ペトリフレックス・セブンの謎

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ペトリフレックス・セブンの謎」を以下のとおり復元します。
ペトリフレックス7について安藤嘉信氏がカメラコレクターズニュース(CCN)1992年1月号に寄稿された記事を再掲する。

この記事ではペトリフレックス7の4つの形態バリエーションについて述べられており、
ペトリフレックス7が日本初の絞り・シャッタースピード両連動方式でCdS外光測光を採用したカメラである
可能性について言及している。

安藤嘉信氏は2009年に亡くなられているが、今回ご親族の了承を得られたので記事を再掲する。

#image(top.jpg,width=640)

→ &link(全文のpdfファイルダウンロードはこちらから){https://onedrive.live.com/download.aspx/pub/flex7nazo.pdf?cid=563E2C9BCE80B408}

*補足

このページを作成後にペトリフレックス7の海外販売時期(国内は1964年6月)に関していくつか情報が得られたので紹介する。

-裏蓋シールの年代推定

「ペトリフレックス・セブンの謎」本文中で触れられていた三日月ペトリマーク/栗林銘の裏蓋シールについてある程度の
年代推定ができた。

#image(http://cdn52.atwikiimg.com/petri/?plugin=ref&serial=681)

まず、ロゴマークが社名の変更に先立って変更されていたことが判明した。

当時の雑誌広告(写真工業、アサヒカメラ)を確認したところ、赤丸栗林マークから三日月ペトリマークに変更したのは、
1962年2月号からであった。また1962年7月の社名変更は1962年9月号から広告に反映されていた。
雑誌掲載の時間遅れを考慮すると、マークの変更は1962年の正月ごろと推定できる。

したがって、ロゴが三日月ペトリマークかつ社名が栗林写真工業だった期間は、1962年正月から1962年7月(社名変更の月)までの
約半年間と推定できる。この期間にタイプA(初期生産型)のペトリフレックス7が生産されたと考えるのが妥当であろう。

ところが、三日月ペトリマーク/栗林銘の裏蓋シールはこの期間を越えて貼られていた可能性もある。

同時期に生産されたペトリハーフ7にこのシールが貼られた個体があり、そのフィルム室の印字は「12」だった。
(&link(ペトリハーフ7形態分類表参照){http://www52.atwiki.jp/petri/pages/176.html})ペトリハーフ7の発売時期から、これは1962年12月を示している可能性が高い。

タイプAのペトリフレックス7の生産時期を特定するには、そのフィルム室の印字を確認することが必須であると思われる。


-1964年雑誌広告の「ドイツで3年間みがきぬかれた」のコピーについて

朝日新聞社「昭和10~40年 広告に見る国産カメラの歴史」に掲載された1964年11月のペトリフレックス7の広告の中に、
「ドイツで3年間みがきぬかれた」のコピーが記されている。

下の写真は同時期に作成されたと思われる当サイト所収のペトリフレックス7のカタログページである。
ここにも同じコピーがあり、国内発売以前にドイツを中心に三年間の発売実績を持つとある。

#image(flex7ad.jpg)

四捨五入して二年半の販売期間であったとしても、ペトリフレックス7のドイツ発売は1961年11月から遅くとも1962年5月となり、
1962年4月発売のニコンFフォトミックより早く、絞り/シャッタースピード両連動の外光CdS露出計を内蔵した
日本初の一眼レフカメラという可能性も出てくる。これはおおごとである。

まず、広告中にあるドイツINPHO誌の記事を探した。INPHO誌は1961年に創刊された雑誌で、1963年にペトリフレックスV
の記事が掲載されたことがわかった。なおこの記事は「カメラ工業」1964年1月号に北野邦雄氏による邦訳が掲載されている。

Inpho no. 20 (15.10.1963), pp. 20-23. "Inpho informiert Sie uber die Petri Flex V aus Japan". 

しかしこの記事にはペトリフレックス7は言及されていない。さらにINPHO誌で最も古いペトリフレックス7の広告を
探してもらったところ、1964年の広告が最初であるという。ドイツでのペトリフレックス7の発売時期は特定できなかった。

今までのところ、ペトリフレックス7の海外での発売時期を記した文献は日本カメラのカメラ年鑑1964年版(1963年出版)のみで、
ここには1963年1月輸出開始と記載されている。


-意匠登録

匿名の方からの情報により、ペトリフレックス7の&link(意匠登録){http://www52.atwiki.jp/petri?cmd=upload&act=open&pageid=155&file=JPS_000243497.pdf}が存在することが判明した。

#image(isyo.jpg,width=640)

当時、カメラのデザインを登録する日本機械デザインセンター(JMDC)という機関があり、
ここでデザイン登録認定を行わないと輸出ができない決まりになっていた。
意匠出願はこのデザイン登録後六ヶ月以内に行う必要があった(「デザインの新規性」が失われるため)。
意匠出願日が1963年2月28日であるので、その六ヶ月前、1962年8月末以前にはペトリフレックス7は輸出開始されていない可能性が高い、
とのご指摘を頂いた。


-当時の広告

Popular Photography誌1963年4月号、5月号に「World's New」としてペトリフレックス7の広告が掲載されていた。
特に4月号の広告では「試作機」として国内雑誌に掲載された意匠のカメラが掲載されているのが興味深い。
この頃までには海外発売が完了していたと思われる。

#image(1963April.jpg,width=480) Popular Photography誌1963年4月号広告
#image(1963May.jpg,width=480) Popular Photography誌1963年5月号広告


-初期型のフィルム室番号

フィルム室番号「7」を持つ初期型のペトリフレックス7が確認された(Facebook Old Camera Fleak グループ)。
この個体には上述の三日月ペトリマーク、Kuribayashi 銘併記の裏蓋シールが貼られているそうである。
フィルム室番号から生産月は1962年7月と推定される。


-現時点での結論(2014.7)

ニコンFフォトミックの発売に遅れること数ヶ月以内に、ペトリフレックス7はファインダ固定式の一眼レフとして、
日本初の絞り・シャッタースピード両連動方式のCdS外光測光を実現し、生産段階に入っていたと考えられる。

海外発売の時期は、1964年版カメラ年鑑記載の1963年1月とするのが妥当と考えられる。

「試作機」の発表時期にはすでに生産型のペトリフレックス7が完成していたと思われるが、ペトリがあえて「試作機」を発表した理由は謎である。


ペトリフレックス7の推定される発売時期まとめ
|1961年11月~1962年5月|1964年11月広告の「ドイツで3年間みがきぬかれた」から|
|1962年1~7月|裏蓋シールのロゴと社名から|
|1962年8月末~1963年2月末|意匠登録/デザイン登録の申請日から|
|1962年10月頃|複数の写真雑誌に「試作機」の写真掲載|
|1963年1月|カメラ年鑑1964年版から|
|1964年6月|国内販売開始|

(補足部分文責・2chペトリスレ264 情報募集中!)

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