(03)947 『胸の高鳴る方へ』



 その日、高橋愛は仕入れのために喫茶リゾナントを留守にしていた。
代わりに留守を任されたのは、田中れいなと光井愛佳だった。

「お客さん、来んね」ため息混じりに田中が言う。

「ですね……ゴールデンウィークはダメですね……」

「去年のゴールデンウィークは、皆で鬼怒川温泉行ったと。そこに写真が貼ってあるっちゃろ」

「ほんまや!気付けへんかった……アァ~みんな楽しそう。うちも行きたかった」

「また、そのうち行くっちゃろ」

「写真にちゃんと、リゾナントって文字が入ってる。誰かがパソコンか何かで入れたんですか?」
 そう言ってキーボードを打つ真似をする光井。

「そうじゃなか。それ、エクトプラズムとよ。よく、見てみ。小春の口から出とるっちゃろ?」

「ええええぇぇぇ!」

「あいつ、意外に器用なとこあるけん」

「器用て!……白目むいてるやないのっ!」

「小春、無理して英語で出したから。最後のスペル吐き出すところで力尽きちゃって……しかも綴りも間違ごうとるやろ」

「……本当だ!これじゃあ、レズノートだ!」


 二人が暇に任せて他愛も無い話をしていると
喫茶リゾナントの前に3台のワゴン車が停まり、スーツ姿の男達が数人、入って来た。

 光井は呑気に「いらっしゃいませ」と声をかけたが、田中は男達がコーヒーを飲みに来た訳では無いと見抜いていた。
幼い頃から身寄りも無く、都会をサバイバルして来た田中の直感が、男達の悪意や邪心を鋭く感じ取った。

田中が乱暴に言う。「何ね?」

  警戒心をあらわにする田中。それを、なだめる様に一人の男が満面の笑みを作りながら言った。
「光井愛佳さんは、いらっしゃいますか?」

田中が言う「私ですけど」

男が作り笑いを止めて、店中に響き渡る様な声で怒鳴った。
「舐めた事ぬかすと、怪我するぞ。お前!」

 光井がその声に驚いて、ビクンッと身を硬くする。
田中は顔色を一つ変えずに「おっさん、ウルサイ。表で話そう」と言って男達の間をすり抜ける。

  男は田中を無視して、光井の所まで行き、声をかける。
「光井愛佳さんですね。一緒に来て頂けますか?もちろん、暗くなる前に、車で送りますので」

怯えた様子で、口ごもる光井。
田中が走ってきて、男と光井の間に割って入る。

「もう、閉店やけん、帰ってくれん?」

 男は「舐めてると、怪我するって言わなかったっけ?」と言い、田中を睨みつけたままで食器棚を指差した。
その刹那、棚にある食器が全て、凄まじい音と共に割れた。

 光井は驚いて、その場にしゃがみ込む。
田中は散乱した食器の破片をチラリと見て「あんた、念動を使うん?」と言った。

「そこを、どけ。次はお前の頭を吹き飛ばすぞ」と男が凄む。

「やってみな。脳しょうで、そんスーツば、汚しちゃるけん」

男は後ろに居る仲間達に確認する。

「面白いね、このガキ。確か、アンプリファイア( 増幅能力者)だろ?攻撃系の能力は無いんだよな?」

男は田中に向き直り、手の平を見せ「ハンドパワーです」と言っておどけたかと思うと突然、田中の頬を思い切り叩いた。
あまりの衝撃に田中は一瞬、気が遠のく。

「念動を使うと思ったろ?」男が笑う。

 田中が睨みつけると「何だ!その目は!」と怒鳴り、男は手を振り上げる。
田中が頬を庇って身を硬くすると、今度は念動を使って田中の二の腕を切り裂いた。
血が噴出し、骨が見えた。田中は、激痛に顔をゆがめる。

後ろで光井が震えていた。田中は光井に「大丈夫か?すぐ、追っ払ちあげるけんね」と言った。
男は鼻で笑い、スーツが血で汚れないようにして、田中を光井の前から押しのけようとした。

田中が叫ぶ「触るな!」

男は一瞬、イラッとした表情を見せると、念動を使って田中の頭部を切り裂く。髪の毛が弾け飛び、顔が血で染まる。

 田中の背中で、光井が堪らず泣き出す。田中が後ろ手に光井の手を握る。田中の手は震えていた。
光井は恐怖に押しつぶされそうになる。

(田中さんが怯えてる!)(殺される?)(震えてる?)(田中さんが震えてるのなら!)(抵抗しても無駄だ!)

