ペトリの社内資料 人間工学研究会資料(1968年)

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  • ペトリの社内資料 人間工学研究会資料(1968年)
    光学工業技術研究組合(現日本オプトメカトロニクス協会)の下部組織であった人間工学研究会の配布資料を ペトリカメラ社員が社への報告書としてまとめたものである。 光学工業技術研究組合及び人間工学研究会については下記資料に詳述されている。 沢井実 光学工業における共同研究の展開 光学工業技術研究組合の活動を中心として(大阪大学リポジトリより) 文献へのリンクはこちら 上記文献によれば、人間工学研究会はカメラ,8㎜,映画撮影機,写真レンズの性能,機能,構造に関する ヒュマンエンジニアリング(原文ママ)と商品企画のための科学的データの整備を目的とし、 1964年の時点で20社が参加していたという。 資料は1968年7月末から9月までにペトリカメラ社員により作成された社への報告書と、人間工学研究会の配布資料と考えられる。 人間工学研究会の配布資料には、コニ...
  • ペトリカメラの関連資料
    ...一眼レフシステム ペトリの社内資料 レンズデータ 編 ペトリの社内資料 性能表・設計指示書 編 ペトリの社内資料 開発日程表編 ペトリの社内資料 ペトリの社内資料 製品要目表 編 ペトリの社内資料 図面編 ペトリの社内資料 金型構成検討 編 製品規格 PIS機械製図検図要領 設計マニュアル(案) ペトリの社内資料 シャッター等設計資料 ペトリの社内資料 人間工学研究会資料(1968年) ペトリカメラ関連特許 ペトリカメラパーツマニュアル・リペアマニュアル レンズ計算でみるペトリのレンズ ペトリの友 ペトリ会だより(1965~) ペトリニュース(1963年) IDEA ペトリカメラ紹介書籍 ファーストカメラワークス宣伝誌 「写真機新報」 ペトリクラブ会報 「PETRI」 ペトリ綜合カタログ(1954年) フォトコンテスト(1956~1963年) ペトリ2.8の使い方/ペトリグルー...
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    ...7.2.18) ペトリの社内資料 レンズデータ 編 ペトリの社内資料 図面編 ペトリの社内資料 金型構成検討 編 ペトリの社内資料 製品要目表 編 ペトリの社内資料 性能表・設計指示書 編 ペトリの社内資料 開発日程表編 ペトリ会だより(1965~) ペトリの友 ペトリニュース(1963年) IDEA 製品規格 PIS機械製図検図要領 設計マニュアル(案) ペトリの社内資料 シャッター等設計資料 ペトリの社内資料 人間工学研究会資料(1968年) ペトリ社内で使用された物品 スレ一覧 現行スレ 創業110周年!【栗林ペトリ】倒産40周年w #9 過去スレ 「ペトリの真実!」★ペトリ!★より抜粋 ペトリの倒産と再建まで 「日本の労働者自主管理」より要約 ペトリカメラ関係者へのインタビュー ペトリカメラ関係者へのインタビュー一覧 ペトリカメラの関連資料 特許、書籍、取扱...
  • ペトリの社内資料 図面編
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管されていた栗林/ペトリの社内資料の一部を掲載します。 資料提供:半田善朗さん CS-S(カーペルシャッターS=ペトリハーフ?) 柳澤さんの認印あり。設計、製図の太田さんはその後、キヤノンに移籍されたとのこと。 SS-2 同上 SS-3(ペトリハーフ7?) 五十嵐さんの認印あり。設計製図はペトリカメラ元技術者へのインタビューでお話を聞いた今関さん。 SS-3(PH-3)28.0116mmF2.8(SS-3=PH-3=ペトリハーフ7?) SS-4(E2)46.78mmF2.8 (E2=Petri Hi-Lite) E-2前枠 (E2=Petri Hi-Lite) SS-4ケース外筒 (E2=Petri Hi-Lite) SS-5(P...
  • ペトリの社内資料 製品要目表 編
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管されていた栗林/ペトリの社内資料の一部を掲載します。 資料提供:半田善朗さん ペトリフレックスセブンの製品要目表。 社内コードがSP2であることがわかる。 ペトリBTL(FT)の製品要目表。 ペトリインスタントパックの製品要目表。 ペトリスーパー8の製品要目表。 半田善朗さんが一緒に保管されていた当時のカメラ新報 (発行後50年が経過しており著作権は消滅していると判断し掲載しました) 内容は製品要目表を基にしていることが確認できる。
  • ペトリの社内資料 開発日程表編
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管されていた栗林/ペトリの社内資料の一部を掲載します。 資料提供:半田善朗さん 開発日程表 67年9月7日付け。 カラー35は社内コードMと呼ばれていたようだ。 SPは一眼レフのコードと考えられるが、SP VTPが何を指しているかは不明。 M2(MS2)はカラー35Eと考えられるが、カラー35量産前から取り掛かっており、当初はカラー35と同じ68年の発売予定だったことがわかる。 MS2はセレン仕様のサークルアイ機の図面も発見されており、仕様は発売までにかなり変更されたようだ。実際の発売は70年のため開発は難航したもよう。 AT100は100mmF2.8?、AWP135、AWP35は交換レンズと思われるが、どのレンズを指しているのかは不明。 67年12月21日付け。 PI4は126カートリッジフィルム機GAF A...
