「Re:心理学者の考えるQWERTY配列の歴史 - yasuokaの日記」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
下書き
キーボードの歴史にも書いたとおり、1872年時点では、キー配列はまだQWERTYになっていない。
山田尚勇は、ほぼQWERTY、少しの例外を除いて、と、ひょうげんしてあった。
すでにQWERTYのわだちへと踏み入っていたといえるのではないか。ひとつのバランス・妥協・最善の形へと結実する経路へと。
『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版, 2008年3月)にも書いたが、1872年時点でのSholesの顧客は、George HarringtonやAnson Stagerなどが率いる電信会社だった。
売り込み先ってのはどうなのかな、。少なくとも、単なるセールスってわけではないような感じの場面が、ステイガーむけにはあったな。タイプライター製造ならびに電信受電システムに採用となるかならぬかまでを含めた話。包括的な。
打つべきスピードは、タイピストによって決定されるのではなく、モールス電信の受信スピードで決まっているからだ。
「タイピストの打つ速さを遅くするように」
slow the typist down
ってのは、 「の打つ早さ」ってのは、そう補わないといけないのかな。
なんて、どう考えてもヘンだと思わなかったのだろうか?
現代の要求水準というか、バランス最善点が移動した、というか、、
accidental
だって、1895年だったかには、イーブンペースで打鍵されてさえいれば、タイプバーが衝突したりしっこない、手名結論がでていたみたいなんだよな。
なのになんで29世紀になっても、タイプバーの絡みはおこったのだろうか。
ありえない、、、人間はそんなに早く打てないはず、、 イーブンペースで考えるならば、、
突発的な、あるいは、事故的な不用意操作
要求水準があがってったってのもあろう、
わざと、たとえ絡んだとしても、タイプバーへのダメージは避けたいってな設計、運営方針になったってのもあるかな。で、しなって変わす、ガッチンコを避ける、。
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