1947年 ジャッキー・ロビンソン

 47年、黒人のみのニグロ・リーグで活躍していたが、スカウトされ黒人初のメジャーリーガーとして、ドジャースでプレーした。
 ロビンソンの最大の敵は、優秀な投手だけでなく、黒人差別であった。当時は白人のみが利用出来るトイレや通路があり、当時の大リーグも400人全て白人選手であった。その中にたった一人で飛び込んだ黒人であるロビンソンは、球場のファン、チームメイト、審判などから熾烈な差別を受ける。時には「殺す」という過激な脅迫を幾度も受け、生命の危険すらあった。
 しかし、不屈の闘志でプレーを続けると徐々にチームメイトとの絆やファンからの声援が増え、チームの中心として走攻守に活躍し、チームの優勝に貢献する。そして、ロビンソン自身は同年より制定された新人王を受賞した。

 ロビンソンの活躍によりメジャーへの黒人選手受け入れを早める役割を果たし、ロビンソンのメジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日、ロビンソンの背番号42が全球団共通の永久欠番となった。
 偉大なる背番号42はこうして誕生した。日本では「死に番」として避けられるが、アメリカでは「偉大なる背番号」であるので、日本へやってくる助っ人外国人に42番が多い訳はそのためである。
 MLBでは毎年「ロビンソン・デー」があり、MLB全選手が背番号42を付けてプレーする日があるほど、特別な背番号である。

 査定は「パワメジャ」基準でやりました。




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最終更新:2013年11月10日 19:36