  • ペトリの社内資料 金型構成検討 編
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管されていた栗林/ペトリの社内資料の一部を掲載します。 資料提供:半田善朗さん 金型構成検討 72年10月16,17日付け。 M2-IIの機種コードが使われている。 この検討内容の部品を採用した機種はないが、カラー35Eの後継機、ペトリ35Eにいたる検討の一部と思われる。
  • ペトリの社内資料 レンズデータ 編
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管されていた栗林/ペトリの社内資料の一部を掲載します。 資料提供:半田善朗さん 60年代後半のペトリ製のレンズをほぼ全て網羅していると思われるデータシート。 半田さんのご記憶では、レンズの生産技術の担当で、OBインタビューで同時にお話をお聞きした芦田保夫さんが作成されたもの。 ペトリで設計生産されたと考えられる望遠レンズのデータも含まれる。ペトリ社内の生産が品種、量ともに最も多かった時代のもののため、 ここに記載のないレンズの多くは社外からの調達品の可能性が高い。 100mmF4.5ペリスコープ(潜望鏡)レンズや、未発売のカラー35系廉価機用40mmF4などレンズシャッターカメラ用レンズも含まれている。 52mmF2.8 50mmF4マクロ 100mmF3.5 はデータシート以外では確認されていないレンズ。
  • ペトリの社内資料 性能表・設計指示書 編
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管されていた栗林/ペトリの社内資料の一部を掲載します。 資料提供:半田善朗さん ペトリカラー35系の性能表・設計指示書。 カラー35のものと思われる性能表。 カラー35Eのものと思われる性能表。 67年11月10日付け。 開発当初はセレン光電池を使用したサークルアイ方式で検討されていたようだ。 社内コードがM2であったことがわかる。 実現しなかったカラー35系コストダウン機(M3)の性能表。 68年7月4日付け 40mmF4の固定焦点、樹脂ボディ、沈胴、蝶番裏蓋。 三刀谷さんの印あり。半田さんによると、三刀谷さんは設計は担当されていないとのことですが、 製品仕様や開発日程の管理はされていたようです。 同じくカラー35系コストダウン機(M3)の性能表。 F4→F3.5 Cds→...
  • ペトリの社内資料 シャッター等設計資料
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管していたシャッター等の設計資料。 「これだけ知っていれば誰でもシャッター設計が出来る」(三枚) 「カメラに於けるシャッターについて」(一枚) 「ファインダーの視差(Parallax)」(一枚) 「はすばウォームギア」(一枚) 「解析資料」(半導体用語集。ペトリ顧問だった新井敏宏氏の講義をまとめたもの?:三枚) 「鏡枠」(レンズ鏡胴の設計資料:四枚) 資料には日本光学の更田正彦氏によるセルフタイマーのがんぎ車に関する文献(出典不明)も含まれていたが 著作権を考慮し公開資料には含めなかった。 資料のダウンロードはこちら
  • GAF Anscomatic 436
    ...ことがわかった。 ペトリの社内資料 性能表・設計指示書 編 ペトリの社内資料 開発日程表編 半田善朗さんからいただいた、このカメラのレンズと思われる34mmf2.8のペトリ社内の連絡書。 このカメラの前に作られたanscomatic626用に準備され、436にも使用された。 テッサータイプだったことがわかります。インタビューでお聞きしている、芦田さん、富田さんのサインもあり。 こちらも半田善朗さんからいただいた、このカメラのレンズを使ったペトリブランドの126フォーマット カメラの外観図面。ゼンマイ巻き上げ。 半田善朗さんからいただいたペトリ社内資料から社内コードは「PI3」であることがわかった。 構想検討のみで試作はされていないのではないかとのことです。 pa
  • IDEA
    ペトリが製品の品質改善のため、社員に配布したと考えられる社内報。 ペトリの社内提案活動は1963年11月から始まった。国内でQC活動が本格的に始まったのは1962年であり、 ペトリへの導入は比較的早い時期に行われたといえる。 「IDEA」は毎月発行され、品質改善のために採用された提案とその提案者が掲載されていた。 生産現場においては、ペトリ工員の女性比率が高いことが伺える。(公開した「IDEA」では、女性提案者を赤色で示している) 元ペトリカメラの技術者、半田善朗さんが保管されていたもの。 公開にあたり社内報であることを考慮し、人名、個人写真の一部を削除しました。 B5版、4ページ IDEA 11号(1967年8月) IDEA 12号(1967年9月) IDEA 13号(1967年10月) IDEA 14号(1967年1...
