1993年 伊藤智仁(ヤクルト)

 多くの打者が「消える」とまで言った鋭い高速スライダーと150キロの速球を武器にしてルーキーイヤーから活躍した。
93年には対巨人戦1試合16奪三振を奪うものの、ベテランの篠塚和典にサヨナラHRを打たれてしまう。また、あまりの活躍に当時のヤクルト野村克也監督が頼りきってしまい、6月には12回190球を投げるなど酷使され、故障してしまう。
 復活後もひじ痛・肩痛に悩まされ、一時は引退を勧告されるが拒否し、2軍戦で復活マウンドに立った。しかし、当時の輝きは3度に渡る手術で消えており、ストレートの最高は109キロだった。
 高速スライダーと度重なる故障に抗う姿は野球ファンに強い印象を残した。
 通算成績 防御率2.31 37勝27敗25S 奪三振548





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最終更新:2013年01月17日 22:20