 男は無理やり光井を引っ張り、田中から引き剥がす。
田中が追いすがると、男はレジの横に置いてあった花瓶で田中の頭を殴った。
花瓶は砕け、血が飛び散る。ガーベラが田中の髪の毛に絡みつき、顔の前に垂れ下がった。

その無様な格好を指して、男達が笑う。「花飾りが、よく似合うな!」「髪が横分けになっちゃった!」

 田中が唸る様につぶやく。「そん子に、触るな・・・」
おそらく、男の胸ぐらを掴もうとしたのであろう。
田中は、朦朧とした意識のまま、わななく手をゆっくりと前に突き出し、空(くう)を握り締めた。

 男が笑いながら言う「何だ?この手?腹痛てぇ!ちょ、お前ら、コレ!見て」男達が笑う。
田中は気を失いそうになるのを堪えながら、男の腰にしがみついた。
男のスーツが田中の血でべっとりと濡れた。
男は逆上し、田中を引きずりながら表へ出て、田中を持ち上げたかと思うと、アスファルトに思い切り叩き付けた。
田中はようやく、気を失い。男達は光井を連れリゾナントを後にした。


亀井絵里と道重さゆみから連絡を受けた高橋愛は、大急ぎで喫茶リゾナントに戻ってきた。
道重に今しがた治癒を受けた田中れいながベットに寝ていた。

 まだ意識が戻らないと道重が言った。
高橋は田中の横に座ると、眠る田中の意識をリーディングした。

 高橋は今日、リゾナントで起きた事の全てを把握すると、怒りで身体が震えた。
道重は、高橋を見て息を呑む。あそこまで、目に怒気を宿した高橋をはじめて見た。

高橋は亀井と道重に光井愛佳がさらわれた事を告げ、「今から連れ戻してくる」と言った。

高橋は二人の返事を聞く前に、消えた。


高橋は鉄塔の頂上に立って東京の街を見下ろしていた。
この街の何処かにいる光井愛佳の思念を探しているのだ。

 本来なら、どんなに優秀な精神感応力者でも
一千万人の意識が渦巻くこの街から、一人の思念を見つけるのは不可能である。
高橋は思考形態の特徴を手掛かりにしてはいなかった。

 高橋は先程、昏倒する田中れいなの意識をまさぐった時に、味わった心の震えを手掛かりとしていた。
(光井愛佳が私の思う人間ならば、その胸の内に鳴り響く音は抑えられないはず)
高橋は、この街の何処かで共鳴する心の音に、じっと耳をすましていた。


光井愛佳は、その施設に入ると目隠しを外され、一つの部屋に通された。
先程、田中れいなを傷つけて、自分をここに連れてきた人物はもう居なくなっていた。
しばらくすると初老の男性が部屋に来て、「私達の組織の予言者になって欲しい」と光井に告げた。

 何人かの人が来て様々な事を言ったが、そのほとんどは光井の耳に入って無かった。
光井の頭の中は、田中れいなの事で一杯だった。
田中の命に別状が無い事は、薄っすらと予知できたが、傷つけられた腕や頭部の後遺症までは分らなかった。

 光井が目を閉じると、先程のリゾナントでの情景が目に浮かぶ。
傷だらけになり、震えたいた田中れいな。
田中も自分も、ガタガタと震えていた。

 自分はあの時、震える田中れいなに見切りをつけて、あの男達に連れられて、あの場から逃げ出したのだ。
勇者とは恐怖を克服した者の事だとばかり思っていた。
でも、そうじゃなかった。