  • PETRI CC AUTO300mm F5
    レンズ名称 PETRI CC AUTO 300mm F5 アタッチメントサイズ 67mm レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 3群5枚 絞り 5.0~22.0 中間クリックなし 自動絞り 最短撮影距離 5.5m 重量・大きさ 全長211.7mm 最大径75.6mm 850g 価格 ¥34,000(1967年 フード・ケース込) 発売 1967年? 社内資料に開発日程やレンズデータが記載されており、ペトリで自社生産されていたレンズ。 ペトリの交換レンズのうち、自動絞りに対応した物のなかでは最も焦点距離が長い。 『日本カメラショー・カメラ総合カタログ』の1967年2月版までは掲載がなく、同年4月版から掲載されているため、この時期に発売されたと思われるが、一方で上記の開発日程表には1968年6月生産と書かれており、詳細は不明。
  • ペトリニュース(1963年)
    ペトリがカメラ販売店、あるいはペトリ営業部社員向けに配布したと考えられる販促紙。 時候の話題、接客の勧めとともにペトリのカメララインナップ、ペトリ営業部員の紹介などが掲載されていた。 元ペトリカメラの技術者、半田善朗さんが保管されていたもの。 公開にあたりペトリカメラ元社員の人名、個人写真の一部を削除しました。 18.0x12.3cm、14ページ ペトリニュース Vol.1 No.2(1963年)
  • ペトリの友
    ペトリ社員の親睦組織「ペトリ会」の会報。 ペトリ会は1961年に発足し、社員の部活動、全社運動会、映画鑑賞会など福利厚生の一翼を担っていた。 「ペトリの友」には、社内部活動の紹介、ペトリ会開催行事のレポート、新製品紹介などが掲載され、社内報の役割も果たしていたようだ。 ペトリ会の活動は活発で、ペトリカメラ梅島工場のあった足立区の各種大会に参加し入賞の記録もある。 その一方で社員の意識引き締めを図る記事や、会社の内外で活動を行っていた民青同盟を牽制する記述が見られるなど、 後に激化する労使対立の緒端もすでにうかがえる。 元ペトリカメラの技術者、半田善朗さんが保管されていたもの。 公開にあたり社内誌であることを考慮し、人名、個人写真の一部を削除しました。 B5版、6-20ページ ペトリの友 9号(1966年) ペトリの友 昭和...
  • ペトリ会だより(1965~)
    ペトリ社員の親睦組織「ペトリ会」の会報「ペトリの友」から独立し、行事予定のPRを主とする社内広報誌として1965年12月から発行されたもの。 社内部活動の紹介、行事のレポートなどが掲載されている。 元ペトリカメラの技術者、半田善朗さんが保管されていたもの。 公開にあたり社内誌であることを考慮し、人名、個人写真の一部を削除しました。 19.6x27.3cm、4ページ ペトリ会だより(1965年12月号) ペトリ会だより(1966年新年号)
  • Petri 607
    レンズ ペトリ34mm F2.8 3群4枚テッサータイプ シャッター プログラムEE(1/30~1/250) 重量・大きさ 価格 発売 1967年 米国Ansco社向けにペトリで生産された126フォーマットのカメラanscomatic626のペトリ版 元ペトリの技術者、半田善朗さんがシャッターを担当されたとのことで、写真は半田さんが保存されていたもの。 anscomatic626は性能は評価されたものの価格が高くあまり売れなかったとのこと。 ペトリ607はさらに生産数は少なく、海外のみの販売であったと思われる。 半田さんからいただいたペトリ社内資料により社内コードは「PI2」であることがわかった。 半田善朗さんからいただいた、このカメラのレンズと思われる34mmf2.8のペトリ社内の連絡書。 このカメラの前に作られたanscomatic626用に準備...
  • PETRI CC 135mmF2.8
    レンズ名称 PETRI CC 135mm F2.8 アタッチメントサイズ 55mm レンズマウント M42+ペトリマウントリング レンズ構成 4群5枚 絞り 2.8~22.0 中間絞り無し プリセット 最短撮影距離 1.5m 重量・大きさ 96x62 480g 価格 ¥13,500(1968年) 発売 196X年XX月 ペトリカメラに社名変更後にM42にペトリマウントのマウントリングを装着した状態で販売されていた望遠レンズ。 M42マウントであること、特徴的な絞り羽の形(中間絞りが歯車型)からコムラー(三協光機)製OEMと思われていたが、レンズデータシートの構成図と 69年レンズ白書掲載の構成図が一致。ペトリの光学設計、製造の可能性がある。 外観の形状、仕上げが異なる2種類のレンズがあるが、光学部分は共通である。 ペトリのカタログの発行時期や6...
  • ペトリカメラ紹介書籍
    国立国会図書館サーチ「ペトリカメラ」 趣味のカメラ 枻出版社 2020年 ※三宅岳さん執筆記事「凡庸なスペックを凌駕する過剰なオリジナリティー ペトリとの再会」掲載 https //www.ei-publishing.co.jp/magazines/detail/mook-491147/ 戦争経済大国 斎藤貴男(著)河出書房新社 2018年 ※「第三章 特需の原罪」の中の「米軍とともにあったカメラメーカー」にペトリ工業代表取締役草間照夫さんへの取材によるペトリカメラ関係の記載がある。 かわいいカメラに首ったけ! Ryu Itsuki(著)枻出版社 2008年 ※ペトリハーフ7及びペトリカラー35の分解記事あり。著者の思い込みによる誤りも散見されるものの、分解には大いに参考になる。 クラシックカメラ選書22 レンズテスト[第1集] 中川治平 深堀和良 (著...
