消耗していたが、里沙は極限まで己の力を振り絞って 愛を死の淵から引き上げた。 その無茶な能力の行使の反動のせいだと、絵里は言うのである。 果たして実際にその通りか、は小春にも分からない。 「どうすれば、新垣さんの記憶は戻りますか」 「まだガキさん目が覚めたばかりなのよ?今は何とも言えないわ」 「じゃあ私は何をすればいいですか」 「…リゾナントに行ってみんなに伝えてきて」 「亀井さんは?」 「私はガキさんと詳しく話してみる」 「じゃあ私も…」 「あんたはリゾナントに行きなさい」 「でも」 「でもじゃない。ちょっと頭を冷やした方がいいわよ。あんたも混乱してる」 絵里の口調はあくまで冷静さを保っている。 その冷静さに自分の狼狽を見透かされて、小春は続けるべき言葉を失ってしまった。 「ほら、私、退院とかの手続き慣れてるからさ?」 その様子を察してか、絵里はふわりと優しい声で小春に語りかけた。 「なんとかガキさん言いくるめてリゾナントに連れて行くから、心配しないの」 そこまで言って、絵里は病室に入っていき、里沙の傍に腰を下ろした。 その様子を見届けて、小春は静かに廊下を歩き出す。 ―大人だな、亀井さんは 改めて、そう思った。 普段は随分ととぼけた言動をしているが、こういう時は冷静だ。 あの日、愛の危機を知ったときも、そうだった。 自分たちに黙ってたたかいに赴いた二人に対するやり場のない思いを解きほぐしてくれたのは、 彼女の言葉と、そしてあのふわりとした笑顔だった。 彼女には、自分が出来る事、出来ない事、やるべき事がすぐに分かるようだった。 自分はそういう風にはできない。 背は伸びてもまだまだ子供だ、と思う。 病院の外に出ると、空の青さが目に痛かった。 ふと、里沙の戸惑った顔を思い出した。 今まで自分には決して見せなかった表情だ。 どこか危なっかしい所がある自分に対して、これまで里沙は常に導くような姿勢で接してくれていた。 ちょっと口うるさい姉のような存在だと感じていた。 病室のベッドにいたパジャマ姿のあの人は、そういう里沙ではなかった。 ひどく生身というか素というか、かつて彼女を包んでいた様々なものがどこかへ行ってしまっていた様だった。 ―もしこのままずっと記憶が戻らなかっら… 急に、怖くなる。 急に、寂しくなる。 「どうしよう」 ぽつりと、不安が口からこぼれた。 顔を上に向ける。 こみ上げてくるものから目を逸らすように、空の青を見た。 一人で考えてもどうしようもない事だと、自分に言い聞かせ―― そして歩き出した。 喫茶リゾナントでは、田中れいなと道重さゆみが、明日の営業再開に向けての準備に没頭していた。 主に、メニューの見直しをしている。 愛が店に出られない状況では、主にれいなが料理を担当する。 全てのメニューを愛がいる時と同じ質で提供することは出来ない。 れいなも料理の腕を上げてはいるのだが、愛にしか出せない味というものはどうしてもあり、 リゾナントの料理として出せないものは一時的に削らざるを得ない。 恐らく、れいなの得意な物を中心として、メニューは半分ほどに絞り込まれるだろう。 そこに、中華料理店のランチタイムを終えて店を抜けたジュンジュンとリンリンが手伝いにやって来た。 二人がまた店に戻るまでの間、四人でメニューの絞込みをすることになっている。 久住小春が喫茶リゾナントのドアを潜ったのは、丁度その頃だった。 「小春、どうした?」 いち早く小春の来訪に気付いたのはさゆみだった。 小春は、神妙な面持ちで店内を見回して、口を開く。 「新垣さんの意識が戻りました…」 「本当?良かった…じゃあ早速みんなで――」 「いや、亀井さんが新垣さんここに連れて来るそうです」 さゆみの言葉を遮るように、小春が言った。 「そう、じゃあここで待ってればいいのね」 「はい…」 「クスミ、どうした?」 小春の唇が細かく震えているのを察して、ジュンジュンが声をかけた。 「ニーガキに、何かあったのか?」 少し間をおいて、小春は短く里沙が記憶を喪失していることを告げた。 「ガキさんが…」 重苦しい沈黙が、リゾナントを包む。 小春はすがるような目つきで、れいなとさゆみを見つめた。 あの日、里沙が愛の精神にダイブした現場に居合わせたのはれいなとさゆみだったからだ。 後から来た小春達よりも、そのときの里沙の状態をよく知っている筈だ。 さゆみがれいなに視線を送った。 「れいな、絵里の言ったこと、どう思う?」 過剰な能力の行使の反動で記憶の混乱が起こったと、絵里は小春に言ったらしい。 れいなは、自分の右手を見つめながら、しばらく考え込んで、口を開く。 「私にもよう分からんっちゃけど、確かにあの時のガキさんは限界を超えとった。  やけん、私も絵里の言った通りだと思う」 れいなの右手に、里沙のボロボロになった左手の感触が残っている。 愛の中で、何か異変が起こったのだろうか。 何か、里沙の精神に影響を及ぼすようなことが。 ―その時は田中っち。みんなの事、よろしくね サイコ・ダイブの直前に里沙が言った言葉が不意に思い出された。 まさか、里沙はこうなる事まで見越して… いや、まさか、そこまでは―― 「早く、記憶が戻るとイイデスガ…」 ぽつりと、リンリンが言った。 いつ記憶が戻るか、はここにいる誰にも分からない。 一日か、十日か、あるいは一ヶ月、一年、それとも… 「タナカ、これからどうするつもりだ」 「どうって…ガキさんの事?」 「ニーガキをここには置いておけないだろう」 「何でよ」 小春が横から口を挟んだ。 ジュンジュンは小春に視線を向け、言った。 「たたかえないカラだ」 胸が、焼けた鉄の棒を押し込まれたように、かっと熱くなった。 「よくもそんな事が言える!」 ジュンジュンの胸ぐらを掴み、吠えるように声を荒げた。 小春の目にははっきりとした怒りの色が浮かんでいる。 その目をジュンジュンは瞳を逸らさずに見返していた。 「ニーガキはダークネスのスパイだった、その意味が分かるか?」 静かに、ジュンジュンはそう言った。 ---- ---- ----

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