写真提供 刑事長:撮影 2016/11/03(注1)最新の情報提供 水野 葉:情報更新 2021/02/03
(注1)撮影画像は昨年10月~11月、市川市の千葉県立現代産業科学館の企画展示に貸し出された時のもの。現在は集電装置、前照灯を外された状態(展示から返却移送されたままの状態だと思われる)で車庫の側線に留置
(注2)車籍あり、なお法定検査を受けていないため、本線上での運転は不可
備考:ドイツ・アルゲマイネ社(AEG)製造。1922年製造で、日本の営業線上では最も小さい電気機関車として、銚子電鉄のマスコットとなっている。山口県・沖ノ山炭鉱株式会社(現:宇部興産株式会社)が私設線として保有した沖ノ山炭鉱の専用線で使われた後、銚子電鉄に移籍。車籍を残し、社内の有志による点検整備を受けつつ現在に至る。
沖ノ山炭鉱の専用線在籍時のデキ3の車番は正確には不明である。理由として、沖ノ山炭鉱の専用線(私設線であった為、正式名称は無し。昭和二十年頃から社内では「沖ノ山電車」の呼称で統一されるようになった)は企業内を走る私設線の為(工場設備としての扱い)、鉄道省の所管外で専用鉄道として未認可であり、車籍がなかった為である。ただし、「器具第五十四号 沖ノ山炭鑛株式会社」の銘板が取り付けられていたのが確認されており、産業機械として車番の代わりにこれが相当する可能性もある。デキ3の車番は、後述のデキ1形に由来するものではなく、銚子電鉄に移籍後、ヤマサ醤油への原料輸送に使われた、内燃機関車1・2の続番として3の車番が振られたものである。
沖ノ山炭鉱の専用線では、沖ノ山新鉱駅から沖ノ山旧鉱駅(後に宇部港駅に改称)まで船積みされる石炭の輸送等に使われた。1930年に専用線が宇部電気鉄道に引き継がれ、1941年にデキ3として銚子電鉄に移籍する準備直前までの経緯は資料上では不明瞭な所があるが、「宇部炭鉱ニテ土砂運搬用ニ購入セルモノ」という移籍に関して書かれた文章が残されている。また、宇部電気鉄道が貨物輸送用に保有した電気機関車、デキ1形(ドイツ・アルゲマイネ社(AEG)製造)、デキ11形(日本鉄道自動車工業製造/後の上田交通ED25 1、長野県上田市工業百年公園で静体保存)より、小型・非力でブレーキ管を装備せず、宇部電気鉄道の車籍も資料上存在しない。よって、宇部電気鉄道が開業させた新沖山駅~沖ノ山旧鉱駅では運用につかず、旧専用線区間、及び付帯する引き込み線のみを走行したと考えられる。
銚子電鉄への譲渡にあたっては、日本鉄道自動車工業製造でドイツ製・・アルゲマイネ社(AEG)製B4タイプビューゲルをトロリーポールに換装(銚子電鉄でのビューゲル装備時は都電の物を使用)、モーター欠損の為イギリス・ブラッシュ製29.8kwモーター2台取り付け(新製時は「UKB133」2台)、円形ハンドル付の手用ブレーキ1個を新設(変更前は手用錘式ブレーキ)している。
銚子電鉄では車籍を有し、銚子ー仲ノ町間で、ヤマサ醤油(工場が仲ノ町駅周辺に立地)への原料(主に塩)の輸送を主な活躍の場とし、車両不足の際にはピンチヒッターとして、客車を牽引して旅客列車の運用についた。1984年の貨物輸送廃止に伴い営業運転からは撤退し事業用車となるが、法定検査を通していた際は、単機で営業線上をイベント走行することもあった。
また銚子電鉄入線後も、車体前後に手すりの取り付け、運転室内中央部にあった直接制御器を三菱電機「KR8型」に交換し移設、フットコングから電気式ホーンへの改造等が行われている。
なお現在に至るまでたびたび塗装が変わっているが、現在の塗装は市川での展示に際し、「黒色塗装」にしようとしたが諸般の事情により間に合わず「下塗り」状態で貸出するに至ったためのものと言われている。
デキ3の輸入時に関する記述あり(http://steam.fan.coocan.jp/haisen/riku5.htm)なお、文中記載の製番 2539は貝島炭鉱向け車両であり、沖ノ山炭鉱との関りは無し。
内燃機関車1・2の写真と関する記述(https://drfc-ob.com/wp/archives/tag/%E9%8A%9A%E5%AD%90%E9%9B%BB%E9%89%84)
参考文献:Rail Magazine 32巻 9号 通巻384号 (2015年9月)銚子電気鉄道デキ3の謎を再考する 白土貞夫
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