栗林製作所の創業年等にまつわる調査

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栗林製作所の創業年等にまつわる調査」を以下のとおり復元します。
ペトリカメラは明治40年に東京下谷区仲御徒町に創業した栗林製作所をその始まりとしている。

これは、昭和46年に東興社より発行された日本写真機工業会編 戦後カメラ発展史(p381~383)に記載されている。
ペトリカメラによって公式に作成された「社史」としてはこの文章が原典となると考えられる。(以下「正史」と記載)

しかしながら、この「正史」に記載された年代が当時の文献と異なることが確認されたので、それをまとめておく。

*1.栗林製作所の創業年

「正史」では明治40年(1907年)を創業年としている。
今回は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧できる文献により栗林製作所の創業年を確認した。

昭和4年版全国工場通覧によれば創業は大正2年(1913年)と記載されている。代表の記載は無い。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/305

この文献が、現在確認されている栗林製作所に関する最も古い記載である。栗林製作所の記載のある大正期の文献はまだ見つかっていない。

また、栗林製作所の創業者、栗林庸二の名前が確認できるのは昭和7年版全国工場通覧で、工場名は栗林写真機械製造工場に変わっている。
栗林庸二は1930年代初めに亡くなっているが、この時点までは存命であったと考えられる。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1212137/248

栗林庸二の死後、昭和9年版全国工場通覧工場では代表者は庸二の長男、栗林敏夫となり、創業年も大正5年(1916年)12月に変更されている。
敏夫はこの頃十代と考えられるので、実際には庸二の妻、繁代が事業を継承している。なお、全国工場通覧では昭和16年まで代表者は敏夫のままである。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1212170/325

事業内容、組織の変更により創業年の定義は変わると考えられ、当時の資料の記載のばらつきもそれを反映しているのかもしれない。


-追記 (2014.6.30)

ペトリスレへの報告により、栗林製作所は当時の下谷区仲御徒町1-47にあったことが確認できた。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036810/59  (昭和10年版 全国工場通覧)

ここは現在の台東区上野5丁目3付近にあたると考えられる。

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.46.40.213N35.41.59.674&ZM=12 


まとめ
|1907年|栗林製作所創立(正史)|
|1913年|栗林製作所創立(昭和4年版全国工場通覧)|
|1916年|栗林製作所創立(昭和9年版全国工場通覧)|
|1929年|栗林製作所最古の記録(昭和4年版全国工場通覧)|
|1932年|栗林写真機械製造工場に改名?代表:栗林庸二(昭和7年版全国工場通覧)|
|1934年|栗林工場に改名?代表:栗林敏夫(昭和9年版全国工場通覧)|


*2.スピードレフレックスの製造年、発売年

「正史」によれば、栗林の一号カメラ、スピードレフレックス(スピードフレックスとする文献もあり)は大正8年(1919年)に製作され、
当時開かれた平和博覧会で最高賞を受賞したとされている。この年代にも当時の文献とずれがある。

まず、平和博覧会は上野で1922年に開かれた平和記念東京博覧会をさすと考えられる。

http://www.nomurakougei.co.jp/expo/exposition/detail?e_code=1232

この博覧会では全国の特産品、工芸品に賞が与えられたが、平和記念東京博覧会受賞人名録(1922年)を確認したところ、
機械工業、製作工業のいずれの分野においても写真機製作、栗林姓の受賞者はいなかった。
「正史」における平和博覧会での受賞は、ペトリカメラ関係者の記憶違い、記録ミスと考えられる。

当時の雑誌広告によれば、スピードレフレックスが受賞したのは、1928年に開かれた大礼記念国産振興東京博覧会で、第一位優良国産賞を受領している。

http://www.flickr.com/photos/rebollo_fr/2236093469/in/pool-camerawiki/  (Camera-wiki所収、1929年アサヒカメラ広告)

この博覧会の報告書中に「第四部 機械工業 優良国産賞牌 54 写真暗箱 東京市 三栄堂本店 二川栄介」の記載がある。
三栄堂はスピードレフレックスの販売店で二川栄介は店主であった。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1224945/419  (国産振興東京博覧会審査報告 : 東京商工会議所主催 大礼記念 1929年)
 

なお、スピードレフレックスの発売年は、Camera-wikiに掲載された1928年のアサヒカメラの広告に、「スピードレフ発売されてより三年」の記述があり、
1925年発売であったと考えられる。

http://www.flickr.com/photos/rebollo_fr/705386303/in/pool-camerawiki/

ずれの原因は、「製作/発売の3年後に博覧会で受賞」という記憶/記録があったが、博覧会の名称、開催年を間違えた結果と考えられる。

-追記(2014.4.17)

スピードレフレックスの発売時期であるが、雑誌 Camera(ARS)の1926年4月号に&link(新発売の広告){http://www52.atwiki.jp/petri/pages/207.html}を確認した。製作と発売の時期がずれた可能性も考えられる。

-追記2(2015.6.19)

スピードレフレックスを含む栗林の乾板カメラの発売年を検証した研究が全日本クラシックカメラクラブ(AJCC)の
2015年5月の研究会で小林昭夫会員により講演が行われた。
上記記事と同じ結論を得ており、更に多くのカメラの発売年が訂正されているのでぜひ参照されたい。

http://www.ajcc.gr.jp/sub1.114.html(AJCCによる2015年5月の研究会の報告)
&link(小林会員の講演のpdf){http://www.ajcc.gr.jp/2015_06_Kobayashi_Report.pdf}

リンク許可を戴いたAJCCと小林会員のご厚意に感謝します。


まとめ

|1919年|スピードレフレックス製作(正史)|
|1922年|平和記念東京博覧会開催(受賞なし)|
|1926年|スピードレフレックス発売(カメラ誌広告より推定)|
|1928年|国産振興東京博覧会開催(優良国産賞受賞)|

(文責:2chペトリスレ 264 情報募集中)

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