オカシイ世の中覚え書き

1.事実に関しては一切妥協しない一つ前との差分

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1.事実に関しては一切妥協しない - (2010/11/07 (日) 12:11:53) の1つ前との変更点

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*事実に関しては一切妥協しない &bold(){コンノ} 私は30年前に『現代物理の死角』(1980年、自費出版)を出しました。今回のこの本はその増補版として、最後のけじめとして出そうというわけです。もう齢だから、頭が呆けてきて、ひとつの集大成でね。 &bold(){副島} ああ、コンノ先生の人生のけじめですか。いい言葉ですね。  私も先生と同じで自分の知り得た範囲の知識に関して一切ごまかさないという態度で長年、本を書いてきました。公共の利害に関わる事実factsであるらしいことに関しては一切ひるまないで書 く。殺されてもかまわない。私は〝言論のテロリスト″とも言われてきました。だから誰も近寄って来ません。相手がどんな偉い人であってもいい加減なことを言ったら(書いたら)容赦しません。遠慮もしません。  私でもこうやって50歳を越してようやく遠慮せずに何でも書ける立場になったと思ったら、今度は体の方がきつくなってきた。私を恐がる敵どもは、私の気力、体力の衰えを待っているんだなあと分かります。  秘密を暴くこと。とくに歴史の裏側の真実を表に出すことを専門にしてきました。大抵のことには裏がありますね。もうあと何枚めくったら、どこまで被いを取り去ったら、本当か。私は、最近は、本当の真実というコトバを使います。  たとえば「聖徳太子は実在しなかった」という話があります。今ではもう小学校、中学校、高校の教科書でももう居なかったことになったのです。今の教科書には馬屋戸皇子とか書いている。  元を辿っていくと藤枝晃さんという京大の人文研の教授をしていた人が、1975年に真実を証拠付きで論文に書いちゃったのが始まりなんです。このあと何人かの歴史学者が藤枝論文を泥棒して聖徳太子不在説を主張して人気を博した。 「聖徳太子」と言われている人物が『三経義疏』を書いたことになっている。だから日本史学では聖徳太子は実在したとされてきた。この「義疏」(あるいは、「ぎそ」と読む)というのはコンメンタール、注釈書です。仏典の解説書です。  この『三経義疏』と同じものが、敦煌莫高窟の石窟から発掘されていたのです。だから日本で表紙だけを貼り替えたものだとバレてしまった。遣唐使の留学僧たちが高いお金を払って買って持って帰ってきたものなんです。もうそれだけで「ありがたや、ありがたや」の世界です。真理の言葉だといって、そういうのを当時は天皇以下、朝から晩まで拝んでいたわけです。  藤枝晃の論文を読んで、日本史の学者たちが業界(学界)内で、「やっぱり(津田左右吉が唱えたとおり)聖徳太子はいなかったんだ」と密かに噂し始めた。そのことはじょじょに歴史好きの一般人にも知れわたってきた。証拠が出てきちゃったから困ったわけですよ。聖徳太子の一万円札も困ってしまった。聖徳太子の『十七条の憲法』がすばらしいとか何とか褒めてきた、日本国内のたいした頭をしていない知識人やら評論家たちも困ってしまう。どこかで護摩かしながらこれからも生きていくわけでしょ。  その時には権勢を誇っている実力者で、カが有るから偉いといったって、時代が変わればもう残っていません。学問の世界も同じです。自分たちが科学者の頂点で立派な学者だと周囲が認めている体制派の、ぬくぬくといい思いだけをしてきたような者たちもどうせ残りません。時代が変われば真理(真実)でさえ変わってゆく。日本の現代の宇宙物理学の筆頭で、ビッグバン肯定派の佐藤勝彦(宇宙物理学者)と池内了(理学博士)たちもやがて失脚してゆきます。 &bold(){コンノ} 私も体制派を批判する本を長年書いてきましたが、ありがたいのは読者が意外と分かってくれていることです。声なき声、サイレント・マジョリティと呼べる読者たちがいてくれて、それ がうれしいです。 副島 本物の読者人階級(ブック・リーディング・クラス)が日本にもまだわずかに残っています。 貴重な感想を短くビシッと書いて来てくれる人たちがいて、本当にありがたい。  私は、もう人間という生物を見切っていますから、中味もないのに偉そうにしているやつ、本当 は馬鹿のくせに威張りくさっているやつらをすべて撃滅します。  読者というお客様だけを大切にすればいい。国民が私たちを守ってくれます。私は、言論や学問 も商売であると言い切ります。