  • ペトリカメラのしおり(1963年)
    1963年頃に発行されたペトリカメラ総合カタログ。当時のラインナップと共に新装なった工場の紹介に多くを割いている。 当時盛んだった社内レクレーションも紹介されている。 A6版、30ページ 本文のダウンロードはこちら
  • 栗林製作所の創業年等にまつわる調査
    ペトリカメラは明治40年に東京下谷区仲御徒町に創業した栗林製作所をその始まりとしている。 これは、昭和46年に東興社より発行された日本写真機工業会編 戦後カメラ発展史(p381~383)に記載されている。 ペトリカメラによって公式に作成された「社史」としてはこの文章が原典となると考えられる。(以下「正史」と記載) しかしながら、この「正史」に記載された年代が当時の文献と異なることが確認されたので、それをまとめておく。 1.栗林製作所の創業年 「正史」では明治40年(1907年)を創業年としている。 今回は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧できる文献により栗林製作所の創業年を確認した。 昭和4年版全国工場通覧によれば創業は大正2年(1913年)と記載されている。代表の記載は無い。 http //kindai.ndl.go.jp/inf...
  • 琉球ペトリ
    沖縄が占領されていた1960年代にペトリが沖縄でカメラを生産していたことが確認されている。 東興社 戦後日本カメラ発展史には、栗林が昭和34年6月に沖縄に工場開設との記載がある。 また、1962年2月2日琉球政府公報第十号の登記公告には沖縄ペトリカメラ株式会社の商号で 1961年12月13日に登記された記録が残っている。 ※沖縄県公文書館公開資料「琉球政府公報」より引用 http //www2.archives.pref.okinawa.jp/kouhou/PDF/ryukyu/1962-02-02-02.pdf(14ページ参照) 1960年代後半の広告にはPETRI Camera Corp. of Okinawaの住所として那覇市松下町1丁目25が示されている。 写真のペトリハイライトには、底部の三脚取り付け金具の部分にPETRI Camera ...
  • ペトリカメラの研究
    幻のペトリ ペトリフレックス・セブンの謎 琉球ペトリ 栗林製作所の創業年等にまつわる調査 1920年代の広告に見る栗林のカメラ ここにもペトリ!? 栗林・ペトリ聖地探訪記 ペトリの大看板 日本カメラショー・フォトキナ出品カメラ ペトリを使っていたことのある写真家、有名人等 ペトリ関連争訟一覧 ペトリカメラの系統図 ペトリ一眼レフ交換レンズの系譜 標準レンズ編 ペトリ一眼レフの機構 トップカバーを開けてみた ペトリのマウント M42(プラクチカ・ペンタックスS)スクリューマウントレンズ適合表 ペトリあれこれ ペトリの商標 ペトリのロゴマーク ペトリの価格 ペトリレンズ解像力比較表 レンズの描写比較(デジタル 標準55mmF1.8) レンズの描写比較(デジタル 標準55mmF1.4) レンズの描写比較(デジタル 広角28mmF3.5) レンズの描写比較(デジタル 広角35mm...
  • 日本カメラショー・フォトキナ出品カメラ
    当時のカメラ雑誌に掲載された日本カメラショー、フォトキナ出品カメラをまとめた。 日本カメラショーは毎年春に東京高島屋で開催され、その後全国の主要都市で巡回開催されていた。 毎年カメラ雑誌の4月号に速報が掲載されていた。 フォトキナはドイツのケルンで西暦の偶数年に開催され、その年のカメラ雑誌の11月号に速報が掲載されていた。 現時点で判明している各年のペトリ出品カメラをまとめた。当時の雑誌ではペトリの扱いはそれほど大きなものではなく、 出品したカメラのうち注目を集めたもののみが記事化されたものと考えられる。 雑誌名:写=写真工業、日=日本カメラ、朝=アサヒカメラ 1965年第6回日本カメラショー ペトリレーサー(参考出品)(写) 1966年第7回日本カメラショー ペトリBTL、ペトリズームF4.8 85-210mm (日)、ペトリV6F2(写)、ペ...
  • ペトリのロゴマーク
    ペトリのロゴマークは4つの物が確認されている。 栗林写真機械製作所時代(1949~1956) petri3.jpg 栗林写真工業株式会社時代(1956~1962) petri5.jpg ペトリカメラ株式会社時代(1962~1978) petri4.jpg ペトリカメラ株式会社時代(1970~1978) ペトリカメラ時代のロゴ ロゴマークとロゴのデータが下記リンクから入手できる。 ペトリのロゴデータ PDF
  • 1920年代の広告に見る栗林のカメラ
    スピードレフレックス 栗林のカメラ第一号として、スピードレフレックスが発売されたのは1926年(大正15年)と考えられる。 この年に発行された雑誌、カメラ(ARS)にスピードレフレックスの新発売を示す広告が掲載されている。 カメラ(ARS) 1926年3月号広告 カメラ(ARS) 1926年4月号広告 カメラ(ARS) 1926年5月号広告 (以上の広告は国立国会図書館所蔵資料から許可を得て転載した:国図利1401065-7-28号) 三月の広告では「ESヂュニオルレフレックス」という名称のカメラが三月中旬にできると予告されている。 四月の広告ではこのカメラが新発売され、五月の広告でカメラの名称が「スピードレフレックス」に変更されている。 ペトリの歴史ではスピードレフレックスは1919年に製作と記されることが多いが、これ...
