&bold(){黒瀬 一葉}(くろせ かずは、1990年8月24日 - )は、[[大阪ナイトブレイカーズ]]に所属するプロ野球選手(捕手)。 #contents *概要 |所属|大阪ナイトブレイカーズ| |背番号|00| |国籍|日本・アメリカ| |出身|北海道札幌市| |生年月日|1990年8月24日| |身長|189cm| |体重|非公開| |投打|右投右打| |血液型|A型| |プロ入り|2013年ドラフト外| |PL|zanzouuuu!| |球歴|[[錦戸義塾]]宗谷分校 - [[シカゴ・カーネルズ]] - [[東京フレイズ]](2013)-[[大阪ナイトブレイカーズ]](2014-)| *経歴 北海道札幌市出身。母親はアメリカ人。アメリカと日本の二重国籍でアメリカ名はKathy Acker。 野球を始めたのは小学校4年から。しかし5年に上がると同時に父親が死去。母親に引き取られアメリカへ。 中学に上がる頃には既に名の知れた選手になっており3年時にはU-15アメリカ代表にも選ばれた。 高校もアメリカの学校にする予定で既に推薦で何校か手を挙げていたが[[錦戸義塾]]の大原監督の粘り強い交渉とその熱意に惹かれ同校に入学する。 錦戸高校では1年生から4番・捕手として活躍するも当時の北北海道は野川明や緋色宏美、[[ナスターシャ・海堂]]など人材が豊富で全国大会には1度しか出場できなかった。 地区大会での1試合3場外弾や、全国大会での15打席連続安打記録などで大きな話題となる。1年次から守備能力には定評があり遊撃手や中堅手としての守備能力(打球判断や肩)も高く評価されていた また、2年生の夏大会準決勝では[[ナスターシャ・海堂]]がエースを務める[[須田学園旭川女子高等学校]]と対戦し、2打席連続本塁打を放ち勝利している。(ちなみにこの試合で海堂が許した被安打はこの黒瀬の本塁打2本のみである。) ドラフトでも北海道リーグに所属する函館レッドブリックから指名を受けてプロに入団するかと思われたが、 直前に未成年飲酒と喫煙。その他数々の犯罪歴が暴露され球団に入団拒否を受けてしまう。 結局中学時代から目を付けていたスカウトによる強い希望でシカゴ・カーネルズにドラフト外指名を受け入団した。 **シカゴ・カーネルズ時代 1年目から正捕手に抜擢され活躍。新人王の最有力候補として名が挙げられるが3票差でサンフランシスコ・ブラックバッツのキャサリン・アバネシーに敗れタイトルを逃す。 この年は規定打席に満たないながら最多本塁打のタイトル争いを繰り広げ、最終的にはワールドシリーズ制覇と同シリーズMVPを達成し超一流捕手として絶対的な人気を獲得した。 しかし2010年には死球による左手首のパニック障害の発症や肘の故障もありメジャーでの出場はわずか。 だが2011年の後半に再びメジャー昇格。4割を越える打率をマークしオフにはカムバック賞を受賞した。 翌年は新人のアシュリー・フォードの台頭により先発投手が右ならスタメン、左なら守備固めとして遊撃や外野に入るという起用が多くなってしまうが精神的支柱としてチームを引っ張った。 しかしプレーオフにてキャッチャーへのファウルフライをフェンスに激突しながら捕球した際に再び左手首を負傷。(左肘の故障と記述される事があるが、これは誤りである。) 試合も敗れてしまい3年ぶりのワールドシリーズ制覇は叶わなかった。 **東京フレイズ時代 フロントとの年俸交渉がうまくいかずシーズン直前に東京フレイズへ移籍を発表。 2013年度は主に[[牛島茉那香]]の控えとして活躍し規定打席には満たなかったが高い選球眼と長打力をアピールした。 課題であった走塁も徐々に良くなっており、[[阿久須レイ]]の最多勝がかかった試合では2本の二塁打と1本の単打と三塁打を放ちサイクル安打をあと一歩まで追いつめた。 余談だがこのシーズンに記録した18四球は規定打数未達成者の中では最高の数字である。 オフには[[牧田あかね]]と交換トレードで[[大阪ナイトブレイカーズ]]にトレードされた。 *選手として **打撃面 華奢な体型ながら豪快な飛距離と勝負強い打撃が売り。反面左投手との対戦成績は悪い。 また、足が遅い上に走塁が苦手で通常なら二塁打の当たりを単打にしてしまう事も。 しかし2008年6月15日に本拠地リグレー・フィールドで行われた試合では「フェンスに打球が入り込んだ事によるエンタイトルツーベース」を一試合に二回記録している。 (リグレー・フィールドはフェンスが蔦に覆われており、この蔦に打球が入りこみボールが見えなくなると野手のアピールによってエンタイトルツーベースが与えられる。) ちなみに黒瀬が一試合で複数の二塁打を記録したのはこの試合と2013年シーズンの最終戦しかない。 **守備面 綿密なデータから大胆な配球をする事で知られている。そのためリード面での評価は高い。 特にカーネルズ時代にバッテリーを組んだアニー・ミンチには「カズハはどんな投手だろうと最高のパフォーマンスを引き出せる。間違いなく最高のキャッチャーだ。」と絶賛された。 また、高校時代から「古田敦也の再来」と称されるほど捕球術にも長けており、メディアではリード面より目でわかる捕球面のほうが評価されやすい。 しかし肘を故障してからは素早いスローイングが不可能になっており2012年にはベンチからサインを出して投手をリードする事もしばしばあった。 だがゆったりとしたフォームなら充分なボールを投げる事が可能で、2013年に神宮球場で行われた試合前のスピードガンコンテストでは142km/hを記録している。 米女子プロリーグでは鈍足ながら高い打球判断能力から遊撃手、中堅手としての評価も高くユーリティプレイヤーとして紹介される事も多かった。 *プレースタイル 非常に荒々しくラフプレーも辞さないスタイルで、「赤い殺人鬼(The Red Murderer)」と恐れられていた。 本塁突入時には自身の鈍足をカバーするためにタックルを多用し、逆に自分が捕手で相手がスライディングをしてきた時は殴りつけるように荒々しいタッチを行う。 特に本塁へ足でスライディングをかけてきた走者に対し膝を上からグラブで叩き付けるようなタッチプレー、通称「ギロチン」はシーズン中にルール改定が行われるほど問題になった。 それでいて激情家であるため乱闘での退場が非常に多い。退場処分になった時はアンパイアや相手選手に対して日本語で罵るなど問題行為もしばしば見受けられる。 また、生粋のトラッシュトーカーでその内容は挑発的かつ過激な内容ばかりであるため報復死球を受ける事も。 ちなみに米女子プロリーグでもっとも通算出場処分期間が長いのは黒瀬である。 しかし元々の人柄はいいようでシカゴの新聞社が行った「もっともカーネルズで選手から信頼されている選手」アンケートでは1位を獲得した。 *エピソード -趣味はパチスロでパチスロ雑誌にコラムを連載している。 -キャッチャーギアの熱心な収集家で毎試合ヘルメットやマスクを変えている事でも有名。しかし東京に移籍してから披露する機会が減っている。 -ギターの演奏が得意。Kathy Acker名義でギターボーカルとしてアルバムを二枚出している。LushやMy Bloody Valentineの影響が強い。 -初出場となった2009年の開幕戦ではスタメンマスクを被るも4回にクロスプレーの判定をめぐり審判と激突。数秒後に退場となり世界最速の退場処分を受けた。 -他の選手に比べるとかなりの小食であるためコーチにその食生活を心配される事も多い。 -細身の体型でスタイルが良く白人とのハーフである為にファッション雑誌のモデルとして起用される事もしばしばある。 *詳細情報 **年度別野手成績 |年度|所属|規定|試合|打率|打席|打数|安打|塁打|単打|二塁|三塁|本塁|打点|凡打|四球|死球|敬遠|犠打|犠飛|三振|併殺|失策|盗塁|盗失|出率|長率|OPS| |2013|東京|×|31|.293|102|82|24|39|16|4|1|3|16|38|18|1|0|0|1|17|3|2|0|0|.422|.476|.897| **記録 ***初記録 -初出場・初先発出場:2013年5月5日 対[[大阪ナイトブレイカーズ]]開幕戦(明治神宮野球場) 6番・指名打者で先発出場 4打数1安打 -初打席:同上 2回裏に[[沢渡知美]]から三振 -初安打・初打点・初本塁打:同上 4回裏に[[沢渡知美]]から左越2ラン ***節目の記録 **背番号 -2(2013年) -00(2014年) *能力推移 |年度|パワ|ミー|選球|走力|送球|守備|チャ|対左|バン|盗塁|捕手|一塁|二塁|三塁|遊撃|左翼|中堅|右翼|総合| |2013年|19/S|15/B| |1/G|12/C|17/A|5|1|1|1|17||||||||795/C| |2014年|19/S|17/A|19/S|2/G|15/B|18/A|5|2|1|2|18|14|||13||12|13|163/S| *pixivリンク -[[選手シート【2013】>http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=35116851]] -[[選手シート【2014】>http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=41300633]]