「大倉雅実」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
大倉雅実 - (2016/01/12 (火) 14:53:39) の1つ前との変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
&bold(){大倉雅実}(おおくら まさみ、1972年6月23日 - )は、[[広島レッドリーブス]]の投手コーチである。
#contents
*概要
|所属|[[広島レッドリーブス]]|
|背番号|83|
|国籍|日本|
|出身|大阪府八尾市|
|生年月日|1972年6月23日|
|身長|159cm|
|体重|53kg|
|投打|左投左打|
|血液型|A型|
|PL|野村祐希|
|球歴|[[河内青陵高等学校]]→[[バンクーバー国際大]]→[[エドモントン大学]]大学院→カナダ独立リーグ[[アボッツフォード・ユニティーズ]]→米独立[[ポートランド・ウェストヒルズ]]→[[泉州レンジャーズ]]→[[北勢菰野スプリングス]]→[[広島レッドリーブス]]|
*経歴
1972年、大阪府生まれ。小学生時代は沿線在住であったことと親の影響で大の近鉄バファローズファンだったものの、生来体が病弱だったこともあってスポーツ経験はなかった。それでも高校時代に一念発起して野球部に入部すると、地道な努力の末に高校2年時に投手に転向した後エースとして活躍。当時から左の軟投派というプレースタイルは変わっていない。
大学は思い切ってカナダ・バンクーバー国際大に進学。ここでは後にコーチとして再びチームメイトとなる[[ユリアンヌ・マーガトロイド]]が先輩としてともに在籍していた。大学時代、さらに進学したエドモントン大学大学院では器用さを武器に先発・リリーフ問わずフル回転する活躍を見せた。
大学院卒業後、一時期は就職しようか迷ったものの結局はプロ入りを決意し、1997年にカナダ独立リーグのアボッツフォード・ユニティーズに入団。しかしアボッツフォードでは目立った成績を残せず1999年シーズン途中に退団し、半年間の浪人生活を経て2000年に米独立ポートランド・ウェストヒルズに入団。1年目は登板がなかったものの、翌2001年はリリーフとして26試合に登板し1勝1セーブ、防御率3.32の好成績を残した。しかし2002年は6試合に登板にとどまり防御率も11.04と炎上、オフに解雇された。
帰国した2003年、大阪府貝塚市に本拠地を構えるクラブチーム・泉州レンジャーズに入団。レンジャーズでは主に先発として登板し、クラブ選手権大会でも好投をみせた。
2005年に三重県の北勢菰野スプリングスが女子野球チームを創設すると第1期生として入団。北勢菰野では同じく海外リーグに在籍経験のある岡村祐子と2枚看板を形成した。在籍5年間で地区大会準優勝を2回経験している。
2009年に現役を引退し、翌2010年からコーチに就任。数多くの有力選手を育て上げて地力を上げ、元プロの[[岩本陽奈]]・[[久慈友貴奈]](ともに現[[横浜アクアマリンズ]])が加入した2014年にようやく念願の東海地区大会優勝を成し遂げた。本大会でも大倉の育て上げた投手陣が好投を続け、準優勝という輝かしい成績を残した。
2014年オフに10年間在籍した北勢菰野を退団、NPB復帰が決まった[[西澤陽祐]]の後継として2015年より[[広島レッドリーブス]]の投手コーチに就任した。
*詳細情報
**背番号
-83(2015年-)
*pixivリンク
-[[2015年>>http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=46779539]]
-[[2016年>>http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=53386167]]
&bold(){大倉雅実}(おおくら まさみ、1972年6月23日 - )は、[[広島レッドリーブス]]の投手コーチである。
#contents
*概要
|所属|[[広島レッドリーブス]]|
|背番号|83|
|国籍|日本|
|出身|大阪府八尾市|
|生年月日|1972年6月23日|
|身長|159cm|
|体重|53kg|
|投打|左投左打|
|血液型|A型|
|PL|野村祐希|
|球歴|[[河内青陵高等学校]]→[[バンクーバー国際大]]→[[エドモントン大学]]大学院→カナダ独立リーグ[[アボッツフォード・ユニティーズ]]→米独立[[ポートランド・ウェストヒルズ]]→[[泉州レンジャーズ]]→[[北勢菰野スプリングス]]→[[広島レッドリーブス]]|
*経歴
1972年、大阪府生まれ。小学生時代は沿線在住であったことと親の影響で大の近鉄バファローズファンだったものの、生来体が病弱だったこともあってスポーツ経験はなかった。それでも高校時代に一念発起して野球部に入部すると、地道な努力の末に高校2年時に投手に転向した後エースとして活躍。当時から左の軟投派というプレースタイルは変わっていない。
大学は思い切ってカナダ・バンクーバー国際大に進学。ここでは後にコーチとして再びチームメイトとなる[[ユリアンヌ・マーガトロイド]]が先輩としてともに在籍していた。大学時代、さらに進学したエドモントン大学大学院では器用さを武器に先発・リリーフ問わずフル回転する活躍を見せた。
大学院卒業後、一時期は就職しようか迷ったものの結局はプロ入りを決意し、1997年にカナダ独立リーグのアボッツフォード・ユニティーズに入団。しかしアボッツフォードでは目立った成績を残せず1999年シーズン途中に退団し、半年間の浪人生活を経て2000年に米独立ポートランド・ウェストヒルズに入団。1年目は登板がなかったものの、翌2001年はリリーフとして26試合に登板し1勝1セーブ、防御率3.32の好成績を残した。しかし2002年は6試合に登板にとどまり防御率も11.04と炎上、オフに解雇された。
帰国した2003年、大阪府貝塚市に本拠地を構えるクラブチーム・泉州レンジャーズに入団。レンジャーズでは主に先発として登板し、クラブ選手権大会でも好投をみせた。
2005年に三重県の北勢菰野スプリングスが女子野球チームを創設すると第1期生として入団。北勢菰野では同じく海外リーグに在籍経験のある岡村祐子と2枚看板を形成した。在籍5年間で地区大会準優勝を2回経験している。
2009年に現役を引退し、翌2010年からコーチに就任。数多くの有力選手を育て上げて地力を上げ、元プロの[[岩本陽奈]]・[[久慈友貴奈]](ともに現[[横浜アクアマリンズ]])が加入した2014年にようやく念願の東海地区大会優勝を成し遂げた。本大会でも大倉の育て上げた投手陣が好投を続け、準優勝という輝かしい成績を残した。
2014年オフに10年間在籍した北勢菰野を退団、NPB復帰が決まった[[西澤陽祐]]の後継として2015年より[[広島レッドリーブス]]の投手コーチに就任した。
*詳細情報
**背番号
-83(2015年-)
*pixivリンク
-[[キャラシート【2015】>>http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=46779539]]
-[[キャラシート【2016】>>http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=53386167]]