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皆本義博氏 証人尋問2007年07月27日

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http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707271700_01.html
沖縄タイムズ
2007年7月27日(金) 夕刊 1面

軍命有無めぐり主張/「集団自決」訴訟証人尋問


 沖縄戦時に慶良間列島で相次いだ住民の「集団自決(強制集団死)」をめぐり、旧日本軍の戦隊長らが命令は出していないと主張している訴訟の証人尋問が二十七日午前、大阪地裁(深見敏正裁判長)で始まった。原告・戦隊長側の証人として、渡嘉敷島駐屯の海上挺進第三戦隊の中隊長だった皆本義博氏(85)が証言。皆本氏は「赤松(嘉次)隊長とは密接に連絡を取り合っていたが、住民に自決命令を出したという話はまったく聞いていない」などと語った。
 一方で皆本氏は被告側の反対尋問で「(『集団自決』があった)三月二十八日までの三日間の赤松隊長の動向は知らない」とも述べた。

 皆本氏は、手榴弾は赤松隊長の責任のもとに軍が管理しており、防衛隊員には配ったがそれ以外の民間人に配布したことはないと主張。反対尋問で「二十日前後は戦闘訓練に従事していて、誰に配られたのか具体的に知らないのではないか」と問われ、「そうだ。確認していないことには答えられない」「交付の際にどういう命令が出ていたかは知らない」と述べた。

 皆本氏も赤松氏も、住民が「集団自決」したことはまったく知らず、赤松氏は村落の偵察から帰って来た部下からの報告で初めて知ったはずだなどと述べた。

 また住民の「集団自決」について、サイパン島で断がいから身を投げた人の多くが沖縄県出身者だったことが広く知れ渡っており、島民はそれを思い浮かべたのだと思うと述べた。反対尋問で「『集団自決』の軍の責任をどう思うか」と問われると、「気の毒なことだったが、現地の指揮官ではなく、帝国陸軍、海軍が背負ってきた伝統的責任だと考えている」とした。

 また所属する海上挺進戦隊が一九四四年九月に渡嘉敷島に駐屯を始めてから、軍と住民との関係は良好で、今でも島民との交流が続いていることを強調した。

 同日午後からは、赤松戦隊長の副官だった県出身の知念朝睦氏(84)が原告側の証人として、座間味島の「集団自決」をめぐる著作「母の遺したもの」の著者の宮城晴美氏(57)が被告側から証言に立つ。同日は六十九席の傍聴抽選に原告と被告の双方の支援者ら二百十九人が並んだ。



http://www.okinawatimes.co.jp/day/200707281300_01.html
沖縄タイムズ
2007年7月28日(土) 朝刊 1・26面

皆本義博さん/隊長動向知らぬ



 赤松戦隊長は、陸軍士官学校の卒業生としては珍しく温容な人。渡嘉敷島では村落に宿泊し、住民に心から歓迎してもらった。今も交流は続いている。

 赤松戦隊長から部隊が住民に対して自決の命令を出したとは一切聞いていないが、一九四五年三月二十六日から二十八日にかけての赤松戦隊長の動向については知らない。

 自決の翌日、偵察に行った部下が住民がたくさん死んでいるのを見たというので「貴様、本当に見たのか」と叱責した。私は、戦闘準備で精いっぱいだったので自決現場は見ていない。「集団自決」は、住民の中にサイパンで断がいから島民が飛び降りたことを聞いたことが影響していると思う。飛び降りた七割は、沖縄県出身者だった。渡嘉敷島で手榴弾は防衛隊にだけ配り、民間人に配ったことはない。