1950年 小鶴誠(急映>大映>松竹>広島)

 松竹ロビンスの監督も務めた新田恭一に指導を受け、新田が元ゴルファーだったこともあり、腰の回転を使いダウンスイングで打つゴルフスイング打法を習得した。小柄で腕力もない小鶴の腰の回転を利用した円滑なスイングで、50年に161打点を記録、約60年経った今も日本記録である。
 松竹ロビンスで岩本義行、大岡虎雄、金山次郎らと共に「水爆打線」と呼ばれた強力打線を形成した。
 還暦までバッティングセンターに通い続け、毎日200球ほど打ち込み、打撃を追求し続けていたという打撃の職人であった。
通算成績 打率.280 HR230 打点923 盗塁240





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最終更新:2013年03月12日 21:17