田中れいなは、恐怖に震える裸の命を、あの男と自分の間に差し出してくれた。

 勇気とはきっと、その命の震えの事を言うのだろう。
自分は本当の勇者を置き去りにして、恐怖から逃げ出した。

 田中は、血だらけになりながらも、後ろ手に光井を庇ってくれた。恐くて仕方ないくせに、最後まで立っていくれた。
その姿が光井の脳裏に、幾度と無く浮かぶ。
その度に、光井の胸の辺りに、何かが込み上げてきた。
その何かは、光井の胸の真ん中で、微かな音を立てた。
それは、次第に大きく鳴り響き、止む事が無かった。

田中のくれた、勇気が共鳴していた。


高橋愛が、鉄塔の上で風に吹かれてから、ちょうど2時間が経過しようとした、その時だった。
目を閉じたままの高橋が、微かに微笑んで目を見開いて言った。「見つけた」
光井の心の共鳴が高橋に聞こえた。

 それは、巨大な新興宗教の施設の地下からだった。
目視が出来ない場所には、基本的に瞬間移動は出来ない。
一度でも行った事があって、その場所がイメージ出来れば別だが、
初めて訪れる場所ではせいぜい壁を一枚隔てた空間への瞬間移動が関の山だ。

 高橋は歩いて施設の中を探し【一般信者様の立ち入りを禁ず】と書いてある地下への通用口まで辿り着く。
高橋は意を決して、その中に瞬間移動する。



巨大新興宗教の施設の地下4階。能力者研究施設。そのトレーニングルーム。

 そこでは30名ほどの子供たちを相手に、一人の青年が授業を行っていた。
体育座りをし、講師の青年を中心に車座になり、子供たちは読心術に関する説明を聞いていた。
すると、わずかに部屋の空気が震えて、講師の青年の真後ろに、高橋愛が現われた。
子供たちはザワつき声を上げる。「瞬間移動だ!」「はじめて見た!」「カッケェ!」
講師が驚いて言う「誰だ!あんた?」

 すると館内放送が響く。
『緊急警報。研究施設全域に告ぐ。施設内にレベル5の能力者が侵入した。侵入者は瞬間移動と読心を使う。
施設内に居る能力者は総動員し、侵入者の確保にあたれ。止む終えない場合は殺傷も許可する。
なお、能力者以外の者と訓練生は一般信者エリアへの避難を命ずる。繰り返す……』

 誰かが「レベル5!先生より上だぁ」と言うと、みんな笑った。
講師が慌てて言う「お前ら、笑ってる場合か!」

「先生、この人、悪い人じゃないよ。さっきから僕たちに、授業の邪魔してゴメンネって謝ってくれてる」

「そうだよ!先生だって、この人の事をカワイイって思ってるじゃないか!」

講師が顔を赤くして言う「コラッ!お前ら!……無闇に人の心を読んではいけないって、あれほど!」

講師の青年が赤面してる間にも、高橋は子供たちと心で会話していた。
子供たちは(さらわれて来た女の子の事は知らないけど)と前置きをして
その代りに、幹部候補達しか入れないエリアの入り口をイメージしてくれた。

 高橋はお礼を言って消えようとすると、子供たちが肉声で尋ねてきた。
「上の世界ってどんな所なの?」「能力者は上の世界で暮らせないって聞いたけど、どうしてあなたは大丈夫なの?」
「わたし達も、上で暮らせるようになるの?」

 高橋も肉声で答える
「精神感応力に鍵を掛ける方法をマスターすれば、上も良い所よ。今度、先生も一緒に私の喫茶店に遊びに来るといいわ」
高橋は喫茶リゾナントをイメージして見せる。
「素敵なお店」「わぁ~ケーキが沢山ある!」「先生!連れて行ってよ!」

 講師の青年が言う「この子達をここから連れ出すつもりか?」
高橋が答える「私が連れ出す訳じゃ無い、もし、そうなるとしても子供達の意思で出るのよ」
青年は言う「子供達をそそのかさないで貰いたい」
高橋が笑って答える「子供達はいつも、同じ方向を目指して旅立ってしまうものよ」
「同じ方向?一体、何処に行くって言うんだ」

