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***107年 #ref(ehinlans107-1.bmp) 2月 帝国軍は再びブルタンを攻撃。ケススタン宰相の率いる5万5千は敵軍3万3千と交戦。帝国軍は山上に陣取り、敵軍は川の対岸の平地に陣を構えた。 この時点で帝国軍が取れる選択肢は二つあった。敵軍を誘導し、川を渡らせて山上から川へ追い落とす作戦と、こちらが川を渡って平地で敵を殲滅する作戦である。 宰相は数の力を活かして平地で一気に決着をつけようと考えたが、川岸で敵軍に阻まれ、結局渡河することもかなわず軍は疲労し、敗北した。 //この戦いで本隊の側面を堅守するなどの功績によりアーサムソン准将は少将に昇進。 4月 ラウジェン殿下率いる2万9千の軍勢がブルタンを攻撃。テッセソン侯自ら率いる2万8千と交戦。殿下はこれが初陣であった。 殿下は左翼に騎兵を集中させて川を渡り、テッセソン侯の本隊を衝く作戦に出た。 しかし左翼の騎兵隊をすべて攻撃に回したため、さらに外側を迂回した敵軍にラウジェン殿下の本陣が攻撃されてしまった。 すぐに殿下は撤退を命令なさった。ラウジェン殿下は馬に乗ることができなかったのだ。 陛下はこの件で殿下をお咎めになったが、特に処分を下すことはなさらなかった。 6月 しかしラウジェン殿下は諦めなかった。再びブルタンへの出陣許可を陛下に要請され、陛下もこれを承認なさる。 殿下率いる2万8千は敵軍が戦場に集結する前に攻撃を開始し、これを撃破。そのままブルタン城に進撃し、敵軍が戻る前に占領した。 //敵の本隊攻撃を担当したジークゲルト准将とハスリア准将は少将に昇進。 テッセソン侯らは捕らえられ、エーインランスに連行されたうえで処刑、晒し首となった。 ラウジェン殿下は先の敗戦の汚名を晴らすに余る名声を得てご満悦であった。 こうして50余年にわたって帝国に反抗し続けたテッセソン侯領はついに帝国に併合された。帝国万歳! 7月 テッセソン侯領併合の功績を認められてラウジェン殿下はブラウラーク大公の爵位を授かり、旧テッセソン侯領の行政を任される。 10月 今年は雨が少なく、収穫量の減少が懸念されていたが、その懸念を上回る不作が大陸を襲い、餓死者まで出る始末であった。 各地の地方司令は食料庫の食料を分け与えるよう命令されたが、中にはそれを高額で売って不当に利益を上げる者もいた。 ***108年 #ref(ehinlans108-1.bmp) この年は特筆すべきことは起こらなかった。 昨年の飢饉により民衆の不満が高まっていたが帝国領内では反乱は起こらなかった。 一方タスクベルク領内では反乱が頻発し、勤皇の旗幟を掲げて帝国に支援を求める者もいた。
***107年 #ref(ehinlans107-1.bmp) 2月 帝国軍は再びブルタンを攻撃。ケススタン宰相の率いる5万5千は敵軍3万3千と交戦。帝国軍は山上に陣取り、敵軍は川の対岸の平地に陣を構えた。 この時点で帝国軍が取れる選択肢は二つあった。敵軍を誘導し、川を渡らせて山上から川へ追い落とす作戦と、こちらが川を渡って平地で敵を殲滅する作戦である。 宰相は数の力を活かして平地で一気に決着をつけようと考えたが、川岸で敵軍に阻まれ、結局渡河することもかなわず軍は疲労し、敗北した。 //この戦いで本隊の側面を堅守するなどの功績によりアーサムソン准将は少将に昇進。 4月 ラウジェン殿下率いる2万9千の軍勢がブルタンを攻撃。テッセソン侯自ら率いる2万8千と交戦。殿下はこれが初陣であった。 殿下は左翼に騎兵を集中させて川を渡り、テッセソン侯の本隊を衝く作戦に出た。 しかし左翼の騎兵隊をすべて攻撃に回したため、さらに外側を迂回した敵軍にラウジェン殿下の本陣が攻撃されてしまった。 すぐに殿下は撤退を命令なさった。ラウジェン殿下は馬に乗ることができなかったのだ。 陛下はこの件で殿下をお咎めになったが、特に処分を下すことはなさらなかった。 6月 しかしラウジェン殿下は諦めなかった。再びブルタンへの出陣許可を陛下に要請され、陛下もこれを承認なさる。 殿下率いる2万8千は敵軍が戦場に集結する前に攻撃を開始し、これを撃破。そのままブルタン城に進撃し、敵軍が戻る前に占領した。 //敵の本隊攻撃を担当したジークゲルト准将とハスリア准将は少将に昇進。 テッセソン侯らは捕らえられ、エーインランスに連行されたうえで処刑、晒し首となった。 ラウジェン殿下は先の敗戦の汚名を晴らすに余る名声を得てご満悦であった。 こうして50余年にわたって帝国に反抗し続けたテッセソン侯領はついに帝国に併合された。帝国万歳! 7月 テッセソン侯領併合の功績を認められてラウジェン殿下はブラウラーク大公の爵位を授かり、旧テッセソン侯領の行政を任される。 10月 今年は雨が少なく、収穫量の減少が懸念されていたが、その懸念を上回る不作が大陸を襲い、餓死者まで出る始末であった。 各地の地方司令は食料庫の食料を分け与えるよう命令されたが、中にはそれを高額で売って不当に利益を上げる者もいた。 ***108年 この年は特筆すべきことは起こらなかった。 昨年の飢饉により民衆の不満が高まっていたが帝国領内では反乱の動きはなかった。 一方タスクベルク領内では反乱が頻発し、勤皇の旗幟を掲げて帝国に支援を求める者もいた。 ***109年 #ref(ehinlans109-1.bmp) 2月 勤皇を唱えてタスクベルク軍に反旗を翻し、帝国の支援を受けていた反乱軍、ラベンセント軍がタスクベルク軍に攻撃され、帝国は援軍を送る。 帝国軍5万1千と敵軍5万7千が交戦したベスガルト平原の攻防戦は、帝国軍が敵の左右両翼を牽制しつつ本隊を衝くという堅実な戦術で勝利し、 ラベンセント軍はタスクベルク軍に自らの独立を認めさせることに成功した。 //この戦いで傭騎兵隊長として敵右翼の動きを封じたローフェン准将は少将に昇進する。 10月 地方反乱軍アドルッツ軍の支配するオーバランスを攻撃、ケススタン宰相率いる帝国軍4万4千を反乱軍1万6千が迎撃する。 敵軍は兵力が少なく、全ての戦線に兵力を割けなかったためにがら空きになっていた左翼をビュスタン中将率いる騎兵隊が進撃、敵の本隊を撃破し、勝利。 この功績によりビュスタンは大将に昇進する。その後帝国軍はオーバランス城を攻撃し、これを陥落させた。 ***110年 #ref(ehinlans110-1.bmp) 1月 同盟軍であるカリムローニ軍が、任地で未だ抵抗を続けている名将レトゥス・ケルンブルク元帥やテッセソン侯の遺臣たちの掃討作戦に協力を求めてくる。 陛下はこれを承諾し、帝国はパトテルク中将を援軍として送った。連合軍3万4千に対し、ケルンブルクは1万5千の軍勢で迎撃に出る。 波状攻撃に出た連合軍だったが、ケルンブルクは老いたりといえど衰えておらず、数度にわたる連合軍の攻撃は彼の堅陣を崩すことができなかった。 ケルンブルクはカリムローニ軍と講和し、カリムローニ軍と帝国との同盟は破棄された。 2月 ケススタン宰相は、北のタスクベルク軍が反乱鎮圧に躍起になっている間に西のラスケルン軍を叩くべきと進言。 陛下はこれをお認めになり、ラスケルン領への侵攻が決定される。ビュスタン大将率いる帝国軍4万9千がサンジュレンに侵攻した。 迎撃に出た敵軍は3万9千、帝国軍は左右両翼からこれを包囲する戦術をとった。 しかし両翼の連携がうまくいかず、各個撃破される。帝国軍は一度は持ち直して反攻しようとしたが、本陣への攻撃を防ぐことができず、撤退。 サンジュレン会戦は帝国軍の敗北に終わった。 //帝国軍が態勢を立て直している間、敵軍の攻撃を果敢な動きで防いだ傭騎兵隊長、クウェグラム准将は少将に昇進する。 3月 ラウジェン殿下率いる3万3千の帝国軍がカルロスバイドにてラスケルン軍1万8千と交戦。 殿下は敵の間隙を縫って敵の本隊を衝く作戦をとるが、作戦を担当した部隊が退路を断たれたために失敗、 さらに援軍の到着が遅れ、その間に本陣が攻撃されたため、殿下は撤退せざるを得なかった。 山賊討伐のため守備兵がいなくなっていたタスクベルク領ロイエンミニヨンを奇襲、占領。 帝国軍1万3千と反乱軍のツエマイヤー軍1万6千が国境付近で小競り合いを起こし、帝国軍が敗北する。 フランビアウのガルナイト地方司令が反乱を起こす。これにより孤立したパトテルク大将の方面軍が周辺地域を暫定的に統治する。 6月 エーインスタンのローエンメッツ地方司令がラスケルン軍に寝返る。

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