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怪物田中隆吉の告発

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「思考錯誤」掲示板への私の投稿
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怪物田中隆吉の告発

南京事件を勉強し始めて、まだ1年半ぐらいで、しかもやらねばならないことが遅々として進みません。

そんななかで、気がつくのは、この事件の関与者に田中さんがとても多いということです。田中軍吉さんは南京法廷の被告ですし、まぼろしを見たのは鈴木明さんですが、捏造をしたのは田中正明さんです。そうしてもう一人の重要人物が、田中隆吉さんです。

田中隆吉さんが、東京裁判でどれだけ重要な役割を担ったか、それは秦郁彦さんの達者な筆致で振り返ることにします。

ところで、この文章のテキスト化は、Ja2047さんが御下賜くださったスキャナ&ソフト「たなか君」によって行なわれました。「たなか君」を使ってテキスト化すると、その作業を通して最低4回は文章を熟読します。私が神童と呼ばれていた10歳の頃だったら、もしかすると文章をみな暗記できたかもしれません。

いまは、繰り返し読むことで、感じっこがつかめます。

で、
皆さんへのお願いは、ロッキード事件で田中さんを有罪に導く骨格を作ったコーチャン証言にも似た田中隆吉証言の内容が、今みなさんの研究レベルによってどのように評価されるべきかを、ぜひ述べていただきたいのです。それが、東京裁判の骨格としての信頼度を占うことになるかもしれません。

中公新書「南京事件-虐殺の構造」秦郁彦著
p28~32

怪物田中隆吉の告発

往年、シカゴのギャング退治で勇名をはせた東京裁判の主席検事ジョセフ・キーナンが、三八人の米検事団一行をひきっれて羽田空港に到着したのは、終戦の年もおしつまった昭和二十年十二月六日のことである。

こういった書き出し、アメリカを象徴するギャングからワグナーの世界へ転じるなんざ、笠原十九司さんにはない秦さんの文才です。

ナチスの戦争指導者たちを裁くニュルンベルク裁判はすでにスタートしていたが、東京裁判を主宰する連合国最高司令官(GHQ/SCAP)マッカーサー元帥と担当の検事局の準備は大幅におくれていた。GHQはとりあえず九月から、東条内閣の閣僚クラス数十名を逮捕して巣鴨拘置所に収容・そのなかには南京事件の最高責任者と目された松井石根(いわね)大将もふくまれていた。

だが、日系二世の下級スタッフを除くと、日本語の文書書を読みこなせる担当官はきわめて少なく、まして戦前期日本に特有の国家体制や複雑な人脈に通暁した専門家は、皆無に近いといってよかった。加えて、日本軍部は終戦と同時に戦時中の公文書を大量に焼却処分してしまったため、訴追に必要な文書証拠は裁判所側の手で収集せねぱならなかった。

このような悪条件を考慮して、キーナン検事は、本人を免責する代りに協力者に仕立て、仲間の悪事を告白させる、いわゆるFBI方式を採用するが、折からこの役割を果すにふさわしい人物が現れた。元陸軍省兵務局長田中隆吉少将である。

田中さんを追い落としたコーちゃんの役割が、東京裁判では田中さんだったのですね。でも、やっぱり、苦労の末みつけた証人だったようです。

田中は陸軍有数の謀略家で、昭和七年の第一次上海事変で駐在武官として火つげ役をやり、十年から十二年にかけては関東軍参謀として内蒙工作や冀東密輸による中国経済の擾乱を手がけた。武藤軍務局長と並んで初期東条政権を支えた政治軍人でもあり、額面どおり査定すれぱ、A級戦犯に指名されてもおかしくない大物であった。

検事団が田中に着目したのは、『東京新聞』に発表した「敗北の序章」という連載手記がきっかけだったようで、二十一年二月十八日国際検察局に田中を呼び出して、翌日から尋間が始まる。六月まで二二回、三〇〇ぺージにのぽる尋問調書は米国立公丈書館(ナシヨナル・アーカイブス)に保管され、最近、ほかの国際検察局文書(IPSRecordsRG331)もろとも粟屋憲太郎氏によって要点が紹介された(「東京裁判への道」『朝日ジャーナル』連載、昭和五十九年十月十二目号より)。

検事団は、南京事件については、見聞した外人記者の報道や国際安全区委員会の記録を入手し、来日した向哲濬中国政府検事から南京地方法院検察処が、前年十一月から組織的に収集した「敵人罪行調査報告」を受けとっていた。しかし、いずれも被害者側の個別体験を集約したものに限られ、られ、加害者である日本軍の実情に触れるものではたかった。被害者がいくらそろっても、加害者やその責任者が特定できないと公判の維持は困難である。

米軍はレイテ戦で全減した第十六師団の日本兵捕虜にまで当って、生き証人を探したが、はかぱかしい成果を得られず、焦っていたところだったから、免責と引きかえに提供された田中隆吉の内部告発は貴重な材料となった。