  • ペトリカメラの広告
    ファーストカメラワークス時代(戦前) 「セミ・ファーストの使い方」1940年 株式会社栗林写真機械製作所時代 1951年版カメラ年鑑:カロロン 1951年11月20日:カロロン、ペトリー、カロロンS 1952年版カメラ年鑑:カロロン、ペトリー、カロロンS 1954年版アサヒカメラ年鑑:ペトリーフレックス、カロロンRF 1955年版カメラ年鑑:ペトリスーパーV、ペトリRF、ペトリスーパー 栗林写真工業株式会社時代 1956年版カメラ年鑑:ペトリ35F2.8、ペトリRF120 1957年版カメラ年鑑:ペトリ35F2.8、ペトリオートメイト 全連通報1958年3月号:ペトリF2 全連通報1958年3月号(?):ペトリF2 1959年版カメラ年鑑:ペトリ2.8 1960年版カメラ年鑑:ペトリペンタ 1961年版カメラ年鑑:ペトリ1.9、ペトリEB、ペトリハーフ 1961年コンシューマーno.1...
  • CC PETRI 500mmF5.6
    レンズ名称 CC PETRI 500mm F5.6 アタッチメントサイズ 44mm レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 3群3枚 トリプレット 絞り 5.6~32.0 プリセット 最短撮影距離 8.0m 重量・大きさ 517.5x120mm 3000g 価格 ¥51,000(1971年) 発売 1967年X月 ペトリカメラ元技術者へのインタビューから、ペトリ自社製とわかった超望遠レンズ。 生産数は非常に少なかった(10本程度?)とされる。 光学系はトリプレット。プリセットのビハインド絞りで、マウント側にカバーガラスがある。 マウント前のネジにより縦横を変更できる構造。 64年のカメラショウに参考出品されたが、実際の発売は67年と時間がかかった。 ペトリスレの活動によりペトリカメラの元技術者の半田さんが保管されていた試作レンズが発見された。 光学設計は富田良三氏 P...
  • ペトリの大看板
    1960年代から1970年代にかけて、ペトリは新宿東口に大きなネオンサインの看板をかかげていた。 トップと次の写真は1965年頃のペトリレンズカタログから。 次のホームページに掲載された写真ではより詳しく看板のあった界隈の様子がうかがえる(写真上部にペトリの看板下部の「カメラ」の文字が見える) さっしいさんのホームページ、「ぽこぺん」から「都電13番線 今昔物語」のページ また、当時の映画等にもその姿を確認できる。 下記のBlog記事では、コント55号の「人類の大弱点」(1969年公開)の1シーンに映り込んだペトリの大看板について紹介がある。 トプ・ガバチョさんのBlog (写真提供:トプ・ガバチョ様) また、インド映画の「Love in Tokyo」(1966年公開)にもこの看板がみられる(下記動画の2分55秒付近) ...
  • ペトリV6とその交換レンズ その特色を探る(フォトアート誌1965年7月号)
    資料提供:トプ・ガバチョ様 ペトリ作成と考えられるフォトアート誌1965年7月号の特集記事。 当時のレンズ、カメラのラインナップが掲載されており興味深い。 筆者の記載がなく、出版から50年以上経過しているため著作権は消失したと判断し公開しました。 本文のダウンロードはこちら。 ペトリV6とその交換レンズ その特色を探る
  • PETRI CC AUTO135mmF3.5
    レンズ名称 PETRI CC AUTO 135mm F3.5 アタッチメントサイズ 52mm レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 3群4枚 テレテッサー 絞り 3.5~22.0 中間クリック無し 最短撮影距離 1.5m 重量・大きさ 105x60 415g 価格 ¥16,000(1974年) 発売 1963年X月 ペトリの、標準レンズ以外でははじめてのペトリマウント自動絞り交換レンズ。 設計は富田良三氏。 【作例】PETRI CC AUTO135mmF3.5 WB 太陽光 ISO100 http //www.flickr.com/photos/116070186@N06/13025060704/ http //www.flickr.com/photos/116070186@N06/13025049224/ http //www.flickr.com/photo...
