オカシイ世の中覚え書き

P99・連載・人間自身~厚かましいNHK一つ前との差分

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P99・連載・人間自身~厚かましいNHK - (2006/12/27 (水) 02:12:18) の1つ前との変更点

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 先日、新潮社の編集者数人と食事をしたら、その場にいた誰も、NHKの受信料を払っていない。何でもさる編集長は、収受員撃退マニュアルなるものまで配布しているとか。みなの話を聞くにつけ、真面目に払うのはやっぱりどうにもばかばかしい。よし、私も払うのやめようと思い立った。  銀行へ解約に手続きに行った。見てもいない衛星放送、収受員があんまりうるさいので払っていたが、それだけを解約したい。一般放送のニュースと天気予報は見てるから。そう頼んだら、一方だけ解約というのは手続き上出来ないといわれた。それで仕方ないから、両方とも解約してしまった。  そしたら、一つ気も立ったら見事にしっかり収受員がやってくる。「払え」、見てないもの払えない。原則だから払え。モニター越しに押し問答である。またにしてください。追い返すつもりでそういうと、ほんとにまたやってくる。憎らしい。それも、昼寝中とか、スパゲッティが茹で上がる直前とか、絶妙のタイミングでやってくるから、いよいよ憎らしい。たいそう腹を立てている昨今である。それで、書くつもりはなかったが、書くつもりになった。NHK,何を勘違いしているのか。  最大の勘違いは、人はテレビを見るものだという勘違いである。全ての人はテレビを見るものだと思っている。しかしこれは間違いである。私はテレビは見ない。必要を覚えない。テレビを見ると人間が馬鹿になる。基本にこの認識があるからである。  なるほどニュースと天気予報は見る。これとて厳密には必要ないが、中程度の必要性は感じるからである。見ているなら払えというだろう。ならこういいたい。ニュースと天気予報は公共性の最たるものである。「公共放送」NHK,最大の公共性たるニュースと天気予報はただにするべきではないか。逆に、国の交付金は拒否せよ。その文だけは視聴者が払う。  ニュースと天気予報以外に、見るに値する番組を作っているのか。これが第2の勘違いである。見るに値する番組なら、値するのだから、腹っていい。しかし、見るに値しないから見ない番組に、何故払わなければならないのか。  「払う義務」を押し付けるなら、「見ない権利」を私は掲げる。実際私は大変早寝で、一杯飲んだら寝てしまうので、夜中にテレビなんか見ないのである。今のテレビが壊れたら、もう買う気もない。ニュースと天気予報は、ラジオがあれば事足りる。  ニュースと天気予報以外は見た分だけ払うというシステムは、技術的に可能のはずである。地上デジタル云々より先に検討すべきである。なのに検討しないのは、導入したら誰も見なくなると分かっているからである。見るに値する番組を作っていないと、本当は分かっているのである。それで人に向かって払えと要求するとは、厚かましいな。  さらには、「公正中立」のウソである。客観的報道は人間には不可能であるという上等な話ではない。ちょっと以前、子会社のNHK出版が出した哲学童話本のドラマを製作放送して、哲学バブルを演出し、大変な利益を上げている。くだんの会社には多くの社員が出向し、殆ど暇にしているとはあくまでも噂である。公正中立の公共放送は、自社本の宣伝をしてもいいのか。活字は電波にかなわない。これは活字哲学の側からの半分やっかみである。しかし哲学には哲学自体の力があるのでもある。哲学の真贋は、公正中立にも歴史が判定するのである。  ちょっと考えてみただけでも、たちまちこれだけの理由は挙げられる。やっぱり私は払うのやめた。自分たちハブが悪いと分かっているから、支払い強制という脅しに出るとは、勘違いの極致である。潰れるものなら潰れればいい。一度潰れて反省し、一からやり直せばいいのである。  さて問題は、毎月やってくる収受員である。この一ページを切り取って、玄関先に張っておこう。同じく不払いをがんばっている皆さん、著作権要りません。ご活用ください。 筆者:池田晶子

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