オカシイ世の中覚え書き

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▼「反対運動」が報道されない理由 - (2007/02/12 (月) 12:43:20) のソース

岩崎
ここへ来て安倍内閣の支持率が下がっています。安倍さんは相当気にしていると思いますが、どうですか?

民放
もともと「ルックスもいいし、選挙に勝てるから」というのが唯一の理由で総裁に選ばれた人ですから、支持率が唯一の頼りのはずです。支持率が落ちてきているというは、頼みの綱がなくなってきているということでしょう。総裁選の前から図抜けて支持率が高かったから自民党は皆ついて行った訳で、その前提が崩れてしまいますね。もし参院選で負けたら、それで終わりでしょう。

丸山
昔の自民党は、派閥連合だったこともあって、世の中の状況を見て結構うまくバランスをはかっていた。党内にはいろいろなカラーがあったのが、力になっていたと思います。
しかし、いまはバラエティがなくなって、自民党の「良さ」が薄れています。例えばイラクの問題では、アメリカは明らかに撤退する方向ですが、日本の与党はまったくこれまでどおりで、誰もそれを止めない。もう整理してケジメをつけないと危ないと思うのに、ということです。

民放
自民党は、党内のリベラル派が相対的に弱くなってしまった。自民党は、リベラルから保守までいて、意見をたたかわせて一つの政策にしてきた。左に振れすぎたと思えば右に振れ、右に振れすぎたと思えば左に振れるという「振り子の原理」が働いていた政党です。それが50 年続いた理由だと思いますが、その余裕がなくなってきた。郵政「造反組」が復党するとき、「党の方針に反したら離党します」という誓約書を書かせています。これはこの前の衆院選でも、今度の参院選の候補者にも書かせている。まるで恐怖政治で、党の方針と違うことを大声で言えなくなってしまった。

丸山
 それはアメリカの共和党・民主党とも違うし、イギリスの保守党とも違う。そういう問題についてメディアはもっと追及しないといけないね。

大手紙
 自民党は「派閥の集合体」だとされてきました。派閥の功罪はあるとは思いますが、各派閥はそれぞれ「政治家を育てる力」を持っていました。自民党が育てる政治家というのは実はいなくて、それぞれの派閥が県会議員や官僚を引き込んで、育てていった。自民党が小泉時代の5 年間で大きく変わったのは、去年の選挙で出てきた小泉チルドレンです。
多くは「小泉」という名前がなければ、政治家として自立してやっていけるのか?という人々です。そういう自民党が安倍総裁のもとでどう進むか、非常に危うさを感じます。

岩崎
 小泉さんのやり方=自民党の構造改革は、「抵抗勢力」として伝統的な支持基盤を切り崩してしまう。代わって出てきたのが“根無し草”みたいな連中ですよね。日本の社会の構造自体が変わって、保守を支えてきた地方も都市化してくる中で「都市型の浮動票も集められるように衣替えしよう」と変化している過程なのもかもしれない。

大手紙
「票が取れる方向に進むしかない」ということは小泉時代にもさんざん言われていたことで、ポピュリズムはどんどん極端になっていくのかな、という不安はありますね。

NHK
 ポピュリズムが極端になっていることに危惧を感じます。メディアの罪も大きいでしょう。自民党というか保守が牛耳ってきた社会構造の変化があるのでしょうが、どうもいい方向に進んでいないような気がしてなりません。いい面もあるのかもしれませんが、以前の政治と比べて、ずいぶん「薄っぺらく」なってしまった感じがします。
 直近の問題を、誰にも批判を受けずにどうしのぐかばかりに目がいき、大局的見地がない。そういうことを表立って政治家が言えない雰囲気があるのではないでしょうか。メディアもそうした点をつきたくても、直接的に不利益をこうむる人たちから攻撃を受けるので、表現できないでいるように感じます。政治もメディアも、誰にでも耳障りのいいことしか言えないので、「このままではよくない」と誰もが思っていても誰も言えない。そして、誰か標的を見つけては、一斉にみんなで集中攻撃をして憂さを晴らす、そんな感じではないでしょうか。

丸山
 そういう中でタカ派路線が出てくる。理念的なものが先に立って、現実を見ないで話を進めようとするから混乱が起こっている。社会的変化としては、格差がどんどん広がって、貧困、ワーキングプアの話が出ている。労働問題では「ホワイトカラーエグゼンプション」を入れようとしています。しかし、一方でこうした問題についての反論が、少しずつ出てきていると思います。例えば教育基本法改悪反対で国会を取り囲んだり、公聴会で出た意見を支持する署名を集めたり、大きな動きになってきていると思いますが、今までと少し違うと言えませんか?