  • ペトリ綜合カタログ(1954年)
    ペトリ綜合カタログとして1954年に発行された。ペトリクラブ会報ペトリ第2号と同じデザインの表紙となっている。 ペトリの当時のラインナップ(ペトリRF、ペトリスーパー、ペトリフレックス)の解説、カメラ各部の解説、 ペトリクラブの紹介など当時のペトリを偲ばせる史料といえる。 A5判、14ページ。 本文のダウンロードはこちら
  • ペトリレンズ解像力比較表
    ペトリのカメラは、値段の割にはよく写るといわれる。実際、使用してみてもその評価にたがわぬものがある。 では、実際、データからはどうなのか、という興味から、過去、アサヒカメラのニューフェース診断室にて取り 上げられたテストレポートの中から、絞り開放時における画面中心解像力と面積平均解像力を抽出し、ペトリ 及び他社の同クラスのレンズとの比較を試みた。もっとも、当方では原典を所有していないことから、復刻版 その他ニューフェース診断室の再録からなる資料からの引用であることをお断りしておく。 なお、アサヒカメラによる解像力の測定はJIS測定法によっており、本来はレンズ固有の性能評価というよりも レンズの欠陥を検知することを目的とする測定法であること(後掲文献「復2」ライカM2のテストレポート 参照)から、あくまでもテストされた個体の記録した数字である点は留意する必要がある。また、...
  • Photo Contest
    1950年代から1960年代末に写真同人社から「フォトコンテスト」というコンテスト専門雑誌が発行されていた。 1956年に写真文化振興会により創刊されたと考えられるが、ペトリ(栗林)とのつながりが強い雑誌であった。 この頃の巻末にはペトリクラブの入会規定と入会申込書が付いており、 またペトリクラブに入会するとフォトコンテスト誌が毎月届き、会誌としての役割も果たしていた。 1958年9月号から出版社が写真の世界社に変わり、1958年12月号を最後にペトリクラブ申込書の添付がなくなる。 1959年8月号からは出版社が写真同人社に変わるが。ペトリ色は依然強く、ペトリの新製品紹介、テレビ番組宣伝などが紙面にあり、 ペトリ以外の広告は感剤メーカーとコパルのみであった。 その後ペトリ色は次第に薄まるが表紙裏にペトリの広告、 紙面にはペトリクラブ専用の投稿枠がしばらく確保...
  • Petri Color 35 Custom
    レンズ F2.8 40mm 3群4枚テッサータイプ シャッター ペトリMS(#000) B.1/15〜1/250秒 重量・大きさ 102x65x44mm 397g 価格 ¥ 発売 1968年 ペトリカラー35のマイナーチェンジ版。 ファインダー窓の右側に「Custom」のロゴが入る。 (写真提供 怪鳥様)
  • ペトリあれこれ
    ペトリ製カメラの見所のうち、他のコーナーで紹介し難いような話題をここに収録する。 ◎グリーン・オ・マチック・システム 1958年に発売されたペトリ2.8から採用された機構で、「緑の窓(ファインダー)に秘密がある」のキャッチコピーで宣伝された。ペトリ2.8以降のペトリの主なレンズシャッター機に搭載され、一時は、ペトリのレンズシャッター機の代名詞ともいうべき特徴の一つであった。ペトリ7sで一度廃止されたが後に復活し、ペトリ7sⅡにも搭載されたものがある。 もっとも、その派手なネーミングとはうらはらに、単にブライトフレームの採光窓に緑色のガラスを使っただけのものであり、技術的に何か凄い機構が用いられているわけではない。メーカーでは、特殊クラウンガラスを使用していること、長時間覗いても目が疲れないこと、暗部撮影においても明るく見やすいことを謳っていたが、一般的な乳白色の採...
  • PETRI CC 1000mm F8
    レンズ名称 PETRI CC 1000mm F8 レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 3群3枚 絞り マニュアル絞り 最短撮影距離 30m 重量・大きさ 最大径139mm 長さ1048.5mm 8000g 価格 ¥149,000 発売 1968年X月 (写真提供:John Baird様) ペトリ最大の超望遠レンズ。ペトリカメラ元技術者へのインタビューによれば、梅島製の受注生産品で数本程度しか出荷されていない。 うち1本が宮崎県総合博物館に収蔵されている。
  • PETRI HALF 7 形態分類表
    1962年に発売されたペトリハーフ7は、ペトリカメラ時代(1962年7月〜)の製品であるが、裏蓋に貼られたステッカーに栗林の社名が入っている個体が確認されるなど、過渡期の特徴を持っている。 このため、同時期のフレックス7、ペトリ7などとあわせて形態を把握し、製造時期を特定することが必要と考えた。 ◎ペトリハーフ7 № 巻き上げレバー形状(円型、勾玉型) 巻き戻しノブ色(銀、黒) 釣り具数(片側、両側) 裏蓋のステッカー(三日月ペトリ/KURIBAYASHI) スプロケット横すじ(なし、6本) 巻き戻しクランク上面色(黒、銀) フィルム室内印字 備考 357664 円形 黒 片側 あり 6本 黒 12 ハルカ所有機 361693 円形 銀 両側 なし 6本 銀 1 264所有機 366568 勾玉型 銀 両側 なし 6本 銀 1 だぶる。所有機 370830 円形 銀 両側 ...
  • ここにもペトリ!?
