1990年 池山隆寛(ヤクルト)

 常に豪快なフルスイングだったため「ブンブン丸」というあだ名が付いた。もちろん、三振が多く、87年から92年までの6年連続で年間100以上の三振数を記録するなど、やや確実性に欠ける部分があった。
 当時の野村克也監督に「守備で1億円稼げる」と言われるほどの広い守備範囲と強肩を誇り、90年には打率.303、HR31と、遊撃手としては史上初の「3割30本」を達成するなど走攻守揃った遊撃手だった。
 神宮球場のバックスクリーンへのHRが多かったので「バックスクリーン男」と言われた。
 引退試合でセンターオーバーを放って足を引き摺りながら、2塁へ走り込むシーンは印象的だった。
 通算成績 打率.262 HR304 打点898 盗塁108





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最終更新:2013年02月01日 23:27