大手紙
教育基本法では、草の根の盛り上がりは相当なものがあると思いますが、それがメディアの報道に反映されていない。教基法の問題点は、「愛国心」の問題が取りざたされましたが、いちばん危ないのは10 条の「教育の独立」の改定です。「教育は、不当な支配に服することなく」を、「教育行政は、不当な支配に服することなく」に変更して、教育への国
家・行政権力の介入を禁じた第10 条1項を全面的に否定して、逆に教職員組合の活動が「不当な支配」ということにされてしまう。そういう危険性の紹介がメディアでは非常に弱い気がします。
ホワイトカラーエグゼンプションにしても働く者の観点から見れば、過労死累々に繋がりかねない。その反対運動は労組をはじめとして相当広がってきていると感じますが、それがメディアの報道にどこまで反映しているか。厚労省の審議会で議論が続いていますが、議論がどう決着するか」という落としどころを探るという域を出ていない。民意と今のメディアは遊離していると思います。

丸山
僕が一般の人向けにその話をすると「それはどうしてですか?」と質問される。「毎日、国会にいろいろな人が行って活動している。しかし、全然新聞に載らないじゃないか?」と質問されると答えに困るのです。

大手紙
客観報道の自縄自縛だろうと思いますね。客観報道は両論併記である、というところで終わってしまって、反対している人たちの声だけ取り上げるわけにはいけないのです。

丸山
両論ならば、少数の反対している人たちの意見をきちんと取り上げる責任があるはずです。どうして書けないのか、考える必要があると思います。
もう一つ気になっているのは、「こんな採決じゃ駄目だ」と社説で書いた一週間後に「成立の見通し」と1 面トップで出る見通し記事をどう考えるか、です。反対運動がまだまだ続いているときに「成立の見通し」と打つことは、運動している人から見れば裏切り行為のようなものです。打つんだったら反対運動の盛り上がりも一方で報じてからにしないといけないと思いますが⋯。

岩崎
反対運動も取材した上で、たいした動きになってないと判断して書かないというのならわかります。しかし、メディアは取材にも来ていない。国会前で座り込みをやっているところや日比谷野音の集会などを積極的に取材していましたか?

丸山
よく聞く話ですが、60 年安保の時は毎日デモを取材していると、前の日の動きが反映さ
れてプラカードの文字が変わったりしてくる。それを見て報道する。そんな日々の動きを
つかまえていくような作業がないといけないのではないでしょうか。

大手紙
「つくる会」教科書の採択キャンペーンが行われた時の産経新聞の報道は、「つくる会」
側のいろいろな取り組みを逐一拾って報道していた。そして採択に反対する運動は過激派
まがいのレッテル張りでバンバン叩く。教育基本法で言えば、「反対運動がこんなに盛り
上がっている」ということを書くと、あの産経新聞の裏返しと言われてしまう。そういう
ところで足がすくむと思います。結局は「審議の見通しはどうなる」という所に取材のエ
ネルギーが集約されていく。

民放
教育基本法改悪反対の運動は、日教組の運動の域を出ていないという感じを受けます。
「利害団体がやっている」というレベルだったらニュースになりませんが、そこからもっ
と広がりが欲しいと思います。


丸山
今、先生たちはほとんど動員できないでしょう。運動の中心はその周辺にいる人々ですよ。

民放
確かに、そのあたりはもっとよく見ないといけないですね。それでも全体として反対で盛り上がっているという所までは感じ切れません。

NHK
 取材が不足しているのではないか、という指摘には真摯に反省しなければならないと思います。しかし、反対運動などが社会的に盛り上がっているとは感じられないのは同じです。教育基本法などの問題では、その是非はともかく、社会的な関心や盛り上がりが全体的に弱くなっているのが現実だと思います。その時に、メディアが取り上げて議論を喚起するのが役割という意見もあるでしょうが、それにしてももう少し社会的な盛り上がりが必要だと感じます。それを掘り起こすのも大切ですが、それが過ぎると行き過ぎた世論誘導になるような危惧も正直感じます。個人的には、取材をしていると明らかに偏った意見を取り上げろと詰め寄られることもあり、そうしたことに臆病になっているところもあるかもしれません。