    ペトリのカメラや関連物件がさまざまなメディアに出現している。 そんなペトリたちをまとめてみた。(情報募集中!) TV・ラジオ ポラスグループ(中央グリーン開発株式会社)が2021年3月21日から放送しているテレビCMの小道具に、ペトリ7(F1.8付き)が使用されている。 https //www.polus-green.com/column/detail/?bn=208 「トーキョーエイリアンブラザーズ」(日本テレビ系列 2018年夏 深夜ドラマ)の主人公、冬ノ介(伊野尾 慧)が愛用しているカメラとしてペトリ35Eが使用されている。また、オープニング画面にも登場する。 http //www.ntv.co.jp/alienbros/ 「太陽にほえろ」のとある回にペトリのカメラが出ていた。 「怪奇大作戦」の「かまいたち」の回に望遠つきのペトリV6が出ていた。...
  • ペトリカラー35
    当時の広報写真 写真提供 元ペトリカメラの技術者 今関幸夫さん レンズ F2.8 40mm 3群4枚テッサータイプ シャッター ペトリMS(#000) B.1/15〜1/250秒 重量・大きさ 102x65x44mm 397g 価格 ¥15,200(発売時) ¥18,000(69年9月) 発売 1968年7月 66年に発表されたローライ35を意識した小型カメラ。 当時の雑誌等にはローライ発表以前から計画されていたという話が載って いるが、元ペトリカメラの技術者によると、フォトキナからの柳澤明氏の 電話で開発がスタートしたという。しかし、構造はローライをまったく 参考にしていないとのこと。 当時F2.8で世界最小と宣伝されていた。(この当時のローライはf3.5) ローライよりほんの少し大きいが、ローライが、小型化を追求するあまり 操作部の配置に無理があ...
  • Speed Reflex
    レンズ Tessar F3.5等 シャッター 布幕フォーカルプレーン T,1/15~1/1000 撮影サイズ 手札判(8×10.5cm)、名刺判等 重量・大きさ 160 x 160 x 150 mm g 発売 1926年 栗林のカメラ第一号機。布幕フォーカルプレーンの一眼レフカメラである。 Baird、ペトリカメラ作成の資料によれば1919年(大正8年)に製作されたとあるが、 雑誌に掲載された当時の広告によれば1926年の発売と考えられる。 (J.Baird著 Collector s Guide to Kuribayashi/Petri Cameras より著者の許諾を得て転載。 解説中に1925年9月のアサヒカメラ広告とあるが、アサヒカメラ創刊は1926年である。 また、雑誌カメラ(ARS)1926年5月号にこれとまったく同じ広告が掲載されている。) ...
  • 栗林・ペトリ聖地探訪記
    2014年9月、東京都内に点在する栗林・ペトリゆかりの地、いわゆる『聖地』を訪ね歩いてみた。 下谷区仲御徒町 東京市下谷区仲御徒町1丁目(現在の東京都台東区上野5-3南部) 戦前、栗林の工場はこの地に存在した。現段階で判明している住所は3ヶ所。 仲御徒町1-58(工場) 仲御徒町1-8(販売部・以上2軒は昭和5年の広告に記載) 仲御徒町1-47(昭和10年版 全国工場通覧に記載) (昭和5年版の地図に加筆) この3ヶ所はいずれも道路を挟んで隣接している。 年度によって記載の住所が異なっているが、これらが移転によるものか、あるいは同時に存在したのか、詳細は不明。 また別の時期に、他の住所に工場等があった可能性もある。 昭和5年の時点で工場・販売部があった場所(手前が工場。奥の青いテントが見える所に販売部があった)。 昭和10年の時...
  • ペトリを使っていたことのある写真家、有名人等
    有名人の中には、かつてペトリを使っていた、とか、プロカメラマンが、プロになる前にペトリを使っていた ことに触れているケースがしばしばみられる。 ここでは、ご本人がペトリを使っていたことを示す記述のある文献等を元にリスト化を試みた。 コレクションとしてペトリのカメラを所有している有名人等も存在するが、ここでは、使用していた事実 を重視することとしたい。 人名 肩書(写真家の場合は主な撮影ジャンル) 機種名 出所 安部公房 小説家 ペトリハーフ7 https //abekobosplace.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8.html(アサヒカメラ1963年7月号の孫引き)https //www52.atwiki.jp/petri/pages/202.html 海野和男 写真家(昆虫) ペトリ7(「ぼくが中学生になってはじめて使った本格的なカメ...
  • ペトリの真実!
    615 名無しさん脚 [sage] :04/05/10 13 55 ID gSTPWiab 先日、ひょんなところで、ペトリカメラに関係していた方の話をうかがいました。 でも、古い話でもあり伝聞もまじるので、その辺、嘘が入っていたらすいません。 それとペトリマニアの方には周知のことかもしれない。 1.ペトリが経営不振になった理由について 社長の跡を継いだ兄弟のうち、他業界から転入した方は あまりカメラ製造に関心がなかったらしい。 一方もう一方は、カメラ協会の理事なども勤め やる気満々だったとのこと。 しかし、他業界から来たほうが、金をつかんで、 どっか?へ行ってしまったのが躓きの始まりとのこと。 2.ペトリは、レンズ研磨も自社で行なっていた。 傾き始めた頃?、栃木にレンズ工場を作ったが、 ほどなく立ち行...