次に三月二十二目と五月二十四目の尋問調書から、南京事件に触れた田中の陳述を抜き出してみよう。



さて、尋問調書の抜粋ですが、こんな短い抜粋の中に、要点が皆放り込まれているのには驚きます。長勇が、中支那方面軍の参謀ニ課長として慰安所設置案を作成したことまで適確に浮き彫りにしています。

※南京事件と長勇中佐 http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html#yositika  http://ch05028.kitaguni.tv/e85330.html

※長勇中将は沖縄戦で自決した第32軍参謀長として有名 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6  http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-okinawa11.html

※長勇という軍人は、軍国日本史の要衝に登場しているようです。「10月事件」(桜会)、おそらく「満州事変」も、「南京虐殺事件」、「仏印進駐」、「シンガポール粛清」、「沖縄住民虐待戦」など、・・・・経歴詳細は要検証。wikipediaから消えています。


 南京残虐事件(レイプ・オブ・ナンキン)に松井大将は関係があるか。
 松井大将が命じたものではないが、彼の部下が史上最悪の残虐行為をやったのである。
 松井はそれを知ってやめさせる命令を出したと思うか。
 あとで松井はわたしに、やめさせるため全力をつくしたが、力が足りなかった、責任を感じると話した。
 松井は責任者を処罰したか。
 イェス。しかし処罰は軽いもので、マネゴト程度にすぎなかった。松井は南京占領と同時に講和しようと考えていたが、この事件でだめになってしまったと語った。
 松井は責任者の名前を言ったか。
 中島(今朝吾)第十六師団長の名をあげ、この部隊は上海の日本商店すら掠奪した、と怒っていた。
 他にもいるか。
 谷寿夫中将、佐々木到一中将である。とくに佐々木が悪かった。
 陸軍は事件の調査をやったことがあるか。
 イェス、憲兵隊が実施し、わたしはその報告書を読んだ。
 それによって軍法会議が開かれたか。
 十四年春、我々は松井大将、中島師団長を軍法会議にかげるよう主張したが、中島(鉄蔵)参謀次長の猛反対で実現しなかった。
 この件で松井と会ったか。
 彼は兵務課長だったわたしを二度訪ねてきた。彼は大アジア主義者で米英との開戦を主張していた。
 あなたが事件のことを初めて知ったのはいつか。
 十三年三月頃だ。私は朝鮮で連隊長をしていたが、松井軍の参謀から同じ師団の連隊長へ移ってきた長勇大佐から聞いた。
 彼は何と言ったのか。
 南京東方の鎮江付近で多数の捕虜を殺したこと、兵士たちの強姦があまりひどいので慰安所を開設した、と述べた。
 ティンパーリーの著蓄、石川という小説家の作品を知っているか。
 聞いたことがある。石川が書いたのは真実だと思う。


以上のの、一行一行を順番に確認していけば、南京事件があったか無かったかは、わりと簡単に明瞭になるような気がしています。わたしは、二人の田中君や、東中野君に惑わされて、凄い遠回りの道に誘導されちゃってるかもしれません。

秦郁彦さんのリズミカルな筆致が、フォローします。


田中は他にも、中島師団長が蒋介石の私財を内地に送りこんだのを憲兵に摘発させたエピソードなどを紹介しているが、彼のこうした率直すぎるほどの内部告発で、検事団は事件の責任関係について輪郭をつかみ、かねてからの心証を補強したと思われる。

ところが責任者として松井、中島、谷(第六師団長)、佐々木(中島の支隊長)、長という顔触れがそろったとはいえ、長は沖縄で戦死、中島は終戦直後に病死、佐々木はソ連抑留中で、残るは松井と谷の二人にすぎなかった。あえて加えれぱ、松井の下の軍司令官だった朝香宮鳩彦(やすひこ)王中将(上海派遣軍)と柳川平助中将(第十軍)の二人がいたが、柳川は病死し、朝香宮は天皇を戦犯にしたいという最高方針が決ったことで対象圏外に去った。

三月二目から英国、中国などおくれて到着した各国検事も交え、検事会議でA級被告の選定審査が始まった。十一日の会議で、日中戦争を担当したモロー米検事は、「朝香宮を非難するのではないが、南京を掠奪」たのは朝香宮が軍司令官だった部隊だった」という松井の陳述を紹介したのち、松井を被告に選定せよと主張した。

これに対し、根拠がやや弱いとの異論が出て結論は留保されたが、最終的に松井は二八人のA級被告に加えられ、谷はB・C級として中国軍事法廷へ引き渡すことで決着した。


というわけで、この田中隆吉調書は、いわば、「南京事件シノプシス」ともいえるものだ、と秦さんはいっています。

※以上、「たなか君」を下賜くださったJa2047さんへのお礼を兼ねて投稿しました。
※10/9 00:18、一部修正しました。

※この投稿に対する eichelberger_1999さんのレス http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=3368;id=sikousakugo#3368