*事実に関しては一切妥協しない &bold(){コンノ} 私は30年前に『現代物理の死角』(1980年、自費出版)を出しました。今回のこの本はその増補版として、最後のけじめとして出そうというわけです。もう齢だから、頭が呆けてきて、ひとつの集大成でね。 &bold(){副島} ああ、コンノ先生の人生のけじめですか。いい言葉ですね。  私も先生と同じで自分の知り得た範囲の知識に関して一切ごまかさないという態度で長年、本を書いてきました。公共の利害に関わる事実factsであるらしいことに関しては一切ひるまないで書く。殺されてもかまわない。私は〝言論のテロリスト″とも言われてきました。だから誰も近寄って来ません。相手がどんな偉い人であってもいい加減なことを言ったら(書いたら)容赦しません。遠慮もしません。  私でもこうやって50歳を越してようやく遠慮せずに何でも書ける立場になったと思ったら、今度は体の方がきつくなってきた。私を恐がる敵どもは、私の気力、体力の衰えを待っているんだなあと分かります。  秘密を暴くこと。とくに歴史の裏側の真実を表に出すことを専門にしてきました。大抵のことには裏がありますね。もうあと何枚めくったら、どこまで被いを取り去ったら、本当か。私は、最近は、本当の真実というコトバを使います。  たとえば「聖徳太子は実在しなかった」という話があります。今ではもう小学校、中学校、高校の教科書でももう居なかったことになったのです。今の教科書には馬屋戸皇子とか書いている。  元を辿っていくと藤枝晃さんという京大の人文研の教授をしていた人が、1975年に真実を証拠付きで論文に書いちゃったのが始まりなんです。このあと何人かの歴史学者が藤枝論文を泥棒して聖徳太子不在説を主張して人気を博した。 「聖徳太子」と言われている人物が『三経義疏』を書いたことになっている。だから日本史学では聖徳太子は実在したとされてきた。この「義疏」(あるいは、「ぎそ」と読む)というのはコンメンタール、注釈書です。仏典の解説書です。  この『三経義疏』と同じものが、敦煌莫高窟の石窟から発掘されていたのです。だから日本で表紙だけを貼り替えたものだとバレてしまった。遣唐使の留学僧たちが高いお金を払って買って持って帰ってきたものなんです。もうそれだけで「ありがたや、ありがたや」の世界です。真理の言葉だといって、そういうのを当時は天皇以下、朝から晩まで拝んでいたわけです。  藤枝晃の論文を読んで、日本史の学者たちが業界(学界)内で、「やっぱり(津田左右吉が唱えたとおり)聖徳太子はいなかったんだ」と密かに噂し始めた。そのことはじょじょに歴史好きの一般人にも知れわたってきた。証拠が出てきちゃったから困ったわけですよ。聖徳太子の一万円札も困ってしまった。聖徳太子の『十七条の憲法』がすばらしいとか何とか褒めてきた、日本国内のたいした頭をしていない知識人やら評論家たちも困ってしまう。どこかで護摩かしながらこれからも生きていくわけでしょ。  その時には権勢を誇っている実力者で、カが有るから偉いといったって、時代が変わればもう残っていません。学問の世界も同じです。自分たちが科学者の頂点で立派な学者だと周囲が認めている体制派の、ぬくぬくといい思いだけをしてきたような者たちもどうせ残りません。時代が変われば真理(真実)でさえ変わってゆく。日本の現代の宇宙物理学の筆頭で、ビッグバン肯定派の佐藤勝彦(宇宙物理学者)と池内了(理学博士)たちもやがて失脚してゆきます。 &bold(){コンノ} 私も体制派を批判する本を長年書いてきましたが、ありがたいのは読者が意外と分かってくれていることです。声なき声、サイレント・マジョリティと呼べる読者たちがいてくれて、それ がうれしいです。 &bold(){副島} 本物の読者人階級(ブック・リーディング・クラス)が日本にもまだわずかに残っています。貴重な感想を短くビシッと書いて来てくれる人たちがいて、本当にありがたい。  私は、もう人間という生物を見切っていますから、中味もないのに偉そうにしているやつ、本当は馬鹿のくせに威張りくさっているやつらをすべて撃滅します。  読者というお客様だけを大切にすればいい。国民が私たちを守ってくれます。私は、言論や学問も商売であると言い切ります。

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