  • ペトリの倒産と再建まで 「日本の労働者自主管理」より要約
    260 :リバースアダプタ:2012/05/12(土) 18 49 23.48 ID kxYN7w9i 日本の労働者自主管理に目を通しました。  私が理解できた範囲で、わかったことを書いてみます。  ペトリの生産現場の労働者の賃金はかなり低く抑えられていたようです。組合公然化後の75年でも他業種や同業他社に対し2割程度も低かったそうです。  60年代の数字はありませんでしたが、業界の最低水準であったことは確かで、それを背景に部品を低コストで内製し低価格で販売することが、一時な成功につながりました。  この時期、高配当をつづけたため栗林一族の所得は相当高額だったようです。(足立区の長者番付の上位に栗林家の数名が載るくらい)  当然、労働者からは不満がでて、組合活動が活発になります。ここで経営側は徹底した組合否認政策をとったことが、その後、組合との激しい抗争を呼び込むことにな...
  • ペトリフレックス・セブンの謎
    ペトリフレックス7について安藤嘉信氏がカメラコレクターズニュース(CCN)1992年1月号に寄稿された記事を再掲する。 この記事ではペトリフレックス7の4つの形態バリエーションについて述べられており、 ペトリフレックス7が日本初の絞り・シャッタースピード両連動方式でCdS外光測光を採用したカメラである 可能性について言及している。 安藤嘉信氏は2009年に亡くなられているが、今回ご親族の了承を得られたので記事を再掲する。 → 全文のpdfファイルダウンロードはこちらから 補足 このページを作成後にペトリフレックス7の海外販売時期(国内は1964年6月)に関していくつか情報が得られたので紹介する。 裏蓋シールの年代推定 「ペトリフレックス・セブンの謎」本文中で触れられていた三日月ペトリマーク/栗林銘の裏蓋シールについてある程度の 年代...
  • C.C petri 1:4 f=200mm
    (写真提供:小野 泰男様) レンズ名称 CC petri 1 4 f=200mm アタッチメントサイズ 55mm レンズマウント M42+ペトリマウントアダプター付? レンズ構成 4群5枚 ? 絞り 4.0~22.0 プリセット 最短撮影距離 2.5m? 重量・大きさ XXXxXXXxXXX XXXg 価格 ¥18,000(1964年) 発売 1964年? カメラ総合カタログ64年夏号に掲載が確認できる。 1965年頃に発行された「ペトリライン」のレンズ紹介にも姿を確認できるが、詳細なスペックは不明。 M42マウントにペトリマウントアダプターを付加したレンズと紹介されている(写真の個体にはペトリマウントアダプターは付属していない) 同時期のサンレンズにデザインのよく似た Hi-Tele 200mm F4(絞りリング、ヘリコイドの形状、フードの長さが異なる)がある。こ...
  • PETRI EE AUTO55mmF1.7
    レンズ名称 PETRI EE AUTO 55mm F1.7 アタッチメントサイズ 52mm レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 4群6枚 ガウスタイプ 絞り 1.7~16.0 中間絞り無し 最短撮影距離 0.6m 重量・大きさ 全長50mm最大径61mm 220g 価格 17,400 MC¥19,400(1974年) 発売 1974年X月? PETRI FTEE用のレンズとしてEE AUTO55mmF1.8の後継として開発 販売された。 CCタイプとEEタイプはレンズ構成は変わらないが、EEタイプには 絞り値を伝える連動ピンが付加されている。 また、PETRI初めてのマルチコーティングを施したレンズも用意 されており、FTEのブラックボディーに装備された。 MCタイプは1974年当時、通常タイプに比較し2,000円高い 19,400円であった。 ペトリス...
  • PETRI7s
    レンズ C.C.ペトリf1.8/45mm 4群6枚 シャッター ペトリMVE B・1〜1/500秒 露出計 セレン光電池使用、ファインダー内、ボディ上部に指針式メーター 対応フィルム感度 ISO(ASA)10~200 重量・大きさ 137x85x81mm 620g 価格 ¥16,800- 発売 1963年X月 ペトリ7の露出計をファインダー内とカメラ上部から確認できるように改良したもの。 写真の個体の黒塗装は後塗でオリジナルではないと考えられる。 巻き上げレバーも上面から背面に移された。これは意匠をシンプルに見せるとともに、組み立て時にもメリットがあったとされる。 また、 「日本写真機工業会編 戦後カメラ発展史」(昭和46年3月1日発行)によれば、1970年の時点で累計台数が70万台を超えたとされ ており、ペトリの中でもロングセラー機のひとつである。 国内での販売終了...
  • PETRI CC 200mmF3.5
    レンズ名称 PETRI CC 200mm F3.5 アタッチメントサイズ 62mm レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 4群5枚 テレフォト 絞り 3.5~22.0 プリセット 最短撮影距離 2.5m 重量・大きさ 66x156 785g 価格 ¥18,000(1965年) 発売 1965年X月 ペトリ自社製と思われる望遠レンズ マウント部の固定はネジ径:42mm ピッチ:0.75mmでTマウントとなっている。 マウント部は、右の黒いペトリマウント用Tマウントアダプタと同一の寸法。
  • @wiki全体から「ペトリの社内資料 人間工学研究会資料(1968年)」で調べる

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