「胸の高鳴る方へ」言い終わらないうちに高橋の姿は消えた。


(作者注:これより先は、このBGMを聴きながらお楽しみください)




高橋は子供達に教えられた、施設の最深部エリアの扉の前で耳を澄ませていた。
中には能力者たちが、50人~60人はいた。
高橋は、ポケットのダート〈麻酔薬の入ったカプセルに、針が付いた物。麻酔銃の弾丸〉を確認し、その中に飛んだ。

100畳はあろうかと思われる、集会場には武装した能力者達がひしめいていた。
壇上のような所で、一人の男が資料を片手に大声で説明をしていた。

「……以上の点に留意する事。なお、確保が困難な場合は殺傷を許可する。銃火器の使用は同士討ちを避けるため……」
 男の言葉が突然、途切れた。
首筋に、ダートが突き刺さっている。
男はストンと、その場に崩れ落ち、その背後に高橋愛が現われた。
集会場に、どよめきが起こる。

幹部らしき男が声を上げる。
「その女がi914だ!仕留めれば、幹部への昇進を約束する!」

男達は色めき立ち、何人かは高橋に飛び掛った。
しかし、踏み込んだ先に、もう高橋は居らず、男同士で抱き合う格好になる。

高橋は、別の場所に現われて大きな声で言った。

「運動苦手な人~!」

もちろん手を挙げる者など居ない。しかし、心が勝手に反応する。高橋はそれを読み取る。
(早い動きにはついて行けない)(俺の苦手なタイプだ)(こっち来るなよ)(何処に居る?)(見失った)
弱気な思考をした者の背後に高橋は瞬間移動し、ダートを首筋に刺す。
10秒と掛からずに8人が崩れ落ちた。

「自分に不利な情報を考えるな!狙われるぞ!」誰かが叫ぶ。

幹部らしき人物が大声を上げる「皆、背後を取られるな!壁を背にしろ!」

刹那、高橋は幹部らしき男の頭上に現われ、首筋にダートを衝き立てる。

「みんな!……上にも注意だ」誰かが叫ぶと、その場に居た男達からドッと笑い声が沸いた。
「面白い!」「かかって来い!」「やるじゃないか!」「俺と遊ぼうぜ!」男達がいきり立ち、沸き上がる。

高橋はまた、別の場所から現われ声を発する。

「今日、うちの店で暴れた奴、この中に居る?」

(喫茶店)(砕け散った食器)(血だらけの女)(俺のスーツを汚しやがった)
一人の男の思考を嗅ぎ分け、高橋はその男の背後に飛んだ。
高橋は、男を後ろから抱きかかえると、男もろとも消えた。

 男が高橋に連れられて瞬間移動した先は、地上30メートル、ビルとビルの隙間だった。
男の身体はピッタリとその隙間にはまり身動きが取れずに居た。しかも、逆さまの状態で。

「た、助けて…下さい!」男が叫ぶ。
「光井愛佳は何処に居る?」高橋が聞く。男の脳内に光井の監禁されている部屋のイメージが浮かぶ。

次の瞬間、高橋は光井の監禁されている部屋に居た。


高橋はベットに腰掛けている光井に言った「待った?」
光井は黙って首を振り「田中さんは?」と聞いた。
「まだ意識は戻らんけど、心配要らん。さゆが見ていてくれてる」
泣き出す光井。
高橋は光井の肩を抱いて言った。「帰ろう。……ちょっと寄り道しても良い?」



 逆さまの状態でビルとビルの間に挟まれた男は、何とかして体勢を変えようともがいていた。
ジリジリと身体を回転させ、逆さまから真横にまで体勢を持って来た。
「あ~死ぬかと思った。あぁ~頭に集まった血が引いて行く。この体勢、楽だわぁ~」

 すると突然、高橋愛が横になった男の身体の上に現われた。
「あぁ、戻ってきてくださったんですね。何でもします。幾らでも払いますからどうか助けて下さい」
高橋が「ほい、忘れ物」と言って男の耳にガーベラの花を挿した。
「バイバイ」
「ネ、ちょ、待って!待っててばぁ」


終わり




















最終更新:2012年11月23日 21:09