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執筆中つφ
#ref(ostbord0.jpg) 現在私が雇われているのはオーファン・ラベンツラフ王の家臣、フィッチツェ公セレスバーン・ルクセンドル。 もっとも、ルクセンドル公自身が戦場に立つことは少なく、我々はもっぱらフィッチツェ公軍司令官、アーケイゲルント中将の下で行動している。 フィッチツェは東部のスィール族の王、ターリブ・ヤースィーンの領地と境を接しており、彼の軍隊とは時々小競り合いが起きる。 ラベンツラフ軍はオストラントの、ヤースィーン軍はスィールの最大勢力であり、その兵力は拮抗している。当然、国境地帯においてもその縮図が展開されていた。 ルクセンドル公に対抗するため、ヤースィーンは家臣のナーズィム・ハミードを南のレイムケルンの君侯に、バーキル・イスマートを北のクラドディーの太守に封じたのである。 ルクセンドル公が8万5千の兵力を有しているのに対し、彼らの元には合わせて7万5千ほどの兵力が配置されており、ルクセンドル公から領土を守るには十分なものであった。 ---- #ref(セレスバーン・ルクセンドル公a.jpg) ▲ルクセンドル公は先王アーベルの妹婿であり、彼を支えて各地を転戦したが、スィールとの会戦で片腕を失い、自ら剣を振るうことはなくなった。 しかし彼は元勲として現在も若い武将たちの尊敬を集めている。 ---- 3月 サーラーク中将率いるラベンツラフ軍がハミード領カリムメッツに侵攻。戦力は4万5千。対する敵軍は猛将ミシュアル中将揮下の9千。 兵力差は5倍であり、誰もが勝利を確信していた。我々を率いるアーケイゲルント中将もこの戦いに参謀として参加した。 敵軍は川の対岸に陣取り、数を多く見せようと多くの旗を掲げていたが、実数はすでに見破られていた。 最初に川を渡ろうとしたのは右翼の騎兵隊だった。が、川岸から矢を射掛ける敵軍に阻まれ、失敗する。 決定的な敗因は、中央からの渡河を試みたタスクフェルト少将が流れ矢に当たって死亡したことだった。 その知らせに浮き足立つ我が軍の本陣を敵の騎兵隊が強襲すると、我が軍は総崩れとなった。 ハミードはこれを機会に単独講和を打診し、国王はこれを受け入れた。 ---- #ref(ナーズィム・ハミード侯.jpg) ▲ハミードはかつてヤースィーンの軍師であったが、その知略をもって難攻不落といわれたレイムケルンを攻略し、その地を与えられた。 ---- ラベンツラフ軍が次に目を向けたのはエーインバーグ軍の領土だった。 我々がカリムメッツでハミード軍と戦っていたころ、エーインバーグ軍はスィールの王バンダル・サビーフとの間のワーブルク会戦で2万の兵を失う大敗を喫していたのである。 国王はこれを好機と見て自ら6万9千の兵を率いて出陣し、フラドローニにて敵軍4万6千を殲滅、フラドローニを奪取した。 5月 勢いに乗ったラベンツラフ軍は、さらにエーインバーグ領バルシーを攻撃する。 アーケイゲルント中将の3万3千はウェスデンバー少将率いる敵軍3万7千と交戦。 戦闘中にプコバーグ少将らの援軍1万5千が到着し、我が軍は敵軍に兵力で上回る。 側面に展開した援軍だが、プコバーグ少将の誤った判断が命取りとなった。 彼は敵の本陣を衝ける位置にいたにもかかわらず、反転して前面の敵を背後から攻撃したのだ。 好機を逃した我が軍には次第に疲れが見え始め、プコバーグの攻撃も決め手にはならなかった。 自分の過ちに気づいたプコバーグがようやく敵の本陣を攻撃しようとしたころには、すでにこちらの本陣が衝かれていた。 当然プコバーグの攻撃は間に合わず、我が軍は敗北した。 このころ、ヤースィーン軍は北のタスクゲルント領を盛んに侵略し、今にもこれを併合せんばかりの勢いであった。 これを警戒したラベンツラフ軍はヤースィーン領ミュールハイトを攻撃。オフェンディー上級大将揮下5万の軍勢がサルマン中将率いる5万6千と交戦するも敗退。 両軍ともに損害は軽微だったが、両軍の間には講和が結ばれた。 8月 タスクゲルント王家がヤースィーン軍によって滅ぼされる。 これに伴い、家臣であったルーベベルク公エドファーヌ・ケスナイトはその地で独立する。 9月 ハミード軍との講和が失効し、ルクセンドル公自らが率いる4万3千が再びカリムメッツを攻撃。 中央から一斉に川を渡って8千の敵軍を蹴散らし、勝利する。 ラベンツラフ軍はハミード軍を滅ぼすべく、さらに彼らの本拠レイムケルンを攻撃する。 サーラーク、アーケイゲルント両中将率いる3万9千に対し、ハミード軍は主家ヤースィーン軍からの援軍1万を受けて1万6千。 援軍を率いるクラドディー太守バーキル・イスマートは勇将として名が通っており、これにどう対応するかがこの戦闘の鍵であった。 ハミードはイスマートの部隊を最左翼に配置するという思い切った作戦を取った。 これにより本陣は手薄になるが、我が軍の右翼に強い圧力をかけることができる。 我が軍は敵本陣への攻撃とイスマート隊の阻止のどちらを優先するか選ばなければならなかった。 我々に下ったのは本隊への突撃命令だった。 我々はスワイリフ中将、ルクン少将の部隊を壊滅させ、敵の本陣に肉薄することには成功したが、 いつしかイスマート隊に退路を立たれたうえに本陣を衝かれ、完全にハミードの術中に落ちた形となった。 結局我が軍は撤退し、ハミードとは再び講和が結ばれた。 11月 アーケイゲルント中将率いるラベンツラフ軍2万7千はエーインバーグ領バルシーに侵攻。ヒルデバッハ大将の4万3千がこれを迎撃する。 平原での戦いは数に勝る敵軍に終始有利に展開し、我が軍は敗北、エーインバーグ軍とは和平が結ばれた。 ローエンリンゲン軍によってフリントメッツ城が包囲され、陥落する。

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