今 あなたは どんな感じですか? ひとり くつろいで こころおだやかですか? 愛する人たちと しあわせにすごしていますか? からだの感じは どうですか? こっているところ、緊張しているところで気になっているところはありませんか? 人生で 困っていることはありませんか? 仕事や 人との関わりで どうにもならないと感じていることはありますか? 人にどう思われているか 気になりますか? ☆ ここに書いたのはわたし自身の「今の感じ」でもあります。 わたしはこんな時、どうするでしょう。アロマのお湯にはいり、ストレッチやコンディショニングで身体を整えると同時に 瞑想します。 いま自分にできることをして、そして、内側を見つめます。 (もちろんいつでもできるとは限りませんが) 内側と外側は繋がっています。 外側のことで気になることは、すべて内側を映しているのです。 外側で起こるトラブル、問題、すべては 天から与えられたチャレンジ。 わたしたちが 内面を肥やすための 成長して より自由になるための 必要な課題。 人は身体の中に広大な宇宙を持っています。 それはとても豊かで全世界がすっぽりと入ってしまえるほど。 日々のいろいろなことを身体は取り込んでいるばかりではなく 過去のことどもすら記憶しています。 わたしがサイキックマッサージでクライアントの身体から読みとる絵はすべてわたしの中にもあるものだということに気づいたのはここ最近のことです。 それがどれほどすばらしい絵であろうと、どれほどネガティブなものであろうと、その時のわたしにも気づきをあたえてくれるものを見せてくれるのです。 いつでも内と外は繋がっているのです。 なので 瞑想はいつでも助けになります。 それでも ほんとうに困ったことがあると、誰か外側に助けを求めたくなります。 チャレンジの時なのですから、情報を収集することも必要でしょうし、励ましてもらったり、ただ話を聞いてもらったりすることだけでも有効かもしれません。 困るとはどういうことでしょう? なにか目の前のことをクリアしたい。今の状態ではないところにゆきたい、ということでしょうか? あるいは、ほんとうはしたくないことをしなくてはならないので悩むということでもあるでしょう。 終わったことなのに、気になる、また、ただ単に楽しくない、ということもあるでしょう。 もうただとても疲れてしまった、ということでもあるかもしれません。一過性のものなら休めばよいことですが、それが気になることとして言葉になるとしたら、疲れをとりたいという願望があるからですね。 いずれにしても、今のわたしではいけない、という判断から起こるのでしょう。 「もっとやさしく、もっとしっかり、もっと人に開いて、もっとくつろいで、もっと瞑想的に、もっともっと・・・」という欲望のスペース。 あるがままを受け容れられないと感じるとき、人は困るのだと思います。 サイキックマッサージはどんなときでも、深いくつろぎをもたらします。 それは瞑想的なタッチから起こります。 セラピストは、瞑想に入り、深くくつろいだ状態で、クライアントのエネルギー状態を感じながらマッサージをします。 そこに共鳴が起こるとき、セラピストとクライアントは、深い存在のレベルで出会っているのだと創始者はいいます。その感じは、わたしの言葉では、まさに「溶ける」感じです。 「わたし」という人格を脱いでそこにある存在同士が出会う。そのとき、自分という境界が消えて、自分が広がるような感じが起こるのです。それを「共鳴」レゾナンスといっています。共鳴の起こりうるところ、それを光と呼んでいます。 人は誰でも、ネガティブな感情と同時にポジティブな光の部分を身体の中に持っていますが、時として光が厚い雲に覆われて見えなくなっていることがあります。 そんなとき、サイキックマッサージでは、丹念に光を探していきます。それが見つかるとその部分に時間をかけてマッサージします。 すると、雨雲の合間から晴れた空が顔を出すように光が広がることがあります。 その結果、クライアントは、自分はオッケーだと心底安心することができるようになります。ここにくつろぐことによって、闇の部分、ネガティブな感情や問題はより薄らいでいきます。 初めから光が見つかりやすいこともあります。それはチャクラがゆるんでいる場合。 そこには光がたくさんあるということを示唆しています。 そうした場合はまた違ったアプローチをします。 1人1人、その瞬間に応じてマッサージのスタートポイントを決め、流れを決めていきます。またマッサージをしながらリーディングを同時に行い、感情がスタックしているところは流すことを試みたりします。 そして最後に伝えるべき事があれば、リーディングの内容をお話しすることもあります。